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少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

事実について

2006-05-27 07:56:55 | 哲学
先日テレビにもよく出演している寺島実郎氏の講演を聴く機会があった。経済に関する話で、聞き手を引き込む話術に1時間の講演はあっという間に終わってしまった。

その中身はここでは繰り返すまい。だが、寺島氏の描く世界経済の”事実”とはいったいなにかということが気になった。

世界には何十億と言う人々が様々な経済活動をしている。それらの総体は、言ってみればカオスである。ぐちゃぐちゃの雑音みたいなものだろう。

その雑音に、寺島氏はあるストーリーが進行中だと見る。それが事実だと。実際、盛んにデータをもとに客観的な分析に基づいた議論を展開していた。どの分析も言われてみれば、なるほどね、という感じの話だ。

人はなぜ氏の話を信じるのか。それは、かれがたくさんテレビに出て、大手商社の役員であり、世界中の有名経済人と交流があるからではないだろうか。そういう人の話が、間違っているはずがないではないか。

しかし、僕は思う。世界の実相が混沌だとすれば、どんな理論であってもそれを混沌に当てはめることは可能なはずである。それは、1億人の携帯電話の電波がまさに混沌とした雑音であるにもかかわらず、それぞれの電話機が、そのなかからちゃんと人の会話を抽出できるようなものである。雑音を情報と見るか、ただの雑音と見るかは、その電磁波のもともとの性質というよりも、受け取り手の問題なのである。

世界の経済と言う雑音の塊の中に寺島氏と言う人間をとおして抽出された情報が、彼の描く21世紀の世界経済の潮流なのだ。

そして、それは彼の自信によって裏打ちされている。彼のこれまでの実績と経験が、彼をしてその理論を事実に近づける。そして、その話を信じた多くの聴衆によって、さらにそれは事実になっていく。

事実とはそう言うものである。客観的な絶対的な存在などと言うものはお話に過ぎない。その時々の力のある人々の発言が、徐々に固まっていって「事実」になっていく。