Tsumago Post Town, Nagiso Town, Nagano Pref.
さてさて、中山道の宿場町であった「妻籠宿」の散策もそろそろ終わりを迎えねばならない時間となってきましたが、
江戸時代の旅人いうのはどのような旅をしていたのでしょうか
。

当時の江戸の庶民の間では、人気が高い旅行コースというのが3つあったそうなんですよ。
1ー伊勢神宮から京都、大阪を巡るコース
江戸―伊勢神宮-熊野-高野山-大阪―奈良-京都-中山道を経由し、長野の善光寺を経て江戸に戻るという周回コース。
2ー上記のコースに加え、四国まで巡るコース
大阪までは1とほぼ同じコース。金毘羅船で瀬戸内海を渡り、四国の金毘羅神社-岡山-姫路-京都を回るオプションが加わります。
3ー山岳信仰の対象、富士山に詣でるコース
ただし、登頂が目的ではなく、信仰の対象として富士山を拝むことが目的だったそうです
。

驚くべきは当時の旅人が歩いていた距離なんですよ。一日の歩行距離が平均して男性が35km、女性が29kmだそうなんです。
この数値は距離が判明している各宿泊地間の総計です。実際の道中は街道を外れ、各地の名所や神社仏閣などに立ち寄りながらですから、
本当の歩行距離はもっと長いはずで、平均40kmになるのはないかと言われています
。

今のように足にピタッとフィットするウォーキングシューズではなく、草鞋でこの距離を歩くのですからすごいです。
そして、今のワタクシ達は旅というと「2泊3日」くらいをイメージしますが、当時はこれだけの距離を歩いて行くのですから、
一度の旅というのは30日以上の日数をかけたそうなんですよ
。

となれば当然費用も多くかかります。今の貨幣価値で換算すると、一度の旅で170万円くらいの費用が必要だったそうです。
では、それだけの費用を庶民がどうやって調達していたかと言いますと、一般的な方法が「講」です。
皆で旅費を出し合って代表者が旅立つもので、江戸時代に数多くありました
。

具体的には、世話人の勧誘によって講の参加者が集められ、3~5年を一期として、毎月一定額のお金を納め、
くじで旅立つ者を決める仕組みで、期間内には誰かが必ず旅に出られるわけです。
伊勢講、金毘羅講、愛宕講、大峯講、秋葉講、富士講などが各地にあったんですね
。

妻籠を去る前に「好日珈琲」という素敵なカフェがあるので、ここで冷たいものをいただくことにしました。
ペットの入店もOKなので、中に入ってビックリ。お客さんの9割が外国人でありました
。

話をしてみると、お客さんはイスラエルからの団体さんでした。彼らはカートに入っている紋クンのような小さな犬が珍しいのでしょう。
紋クンの写真を撮らせてほしいというのと同時に、珍しそうにカートの写真も撮っていました。
ワンコをカートに乗せるっていうのは、日本だけのペット文化なのでしょうか
。

カフェは雰囲気も良く、ワタクシは「アイスカフェラテ」をいただいたのですが、コーヒーも美味しかったです。
ただ、イスラエルってガザに対して戦闘状態であるにも関わらず、一般の人はこうして楽しく旅をしているのがちょっと不思議でした。
常に紛争を続けているイスラエルの人にとって、ガザ攻撃などは大したことではないのかもしれないのかと思うと、
ワタクシはちょっと複雑な気持ちになったのでした
。
「好日珈琲」…長野県木曽郡南木曽町吾妻805イ-2
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
ちょっと慌ただしい1泊2日の旅でしたが、雨にも降られることなく二日間を過ごすことが出来ました。
紋クンは旅行から帰ってくると、旅行に行く前よりもすごく元気になっていました。
旅慣れている紋クンは私と同じように、旅に行くと普段よりも元気が出てくるのかもしれませんね。
ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
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さてさて、中山道の宿場町であった「妻籠宿」の散策もそろそろ終わりを迎えねばならない時間となってきましたが、
江戸時代の旅人いうのはどのような旅をしていたのでしょうか



当時の江戸の庶民の間では、人気が高い旅行コースというのが3つあったそうなんですよ。
1ー伊勢神宮から京都、大阪を巡るコース
江戸―伊勢神宮-熊野-高野山-大阪―奈良-京都-中山道を経由し、長野の善光寺を経て江戸に戻るという周回コース。
2ー上記のコースに加え、四国まで巡るコース
大阪までは1とほぼ同じコース。金毘羅船で瀬戸内海を渡り、四国の金毘羅神社-岡山-姫路-京都を回るオプションが加わります。
3ー山岳信仰の対象、富士山に詣でるコース
ただし、登頂が目的ではなく、信仰の対象として富士山を拝むことが目的だったそうです



驚くべきは当時の旅人が歩いていた距離なんですよ。一日の歩行距離が平均して男性が35km、女性が29kmだそうなんです。
この数値は距離が判明している各宿泊地間の総計です。実際の道中は街道を外れ、各地の名所や神社仏閣などに立ち寄りながらですから、
本当の歩行距離はもっと長いはずで、平均40kmになるのはないかと言われています



今のように足にピタッとフィットするウォーキングシューズではなく、草鞋でこの距離を歩くのですからすごいです。
そして、今のワタクシ達は旅というと「2泊3日」くらいをイメージしますが、当時はこれだけの距離を歩いて行くのですから、
一度の旅というのは30日以上の日数をかけたそうなんですよ



となれば当然費用も多くかかります。今の貨幣価値で換算すると、一度の旅で170万円くらいの費用が必要だったそうです。
では、それだけの費用を庶民がどうやって調達していたかと言いますと、一般的な方法が「講」です。
皆で旅費を出し合って代表者が旅立つもので、江戸時代に数多くありました



具体的には、世話人の勧誘によって講の参加者が集められ、3~5年を一期として、毎月一定額のお金を納め、
くじで旅立つ者を決める仕組みで、期間内には誰かが必ず旅に出られるわけです。
伊勢講、金毘羅講、愛宕講、大峯講、秋葉講、富士講などが各地にあったんですね



妻籠を去る前に「好日珈琲」という素敵なカフェがあるので、ここで冷たいものをいただくことにしました。
ペットの入店もOKなので、中に入ってビックリ。お客さんの9割が外国人でありました



話をしてみると、お客さんはイスラエルからの団体さんでした。彼らはカートに入っている紋クンのような小さな犬が珍しいのでしょう。
紋クンの写真を撮らせてほしいというのと同時に、珍しそうにカートの写真も撮っていました。
ワンコをカートに乗せるっていうのは、日本だけのペット文化なのでしょうか



カフェは雰囲気も良く、ワタクシは「アイスカフェラテ」をいただいたのですが、コーヒーも美味しかったです。
ただ、イスラエルってガザに対して戦闘状態であるにも関わらず、一般の人はこうして楽しく旅をしているのがちょっと不思議でした。
常に紛争を続けているイスラエルの人にとって、ガザ攻撃などは大したことではないのかもしれないのかと思うと、
ワタクシはちょっと複雑な気持ちになったのでした


「好日珈琲」…長野県木曽郡南木曽町吾妻805イ-2
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
ちょっと慌ただしい1泊2日の旅でしたが、雨にも降られることなく二日間を過ごすことが出来ました。
紋クンは旅行から帰ってくると、旅行に行く前よりもすごく元気になっていました。
旅慣れている紋クンは私と同じように、旅に行くと普段よりも元気が出てくるのかもしれませんね。
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ほんとに昔の人は健脚だったのですね。
毎日40km以上歩くとは現代人では
出来ないことです。
僕は一日30km以上を中学校の時の
遠足と、大人になってからと2回歩きました。
帰り、学校が見えたとき、全員道端へ
へたばってしまいました。
昔の人は凄かったですね
藁草履で毎日40㎞
富士山が見れるように旅行コースも
多額の費用は講で、だったんですね
今日も勉強させて頂きました
紋くん、行く前よりも元気になって
良かったです!
これからも紋くんも一緒に
旅行をどんどん楽しんでください
草履で、一日数十キロ歩くなんて
ちょっと想像できないわ(笑)
「講」の代表者になれるかどうか、
くじ引きで決めるのね。
当たるかどうか、ドキドキですね(笑)
イスラエルからの旅行客。
自分たちがどう見られてるか、感じられてるか
気にしてるのか、聞きたい。
凸
夕陽が見れるといいな~
☆!
凄い距離を歩いたのですね
講は冬至のいい考えだったのでしょうね
長い旅で大変だったのでしょうが
歩くしかなかったのでしょうが
一日に40kmとはびっくりします。
大阪からは伊勢講や大峯講などが
盛んだったようですね。
昨日は 10Km歩いただけで結構つかれました。
それも市街地の 平坦道路
💻:何時もお越し頂コメントや応援👍ポッチを有難う御座います!
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*👴:今朝は昨日の続きを<👇のURL>でアップしましたのでお越しをお待ちしています。
https://blog.goo.ne.jp/hiroshijiji1840
最後に🎥を見て頂いた感想コメントも宜しくお願いしますネ。
◆それではまた👋・👋!
昔の方は健脚だった、私なんか10K歩くだけで翌日は足が痛く暫く歩けませんでした、
お伊勢参りに来られた方達お金も沢山いったでしょうね、
それに健脚でなければお参も出来なかったのでしょうね。
つい入りますね〜凸