我が家では、晩ご飯は、3人に出してから、時間差で親が食べることが多く、ご飯を食べ終わって、コーヒーを飲んだら、一緒に遊ぶということにしているのですが、
昨日もあーちゃんは、「コーヒー飲み終わったらバトルしよう」と言っていました。
このバトルというのが、カードを並べて、そのカードでお互いに技を繰り出すというもので、バトルといっても勝ち負けが決まるような決まりもなく、延々、「あばれうしどりで突進!」「スカルライダーを地獄より召喚!!」とか言うだけなので、正直なところ、やらされるのがキツイです。(-_-;)
そんなわけで、昨日は、ミュージックステーションが、「昭和のうた、平成のうた、ベスト100×2」なんていうのをしていて、懐かしさとまあ、これなら、抵抗も少ないだろうとコーヒーを飲み終わっても見ていたら、
あーちゃん、崩れ始めました。
「このテレビがいや」「ここを退いて」etc。
と文句を言っては泣き始めました。
他のはるちゃん、こーちゃんは、多分、テレビを見て懐かしがっている父と母「これは、今、テレビも変えてももらえないし、言っても無駄だから、本でも読んでおこう」と本を読んだり、迷路をしたりしていたのですが、あーちゃんは、そんなこともせず、恨めしそうにTVの前に立ったり、バトルステージを作ろうとしたりしてました。
何だか、あーちゃんに泣かれて、テレビをやめるのも癪だし、と知らん顔をしていましたが、そのうち、夫がテレビを見るのをやめて、後片付けをはじめ、それでも、意地になって見ていた私です。
あーちゃんが、あきらめて泣くのをやめることもないし、本当は、「バトルをしよう」と言われていたのだから、バトルをしないと収まらないのは目に見えてましたが、
あーちゃんの泣き声を聞いていると、「もう、こんな不毛なつまらない遊び(バトル)しかできない、なんで、こんなことに付き合わないといけない」という気持ちを抑えることができず、あーちゃんの求めに応じて、バトルをする気にはなれませんでした。
そうはいっても、一人だけで、あーちゃんに泣かれる中、ミュージックステーションを見続けているのも不毛なので、しばらくして、テレビを消しました。
もう、何だか、収まらない気持ちだったので、「掃除でもしよう」と掃除機を持ち出したら、
こーちゃんが「アタシがするわ!」と芝居がかった調子でお手伝いしようとするので、何だか、和んでしまました。
あーちゃんの方も、その後は、バトルをしようともいわず、「勉強しないと!」と公文の宿題をしてみたりでした。(明らかに、2人とも私の態度を見て振舞っていて、いけなかったと反省です。)
あーちゃんの公文の宿題は、しばらく前は、「絶対、イヤ~」「しない」としていかず、教室でするだけがやっとで全くしていってなかったのですが、ここのところは、隣についていれば、読める字もあったり、「教えて」と言えたりして、根気強く、取り組むことができるようになっています。
本当に、ゆ~っくり、ゆーっくり、進歩しているようです。
分かってはいるのですが、できることとできないことの落差とあまりの遅々とした歩みにくじけそうになります。
振り返れば、できるようになっていることは多いんですけどね。^^;
・・・・昨日の一件は、全面的に母が悪い・・・・のです。
みんな「一緒にテレビを見て」じゃなくて、「私を見て」なのですから。
見たいテレビは、録画して、早朝映画館で・・・・が正解。
昨日もあーちゃんは、「コーヒー飲み終わったらバトルしよう」と言っていました。
このバトルというのが、カードを並べて、そのカードでお互いに技を繰り出すというもので、バトルといっても勝ち負けが決まるような決まりもなく、延々、「あばれうしどりで突進!」「スカルライダーを地獄より召喚!!」とか言うだけなので、正直なところ、やらされるのがキツイです。(-_-;)
そんなわけで、昨日は、ミュージックステーションが、「昭和のうた、平成のうた、ベスト100×2」なんていうのをしていて、懐かしさとまあ、これなら、抵抗も少ないだろうとコーヒーを飲み終わっても見ていたら、
あーちゃん、崩れ始めました。
「このテレビがいや」「ここを退いて」etc。
と文句を言っては泣き始めました。
他のはるちゃん、こーちゃんは、多分、テレビを見て懐かしがっている父と母「これは、今、テレビも変えてももらえないし、言っても無駄だから、本でも読んでおこう」と本を読んだり、迷路をしたりしていたのですが、あーちゃんは、そんなこともせず、恨めしそうにTVの前に立ったり、バトルステージを作ろうとしたりしてました。
何だか、あーちゃんに泣かれて、テレビをやめるのも癪だし、と知らん顔をしていましたが、そのうち、夫がテレビを見るのをやめて、後片付けをはじめ、それでも、意地になって見ていた私です。
あーちゃんが、あきらめて泣くのをやめることもないし、本当は、「バトルをしよう」と言われていたのだから、バトルをしないと収まらないのは目に見えてましたが、
あーちゃんの泣き声を聞いていると、「もう、こんな不毛なつまらない遊び(バトル)しかできない、なんで、こんなことに付き合わないといけない」という気持ちを抑えることができず、あーちゃんの求めに応じて、バトルをする気にはなれませんでした。
そうはいっても、一人だけで、あーちゃんに泣かれる中、ミュージックステーションを見続けているのも不毛なので、しばらくして、テレビを消しました。
もう、何だか、収まらない気持ちだったので、「掃除でもしよう」と掃除機を持ち出したら、
こーちゃんが「アタシがするわ!」と芝居がかった調子でお手伝いしようとするので、何だか、和んでしまました。
あーちゃんの方も、その後は、バトルをしようともいわず、「勉強しないと!」と公文の宿題をしてみたりでした。(明らかに、2人とも私の態度を見て振舞っていて、いけなかったと反省です。)
あーちゃんの公文の宿題は、しばらく前は、「絶対、イヤ~」「しない」としていかず、教室でするだけがやっとで全くしていってなかったのですが、ここのところは、隣についていれば、読める字もあったり、「教えて」と言えたりして、根気強く、取り組むことができるようになっています。
本当に、ゆ~っくり、ゆーっくり、進歩しているようです。
分かってはいるのですが、できることとできないことの落差とあまりの遅々とした歩みにくじけそうになります。
振り返れば、できるようになっていることは多いんですけどね。^^;
・・・・昨日の一件は、全面的に母が悪い・・・・のです。
みんな「一緒にテレビを見て」じゃなくて、「私を見て」なのですから。
見たいテレビは、録画して、早朝映画館で・・・・が正解。