ヨハネの黙示録6章 封印の災い
1.解かれる七つの封印(6:1-7)
黙示録は、黙示文学という文学ジャンルに入るものです。それは簡単に言えば、たとえ話の一種で、イメージで物事を伝えようとする文学的な手法です。ですからあまり細かなことに拘らず、全体的なイメージで理解していくのが大切です。
そこで今日の箇所ですが、イエスが、巻物の封印を解いていくことで、次々と不思議な出来事が起こります。第一の封印を解くと白い馬が表れ、第二の封印では赤い馬、第三の封印では黒い馬、第四の封印では青ざめた馬、そして第五の封印では、殉教者が、最後に第六の封印が解かれると、世界の終わりと思われるような壊滅的なイメージが語られます。そして全てが断ち切られた後に、舞台は天に移り、天上の光景が語られます。つまり最初の四つは地上で起こっていること、そして後の二つは天上で起こっていること、というわけです。これら一連の映像が全体として、何を語っているのか、それが私たちにとってどのような意味があるのかを考えるのが、黙示文学の読み方です。
で、簡単に言うと、7つの封印が解かれるたびに起こることは、これまでの、そしてこれからの時代の流れを印象的に示している、と言うべきでしょう。たとえば、第一の白い馬、注目すべきは乗り手です。第一の馬の乗り手は、弓を持ち、冠を与えられ、勝利に勝利を重ねようとして出ていくのです。これは、おそらく当時の読者に、弓を強力な武器とし馬に乗ってローマ帝国を脅かしたパルテヤ人をイメージさせたことでしょう。ローマ軍は、AD62年、東の国境地帯でパルテヤ人ボロギス率いる軍勢と衝突し、敗北を帰す屈辱を味わっています。人類の歴史には、昔も今も変わらず侵略の出来事があるというわけです。
次の「赤い」馬は、地上から平和を奪い取り、互いに殺し合う、戦乱をイメージさせます。「赤」に使われたギリシア語は、赤い葡萄酒の赤を意味するコッキノスではなく、燃える火の色を意味するブッロスです。「殺す」は、「虐殺する」「する」です。確かに人類の歴史には、近年に至るまで、激しい殺戮の歴史でした。黒はユダヤでは飢饉の象徴。騎手は「秤」を手に持っています。旧約聖書では、パンをはかって食べるのは極端な食糧難を意味します。つまり人類史に繰り返されてきたもう一つの現実「飢饉」が語られています。当時、小麦1コイニクス、約1リットルが男性1日分の食料でした。1デナリは1日分の労賃、つまり1日一生懸命働いて自分が食べる分しか食料が得られない。大麦は、家畜用の飼料ですが、これだと3リットル買えるので、家族3人が食べられる。いずれにせよ、毎日ただ食いつないでいくのがやっとという状況があることを語っています。他方、オリーブ油と葡萄酒の解釈は様々ですが、これをぜいたく品と理解すれば、日本のように「おむすびころりん1億個」と言う国もあれば、他方で、石ころを口にして飢饉に苦しんでいる国もある、世界の矛盾した貧富の差の激しさが語られているのです。「青ざめた馬」の「青ざめた」は、ギリシア語ではクロロース、病人の青白い顔色、血の気のない色を意味することばです。騎手は死であり、よみを従えていた、とあります。それは、死病、つまり流行伝染病が拡大するイメージ、先のスペイン風邪、今回のコロナ、人類史は、この繰り返しであったというわけです。けれども、それは、まだ限定的です。恐ろしいことですが最終的な滅びの段階には至っていないわけです。
2.天上で起こること(6:9-17)
さて、第五の封印が解かれると、視点は地上から天上へと変わります。そして非常に不思議な光景が繰り広げ得られる。天上では信仰に立って殺された殉教者たちが、苛立って、叫んでいるのです。その彼らが天から地の様子を見下ろし、なお一層地上の混乱が続き、犠牲者が加えられていく状況にもう我慢しきれないでいるのです。「聖なるまことの主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか」世の不正を正して欲しいと、神に、激しく抗議しているのですね(10節)。確かに、古い映画ですが、クォ・バディスやベンハー等を見ると、信教の自由を奪われて不条理に殺されたキリスト者の無念な状況がよくわかります。これに対して、神は殉教者に白い衣を与え、もう少し休んでいるようにと語ります。つまり、白い衣は正義と勝利の象徴、神は、単純に怒りの鉄槌を振り下ろして、復讐するようなお方ではなく、正義を行うお方。正義が執行される時までお待ちなさいというわけですね。そして第6の封印。太陽が黒くなる。月が血のようになる。星が天から落ちる、つまり、あり得ない状況が繰り広げられます。要するにこれは世界のファイナル・シーンを描いていると理解すべきでしょうね。実にそれは大変な事態で、地の王たち、官僚、軍隊の長、金持ち、勇士、奴隷、誰もかれもが恐れをなし、怯え、逃げまどうとされます。しかも、神と子羊の御怒りの日。本来、柔和で優しい子羊が怒るのですから、それは本当にただならぬ事態です。けれども、神を覚え、その前に正しい人生を心掛けて生きている人には、恐れることのない結末です。では今日も良い一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「黙示録の四つの生き物の原型は、旧約聖書のどこから来たと考えられているでしょうか?」答えは③エゼキエル書でした。エゼキエルも、同じような幻を見ています。やがて来る天上の様子についての二つの証言なのでしょうね(1:4-14)。では今日の聖書クイズを一つ。黙示録は大きく三つの部分からなっています。1-3章の七つの教会へのススメ、そして4章から始まる七つのしるしによる終末への喚起、そして最後の七つの教会の約束ですが、それは何章から始まるでしょうか?答えはまた明日、今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!