つくばの“ド素人”音楽同好会

クラシック音楽から,邦楽,洋楽とジャンルにとらわれず幅広く語り明かす,音楽の素人さんのための憩いの場です。

不自然なコメントと不自然な顔もと

2006年06月29日 00時58分30秒 | 時事ネタ
女子大生誘拐事件の続報でワイドショーも賑わっていますね。
あの口の形って・・・。ま,いいや。

朝の短時間で見るだけなので,何とも言えないけど・・・。

コメンテーターの「セキュリティー・レベルを上げましょう」ってのはもうやめないかなぁ。

だって,根元的には何も解決しないんだもん,これ。
二次的に必要なのは分かりますけど。

いま必要なのは,ネットを媒介として犯罪グループを作り上げる組織に対抗する手段であって,その事実を私たちが正確に認識することだと思うけどな。
そこを認識せずにセキュリティー・レベルを上げたところで,「喉元過ぎればナントヤラ」で元の木阿弥。
根元が放置された分だけ,ますます治安は悪くなるという悪循環にはまると思います。

この本を1面のコラムで取り上げていたのは産経新聞でした。
読売も頑張ってください(笑)

つくば市民必読!

2006年06月27日 23時57分34秒 | 時事ネタ
きのうに続いて,音楽ネタではありません。
そして,今回は恐怖の気持ちと共に,とても真面目に書いています。

私の信頼をおいているジャーナリストが1冊の本を薦めていました。
新刊本「世 田谷一家 殺人事件・侵 入者達の告白」である。
とにかく一読して欲しい,という彼の文書に思わず買ってきた。

今,読んでいる最中なのだが,その内容は恐ろしい。
この事件だけにとどまらない継続不変な恐怖があるのだ。
外国人により組織された犯罪集団の暗躍。韓国人,中国人,ベトナム人など・・・。

お気づきの人もいるでしょう。
今朝のニュースを大々的に飾った女子大生誘拐事件の犯人構成を思い出してください。
そして,いままでの日本ではまず考えられなかった犯罪体型との類似を思い出してください。
(残虐性,白昼の強引な拉致等)。


世田谷と今回の事件は一つの線上であり,これからも続きます。
そのことが,この本を読むと背筋の寒さと共に痛感されます。
そして,1日中同じ映像を繰り返すワイドショーでコメンテーターが同じく繰り返すお決まりのコメントが,いかに『戯れ言』であるか分かります。

ほとんどの事例において鋭い指摘をする,ある優秀な評論家でさえ「セキュリティー・レベルを上げなさい」という見当違いを露呈させているところから鑑みるに,この現状をいかに我々が,そして専門家を含めて認識していないかが良く分かった。
問題はセキュリティー・レベルを上げても関係なく起こる。その理由とは・・・。

女子大生誘拐があった今,これほどリアルタイムにこの本を読むタイミングは他にありません。
どうか,本屋に行く機会がある方はぜひ読んでいただきたい。
私は読み終えてから家族にも読んでもらおうと思っている。

ぜひ,自分の,そして自分の恋人や家族の安全について,一緒に考えてもらいたい。
これは確実に身近な問題です。

「初恋」

2006年06月26日 23時56分51秒 | 邦楽/邦画
私の初恋は,そう,小学1年の同じクラスの・・・。
と,そんな話ではございません。
え?誰も聞きたくないって??
ご安心を。今回は映画「初恋」についてです。

私,実はこの映画をまだ観ていません。
でも書き込みます。
さっき,オフィシャルページに行ってきました。
うーん。書いておいてなんだけど,面白いかな。これ??

そのくせ,なんで目を惹いたかというと・・・・。
御名答です。
宮崎あおいちゃんが主演だったからです。

この映画はかの有名な「三億円事件」をモチーフにしている映画です。
時代背景は1968年。安保,反戦,etc・・・。
私はこの時代に生まれたかったと時に思ったりする。若者が今よりも元気だった時代です。

さて,この映画だと犯人役が宮崎さんなわけです。
でもさ,小学6年生の時から三億円事件を研究している私としては,あまりに現実離れしている気がして仕方がないわけです。
思い出しました。当時,つくば中央警察署で「いつかボクは三億円事件の犯人を捕まえたいんです」って言ったこと。
刑事さん,不思議そうな顔をしていたなぁ。っか,その時に,もうすでに時効でしたから!

ま,閑話休題。
この事件は,当時「一人も血を流さずに3億円をまんまと奪い取った」と称揚する向きもありました。(当時の3億円だからね)
でも,この事件の解決に心血をそそぎ,捜査半ばで殉職同然に亡くなった刑事もいることを忘れてはいけません。


真犯人は私なりの見解があります。たぶん正しいと思っています(笑)
さて,見ようかな,見ないかな。
ちょっと迷っている梅雨の夜です


今日の東フィル日記

2006年06月25日 23時28分39秒 | 速報(携帯発)
渋谷まで、東フィルを観てきました。
火の鳥ですよ。しかも1910年の原点版!
これは結構希な演目らしいです。

聴いてみて、思ったことは…
難しい。
聴いていて、複雑でよく分からないんです。
え?何が分からないかって!?
分からない所すら分かりません(苦笑)

面白かったのは、コープランドのクラリネット協奏曲。
リチャード・ストルツマンという奏者の方でしたが、演奏後のお辞儀がものすごく丁寧で、それがとてもお客さんにもウケて、拍手が止まらない( ̄ー ̄)//””

で、あまりに拍手が終わらないものだから、たぶん即興だと思うのですが、一曲アンコールを披露してくれました!

コンサートに行くと、必ず楽しいことに遭遇できるから面白い!
なぜかその奏者と街中でバッタリ会うとか(笑)
いやあ、世の中いろいろありますな。
今日はお疲れ様でした<皆様


これが,カラヤンか!

2006年06月24日 23時09分33秒 | マエストロ
ここ最近,クラシックの売場に行くとデモが流れていませんか?
そうです。カラヤンの日本公演のDVDが発売されましたね。

1957年と,1959年に日本特別演奏会です。
それぞれ,ベルリンフィルとウィーンフィルで「運命」やブラームスの交響曲1番と4番などなど。

そういえば,私はAmazonで予約していたなと,部屋に戻ったら届いてました。
ショップで買わなくて良かった(笑)

うーむ。かっこいいんだけど。
カラヤンのDVDはもう一つ持っていて,見たことあるんだけど,なんか大部カット割りに凝った編集をされていて,私にはしっくりこなかった。

特典映像の「G線上のアリア」・・・・。
このカラヤン,何か違う。
以前,「小澤のエロス」という文句がありまして,あまりイメージが湧かなったのですが,これぞ「カラヤンのエロス」では?!

うわぁ。この映像は貴重かも。どうぞみなさんも機会があればぜひ

東フィルの公式ブログが立ち上がりましたよ!

2006年06月22日 00時56分45秒 | 交響楽団
東フィルファンのみなさん,大ニュースです!

東フィルの公式ブログが立ち上がりましたよ!!

その名も『オーケストラをゆく』
見てびっくり。トップページがチョンさんで,とってもかっこいい(^^)b
司馬遼太郎さんの「街道をゆく」みたいで,タイトルもいい!

ゲネプロの様子とか,普段見れない情報が載れば面白いですね。
できれば,岩城先生の追悼特集も見てみたい。
長く続くよう,みんなでどんどんアクセスしましょう(^0^)/

記念にTB貼ってみよ!

岩城先生との思いで

2006年06月20日 01時30分13秒 | マエストロ
「岩城先生との思いで」とは,なんとたいそうな題名だろう。
先生の著作はむさぼるように読みました。
でも岩城先生のコンサートを生で観たのは4回だけ。
それでも,全く知らない他人のような気がしないのです。

岩城先生の思い出をどうしても書き残しておきたくて,どれにしようか迷っていた。
OGT君と,そのまた大先生にとてもお世話になった,素晴らしい瞬間もあった。
信じられない経験でした。貴重な体験をありがとうございました。

4回のコンサートを順に紐解けば,初めて岩城先生を観た「振るマラソン」。
ベートーヴェンは「第9」しか知らない私がよく行ったもんだけど,OGT君もまた,よく私を連れて行ってくれました。
いい思い出になりました。

病気から復活された都響との「森の歌」。
私はその前に演奏された「祝典序曲」が大好きになった。
指揮台に向かう先生の足取りは少しゆっくりだったけど,指揮棒を振り下ろせばそんな姿は微塵もみせなかった。

東フィルとのレスピーギ3部作。
私の大好きな東フィルとの共演にどれだけ興奮したことか。
先生のゲネプロを初めて観た,忘れられない1日でした。
これがちょうど1年前・・・・。

今年のニューイヤーコンサート。
先生の振る古関裕而のマーチに,自分の子供の頃を懐かしく思いだしたっけ。



そして,一番の思い出は今年の3月24日のオーケストラアンサンブル金沢でのコンサートだ。
場所はサントリーホール。
ブラームス交響曲第3番。
第3楽章に,息が止まるほどに感動した。
そして終演後,私はサントリーホールの楽屋口にいた。

実はこの日は私にとって特別な日であった。
自分の新しい職場が正式に決まったのがこの日だったのだ。
そんな日に岩城先生の,しかも素晴らしいブラームスを聴かせてもらったことにどうしてもお礼が言いたかったのだ。

どれくら待っただろう。30分。1時間。
OEKのメンバーが次々と楽屋口を後にする。
待っているのは私一人だ。
いつになっても出てこない。
私はだんだん心細くなってきた。
もしかしたら,先生は別な出口から会場を出てしまったのではないだろうか。
楽器や舞台装置を積み終えたOEKのトラックも目の前を通り過ぎて行く。
「もう,だめかな。帰ろう」と思ったその時だった。
2人の女性に付き添われ,ゆっくりと楽屋口を出てきたのは間違いなく岩城先生その人だった。
桃色の落ち着いた色のマフラーにベージュのコート姿で,マエストロが歩いてきた。


私は岩城先生に近づくと,自分が先生のファンであることを告げた。
そして,今日の演奏がとても素晴らしかったことを話した。
先生の傍らでは,付き添いの女性が心配そうに岩城先生を見つめていた。
今思えば,この方が奥様だったのだろう。
疲れ切った先生を少しでも早く休ませたかったはずだ。

私は最後にどうしても伝えたいことを手短に話した。
今日は,自分にとって転機になる日であったこと。
そしてそんな記念の日を岩城先生の音楽で祝って頂いたような気がして,とても嬉しかったのです,と。

その瞬間,私には生涯忘れ得ぬ出来事が起きた。

いままで表情を変えずにじっと私を見ていた岩城さんが相好をくずし,私にゆっくりゆっくりと右手をさしのべてくれたのだ。
このときの私の驚きと喜びと,そして岩城先生に対する敬愛の念を,どう文書にすればいいのだろう。
私にはその術がない。
先生の手を握りしめた私は,言葉に詰まった。

岩城先生はその間一言もしゃべることはなかった。
でも,私にとっては何百語の,何万語の言葉よりも尊く思えた一瞬だったのです。

その岩城先生の訃報に,私はとても悲しみました。
でも,同時に,こんな短い時間の中でこんなにも素晴らしい思い出を残してくれた先生を,私はこれからも愛さずにはいられないのです。
偉大なマエストロ岩城宏之。
どうぞ安らかに・・・・。

涙がでます・・・

2006年06月13日 22時51分12秒 | マエストロ
岩城先生の訃報を聞いて,部屋に戻ると,ちょうどテレ朝系の「ニュースステーション」でそのニュースが。

ベートーヴェンを振る姿を見ていたら,涙が止まらなくなりました。
悲しい。こんなに悲しいなんて不思議なくらい。
電車の中ではこらえていたんですけどね。

岩城先生を生で観たのは確かに指折り数えるほどです。
初めて先生を観た,執念のベートーヴェン「振るマラソン」。
病気から復帰された都響との森の歌。
OGT君とゲネプロから観たレスピーギ3部作。
ニューイヤーコンサート。
ブラームスの3番・・・・。

どれもこれも,昨日のことみたいです。

岩城先生の訃報はいろいろな新聞が記事を載せていますが,産経のそれは短文ながら生前の人柄を偲ばせました。

『世界中のひのき舞台に立ち続けても決して大御所ぶることなく、ユーモア精神を持ち続けた。』

そうでした。本当にそうでした,

いつのまにか,こんなに岩城先生のことが好きになっていたんだなあと,今更実感する,鈍感な私です。
ご冥福をお祈りします。


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以下,こちらは毎日新聞の記事を転用します。
<岩城宏之さん>亡くなる3日前まで、ベートーベンを勉強

 「死にやしないよ」。最近の岩城さんの口癖だった。強い意志と周囲への優しさを併せ持った岩城さんにふさわしかった。13日亡くなった指揮者の岩城宏之さんは、3日前までベートーベンのスコア(総譜)を見て、今年の年末のベートーベン交響曲全曲演奏会のための勉強を続けていた。
 世界でも例を見ない、1日で9曲全曲を指揮する試み。2回目の昨年は体調を崩しているにもかかわらず、血圧を測り、ドクターストップも視野に入れながら、一人で全曲指揮し通した。間近で見ていた作曲家の三枝成彰さんは「次々に演奏解釈のアイデアがあふれてくる。いくらでも勉強する。情熱の強さに驚いた」という。「ベートーベンの次はワーグナーの楽劇を全曲やろう」と、思いも付かない大企画も三枝さんに持ちかけていた。
 岩城さんは他人のためにも力を尽くした。特に若い作曲家にはポケットマネーで作曲委嘱を続け、藤家渓子さんや金子仁美さんらの優れた作品を生み出した。その一人の作曲家、西村朗さんは「『この音がよくない。削ったらどうだ』などと若手には厳しかったが、作曲家とのコラボレーションで作品を作り上げた。もし岩城さんがいなければ、日本の現代音楽の作品数はずっと少なかっただろう」と語る。
 一方、岩城さんは直言を辞さない反骨の人でもあった。N響の定期演奏会で聴衆に「お義理の拍手はやめてほしい」と呼び掛けるなど歯に衣(きぬ)を着せなかった。また「日本の文化行政を変えなければ」と83年、無党派市民連合から参院選に出馬した。また、頸椎(けいつい)後縦靱帯(じんたい)骨化症となって一時期、車いす生活をしたことから「日本は障害者に最も冷たい国」と改善を訴えた。
 最後の指揮は今年5月24日、東京・紀尾井ホールで、音楽監督を務める東京混声合唱団の創立50周年記念コンサートだった。コンサートの最後に、聴衆も一緒になって「赤とんぼ」を大合唱した。「岩城さんはいつも通り淡々としていたけど、これがお別れパーティーだったのでしょうね」と団員は声を曇らせた。【梅津時比古】
(毎日新聞) - 6月13日20時9分更新