つくばの“ド素人”音楽同好会

クラシック音楽から,邦楽,洋楽とジャンルにとらわれず幅広く語り明かす,音楽の素人さんのための憩いの場です。

【参考記事】ディープスロートについて

2009年01月18日 16時10分25秒 | ウォーターゲート事件
①昇進できずリーク? 「ディープスロート」新文書
2007.11.29 12:22

米連邦捜査局(FBI)長官を半世紀近く務めたエドガー・フーバー氏が1972年に死去した後、多くの同僚がウォーターゲート事件の情報源「ディープスロート」となったマーク・フェルト元副長官を後任に指名するよう当時のニクソン大統領に推したが、かなわなかったことを示す書簡や公文書が28日、公表された。

 大統領は推薦を退けて腹心を登用。フェルト氏は副長官にとどまり、ワシントン・ポスト紙に事件の極秘情報を提供、大統領は辞任に追い込まれた。フェルト氏は同紙に協力した動機について「正しいことだと思ったから」と述べたが、人事上の不満が背景にあったとの見方が強まりそうだ。

 文書を公表した米国立公文書館などによると、FBIから在日米大使館に出向していたハロルド・チャイルド氏は73年4月、ニクソン大統領に手紙を送り、フーバー氏が牛耳っていたFBIへの信頼を保つため「誠実で能力、経験、好印象を兼ね備えているフェルト氏」を長官に推薦。他のFBI局員らも同氏を推した。(共同)

②「ウォーターゲート事件「ディープスロート」死去」

2008.12.19 18:23
 【ロサンゼルス=松尾理也】ニクソン元米大統領を退陣に追い込んだウォーターゲート事件で、スクープした米紙ワシントン・ポストの情報源として「ディープスロート」と呼ばれた当時の連邦捜査局(FBI)副長官、マーク・フェルト氏が18日、カリフォルニア州サンタローザで、心不全のため死去した。95歳だった。

 スクープしたポスト紙のボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン両記者に政府内の極秘情報を提供し、事件が政権を揺るがすまでに発展するのに重要な役割を果たした。

 両記者からは当時のポルノ映画のタイトルをとって「ディープスロート」の符丁で呼ばれた。その後事件が小説や映画となり、正体は不明のまま存在が知られるようになった。

 フェルト氏については、事件当時から情報漏洩(ろうえい)を疑う声はあったものの、2005年春、米誌バニティフェアに「私がディープスロートだった」と同氏が述べた記事が掲載されるまで、30年以上にわたり特定はされないままだった。突然の名乗りに対して当時の米世論は「告発者として国を救った」「汚い密告者だ」と分かれた。

 その後、06年にCNNテレビに出演した同氏は「ディープスロートが行ったすべてのことを、私は誇りに思う」と言い切っている。

 しかしながら、なぜ事件当時フェルト氏が情報提供を行ったかは、結局のところ解明されないままに終わった。

 死去を受けてポスト紙に掲載されたウッドワード記者らによる訃報(ふほう)記事は、当時フェルト氏がFBI長官になれず落胆していたのは事実としながらも、「05年に名乗り出たときはすでにアルツハイマー病などで本人の記憶も薄れていた。本当の動機は誰にもわからない」と指摘している。(産経ニュース)



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