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少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

ガウス的なものとマンデルブロ的なもの

2011-04-02 23:50:27 | 哲学
ランダムな現象は、ランダムであるがゆえに次に何が起こるかというのは分からない。でも、データをしばらく観察しているとその振る舞いは数学的には記述できるようになることもある。

良く知られているのが正規(ガウス)分布というやつで、平均値の周りにデータが釣鐘状の分布をするというものだ。普通のランダム過程はみんなあの分布に従うと私は思っていた。
この分布は、比較的平均値に近い値を取る確率が高く、平均値から離れるにしたがって急速に小さくなる。平均値から遠く離れた数値が実際に観察されることはまずないと考えてもよい。

ところがそういう分布をとらないランダム過程もあるのだという。それがフラクタル理論などで有名なマンデルブロにちなんでつけられたマンデルブロ過程だ。これは平均値から数値が離れてもその発生確率があまり下がらない。とんでもなく大きな値も、確率は低いとは言え発生する可能性を否定できない。

マンデルブロ過程は、得られるデータが過去のデータに依存しているような場合に起こるという。たとえばお金持ちは、お金持ちであるがゆえにさらにお金持ちになる場合とか、有名な作家の書いた本はさらに良く売れるとか、そういう場合があたるらしい。これに対してコイルを投げて表が続けて出る確率とか、人の身長の分布などというのはガウス分布に従う。確かに身長が5mもある人など起きる可能性はとてつもなく低く、まあ考えなくても問題にならない。

この二つのランダム過程における稀に起こる事柄の性質は全く違うにも関わらず、少ないデータを分析しただけは、その違いが分からないことがあるのだそうだ。実は対象にしているプロセスがマンデルブロ過程であるにも関わらず、ガウス過程として分析を行ってしまうことが良くあるらしい。たとえば、確率を低く見積もったものすごい被害が実現してしまったりする。株式市場で株価が暴落したりすることも、同じように考えられるらしい。多分、巨大地震の発生確率というのもマンデルブロ的なプロセスではないかと思う。だって、地震の発生確率は、その前に発生した地震の影響を受ける。

目の前で考えているプロセスの統計的な性質が分かったからと言って、未来を厳密に予測することはできない。でも、一見、起こりそうもない事柄であっても、それがマンデルプロ過程であれば、それが起こっても被害を受けないように準備をしておくことは可能だ。

逆に大当たりがでるプロセスがマンデルブロ過程であるなら、大当たりが出る可能性は必ずしも低くないことになる。そういうところでは小さな損をし続けていても、どこかでジャックポットを引く可能性が少なからずある。

過去のデータが現在のデータの発生確率に影響を与えるようなプロセスを設計することはできる。それは人の心に関係したプロセスにすればよいはずだ。以前の結果によって人の行動は大きく影響を受けるから。

参考:ナシーム・ニコラス・タレブ、”ブラックスワン”ダイアモンド社