よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
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鳳凰堂と浄土信仰-京都府宇治市:平等院

2024年05月09日 | 京都(京都市以外)
Byodoin Temple, Uji City, Kyoto Pref.

さてさて、久々に宇治を訪れたワタクシ達は新緑も美しい平等院へとやって来ました


そして、平等院といえばなんと言ってもこの「鳳凰堂」が有名ですよね。
言うまでもなく「古都京都の文化財」の一つとして、世界遺産にも登録されている京都を代表する建築物です。
この平等院鳳凰堂ですが、平等院創建の翌年、天喜元年(1053)に作られたものでして、元々は阿弥陀堂と呼ばれていました。
中堂を中心に、その左右に翼廊が延びる全体像が、鳳凰が羽を広げている姿に似ていることから鳳凰堂と名が付いたのですが、
鳳凰堂と呼ばれるようになったのは江戸時代の頃からだそうですね


この鳳凰堂なのですが、この建物が造られた時代背景というのがなかなか興味深いんですよ。
11世紀に入ると世の中に「末法思想」という考えが広まります。末法とは仏の教えは説かれるものの、修行するものもなく、
戒律も守られなくなり、悟りを得るものもないという、釈迦の教えの効力が失われた時代です


当時の人々は1052年(永承7)から末法の時代に突入すると考え、末法の時代が始まることに恐怖を抱いていました。
また、ちょうどこの頃、つまり平安時代末期は貴族の摂関政治が衰え院政へと向かう時期で、また武士が台頭してきた事もあり、
治安の乱れも激しく、民衆の不安は増大しつつあったんです。また仏教界も僧兵・強訴の台頭によって退廃していきました。
このように仏の末法の予言が現実の社会情勢と一致したため、人々の現実社会への不安は一層深またんです。
そして、この不安から逃れるため厭世的な思想に傾倒していったんですね


そのような中、貴族や民衆は「現世では世の中が乱れて死んでしまうのなら、せめて来世は極楽に往生したい」と願うようになりました。
当時の貴族は極楽往生を願い、極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を本尊とする仏堂を盛んに造るようになります。
これがいわゆる「浄土信仰」と呼ばれるもので、浄土信仰の際たるものがこの平等院鳳凰堂なんですね


父である藤原道長の別荘「宇治殿」を受け継いだ藤原頼通は宇治殿を寺院へと改めました。これが平等院です。
そして、鳳凰堂を建立したことで頼通は極楽浄土への往生を確信していたのでしょうか。
あらゆる権力を手にしていたであろう関白藤原頼通ですら末法の世を恐れ、極楽浄土への往生をひたすら願ったのですから、
当時の人々の「迷信」「怨霊」「祟り」などへの恐れというのは、今のワタクシ達には想像がつかないですね


しかし、そのような浄土信仰の広まりのおかげで、この鳳凰堂のような素晴らしい建築物や、
美しい浄土庭園を今の時代に生きるワタクシ達は楽しむことが出来るのですから、ありがたいことです


浄土庭園において、ワタクシが立っているこの場所は「此岸」、すなわち現実の世の中です。
そして、阿弥陀仏がいる鳳凰堂がある場所は「彼岸」、つまり極楽浄土だということですね


少し角度を変えるだけで様々な表情を見せてくれる鳳凰堂。もう少しこの素晴らしい建造物を見ていくとしましょうか

使用したカメラ:2、5、7枚目はFUJIFILM X-Pro2、他はFUJIFILM X-T30


平安時代の貴族って、優雅に日々を過ごしている…そんなイメージがありますよね。
でも、年中行事が頻繁にあって、行事を滞りなく執り行わねばならないとか、
陰陽道に基づいてその日の運勢を確認し、その日の行動は運勢によって支配されるとか、まあ面倒なことが多いんですよ。
もしタイムマシンというものが実現しても、私は平安時代には行きたいとは思わないんですよね。



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