つくばの“ド素人”音楽同好会

クラシック音楽から,邦楽,洋楽とジャンルにとらわれず幅広く語り明かす,音楽の素人さんのための憩いの場です。

棒ふり旅がらす~(5)ムジークフェラインそしてカラヤンへの旅

2005年11月30日 21時42分45秒 | ウィーン’05
いつになっても2日目が終わらない。

中央墓地を後にして,我々は再びウィーンの街へ戻った。

「何となくオメェの音楽教育は貧しそうだから,いいところに連れてってやるよ!」
と,OGT君は寒風の街中を歩いていく。歩くこと数分。脇道に入る。

「イヨーッ!これがムジークフェラインだぜ!」

黄金に輝く,それでいて歴史を感じずにはおれない建物がある。
な,なんと私の目の前にはムジークフェラインが!
「ぎゃぁおー!」私は歓喜の声をあげました。

ムジークフェライン。
つまり,楽友協会ではないですか!!

年の初めのウィーンフィル演奏のニューイヤーコンサートは,正にこのムジークフェライン(楽友協会)
から生放送されているのだ。会場の中は黄金色だ。

今まで本やDVDで何度となく見ていた,“楽友協会”にしばし呆然・・・。
あのクライバーも,アーノンクールも,レニーも,カラヤンだってここに立っていたんだと。
書いてるだけで目頭が熱くなってきました(^^

これから行われる予定演目のポスターまでもが壁面で金色に輝いている。
「あぁ。金色のポスターだ・・・。ぶらぼー」とかいいつつ,更に眺めると・・。

ウィーンフィル・小澤先生キター━━━━(゜∀゜)━━━━ !!!!

しかも,その上には大野和士さんのウィーン放送響まで。
ウィーン放送響はチケット手配済みです。明日見ます。

でも,私は急に不満になりました。
「やい。音楽教育が貧しいっていうなら,ウィーンフィルでも見せてみやがれ!」
と,友をけしかけ,協会内のオフィスにはいってみた。

小澤征爾指揮,ウィーンフィル。
楽友協会を目の前にして,見ない手はないではないか!!!!!

OGT君の拙い英語で聞くところによると,向こう側のブロックの事務所に行ってみろということらしい。

そこまでしてくれれば次は私の出番だ。
事務所に直行すると,私はおもむろにカウンターの若い男に向かって,流暢な英語で切り出した。

「あ,あい うぉんと。ちけっと。とぅばい。せいじおざわ。いえす。ういーんふぃる。ゆー。のう。」

とにかく,小澤先生のチケットが2枚欲しいのだ。

若い男は,あまりに堪能な私の英語力に哀れみの表情を浮かべると,キーボードをたたきゴニョゴニョ言っている。
どうやら,明日のゲネラルプローゼの立ち見で良ければチケットがあるぜ,と言っているようだ。

「り,りぁりぃ?! おー。わんだふる。びゅーてぃふる。ゆきがふる! とぅばい ぷりーず」

この男の気が変わらないうちに買わなければ。私の目は血走っていたに違いない。

値段を聞いて驚いた。10ユーロだとのたまうのだ。

10ユーロ?
まさか!そんなに安いわけはないじゃないか!
私は100ユーロの間違いではないかと思ったが,どうやらそうでもないらしい。
しかも,それが2枚での料金と分かったときは,身体が固まった。
さすがウィーン。音楽の都。

5ユーロで小澤が魅せるウィーンフィル。

ついにチケットを手に入れた。あー楽しみ。あー幸せ。
明日は楽友協会でウィーンフィルとウィーン放送響です!

※ついつい書きすぎてカラヤンの話まで辿り着きませんでした。
 また明日・・・(笑)





棒ふり旅がらす~(4)中央墓地に行く!

2005年11月29日 22時54分57秒 | ウィーン’05
ウィーンの写真をデジカメで見ていたら大変なことに気が付いた。
フォルクスオーパーの前に中央墓地に行っていた!
さぁ大変。早速そのことについて・・・。

中央墓地とは,とんでもない墓地なのだ。
簡単に言うと「大作曲家たちが寄り添って眠る墓地」なのだ。
驚くなかれ,ベートーヴェン。モーツァルト。ブラームス。シューベルト。ヨハン・シュトラウス親子。スッペ。などなど。

ウィーン中心街からトラムの71番に乗って,乗り過ごしながらも到着。
それにしても風がものすごい・・・・。
鼻をずるずるしながら中央墓地周辺を散歩(迷うとも言う)した。
寒い寒い。


さて,とにかくこの墓地は広大なわけだが(240ha),入り口にほど近い32Aという区画。
ありましたよ。ベートーヴェンのお墓が。
私としてはそれぞれの墓に深い感銘を受けました。
あのベートーヴェンのモーツァルトのブラームスの・・・・。
そう考えるだけで胸が一杯。

ちなみに写真中央がモーツァルト。
右にシューベルト。
左にベートーヴェンです。

ブラームスのお墓の前では共に献花を。

つい,交響曲2番を口ずさむ私でした(^^)v

棒ふり旅がらす~(3)さぁ!フォルクス・オーパーへ

2005年11月29日 00時55分41秒 | ウィーン’05
すでにウィーンの街は寒くって,いまにも雪が降りそうです。
「椿姫」のチケットを手に入れたその日。今夜の最大のイベントはフォルクスオーバーでの「カルメン」鑑賞です。

フォルクスオーパーとは,1898年に開場したオペラはもとより主にオペレッタを上演し続けてきた劇場です。
ウィーンからは地下鉄U6で20分くらい。

建物からは時代の重みが。
中にはいると,意外と狭い。
ノバホールよりも狭そう。でも階層があるので人は入っている。

こちらにきて知ったのだが,クロークでチップがいる。
1ユーロ(だいたい150円)にも満たない額だが,小銭を用意するのに気を割かないといけない。
そっかー。サントリーホールには感謝しないと(笑)
プログラムも劇場内のスタッフから買う。だいたい2ユーロくらい。
ついに小銭を切らしてしまい,迷惑だよなあとは思いつつお札で購入・・・・。

さて,カルメン。かなり良い席で見ることに。
い,いかん。旅の疲れで睡魔が・・・・。(←またかよ!)

聴き慣れた例の音楽が鳴ると元気になって,それが終わるとまた睡魔が・・・・。
OGT君いわく「あの演出は斬新だねえ!」
私「ふぁ?!」
と終演後の会話はほとんど噛み合わなかった。

でもいいの。フォルクスオーパーに私がいたという事実は変わりないのだから!
あの少し薄汚れた壁と,休憩時の雑多な雰囲気は忘れられません。

棒ふり旅がらす~(2)ウィーンの街へ!

2005年11月27日 20時50分04秒 | ウィーン’05
さて,ついに念願のウィーンの街です。
ここで,私の相方を紹介しないと。
このブログではお馴染みのOGT君が今回の旅の指南役です。
ウィーン経験者だから,頼りっぱなしです。

地下鉄を乗り継いで辿り着いたのは,カールスプラッツ駅。
市内の公共交通機関は主に6つ。
地下鉄、市電、バス、Sバーン(快速電車)、郊外電車(R)、バーデン線。

72時間フリーパスという便利なカードがあるので,公共交通機関は乗り放題です。
便利だった~。

で,駅を降りていきなり左手に国立歌劇場です。
「ひぇえ~。本物だぁ!」
私は感動しきり。
小澤先生が音楽監督を務める国立歌劇場・・・・。
写真でしか見たこと無いのに,いきなり本物が!
今宵の演目は「サロメ」でした。

残念なことに,歌劇場のチケットは日本で手に入りませんでした。
でも,目の前にしてしまうと,何とかチケットを手に入れて見たくなりました。はい。

とりあえず,その後にウィーン市内の半日観光をしました。
日本語通訳でとてもわかりやすい案内でした。
モーツァルトの像。
おお。ゲーテの像もある。
シェーンブルン宮殿も見ました。

この時点ですでに私は留学生の気分。
気分は高揚したまま,「チケット取ろうぜ!」と国立歌劇場のチケットを探すことに。
希望演目は「椿姫」。
でも,チケット売りの人が言うには「全席売り切れだよ。今,ウィーンで2番目に確保が難しい演目だね」とのこと。
ちなみに一番入手困難なのは小澤・ウィーンフィルだって。それも欲しいんだけどなあ・・・。

しかし,ダメもとで足を運んだチケット屋さんに席は離れるけど「椿姫」,2枚だけありました!!
値段も関係なく「とにかく売ってください!」と入手!

やったぁ~。
現地で探してみるのもいいよ,と出発前に教えてもらっておいて正解でした。
さあ,これで国立歌劇場で見る最初のオペラは「椿姫」に決定です!

さ,さ,お祝いにビール飲も。ゲッサービールだ,わっしょい,わっしょい!

棒ふり旅がらす~(1)ウィーン編

2005年11月24日 21時51分42秒 | ウィーン’05
岩城宏之先生の著書「棒ふり旅がらす」をいただきました。
もちろん,私は棒を振ることも旅がらすでもないですけど!

さて,これから私の気が済むまでウィーンの旅行について書き連ねます(^^)


今回の旅行はウィーンに加えて,モーッアルト生誕の地・ザルツブルクも廻りました。
なにせ急遽,旅行を決めてみたので知識も旅行用品も,なにもかも準備不足で出発。

ウィーンにザルツブルク。
私のような音楽愛好家(←自称)にとっては最高のコースです(笑)
成田から直行便で12時間。
日本を出国したまではいいのですが

12時間って長い・・・・・・・(^^;;

こんなに苦痛だとは想像外でした。
エコノミーはつらい。
大陸移動説でオーストリアが日本の脇に来てくれればいいのにと思いました。どんぶらこどんぶらこって。

ウィーンには夕方に到着。すでに街の灯はほの暗く,雰囲気がいいんです。
いったん街に繰り出して夕食をとり,ホテルへ帰還。
明日から本格的に行動開始です!



ちなみに,オーストリアでさんざん写真を撮ってきたので,ブログにアップしたいなと思っていたのですが,
なんとその枚数700枚強!
編集するのも一苦労なので,とりあえずは放ってあります・・・・。

ウィーンへ行ってきました!!

2005年11月23日 20時20分44秒 | ウィーン’05
自分でも驚きなのですが,ウィーンへ行ってきました!
ろくに海外旅行もしたことのない私なのに,音楽の魅惑に負けました。
わたしまけましたわ(笑)

とりあえず,無事に帰還できました。良かった・・・。

帰ってきて一番最初に思ったこと。
シュトラウス・ファミリーの曲が聴きたい。
すーごく聴きたい!

ウィーンの街並みを見た瞬間に頭に流れた曲はニューイヤー・コンサートでの曲の数々でした。

ウィーン,また行きたいです。

本日のBGM:1992年ニューイヤー・コンサート
     演奏:ウィーン・フィル
      指揮:カルロス・クライバー 

※追伸※
ya-ya-maさん,たくさんのコメントとTBありがとうございました!
おやすみ中のブログに花を添えていただき感謝してます(^^)

↑というわけで,N響の後半戦はまだ見ていないのでこれからじっくり鑑賞します。
それからブラームスのピアノ三重奏曲。ya-ya-maさんも何度もお弾きになっているとは知りませんでした。
やはり名盤なんですね。ますます聴くのに力が入ります。
そして力が入るといえばマーラー。しかもアバドが「悲劇的」で来日予定ですか!?
情報ありがとうございます。行きます。間違いなく!!

しばしのお別れ。

2005年11月15日 20時42分59秒 | クラシック
「ワトソン君。しばしの・・。そう,しばしのお別れなのだよ」
そう言い残して,ホームズは裏口の垣根を越えて深い霧の立ちこめる暗闇のベーカー街に消えていった・・・・。

コナン・ドイル著,シャーロック・ホームズ『最後の事件』にこんなシーンがあったようななかったような?!

このたび,しばらくブログからお別れすることになりました。
とはいってもほんの1週間ですけど(笑)
戻り次第,報告を!

特に常連さんの皆様にはいつも来ていただいているのに申し訳,です。
また復活しましたら,ご愛顧よろしくお願いいたしますm(_ _)m




あぁ!ウィーン楽友協会!!

2005年11月14日 22時54分16秒 | クラシック
昨晩のN響アワーを見ていたら,楽友協会が出てきた。
ウィーンといえば楽友協会。
毎年のニューイヤーコンサートはここで催され,世界各国に中継される。
ホール内部も壁画が彩られ「黄金のホール」というだけあってきらびやかだ。

司会の大河内奈々子さんが「絵を見たらいいのか音楽を聴いたらいいのか迷っちゃいますね」というのも頷ける。
放送ではアシュケナージ指揮でN響がまさに楽友協会で演奏していた!

うーん。うらやましい。
ウィーン,楽友協会,美しい音楽・・・・。

ちなみに今週末には水戸室内管弦楽団の定期演奏会があります。
お近くの方,近くなくても音楽好きなあなた!!
ぜひ,足を運んでみてはいかがでしょうか?!

ブルックナー8番って!

2005年11月12日 19時50分13秒 | マエストロ
眠いんですね(-_ゞゴシゴシ

では,いくらなんでも語弊がありますね。

今日は東京に出ていました。
用事も済んで,「せっかく東京に来たし,サントリーホールでも行ってみようかな」って軽いノリで足を運びました。溜池山王に。

そしたら,なんかやってる!
しかも当日券売ってるし!
気が付けば当日券買ってるし!
うーん。外は寒い!

で,演目はこれでした。
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【東京交響楽団第530回定期演奏会 】

曲目 ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調(ノヴァーク版)
指揮 ユベール・スダーン
開演 18:00
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今回も初物づくし。
まず東京交響楽団が初。
指揮者好きの私としては,もちろんユベール・スダーン氏を拝見するのも初。
ブルックナーを生で聴くのも初。
8番聴くのも初。
おいおい,大丈夫か?自分。

80分超えの大作。ご期待通りに,第1~2楽章は熟睡。
でも3楽章は良かった。美しい。
4楽章も寝なかった!
第4楽章で,オーボエだかクラリネットだかファゴットの方が裏口に駆け込んで,またいそいそと戻ってきていた。どうしたんだろ?
カーテンコールでは,スターン氏が階段でずっこけていた。
みんな初体験(笑)

私の前にいたお客様は,第1~2楽章は起きていた。
でも,3~4楽章では確実に寝ていた。
私と睡眠の周期が逆だったみたい。やはりいろいろだなぁ。

人生色々。
会社も色々。
お客様も色々。

お後がよろしいようで(?!)


※ユベール・スダーン※
 1946年オランダ・マーストリヒト生まれ。オランダの音楽院で指揮法を学び、これまでに、ヴィレム・ヴァン・オッテルロー、ジャン・フルネ、フランコ・フェラーラの各氏に師事。

 1971年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝、1973年カラヤン国際指揮者コンクール第2位、1975年グィード・カンテルリ国際コンクール優勝に輝いている。これまでに、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、バンベルク交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー、ウィーン交響楽団、オスロ・フィルハーモニー、ストックホルム・フィルハーモニー、ゲバントハウス管弦楽団、パレルモ交響楽団、ヒューストン交響楽団、ダラス交響楽団、モントリオール交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック他に客演、またプラハの春、ブルックナーフェスティヴァル、ザルツブルク音楽祭など数々の音楽祭にも出演している。

 1981年~83年フランス国立放送管弦楽団の首席指揮者、1983年~86年オランダ・ユトレヒト交響楽団の首席指揮者。1985年パルマのテアトロ・レジオでのオペラの成功をきっかけに、イタリア各地で数々のオペラを指揮。ヴェネツィア、ボローニャ、トリエステの歌劇場、スポレート音楽祭、ラヴェンナ音楽祭などに招かた。1988年アルトゥール・トスカニーニ交響楽団の首席指揮者、1985年~88年メルボルン交響楽団首席客演指揮者。

日本へは、1975年初来日。都響(1980年)、新日本フィル(1975年~2回)、札響、日本フィル(1992年、93年)、広響(1997年、99年、2002年、03年)、群響(2002年)、大阪センチュリー響(2003年)等と共演。
 1994年よりフランス国立ペイ・ドゥ・ラ・ロアール管弦楽団の音楽監督および、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の音楽監督。東京交響楽団とは1997年より定期的に公演を重ね、1999年に同団の首席客演指揮者に就任し、2004年9月に東京交響楽団音楽監督に就任、同時にモーツァルテウム管弦楽団では首席客演指揮者として2007年まで契約となる。