スケッチというのは一体なんだろう。もちろん、花でも月でも何でもいい。それをじっと観察して写し取ることである。それはそうなんだけど、それではどうやってスケッチをすればいいかと問い直してみよう。
僕の中でスケッチというのは、トライアンドエラーの繰り返しである。つまり、眼に入ってきた情報を再構成して構造を作り上げる。それは事実ではなく、僕の頭の中で作られる仮説に過ぎない。そして、その仮説をもとにもう一回、対象をよく見る。仮説が上手くインプットされた画像情報とマッチすると、その仮説は更に強化される。これを繰り返していき、まあこんなところということになると、紙の上に転写されていく。もちろん、その仮説が上手くいかず、捨てられてしまうこともある。空気の揺らぎがふっと、収まったときに形をぐっとつかんで仮説を作り上げる。それからしばらくはユラユラして、それを確認することが出来ないかもしれない。しばらくじっと待っていると、またふっとディテールが顔を見せる。
僕にとってスケッチは実験なのである。トライアンドエラーを繰り返しながら、何かを積み上げていく実験なのだ。
大切なことは途中であきらめないこと。精一杯トライし、結果を積み上げていく。そこには寸分の妥協もない、だからあきらめてはいけないのだ。それは、僕と月との会話によって作り出された宇宙で唯一の芸術なのだから。
でも、本当はそれは妥協の塊ともいえる。妥協をしなかったら、いつまでたっても筆は進まない。有限の時間、それも30分や1時間かそこらで完成したスケッチは妥協の産物以外の何者でもないではないか。
でも、それでもあきらめずに最後まで筆を進め、一枚のスケッチを完成させる作業を、僕は大切にしたい。それは言ってみればただの強がりだけど。人生は強がりかもしれない。少なくとも僕の人生は強がりの塊である。疲れるねえ。
僕の中でスケッチというのは、トライアンドエラーの繰り返しである。つまり、眼に入ってきた情報を再構成して構造を作り上げる。それは事実ではなく、僕の頭の中で作られる仮説に過ぎない。そして、その仮説をもとにもう一回、対象をよく見る。仮説が上手くインプットされた画像情報とマッチすると、その仮説は更に強化される。これを繰り返していき、まあこんなところということになると、紙の上に転写されていく。もちろん、その仮説が上手くいかず、捨てられてしまうこともある。空気の揺らぎがふっと、収まったときに形をぐっとつかんで仮説を作り上げる。それからしばらくはユラユラして、それを確認することが出来ないかもしれない。しばらくじっと待っていると、またふっとディテールが顔を見せる。
僕にとってスケッチは実験なのである。トライアンドエラーを繰り返しながら、何かを積み上げていく実験なのだ。
大切なことは途中であきらめないこと。精一杯トライし、結果を積み上げていく。そこには寸分の妥協もない、だからあきらめてはいけないのだ。それは、僕と月との会話によって作り出された宇宙で唯一の芸術なのだから。
でも、本当はそれは妥協の塊ともいえる。妥協をしなかったら、いつまでたっても筆は進まない。有限の時間、それも30分や1時間かそこらで完成したスケッチは妥協の産物以外の何者でもないではないか。
でも、それでもあきらめずに最後まで筆を進め、一枚のスケッチを完成させる作業を、僕は大切にしたい。それは言ってみればただの強がりだけど。人生は強がりかもしれない。少なくとも僕の人生は強がりの塊である。疲れるねえ。