日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

蒼い影(12-2)

2024年03月30日 02時17分30秒 | Weblog

 ダンスが始まるや、節子さんは老先生の配慮で、いずれ大学病院に勤務したときにはお世話になるであろう、老先生の息子さんの正雄とペアを組むことになった。
 彼は大学病院に臨床医兼講師として大学に隔日おきに勤務するほかは、診療所で親子して診察に出ている40歳代の外科医である。 
 正雄医師は、老医師が英国に滞在研修中に彼の専属看護師をしていたダイアナと結ばれて生まれた、英国人とのハーフであり、瞳は黒いが細面で痩身の体形は見るからに外国人風であるる。
 ちなみに、正雄医師の妻であるキャサリンは純然たる英国人であり、現在は薬剤師として診療所に勤めているが、性格も控えめで優しく、一人娘である小学生の美代子のPTAにも積極的に参加し教育に熱心である。 
 老医師は、この一人娘のお孫さんが自慢で日頃とても可愛いがっており、彼女が傍に近寄るとあの謹厳な顔がとたんに崩れるところは世間並みで、絵に描いた様な好々爺である。 

 ダンスは、最初、テネシーワルツで始まり、吹奏楽の演奏もダンスも端で見ていて見事に軌道に乗り、会長達主催者は最初の心配が嘘のようで安心した表情で見とれていた。 
 曲がジルバに移るや、老先生はお孫さんとペアを組み、お孫さんが背筋をピンと伸ばしているのに対し、老先生は自然現象?で腰が前かがみになりながらも、共に踊り慣れているのでステップも確かで、見ていて家族愛が満ち溢れており、緊張気味の会場を和やかな雰囲気にさせた。 どうやら孫娘の美代子がリードをしている様で、老先生も眉毛を八の字にして素直に従い至極御満悦のように見受けられた。
 一方、節子さんも、正雄医師と軽快に流れるようにステップを踏み、流石に永い東京勤務中に覚えたのか慣れたステップで正雄医師との呼吸もピッタリ合い、優雅な踊りで周囲の目を集めていた。
 秋子さんは病み上がりで会場の隅で腰掛けて正雄先生と節子さんのダンスに目を奪われて見学していた。
 理恵ちゃんは、同級生の女子とペアで踊ったあと、指揮台の織田君を指差して、渋る彼を無理矢理指揮台から招き降ろし、彼と楽しそうに巧みに踊っていた。

 踊り慣れたマスターは、老先生の指名で観念したのか、それまでにこやかな笑顔が途端に緊張した顔になり、ヤンキー娘とステップを踏んでいたが、そのうちに体格差の凸凹は自然現象で如何ともしがたく、ダンスの勢いでマスターの右手が自然に長身の彼女の腰の辺りにさがってゆき、慌てて手を戻そうと神経を手先に注いで背伸びしようとしたためか、今度は、マスターの右足が脛の長い彼女の左足を蹴ってしまい、軽い作り笑いでその場を凌いたが、マスターの情け無そうな顔を見て、パートナーの陽気な彼女は「ドン・マイン」と囁いているのか、マスターも元気を取り戻し明るい笑顔で微笑み返していた。
 益々、楽しげに機嫌よく、曲の調子に乗って踊る彼女が、長い腕を伸ばして彼のターンを手助け仕様と勢いよく回すや、その勢いでマスターは一回転半してしまい、彼女が慌てて彼を引き戻そうとしたところ、体重の軽いマスターはその勢いに引きつけられて、こともあろうか、彼女の隆起した胸の谷間に額を正面からぶつけてしまい、彼女も予期しない出来事に思わずマスターを両手で抱きしめて、まるで母親が子供をあやして抱き込んでいるような光景となり、周囲を一瞬おお笑いの渦で沸かせた。
 ジルバの曲そのものが、元来、外人兵向きに作られた曲だけに、なんとか曲がりなりにも演奏していた連中も、二人の怪しげな珍妙なダンスに誘い込まれて、楽譜を離れて各自がアドリブを入れて演奏に勢いをまし、御丁寧にも連続して演奏したので、マスターは半ばヤケクソ気味に踊り続け、会場内が爆笑と拍手で大いにわいた。
 珍妙なマスターのダンスを見た美代子は、老医師の手を振り切りダンスをやめて手を叩いて大喜びで笑っていた。反対にペアを指名した老医師は両手で顔を覆い、彼の心情を思いやり困惑してしまった。

皆を笑いの渦に誘い込んだジルバも何とか終えて各自が席に戻るや、マスターは老先生に対し
 「先生!今日は来るんでなかったわ。こんな恥ずかしいダンスは生まれてはじめてや」
と、額に汗を流しながらくどくや、老先生は
 「イヤイヤ。田舎のダンスパーテイは、こうでなくてはならない」
 「君は、本日、最大の演技者で功労者だょ。これで、このあと皆がくつろいだ気分で踊れるわ」
と、自分の計画が図に当たったことに満足しつつも、苦しい弁解をしてマスターを慰めていた。
 相手をしたヤンキー娘もマスターに近寄って来て、微笑み乍ら、たどたどしい日本語で
 「こんなに愉快なダンスは初めてだゎ。お陰様で本当に楽しくダンスができて有難うございました」
 「また、機会がありましたら、是非、パートナーをお願い致しますね」
 「これを機会に今度お店にも寄らせてもらうゎ」
と、礼をのべにきて握手していたが、その姿が極自然で、異国の地でなんの屈託もなく、周囲の人々に自分を溶け込ませる外国人の生活の知恵を、皆が如実に感じさせられた。
 
 吹奏楽の演奏で暫く休憩したあと、CDで、2回・3回と自由にパートナーを変えて踊り、最終回は、愛好家が好むドイツのダンス音楽である「JAMES・LAST」演奏の”青い影”を、踊り慣れたパートナー同志で踊ることになったが、意外なことに正雄医師もこの曲が大好きだそうで、彼は顔馴染みのヤンキー娘さんと、健太郎は節子さんと夫々がペアを組み、若い人達も組みなれたペアを組んで踊り、気を利かせた係りが会場の照明を青色にして雰囲気を一層盛り上げた。

 節子さんは、最初のうちは周囲の目を気にして、適当に身体を離していたが、曲の中ほどにさしかかるや、感情が高ぶってきたのか、静かにステップを踏みながらも積極的に身体を健太郎に寄せてきて、彼の目を光る瞳で時々チラット見つめていた。
 そのうちに顔を彼の胸に寄せて小さい声で
 「健さん、わたし本当に幸せだわ。なんだか、夢の世界でダンスをしている様だゎ」
 「わたし、貴方を、もつとモット幸せになれるように、精一杯尽くしますので、健さんも、わたしを可愛がってね」
 「このまま時間が止まってくれればよいのにね」
と、彼の耳元で囁やいた。
 うなじを綺麗に手入れし、おくれ毛にかすかに漂うシャネルの移り香に、男心を酔わせる成熟した緑の女性の色香を自然に発揮していた。
 健太郎は、青い光に映しだされ均整の取れた悩ましくも美しい彼女の柔らかい背中を思わず力強く抱きしめ
 「秋子さんの媒酌で、来月に式を挙げよう」
と話すとは、彼女も静かに頷き
 「本当に、待ち遠しいわ。母も、待ち望んでいるので・・」
と答えるや、彼の胸元に顔を当てて嬉しさで目が潤んでいる様だった。

 曲が終わるや、節子さんの傍に理恵ちゃんが寄って来て
 「小母ちゃん、泣いていたの?」
 「わたし、青く揺れる小母ちゃんの姿をジイ~ット眺めていて、小母ちゃんこそ、小父さんのところに舞い降りた、月よりの使者と思ったわ」
 「凄く感激しちゃったわ~。早くこの街に来て・・」
と、自分も幸せになれると信じて話していた。
 そのあと「お母さんは、これでいいんだょ」と、訳の判らぬ独り言を言っていた。と、母親である秋子さんの身体を気遣いながらも話してくれた。

 帰り道は、風もつめたくなり、四人が手を繋ぎ、それぞれが明日の幸せを信じて、家路を急いだ。
   
    ♪ 月をかすめる雲のよう 古い嘆きは消えてゆく。。。
         抱いて踊れば黒髪の なやましい移り香に 春は行く涙ながして。。。
 
 節子と健太郎は、永い時を過ごして巡り合えた人生の不思議さを思いつつ・・。



 
 

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蒼い影(12)

2024年03月27日 08時48分00秒 | Weblog

 山合いの街で開催された春恒例の慰労会。 
 当日は、朝から晴れわたり、普段限られた人達だけの会話と異なり、近隣町村の参加者の中には連休で帰郷していた人達の顔も見えて話題も増え、会場は賑やかな会話で盛り上がって、皆は本能的に身体を動かしたい心の躍動感に誘われている。

 遠くの飯豊連峰も白銀で神々しく眺望でき、なだらかなスロープを描いて駅のある街場に連なる緑の棚田も、雲ひとつない青空のもと、早苗が植えられた水田の水がキラキラと日光を反射させて眩しく輝いていており、まるで光る池のようだ。

 連休最後の日曜日を利用した慰労会は、中学校の運動場で開催され、近隣市町村の老若男女を交えた人々で賑わい、卒業生を加えた人数が増えた吹奏楽の演奏から始まり、華ばなしく開催された。
 この慰労会は、農作業で疲労した身体を癒す人々や、サラリーマンで運動不足を気に留めている人達が、夫々に、健康保持と普段途絶えがちな人々とのコミュニケーションを図る目的で開催されている。 
 外国での生活経験豊富な診療所の老医師が、名誉会長とはいえ元気溌剌、会員の先頭に立つて会を運営している。
 ダンスクラブは当初参加者が少なく寂しい会であったが、会を重ねるに従い口コミで広がり、現在では、小学生から中高年層と多士済々で、フォークダンスや社交ダンスと多種目で、多少ステップを間違えても、かえって愛嬌を誘い気楽さから参加者も増えて程よい人数となつていた。 

 今春は趣向をこらして華やかに開催するとゆう名誉会長の音頭で、会場の窓を暗幕で覆い、借りてきた照明器具を使用して雰囲気を盛り上げる様に工夫をこらしたが、本音は初参加者の羞恥心を薄めることにあるようだ。
 生活慣習が全てに保守的な地方では、ダンスは都会の若者の娯楽とゆう観念が未だに強く残っている以上、参加者を含め多くの人達にリクリエーションとして認知してもらうには、この様な配慮も主催者には必要かも知れない。
 吹奏楽の方は、何時もの見慣れた顔の先輩後輩で音合わせも順調に進み、馴染みのないダンス音楽の曲目は、会場の音響施設を利用しCDを用意して準備は完了した。
 会場の準備は、常連の参加者が過去の経験を参考に知恵を出し合い設営に取り掛かったが、素人集団のにはか作業のため、照明操作には大分汗をかいていたが、なんとか準備を終えた。

 さて、ころあいをみて名誉会長の開催趣旨を兼ねた司会のあと、最初に高校生の織田君の指揮で吹奏楽で雰囲気を盛り上げ、心の硬さをほごす意味で、行進曲「旧友」に続いて「泳げタイヤキ君」など、誰もが聞きなれた曲を軽快に演奏し、音響効果宜しく会場に熱気が盛り上がったあと、ダンスを踊ることになったが、最初は各人が相手の指名に遠慮してモジモジしていたが、これも名誉会長の咄嗟の発案で、最初のパートナーを、初・中級者のペアをと考え抜いた末の組み合わせで指名した(これがなかなか難しいのだが?)そこは老医師の人徳と巧みな話術で一方的に指名したので誰もが気楽に応じた。

 何時ものことで、服装は普段着を原則とし、例外として自分の好みの服でも良いとしていたので、常連の居酒屋のマスターは、店でも時々客の求めで着る、競馬の騎手が着る派手な色彩の騎手服に半長靴でニコニコと愛想の良い笑顔で臨んできた。
 マスターは、相手を高校の英語の助教として一年前に単身で来日している20歳代の少し肥満気味だが美しきヤンキー娘とペアを指名され、皆から大きな拍手を受けたが、彼はそれとは反対に一瞬笑顔が消えてしまった。

 ちなみに、マスターはこの地の中学を終えると、自分の身体的特徴を自覚し、また、動物好きでもあったことから、地方競馬の騎手となり、新潟・山形・岩手・名古屋と、競馬の衰勢につれて各地を転戦したが、40歳でムチを置き故郷で居酒屋を経営しているが、性格が明るくて愛想が良く、話題も豊富なため人気があり、その人生経験の賜物か、カラオケとダンスは非常に上手い。
 一方、相手に指名された彼女は、黒縁の眼鏡をかけやや丸顔を包むように髪を伸ばし、やや肉付きは良いが背丈に比例してスレンダーに見える。
 当然のことながら背丈は高く、当日は薄桃色のセーターと黒のロングスカートにハイヒールとゆう姿で出席していたが、その顔には絶えず微笑みがあり、愛嬌のあるアクセントだが日本語で参加者に語りかけていた。
 会にも来日以来毎回積極的に参加していて、老医師の孫娘である小学6年生の美代子の家庭教師をしている関係で可愛がられていた。

 理恵子は赤いセーターと通学用の紺色のスカートで装い、秋子さんは初参加の節子さんの希望を受け入れたのか、共に薄い青色のセーターと黒のロングスカートで服装を揃え、会場に姿を見せていた。
 秋子さんは診療所からの一時帰宅のため片隅の椅子に座っていたが、節子さんは会場に入るや、理恵ちゃんに会場内をあれこれと案内されていたが、理恵ちゃんはこの様な雰囲気が好きらしく、先輩の男子高校生と機嫌よく話を交し会場内を歩き回っていた。
 理恵子とは仲良しの高校生の織田君は、節子さんとは初めての顔合わせで渋ったが、理恵ちゃんの強引な誘いで節子さんの後について説明していたが、羞恥心もあってか顔が少しこわばっていた。 それでも理恵ちゃんの陽気さに仕方なく引きずり廻されていた。
 他の会場でも見受けられることだが、この年代の青少年は体育系の部活を除き、どうも女性のリード役が多いようだ。
 吹奏楽の部活は女子が多いためか特にそれが顕著である。

                                


 

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蒼い影(11)

2024年03月24日 04時01分32秒 | Weblog

 社会主義国とはいえ、庶民の中に儒教意識の残る中国では、世界中の資本市場が欧州の金融不安で騒いでいるのに対し、自国の経済方針を堅持して悠然と伝統的な慣習を守っている。 
 政治体制とは別に、大陸的な人間性もあるのか、歴史の重みを考えさせられる。
 健太郎の住む街も、都会の急激な価値観の変化や煩雑さとは異なり、田植えを終わり春の農繁期が過ぎると外仕事も一段落して、人々は毎年恒例の憩の行事を楽しむ習慣がある。 
 けれども、若い人達が持ち込む合理的な都会の文化が、山村の古き良き伝統を大事に受け継ぎながらも、少しずつ古い慣習の岩盤が静かに移行し改められている。
 つい、一昔前までは、冬季は出稼ぎや藁仕事などで過ごしていたことを思うと、最近の機械化された農業とは覚醒の感を覚える。

 先日も、恒例の定期健診があり、村の旧家で医院を開業している老医師が看護師を従えて、健太郎の家に訪れて来ると、近隣の生活習慣病の病持ちの老人達5人が集まり、血圧・採尿・心肺検査を一通り実施したのち、生活習慣病の原因としての、塩分・酒・タバコについて、わかり易い語り口で何時もの通り饒舌をまじえて話したあと、受診者達が訪問看護に感謝の意を込めて簡易な懇親会が開かれた。
 集まった人々は診察結果よりも、この懇親会のほうを楽しみにしているのが偽らざる彼等の心境である。

 炭火が赤々と燃え盛る囲炉裏を囲んで会が始まるや、老医師は厚い座布団に胡坐をかいてでんと座り周りを見渡した後、さしだされたお茶に口をつけたあと、遠慮することもなく真先に炭火の脇に串刺しされたイワナの塩焼きをとり、眉毛を八の字にして頭からかぶりつき、老人達が持参の自家製のドブロク(濁り酒)を、どんぶりで顔が隠れるくらいにあおり、ついでタバコに火をつけて紫煙をくゆらした後、謹厳な顔をくずして満面に満ち足りた微笑を浮かべて世間話を語りだした。
 雑談が進むや、患者?の一人が
 「先生!先程の御高説と、一寸矛盾するようですが・・」
と、酒の勢いで遠慮気味に迷問を発するや、老医師は目を輝かせて泰然とした態度で
 「以前、麻生総理閣下が、この前の諮問会議で発言されて世間の注目を集め、新聞記事を多いに湧かせたが、医師は、社会常識に疎いところがあるのは事実だ!」
と言ったあと続けて、自己弁護する様に
 「あれは、本当のことだ!」「紺屋の白はかまと言う諺があるが、専門家には、とかく世間に疎いところがあるが、ほかの政治家が言へないことを平然と言う勇気は、流石に吉田茂の孫だけあり見上げたものだなぁ」
 「酒もタバコも、程ほどにたしなむことは、逆に良いこともあるんだよ」
 「認知症は癌よりも恐ろしいからなぁ。なにしろ人間性が失われてしまうんだから」
と、ため息まじりに返事して妙にその場を納得させて、味噌漬けの味を褒めながら酒をマイペースで飲んでいた。
 一同もそれに合わせて心おきなく酒肴と雑談で和やかに楽しんだ。

 ちなみに、老医師は旧海軍軍医上がりで、戦後、南方で英軍の捕虜となり罪一等を減じられて英軍の野戦病院の軍医として、シンガポールやインドネシヤで軍関係の外科医として過ごし、後に、人間性と技術を認められてロンドンに派遣され、そこで腫瘍内科を学び、現地でイギリス婦人と結ばれて幸福な家庭を築いたが、60代前半にメスを置き帰国し、故郷に帰るや小さな診療所を開業したが、暫くして最愛の奥さんを病で亡くした。
 現在、息子さん(医師)夫婦と余生を過ごしているが、息子さんの奥さんも英国人である。
 老医師は齢70歳半ばにしても生来の明るい性格を反映して、近隣市町村の各種名誉職を引き受け活躍しておられる。

 秋子さんの病気も急性胃潰瘍と診断され、3週間の入院を経て退院し帰宅し、現在は店には出ず静養している。
 彼女が入院中、理恵ちゃんは健太郎の家で節子さんが面倒を見ていたが、二人の相性は抜群によく、まるで親子の様で、休日は勿論のこと帰校するや常に節子さんの側を離れず、明るい笑いが絶えない日が続き、そこにポチも混じり賑やかなうちに、秋子さんも退院を迎えることが出来て喜んでいた。
 
 定期健診の日も、秋子さんはお手伝いを兼ねて顔を出し、老医師から療養生活の細かいことを教えてもらっていたが、気分をよくした秋子さんが元気を甦みがえらせて、幾分酩酊気味の老先生に、彼女特有の如才ない語り口で、6月には節子さんが健太郎のところに嫁いで来ることや、そのころ、大学病院に勤めることなどを話し、その際は、同じ病院に勤務している息子さんの先生にも宜しく伝えてほしいと、さりげなく節子さんを紹介する様に頼んでいた。老医師は冗談とも付かぬ言いまわしで
 「う~ん 節子さんとゆうオナゴは、なかなかの美人じゃのう~」
 「大学病院なんかに行って、こき使われるより、わしの診療所に来てくれんかの~」
と、逆に斡旋を頼んでいた。
 秋子さんは、その熱心さにおされて経緯を説明するのに大分悩まされた。何しろ、頑固一徹な先生であるだけに・・。

 懇親会も終わりに近ずいたころ、老先生が座りなおし、何時もの謹厳な顔で、一同に対し   
 「いや、今日は久し振りに愉快な日を過ごさせて頂き、有難う。ついては、皆さんに是非ご協力をお願いしたいのじゃが」
 「来る、街の慰安会には、また、昨秋同様にダンスパーテイを開催する予定だが。この春は少し趣向をこらして、華やかにしたいと計画しているんだが・・」
と、例年、近隣の愛好者が集まって、コミュニケーションを図る目的で春・秋二回開催する会の模様を説明したあと、節子さんに
 「貴女も、見るからに運動神経がありそうでスタイルも抜群だし、東京の病院に長く勤めておられたのら、さぞかしダンスも上手でしょうね。楽しみにお待ちいたしております」
 「せがれ夫婦と孫娘も参加しますので、お見知りおき願うに良い機会ですので・・」
と、巧みに勧誘していた。、
 突然のことに躊躇していた節子さんに対し、秋子さんも、根がこのような賑やかなパーテイが好きなところから節子さんに
 「ね~、行きましょうよ」「わたしが付いているから余計な心配はいりませんよ」
と、誘いかけて理恵子も行こうとしきりに催促していた。
 ほどよく酔って患者であることをすっかり忘れている老人達は、老医師の健啖振りと若々しい発想や態度を見ていて、人の健康は暦年とは関係なく、精神的な要素が大きな比重を占めているんだなぁ。と、つくずく思い知らされた。
 



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蒼い影 (10)

2024年03月20日 15時14分36秒 | Weblog

 中春の晴れた日の昼下がり。
 健太郎は縁側に出ると、何時もの習慣で煙草をくゆらせながら辺りを漠然と見渡し、紺碧の青空のもとに白銀に輝く山脈の峰々を眺望していると、何時ものことながら神々しさを感じ、千古の昔から人々が山岳の神に畏敬の念をもち、先人達はあの山の彼方に幸せがあると信じて、日々の生活に希望をいだき苦難に耐えて励んできたこと。 さらには棚田や路傍の石碑を見るにつけ、名もない人々が積み重ねてきた故郷の歴史の重みを思い浮かばせた。
 富士山をはじめとして、全国の小高い山々にいたるまで、頂上に『権現様』が祀られているのは、その証しと思はれ、神が仮の姿で現れていると表現した、先人の生活の知恵に心を奪われた。

 そんなもの思いに耽っていたところ。 新任教師として初めて下宿でお世話になって以来10数年振りに逢う、節子さんの母親と妹夫婦が、結婚の日取りや様式などを相談に訪れてきた。
 彼は一同を歓迎して座敷に案内すると、母親は節子さんの再就職前に是非との強い希望で式の話を進めていたところ、玄関前のポチが急にうるさく吠え出した。
 健太郎は、また、見知らぬ訪問販売の人かと玄関に出てみたら、理恵ちゃんが自転車を走らせて来たせいか息を弾ませて、赤い顔に目を黒々と光らせて、健太郎の顔を見るなり興奮しながらも涙声で
 「小父さん、大変だ!」「ママが、お仕事中にお腹が痛いといって、寝込んでしまったの」 
 「お店の人が何時もと様子が違うので、早く山上先生に知らせてきなさい。と、言うので、わたしも、びっくりして飛んできたの」
と早口で告げた。
 その声に気ずいたのか、節子さんも驚いて顔を出し、理恵ちゃんから落ち着いた態度で様子を丁寧に聞いていたが、秋子さんが最近腹部の違和感を話ていたことを想起して看護師の勘で急を要すると判断し、健太郎に、小声で
 「診療所に連絡して入院の手続きをして下さい」「私、これから直ぐ彼女のところに行きますので・・」
と言い乍ら、健太郎に
 「貴方、救急車の手配をして下さいませんか。それと、付き添いその他の手配をお願い致しますわ」
と言うやいなや、身支度を整え、母親達に簡単に事情を説明して留守居を頼んで、理恵ちゃんと自転車で秋子さんの店に行ってしまつた。

 健太郎は出掛ける前に、若井さん(節子さんの母親)に、秋子さんが、これまでに色々と自分の世話をしてくれたことや、今後、節子さんがこの地に縁ずいてくれば、何かと相談相手になってくれる大切な人であることなど、これまでにそれとなく話していたことを纏めて話し、母親達から快諾を得て、秋子さん宅に向かった。
 秋子さんの店までは自転車で15分位かかるが、それにしても、こともあろうに大事な場面でえらいことになった。付き添いを誰に頼むか。留守中の店をどうするかなど、思案しながら広い農道を用心深く進んでゆくと、救急車のサイレンの音が聞こえたので、あぁ、いま診療所に行くのだな~。なにわともあれ秋子さんが診療所に行けば、後のことは落ち着いて考え様と自転車を懸命にこいだ。
 それにしても、節子さんが一緒に行ってくれて助かったと思うと気が楽になり、看護師とはいえ緊急時の判断と動作の機敏さに感心した。

 健太郎は店につくや、普段、秋子さんが仕事上頼りにしている年配の従業員達と善後策を相談したら、彼女達は付き添いには、理恵ちゃんが普段余り近ずかないらしいが、秋子さんの妹さんで、自分で食品店を経営していて、秋子さん同様に気性が強いその人に頼むことが良いと聞かされ、美容院は自分達でやり繰りすると進んで申し出てくれたので、その様にお願いすることにして、当面の段取りをつけて帰ってきた。
 帰宅後、出前の昼食をとり、節子さんの母親と妹夫婦達と、遥か昔の新任教師として下宿でお世話になったときの懐かしい四方山話しや、不幸にも亡くなられた御主人とアユ釣りに行ったこと等、それに最近の街の変わりよう等、義弟となる悦子さんの婿さんにも、若井家との関係を判って貰える様に懐旧談をして夕方まで和やかに過ごしていたところ、理恵ちゃんから電話がかかってきた。

 健太郎も、その後どうなったかと思っていた矢先なので、すぐに電話に出ると、理恵ちゃんが張りのある声で
 「小父さん、すべりこみセーフだってよ!」
と言うので、なんだ野球用語を使ってと、たしなめる様に答えると、彼女は
 「だって、看護師さんが、そういつて教えてくれたんだもの」「わかり易いでしょう!」
と言い、健太郎が付き添いの叔母さんに電話を変わってくれと言うや、理恵ちゃんは急に不機嫌な声になり、なかば怒るような言葉使いで
 「なんで、あの叔母さんをよこしたのよ」「わたし、前に、わたしのお父さんの居所を知っていたら、母さんに内緒で教えてょ。と、頼んだら目から火花が出るくらい怒られたことがあり、それ以来、逢わないことを覚悟していたのに・・」
 「叔母さんは、わたしの気持ちを全然理解してくれないんだから・・」
と愚痴ったあと、尚も不満が納まらないのか

 「あの叔母さん、診察した先生と担当の看護師さん、それに節子小母さんが、母さんのことについて、おそらく大学病院で手術することになるかもしれないが、その前に、検査で一週間位入院してもらう、手術はなるべく早くするように手配するが、その後は3週間くらい入院・安静が必要だ、などと説明を聞いて相談していたら、叔母さんは、急に冷や汗を流して青い顔をして卒倒してしまい、節子小母さんと看護師さん、それに、わたしも手伝い、空いている病室に運び、いま、点滴をうけて寝ているわ」
と、そのときの様子を口早に説明し
 「一番大事なときに、あの叔母さん、三振や~!」
 「小父さんも、ここ一番、大事なときに、とんでもない選手を起用したもんだわ~」
と、またもや、野球用語で言うので、健太郎も慌てしまい、こんなとき野球用語は使うなと再びたしなめたところ、理恵子は
 「だって、判りやすいでしょう~」「わたし、お金を余り持つてきていないので、電話料を節約するために、短く報告しているのに、小父さんまでも、そんな、わからずやなんだから~」
と、口答えした後、今度はからっと声を変えて
 「三振して、寝ている叔母さんに、お昼代をだして欲しいともいえず、空腹を我慢していたら、節子小母ちゃんが近所の食堂に連れていつてくれたので、チャーハンと餃子をヤケ食いしたわ」
と言うので、健太郎も陽気な理恵ちゃんに合わせて、からかい半分に、やけ食いとは?と呆れて聞くと
 「友達もそうだけど、こんなとき、女性は人に愚痴もいえないので、やけ食いしてウサをはらすの」
と、食事に満足したのか機嫌よく話してくれ、最後に語気を強めて
 「あのネッ!、わたし一人で寝るなんて寂しいし嫌だわと心配していたら、節子小母ちゃんが、今晩は小父さんのところで、一諸に泊めてもらいましょうね。と、言ってくれたので安心したわ~。お願いします~す」
と話すと電話をきってしまった。

 今晩は、若井さんの家族や理恵ちゃんも交え久し振りに賑やかな夜になると思いつつも、秋子さんは果たしてどんな病気なのかと、自分達の結婚式とあわせ、心配が心をよぎったが、秋子さんに似て母親の病気にも拘わらず気丈な理恵ちゃんを愛おしく思った。
 

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蒼い影(9)

2024年03月18日 03時57分43秒 | Weblog

 健太郎の家は、先々代から受け継がれ、床柱や梁それに唐紙戸などに欅材を豊富に用いて建てられている。 
  茅葺で間数も多く居間の天井も高く造られた、今では村でも古い骨董品のような家であるが、どことなく重厚で威厳の趣きがある。
  周囲は防風雪の杉木立に囲まれ、裏庭は小高い丘に向かって杉や楢の木に柿や栗の木が数本混じって、あまり手入れされることもなく少々荒れて繁茂しているが、片隅には小川から流れ落ちる水を利用した人工池があり、飯豊山脈を遠くに望む東向きの玄関脇は50坪ほどの芝生の庭や畑となっている。
 
 家を出ると道に沿って農業用の狭い小川が流れており、両側の田圃の畦には昔ながらに稲をはさ架けするハンの木が5本くらいずつ適当な間隔をおいて植えられ、整備された土の農道を3百米位東に行くと、街の中心部に通ずる舗装された県道が一本はしり、その先は幅員の広い県都に続く国道に出る。
 この県道の脇にも道に沿って幅3m位の川が流れ、冬季には消雪に活用され、川下の市街地に向かって勢いよく流れている。
 
 この時季。 玄関脇には秋から冬にかけて咲き誇った真紅の椿の花が少し残り代わりに水仙が元気良く我が物顔に咲いている。
 街の周辺の林檎や桃畑には、小枝に淡い桃色の蕾が芽吹きはじめており、間もなく白い花が咲いて畑一面を飾るころになると、村中が華やいで、初夏の香りを運んでくれる。
 
 山合いの農村の晩春は日暮れも早く、山の端に日が沈む頃には歩く人も少なくなり、健太郎の家では川のせせらぎの音以外 は水田を渡って来るそよ風の音だけで閑静である。
 廊下のガラス戸を開けると、小川の浅瀬を流れる水音が高ずんだ響きを伝え、珍しく晴れている晩は、月の光が川面に反射して細かく砕けて飛び散る水が金色にふるえている。

 ポチに引きずられて先を行く理恵ちゃんが、♪ 十五夜お月様 一人ぽち 桜吹雪の 花かげに・・。と、歩きながら気持ちよさそうに歌っていたが、静寂に包まれた春の夜道は、昼の雑音からのがれたロマンチックな気分にさせてくれる。
 健太郎は、難しいことは判らないが、欧州の財政危機に端を発して世界中に信用不安をもたらし、対岸の火事と思っていた経済混乱が日本にも及び、この経済の悪化は、いったい何時まで続くのかと思うと、確かに秋子さんが言うように、老後の生活を真剣に考えなければ。と、思うと、理恵ちゃんとは反対に途端に心が重くなった。
 月の光を浮かべた川の水が、よどんだりと或いは激しく流れたりしながら、いずれは悠久の海に押し流されて行くように、人の世もいろいろな問題を咀嚼しながら風にそよぐ葦の様に、大きな流れの中で因縁に導かれて静かに押し流されて行くのか。と、とりとめもないことを考えながら歩いていたら前を行く秋子さん親子に大分遅れてしまった。

 そんなとき、健太郎の左横を影の様に連れ添って歩いていた節子さんが、彼のコートの左ポケットに入れていた彼の手指に絡ませる様に忍ばせて軽く握りしめてきた。
 健太郎も、それに答える様に握り返し彼女の横顔を覗いたら、月の光に映えるその顔には、理恵ちゃん同様に、今晩の出来事に満足しているらしく、軽く微笑みかえし言葉もなく指先に一層力を込めた。
 その手の温もりと柔らかさに、秋子さんの説得を納得して、彼女が共に生きてゆく決意を固めた意思の強さを確かに感じとれた。

 やがて、鎮守様の前にさしかかると、理恵ちゃんが引き返してきて、節子さんに
 「小母ちゃん。母さんは先に行き部屋をかたずけて小母さんに泊まっていただけるように準備するので、先生とお話しをして来なさいと言っていたゎ」
 「わたし、また、迎えにきますから・・」
と、なにか意味ありげな顔で用件を告げると、再び、ポチを促して駆け足で母親を追い駆けていつた。

 節子さんは、前もつて秋子さんと話しあつていたらしく、「はい、有難うね」と返事をして、どちらともなく鎮守様の境内にある木製の腰掛に腰をおろし、健太郎は煙草に火をつけて燻らすと辺りを見回し、大木の隙間から漏れる帯状の月光が照らす周辺の光景が、閑静と相俟って、まるで水墨画のように美しい光景に見とれていたあと、健太郎は数日熟慮して決意した考えを、教え子である彼女に歳甲斐もなく遠慮気味に小声で
 「節子さん、秋子さんが話された様に、宜しかったら私の家を利用されませんか」
 「急ぐ訳では有りませんが、出来うれば生活を共にしていただければ大変有り難いですが・・」
と言葉少なくプロポーズしたら、彼女はいきなり健太郎の両腕を握り、胸に顔をうずめて囁く様な細い静かな声だが、一語一語、自分にも言い聞かせる様に、明瞭に
 「わたしが、健さんを好きでたまらないと正直に申し上げることは、いけないことかしら?」
 「わたし。健さんを、どうしても忘れられず、本当に好きなのです」 
 「どのような困難にも耐えても、貴方に生涯を通じて尽くしますので、おそばにおかせてください」
 「わたし、喜んでお受けいたしますわ」
と小声で答えて、それまでの心の中の葛藤を整理して話して、彼に対する愛を告白した。

 彼女が話すには、それまでに辿った心の道のりは
 健太郎と枝折峠を散歩したあと、秋田の家に帰り母親と妹夫婦に自分で考え堅く決心したことを話したところ、母親は
 「あんたも、薄々感じていたかもしれないが、亡くなった父さんも元気なころは口癖のように、下宿していた健太郎さんと、ゆくゆくは、あんた達が結婚してくれれば、男手のない私達には、この上もないことだ。と、楽しみにしていたが、いかんせん、どちらも、歳が若く、そのうちにと思っているうちに、あの方は転任し、あんたは東京に行き、その機会が消えてしまい、当時は凄く落胆したわ」
 「その後、悦子(妹)に泣き泣き頼んで家に直ってもらったが、あんたも、今日まで頑張り通してきて、いま、健太郎さんと偶然再会し、秋子さんの尽力もあり、その機会に恵まれたとゆうことは、きっと、父さんが天国から、あんたを心配して下さったお陰様だ。と、つくずく思うよ」
 「あなたが、自分で、色々考えて心にきめたのなら、母さんは大賛成だよ」
 「悦子も、幸い良い婿さんを迎え、仲良くして家業に励んでおり、この話には大賛成だよ」
と、家族一同が非常に喜んでいること。
 更に、現在誘われている大学病院での仕事や、長く辛抱した甲斐があって思いを遂げられる女の幸せを手に出来ること。
 また、秋子さんからは、女性としての生活の在り方などを、再三にわたり聞かされ、最後には秋子さんから念を押す様に
 「あなたが、今、決心しないのであれば、先生を何時までも一人にしておけず、 私が面倒をみてもよいのよ」
 「亡くなった奥さんからも、死の間際に、涙を流して懇願されてるし・・」
と、健太郎の生活振りを細かく説明されたこと等を混じえて、熟女らしく遠慮気味ながらも冷静な口調で、これまでの経緯を話した。
 
 そのあと続けて、秋子さんのことについて
 「わたしが、人様から強気だと言われているが、今の世の中、自分を励ます意味でも女世帯は強気を装はなければ生きて行けないのよ」
と、口をすっぱくして言われたこと、更に彼女に対する感想として、人から後ろ指を指されずに生活し、娘さんを女手で育てている彼女の生活力の旺盛さが羨ましく、また、この人が自分の側にいてくれるのは頼もしく思い、彼女に対し
 「わたし、健さんと共に生きる覚悟をしたゎ」 「先輩の貴女には、本当に感謝しています」
と、お礼の返事をしておいたとも話した。
 そのとき、秋子さんが、寂しいのか、或いは先輩としての使命感を達成した安堵感からか、目に薄く涙を浮かべていたので、わたしも、意味がよくわからずに誘われて泣けてしまったこと等、秋子さんのお陰で、今晩に至るまでの経緯を正確に話してくれた。

 節子さんは、一通り話し終えると、心の中の悩みを吐き出した安堵感からか、彼の胸から顔を離し、力強く輝いた瞳で、健太郎の顔を見つめていた目を閉じて、月の明かりに照らされた白い顔を寄せてきたので、健太郎も秋子さんの話から薄々と察していたことなので
 「よく決心してくれたね」「わたしも、貴女がより一層幸せになれるように日々努力いたしますので・・」
 「私達には少し遅れた春かも知れないが、急がずに、静かな家庭を築きましょう」
と答えて、そっと口ずけをして抱きしめた。
 健太郎には、そのときの彼女の黒髪から漂う移り香が、久しく感じなかった異性に対する感覚を甦らせ悩ましく感じられた。
 離れ際に、節子さんは、健太郎の顔を再度見つめて、
 「健さん、貴方覚えていらっしゃるかしら?。私、高校卒業の春、淡い雪の残るお宮様の境内で貴方と二人だけでお別れの話をしたとき、悲しくて泣いてしまったことを。あの時、以来、わたし心の奥深くで、いつも貴方を慕い続けていたのょ」
 「今、やっとその夢が叶いましたゎ」
 「これまでに何度か思いを断ち切ろうとしたこともありましたが、果てしない夢を懲りもせず追い求めてきて良かったゎ」
と、俯きながら感激で振るえ気味に小声で心境を話した。

 話が終わったころ、遠くの方から、理恵ちゃんとポチが駆けてきて
 「小母ちゃん、部屋の用意が出来たので、お迎えにきました~」
と、健太郎達の顔を覗きみながら笑って話し
 「ね~、小母ちゃん、楽しかった~」「わたしも、こんな月夜の晩に、好きな人とデートしてみたいなぁ~」
と、笑いながら話した。

 健太郎は、ポチに「ほら、今度はお家に帰るんだよ」と声をかけて、理恵ちゃんから手綱をとり家路についた。
 別れた後、ポチが時々後ろを振り返るので、健太郎も攣られて振り返って見ると、節子さんと理恵ちゃんの姿が蒼い影となつて闇に消えて行った。
    ♪ 夢に 見てたの  愛する人と  いつか この道 通る その日を
         

 
 

 


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蒼い影(8)

2024年03月09日 02時48分03秒 | Weblog

 残雪に映える飯豊連峰を遠くに望み、ゆるやかな傾斜に棚田が連なる小高い山並みに囲まれた農村は、昼の陽気も余熱を残すことなく夕方は冷え込む。
 この村の、古い家は、たいてい座敷が広く天井も高いので朝夕は部屋も冷えて、この時期、夕方になると部屋の中央に作られた大きい囲炉裏に炭火を赤々と燃やし薪ストーブで暖をとることが慣習となっている。

 夕暮れも迫った頃。 健太郎は、母親に連れられてピアノの練習に来ていた理恵ちゃんを相手に話を交しながら囲炉裏火を用意しているところに、突然、なんの前振れもなく節子さんが訪ねて来てたので二人はビックリし、秋子さんも台所から顔を出して機嫌よく出迎えた。
 節子さんは新潟大学に用事に行き、その帰りに寄ってみたと話していた。
 健太郎と理恵ちゃんは、挨拶もそこそこに大急ぎで拭き掃除をして部屋を整え、秋子さんは家の隅々まで知り尽くしているので、夕食の段取りも手早く、彼の家にしては久し振りに賑やかな夕食となった。
 節子さんがいるためか、今夜の理恵ちゃんは四方に気をくばり、秋子さんが
 「いつもこんなに手伝いをしてくれたら、助かるのだがな~」
と漏らすと、理恵子は持ち前の母親譲りの強気で
 「そんなこと言はないでよ~。母さんの意地悪ぅ~。節子小母さんがいる前で・・」
と、照れ隠しともつかぬ返事をしながら、やがて用意された飯台の前に座るなり
 「今晩は、ご馳走が沢山あるはね~。私、幸せだわ」
と、満足感を顔一面に漂わせていた。
 それにつられて、皆んなも異口同音に
 「食事は大勢のほうが楽しいはね」
と、互いにあいずちをかわし、誰もが日頃、夫々に、侘びしい思をしているのか、それを晴らすかの様に笑顔が絶えなかった。
 
 その様子を見ていて、健太郎は、フト、理恵ちゃんは、おそらく顔もよく覚えていないであろう実父と、何処かで食事をしたことがあるのだろうか。と、いらぬことが頭をよぎった。 
 まさか、秋子さんに聞くわけにもいかないし、歳ころの娘さんだし、きっと彼女も心の片隅に寂しい思いを抱いているであろうが、それをおくびにも出さず、けなげに日々を過ごしているのだろうと思うと、健太郎は大人の判断の結果とはいえ、片親のやるせない生活を余儀なくさせられている彼女が可哀想に思えた。
 そのせいか、賑やかに話しながら食事する姿がことのほか、あどけなく可愛らしく見えた。

 食事が終わると、後始末は秋子さん達に任せて、健太郎と理恵ちゃんは囲炉裏の部屋に場所を移し炭火を手入れしていると、あと片付けを終えた二人も囲炉裏を囲んで輪になり、理恵ちゃんが慣れた手つきで用意してくれた紅茶を飲みながら、例により、秋子さんが店に来るお客さんからの耳学問で、最近の村の話題や人物講評を面白おかしく話し出したが、節子さんは彼女の独演会を、なにかを勉強するかのように静かに聴きいっていた。 
 理恵ちゃんは、母親の話に聞き飽きたのか、隣の部屋から座椅子を持ち出してきて、背もたれに寄りかかり、惜しげもなく素足を長がながと投げ出し、愛犬のポチもなれているのか、その脛の上に首を乗せて気持ちよさそうに目を閉じていた。
 そんな理恵ちゃんが、突然、
 「あっ!そうだ~。明日、学校で衛生検査があるんだ~」
と、声を上げて健太郎から爪切りを貸してもらい手指から丹念に切りはじめたが、足の親指を切ったあと、秋子さんの目を盗むかのように、健太郎の前に足を差し出し、甘えた声で
 「ね~、小父さん、足の爪を切って~。わたし、さっき沢山御馳走になり、前にかがむとお腹が苦しいの~」 
と、爪切りを彼に渡しニヤッと、いたずらっぽく笑い
 「足首を無理に横にすると、膝が開くことがあるかもょ・・。きをつけてよねょ。フフッ」
 「わたし今日は、水色のパンティーをはいているが、若しかすると、小父さん今晩は~。と、挨拶するかも知れないゎ。だから余り足首を広げないでょ」
と、母親達に聞こえないように囁いたが、秋子さんがその様子を見て
 「まあ~、この子ったら、あきれた。自分でやりなさい!」
と注意すると、理恵ちゃんも、すかさず
 「いいの、小父さんも母さんの話し癖に飽きて退屈でしょうから・・」
と、口答えしていた。
 親子の会話を横取りする様に、節子さんが
 「秋子さん、いいじゃないの。この年頃の子は、たまに甘えたいのよ」
 「理恵ちゃん、私がしてあげるから、そばに来なさい」「春の宵は、誰しも人恋しくなるのよねぇ~」
と、理恵ちゃんに肩入れして、爪を切りながら、看護師さんは、時々、入院患者さんの爪を切ってあげることも大事なお仕事なのよ。と、話すと、理恵ちゃんは
 「わ~、嬉しい。小母さんに、お願いできるなんて、私、感激だわ~」
と、節子さんのそばに寄ってゆき、彼女に忠実なポチも理恵ちゃんについてゆくと「あんたは、いいの」と、鼻ずらを軽く押して突き放し、自分だけ節子さんを一人じめしていた。

 秋子さんは、そんな娘の我が儘な甘えた姿を見ながら、節子さんがいるのも意に介せず、数日前に話したことを、改めてこの機会にとばかり念を押す様に、健太郎に対し囲炉裏の炭火をいじりながら、彼女が熟慮し心に留めておいたことを、半ば説得口調で自信たっぷりに話始めた。
 それは、彼女達の間で交わした話の内容で
 節子さんが来春から、大学付属病院に請われて、若い看護師さんの指導看護師として勤めることになったが、自宅からの通勤は遠くてとても無理で、大学で宿舎を用意してくれるが、彼女は勤めはともかく、今更、一人暮らしも侘しくて嫌だし。と、悩んでいたので、わたしが
 「それなら、先生(健太郎)の所に住んだら?。私が一人なら、そうするわ」
 「貴女の心の中は鏡を見るように判っているつもりなのよ」
 「客商売をしていると、自分のことは、まるっきり駄目だが、貴女と先生の心のうちは、誰よりも理解しているつもりよ」
 「正直、すこしばかり悔しい思いもあるが、わたしには娘もいて生き甲斐もあるが、そんなわたし自身の感情的なことより、皆が、老後のことも真剣に考えなければねぇ~。親しい人達が固まればお互いに心強いゎ」
 「私、貴女が先生と枝折峠に遊びに行ったときに、ピーンと六勘に感じて、そのときから、いつか機会があったら、貴女に言おうと思っていたの」
と、これまでに、節子さんの両親からも了承を得ていること等をまじえて説明したあと
 「狭い村のことですので、変に話が伝わってもお互いに困るので、その辺は、わたしが時間をかけて周囲を説得しますから、余計な心配はしないでよ」
 「勿論、私も、今まで通りに娘と共に、お邪魔させてもらいますわ」
と、彼女特有の説得力のある話し方で、健太郎と節子さんが一緒になることを勧め、尚もご丁寧に
 「今はね、何も入籍を急がなくても、都会では事実婚とゆうのが流行ょ。皆が、日々、安心して暮らすことが大事だゎ」
と、段取りをも付け加えて、健太郎に対し自説に同意する様半ば強引に返事を催促した。

 健太郎は聞き終えると
 「う~ん、老後か」「確かに考えるべき問題だね」
 「君にも、大分お世話になっているしね。こんなこと何時までも続く訳もないし」
と、それこそ、心のなかを見透かされているようで、一寸、困惑し、節子さんもそばにいることだし返事を躊躇った。
 節子さんは、理恵ちゃんの爪を切りながら黙って聞いていたが、枝折峠のことに話がおよんだとき、心なしに顔が少し赤らんだのが、健太郎の目に妙に印象的に写った。
 健太郎は、彼女達は果たして枝折峠のことを、何処まで話しあぁつているのか。と、思いつつ、秋子さんの話を聞いていた。
 理恵ちゃんは、母親の話を神妙な顔つきで聞いていたが、爪切りと母親の話が終わるや、なかば驚いた様に、フッ~と、ため息を付いたあと、節子さんの手を両手で握り締めて母親に向かい、目を輝かせて
 「今晩のお母さん素敵だゎ。月よりの使者に見えるゎ~」 
と呟いたあと、節子さんに向かい
 「ね~。小母さん、母さんの言う通りにすればぁ~。皆が、幸せになれるし、絶対にグーよ」
と、理恵ちゃんも天使になったかの様に喜んで賛成していた。 理恵ちゃんは、彼女なりに、夢を描いて・・。

 雑談が飛躍して、それぞれの人生に真剣に向き合う話に発展してしまったが、時間も大分過ぎ帰るとゆうことになったので、健太郎が秋子さんの話に心が弾んだのか
 「それでは、鎮守様のところまで送りましょう」
と言って、皆で外にでたが、外気はそれほど冷えておらず、朧月夜で薄明るい春の宵の道を、皆が並んで美容院に向かって歩んだ。
 健太郎は、何時の日か節子さんと二人で、この道を二人で歩くことになることを、心の中で描きつつ言葉を交すこともなく彼女等について行った。
 道ぎわを流れる小川のせせらぎと下駄の音だけが静かに響き、ポチも外に出られたのが嬉しいのか、理恵ちゃんにじゃれつき尾をしきりに振っていた。

 

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蒼い影(7)

2024年03月06日 03時53分08秒 | Weblog

 今年の越後の春は例年と異なり、豪雪がまたたく間に消雪した後、急に初夏が訪れた様に気温が上がり、遅れていた棚田の耕作も始まる頃には、丘陵の緑も増して夏の香りが漂っていた。
 連日晴天が続き、空はつき抜けたように青く、人々の心も何となく軽るそうだ。 連休が終わるころには、辺り一面の田圃が若々しい早苗で緑の世界に変貌することであろう。

 樹齢8百年と言い伝えられる鎮守様の杉の大木数本も薄黒く繁り、祖霊が宿り村を守っていてくれると思える。
 境内に設けられた保育園では、幼児達が賑やかに戯れて微笑ましい光景を見せてくれ、嬉しそうにはしゃぐ声が明るい春の到来を告げていた。

 健太郎は、杉木立に取り囲まれた、お寺の参道脇にある、お稲荷様の門前に生涯学習会の帰りに差し掛かると、留守居を頼んでおいた理恵ちゃんが、同級生らしき3名の女の子と賑やかに話しこんでいたが、彼の顔を見るなり、不機嫌な顔つきで寄ってきて 
 「あのねぇ~、ポチを連れて裏山にフキノトウを採りに行ったが、わたしが、竹林の脇の土手の方に行っている隙に、何処かに遊びに行き、いくら呼んでも出てこないので、皆で探しているところなの」
と、我が家の愛犬(雄3歳・小型犬)の行状を、説明ともつかぬ愚痴を零したが、そのうち、ポチのことから話が及んで、お稲荷様の前の狛犬を指して「これって、本当に犬狐しら?」と、皆が声を揃えて興味深々と聞きだした。

 健太郎も、詳しいことは判らないまでも、以前読んだ本の錆びついた知識で、自信はないが、あたらずとも遠からずとの思いで、狛犬をなでながら
 「これは、犬ではなく、狼でもなく、想像上の動物なんだよ。神社の獅子の姿をした狛犬同様に、神仏やお稲荷様を守っているんだよ。つまり今のガードマンかな」 
 「ところで、お稲荷様って、仏様ではないが、神様かね?」「学校では、なんと教えてもらったの?」
と聞いても皆がキョトンとした顔つきで見合わせて返事がないので、彼は
 「お稲荷様はね、此処だけでなく、屋敷の隅にも赤い鳥居の奥に祭ってある祠を見かけることがあるでしょう」
 「お稲荷様は、佛経では難しい名前で”ダキニシテン”とも言われているが、家や屋敷を守ってくれる守護神なんだよ」
 「富を授かり豊かになる御利益があると、昔から言い伝えられて来たところから、ほらっ、有名な豊川稲荷や伏見稲荷と言う名前を聞いたことがあるでしょう」
 「豊川稲荷は、愛知県の妙巌寺と言う、お寺の前にあり、大きい寺の敷地を守っている女神なのだよ」
 「江戸時代から、お稲荷様の方が余りにも有名になり、御本尊を祀るお寺様の名が霞んでしまったが・・」
 「ちなみに、神社の前には二対の獅子の格好をした石造を見たことがあるだろう」
 「あれは、佛経がインドからアフガニスタンを経てガンダーラと言うところで、西洋文化を取り入れたところから、当時、西洋では獅子は百獣の王として人々を守ると、信じられていたためだよ」
 「あんたがたも、将来、お嫁さんになって、家庭を守るようになるのだから、お稲荷様の様にうやまられる様に、一生懸命勉強しなければなぁ~」
と、最後は、お茶を濁しておいたが、みんなは半信半疑な面持ちながら神妙な顔つきで聞いていた。

 路上の雑学を終えて、理恵ちゃんと帰宅すると、ポチが待ちかねていたように理恵ちゃんに飛び寄ってきたので、彼女は
 「あんた、わたしをおいて、何処に遊びに行ってたのょ・・」
と、自分が留守居を頼まれていたことを忘れて、小言をいっていたが、そのうち
 「あ~ぁ、何処に潜ったのょ、凄くよごれているわ~」「ほら、洗ってやるからおいで」
と、いつも、母親に言われているのか身に沁みこんだ口癖で、小言を連発して、ポチを風呂場の方に連れて行った。 
 ポチは、健太郎がたまに洗おうとすると、なかなか風呂場に入ろうとしないが、理恵ちゃんだと嫌がるそぶりも見せずに素直についてゆくのが、健太郎には不思議でならない。
 やはり、人の気持ちをよく見抜いているのか、扱いが上手なのか、おとなしく言うことをきいて彼女について行くその様子が面白い。ポチにしてみれば、あとで好物の煮干を貰えると思って彼女に従っているんだろうが。

 そのうちに、秋子さんが節子さんと一緒に見え、今度は、理恵ちゃんが母親から
 「ちゃんと、お留守居をしていたのかね?」
と、先ほどのポチとは立場を変えて聞かれていたが、ニコっと笑って返事にならない言い訳をしていた。
 秋子さんが、仕出し屋から取り寄せた夕食の配膳を終えて楽しく食事をしたあと、広い居間にある囲炉裏の淵に場所を移して、秋子さんがお茶を入れながら健太郎に向かい
 「この前、秋田の実家に用事に行って来ましたが、ついでに、節子さんの実家にも寄せてもらい、彼女の御両親に逢って来たゎ」
 「節子さんは外出していて留守だったわねぇ~」
と言ってチラッと顔を覗いたあと、節子さんにお構いなく
 「御両親が語るには、以前勤めていた大学病院の推薦で、新潟大学病院に勤めて欲しいと強く要望されていて、就職することで再び家を出ることに随分悩んでいるらしと心配していたゎ」
と話すと、節子さんにむかい
 「ねぇ、貴女。そうでしょう。この際、全部話してしまいなさいよ。或いは悩みが少しは解消するかもしれないは・・」
と、秋子さんは真意を隠して意味ありげに話し、続けて健太郎に対し
 「彼女の実家の農業は、彼女に似合わず妹さんが男勝りで、お婿さんと一緒になって家業を継いでいるので、母親は彼女の身の振り方ばかり心配していたゎ」
 「彼女の年令を考えれば、母親としては最もだゎ」
 「わたしが、貴方の付近に住んでいることを知っているので、貴方のことも気にかけていたゎ」
と、謎めいた言い回しで話したあと、更に追い討ちをかける様に彼に対し
「貴方も、律子さん(健太郎の亡妻)が亡くなられて、早いもので7回忌を無事過ごしたわね」
「律子さんも病床に在るとき、まさか死を予期していた訳ではなかろうが、大分弱った身体で、わたしの手を握り、貴方のことをすごく気にしていたゎ」
「律子さんは、貴方のことを真面目が取えで安心できる人だが、唯一、勉強以外生活のことは全く無神経で、誰かが面倒を見なければ、生きて行けない人なので・・。と、涙を流しながら、随分、愚痴を零していたゎ」
と話したあと、更に健太郎と節子さんを追い詰めるように
「貴方は節子さんの家に下宿していたとき、彼女のご両親はあなた達が一緒になるものとばかり思っていたのよ」
 「あなた達を見ていると、二人とも回り道をしたけれども夫婦になるべき深い因縁があるとつくずくおもうゎ」
と、彼女らしく本人達を前に率直に話した。
 節子さんは、聞いてはいけない話と思い途中から席をはずそうとしたが、秋子さんに引き止められ、思いもかけぬ両親の話を聞かされて黙って俯いていた。
 健太郎にしてみれば、秋子さんからは、これまでにも色々と積極的に面倒を見てもらい、その都度、小言を言われているので、また彼女の世話好きな話か。と、お茶を啜りながら軽く聞き流していた。

 それまで、ピアノをひいて遊んでいた理恵子が、母親の何時も以上にきつい言いかたを小耳に挟んで、母親のそばに寄って来るなり、それこそ強い調子で
 「母さん。また、小父さんをいじめているの。よしてょ。母さんが勝手に押しかけてきて文句を言うなんて失礼だゎ」
と、母親の話をやめさせようと口を挟むと、彼女は
 「子供は、大人の話に割り込まないことっ!。近頃、変に威張って大人ぶって話すので・・」
とブツブツ言いながら話をやめてしまった。
 
 健太郎は、理恵ちゃんのその場の雰囲気を和らげる巧みさに助けられホットした。
 秋子さんも、言いたいことを話したせいか、清々とした顔つきで健太郎と顔を見合わせて苦笑いし、あと片ずけに節子さんと台所に立ち去ってしまった。
 理恵子は、健太郎の膝をつっきながら頬を膨らませて、この際とばかりに
 「小父さんも、母さんの好き勝手な文句を黙って聞いていないで、たまには、威厳をもって叱った方がいいゎ」
 「何時も学校から帰ると、わたしに小言ばかり言うので、その仕返しをしてょ」
と言ったあとニコッと笑っていた。

 

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蒼い影(6)

2024年03月04日 04時27分10秒 | Weblog

 晩春の麦畑は蒼さをまし、日中は初夏を思わせるような陽気になり、、遠く飯豊連峰の峰が透き通るような青空に白銀を輝かせ、思わず神秘的な虚空の世界にいざなわれる様な明るい気分になる。
 温暖な日和は、人々も外に出て田畑の耕作や家屋周辺の清掃補修などの仕事に励み、永い雪の世界から開放された雪国ならではの味わえない充実した幸福感を人々に与えてくれる。

そんな或る晴れた日の午後。 街の公民館で青年会と老人会が合同で慰安会が開催され、併せて、遥か昔に、卒業した高校(男女共学以前の旧制中学)の同窓会が、隔年おきの今年も開かれた。
 開催のたびに、大先輩の懐かしき姿が、集う仲間から一人二人と欠けてゆくことに、”諸行無常”の寂寞感を禁じえないのは、口に出さないまでも皆同じ思いと察しられた。

 老いたりとわいえ70歳を過ぎた現在も、診療所の医師として日々和やかな態度で患者に接し、精神的にも肉体的にも益々元気旺盛な雄弁家の田崎会長さんの、ユーモア溢れる開会の挨拶のあと、会員の経営する街の料理屋から取り寄せた料理や、婦人会員の手造り料理を前に、近況報告を交りあえながら宴会がはじまり雑談の花でにぎあった。
 健太郎は聞くとはなしに耳に入る話題の中心は、60台以上は健康に関することが多く、それ以下の若い世代は、年代により世相を反映して経済問題が、一番若い世代は旅行やフアッションといった話題が中心になり、健太郎には新聞・テレビだけでは知りえない現実的な問題意識が非常に参考になった。

 宴もすすみ、座興が出るころになると、健太郎にはなじみの無い、青年達の最近のヒット曲のカラオケに続き、あらかじめ用意されていた琴・尺八などで、愛好家による厳かな純日本的な音曲の合奏が始まった。
 勿論、中心は会長さんで、彼は機知に富んだ裕福な資産家で、話にユーモアがあり、明るいおおらかな性格から、旧中学生時代から戦後においても仲間の面倒見がよく、いまでも、老若男女に人気抜群で尊敬を集めている。
 村の祭りや慶事にも招かれて、好きな尺八を吹いて場を盛り上げ、街にとっては貴重な人物でもある。
 琴の演奏は中年の御婦人3名で、よく練習されているとみえ、手捌きは軽く流れるようであり、心地よく演奏されたが、合奏した会長さんの尺八吹奏は暫く振りのためか、はたまた、揃って黒を基調の花柄模様の和服で美しく着飾った御婦人に、老いたりといえども男性特有の本能が反応したのか、日頃の名調子がさっぱりふるわず、難しい顔をして一生懸命に吹いているが、なかなか思うように音が出ず、首をむやみに振り舌で唄口をペロペロ嘗め回し、きまり悪るそうに懸命に吹くが肝腎の音が出てこない。たまに出ても琴に合わない調子はずれで、会長さんもひどく焦って、そのうちにやめてしまった。

 琴の演奏が一通り終わるや、会長さんは
 「いや~、皆さん。 会場の雰囲気に飲み込まれ、お聞き苦しいところをお見せして失礼いたしました」
 「暫くやつておらないので、自分の目を疑うような綺麗に着飾った御婦人達のお邪魔をしましたが・・」
と、ユーモア交じりに弁解したが、一同から慰めのアンコールを催促されるや、再び元気を取り戻し、ニコリと笑ったあと独奏で、いきなり「炭坑節」を吹かれたが、今度は音色や調子も良く、みんなが手拍子でこれに合わせ、中には調子外れだが声だけは大きく歌う人がいて大笑いとなった。 会長さんも機嫌よく、小鼻をヒクヒクさせて満悦の態にみえた。
 続いて、副会長さんを中心に社交ダンスに余興が移ったが、副会長さんは若いころ船員として、外国航路に乗船していたため、ダンスは本格的で上手だが、今日は酒の勢いも手伝い、この種の余興には場慣れしていて、生来の快活さもあり、和服の腰の裾を巻くりあげて帯にはさみ、鉢巻をして御婦人相手に踊りだしたが、よる年波のせいか、やや腰が曲がってはいるが、ステップは確かで、若い人達からも次々に相手を申しこまれ、”芸は身を助ける”を、見事に実現させて会員を喜ばせてくれた。

 節子さんも、秋子さんに無理矢理呼ばれて秋田から出て来て出席していたが、健太郎は理恵子に留守番を頼んでおいたので、体調をも考慮して皆さんの了承を得て少し早めに退席させてもらったが、帰り際に秋子さんが
 「明日は、店がお休みですし、わたしが無理にお呼びして節子さんも出席してくれたので、今晩は私の家で泊って貰うことにしたので、後で遊びに来てくださいね」
と言ったので、健太郎は節子さんが来ているとゆうことで、にわかに心が浮き立ち
 「それなら、理恵ちゃんも留守居しているし、私のところで皆で夕飯をしましょう。料理は仕出し屋さんに頼んでおくから」
と答えて会場を後にした。

 秋子さんは、南秋田出身で地元の高校を卒業すると、新潟の美容学校に入り、研修後、山形県境に近いこの街で美容院を開業していた。
 何故か、その頃、南秋田や山形地方から新潟の実業学校に通う子供が多く、秋子さんもその一人で、その頃の流行で、単に手に職をつけたいとゆう理由で学校の寮に入り修業した。
 たまたま、この街は健太郎の実家もあり、彼が教師を退職後は実家の跡を継ぎ、同じ街に住む様になったが、彼と縁があるとすれば、彼が最初に奉職した高校の卒業生であり、節子さんの3年先輩とゆうことである。
 彼女は、見知らぬ土地で店を開業するくらいであるから、性格は独立心が強いが人の面倒見も良く、お客さんからも信頼されていた。
 彼女は、理恵子が2歳のとき、夫の不倫が原因で協議離婚したが、健太郎は彼女に頼まれ、そのとき証人となってやった。
 健太郎の妻律子が生前のときは、姉妹の様に親しく交際していたので、彼は証人となることに何の躊躇いもなかった。
 彼女は、健太郎が妻を亡くしてからは、暇をみては娘の理恵子を連れて彼の家を訪ねては、色々と相談しているが、気性が勝っているだけに、彼に対し愚痴や小言も多く、来るたびに部屋の掃除や繕いものに炊事など家事を積極的にこなし、側から見ると、まるで夫婦の様でもあり、彼も随分と生活を助けられていた。

 


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蒼い影 (5)

2024年03月01日 03時37分46秒 | Weblog

 毎年、卒業式間近になると、街の恒例となっている町民の慰労会を兼ねて卒業生を見送る音楽祭の行事がやって来た。
 近隣の中・高生による合同吹奏楽演奏会の日は、あいにく朝からの時雨模様の肌寒い日であり、健太郎も体調を考慮して、遠慮しようと考えていたところ、相変わらず元気で明るく、常にマイペースな秋子さんの娘である理恵子が、玄関に顔をのぞかせて、大声で
 「小父さ~ん!。音楽担当のK先生がどうしてもお爺ちゃんに出席して欲しいと、私にお願いに言って来なさい。と、言われたので・・」
と、無理やり誘いにきてくれ、その際、最後にみんなで練習した、小父さんの好きな行進曲「旧友」と「泳げタイヤキ君」を指揮してくれと頼みこまれ、この日のために全員で音合わせした練習風景をこまごまと説明するので、彼の教え子であるK先生の思いやりのある心情と子供達の熱心さに、心を打たれ出席する旨返事をしたところ、彼女も責任を果たせた満足感から、片目で悪戯っぽくウインクして飛び出すように、会場となる自分の通う中学校に帰って行った。

 演奏会は、みんなが練習した甲斐があり、例年以上に出来栄えがよく、特に地方大会に出た高校生の演奏は流石に上手で、彼は音楽教育の向上がたまらなく嬉しく思った。
 女性教師のK先生の指揮・指導された技術の高さにも感心させられた。
 勿論、中学生の演奏も、聴衆の年齢に合わせた童謡などの選曲もよく、大きな拍手を得ていた。
 健太郎も、雰囲気にのみこまれ、体調・年齢を忘れて、請われるままに音楽好きの心がうずき、最後の2曲を一生懸命に指揮棒を振り、気分よく会場を後にした。
 けれども、30名近い演奏者の中で、男子生徒が5名ほどと少なく妙に寂しく思えた。 
 やはり、サッカーや野球に興味を惹かれているためかと思うと、生徒を理解できても寂しくおもった。

 それから数日後。 健太郎は音楽祭で歳甲斐もなく張り切りすぎて、肩に違和感を感じてベットで休んでいたところ、秋子さん親子が美容院の人達と作ったのでと言って餅菓子を携えてやつて来てた。
 秋子さんは彼の様子を見るなり深刻な顔つきで
 「もう、大病を患った貴方が一人での暮らすのは健康管理の面からも無理ね」
と、面倒見の良い性格をあらわに出して言うと、娘の理恵子も母親に同調して
 「この際、お母さんと一緒になればいいのよ・・」「わたしも、この家で過ごしたいゎ」
と、亡くなった律子を母親の妹と思い込んでいる純真な考えから言葉を挟むと、秋子さんはビックリして
 「お前が余計なことを言はないの。なにも判らないで・・」
と赤面して遮り、慌てて深い考えもなく咄嗟の思いつきで
 「そうだわ。 節子さんはお似合いと思うけれど。彼女も一人身と聞いているし、どうかしら・・」
 「彼女が、ここの家にお嫁に来てくれれば、わたしも隣り近所の人達の目を気にすることもなく気兼ねなく、お邪魔することができるわ」
と言って互いに笑いあった。
 彼女も、度々訪れては掃除や料理等の家事をしているうちに、かっては自分の恩師でもあった縁と、彼の亡き妻律子さんとも生前親しく交際していていた関係から、自然と心の片隅で健太郎に秘かに好意をよせる様になっていた。
 そんな本気とも冗談ともつかない話のあと、例によってお茶を飲みながら何時もの様に世間話や最近の愚痴をこぼしていたが、理恵子はCDを聴きながら亡妻愛用のピアノを調子よさそうに引いていたが、突然、電話が鳴り、秋子さんが応対に出たあと
 「先生、これから中学のK先生がお邪魔にあがるとのことです」
 「用件は、なんでも部活の顧問をしている貴方に是非相談したいと言っておりましたが・・」
と説明するや、理恵子は母親の説明を補足するように用件がわかっているらしく
 「部員が増え、また楽器も古くもなり、学校の予算では賄えきれないので、OBや一部の保護者のところに、寄付のお願いにあがるのだそうょ」
と説明してくれた。
 健太郎も事情が判るだけに無理も無いことだと瞬間思って、さてどうしようかなと思案しているところに、車でK先生と部活の顧問が見えられた。

 理恵子は、それに気付くや、素早く隣の部屋に隠れこみ、応対は秋子さんがそつなくしてくれ、部活の様子を説明して30分ほどで帰えられた。
 秋子さんは、K先生の印象について、娘の話と大分異なり、静かな話し振りに感心するとともに、立派に教師としての品格を備えていたのに感心したと漏らした。
 確かに、K先生は痩身であまり化粧はしていないが、仕事に充実感を覚えているのか、目に輝きがあり、色白でもあり、40歳前半の女性としては、落ち着いた性格から上品な美しさを漂わせていた。

 K先生が帰られた後、秋子さんと寄付の額について話し込んでいると、いつの間にか理恵子が部屋から出てきて、健太郎達の話をミカン・ジュースをストローでかき混ぜながら飲むともなく聞いていたが、健太郎達の話に結論らしきものが出ないのに業を煮やしたのか、突然
 「小父さん、K先生は綺麗でしょう」
 「わたしも大好きなので、ここは大先輩として3万円位はどうなの?。綺麗な先生とお話できた分もふくめて・・」
と話し出し、秋子さんが
 「ま~、この子ったら・・。大人の話にわりこんで~」
と半ば呆れて声を出すと、理恵子は母親の言葉にお構いなく、甘えた声で
 「ね~、小父さん。1万円を、10円、100円と下から勘定すると大きな額と思うけど、逆に上から、100万、10万、1万と数えてくれば、そんなに驚かなくてもいいと思うけどな~!」
と、健太郎や母親を煙に巻いたように最もらしく話し、健太郎が色々考えながらコップを手にしストローに口をつけたところコップから外れていたのを見て笑いながら悪戯っぽく
 「小父さん、空気を吸っているの~」
と、益々話しに勢いを増して、たたみ掛けてくるのには、秋子さんと大笑いした。 
 秋子さんはその場を繕うように
 「この子ったら、変に大人びいて、K先生にゴマをすつて・・」
と、ため息をついていたが、健太郎は理恵子に同調するわけではないが、3万円寄付することを二人に返事をした。

 その日の夕飯は、日頃、訪ねて来てはキッチンを知り尽くしている秋子さんが用意してくれ、何時も一人で食事することに慣れているのとは違い、3人で楽しく和気合い合いと話が弾み、健太郎が理恵子に
 「銚子をもう一本つけてくれ」
と頼むと、秋子さんが
 「理恵子、ダメょ!」
と少し不機嫌な顔をして遮ったが、理恵子は
 「お母さん、そんな顔をしてなにょ」
と言って取り合わず、さっさと台所に行き燗をして一本運んできて、飯台に置くと
 「飲みすぎて具合悪くなっても、わたしのせいにしないでょ」
と言って、自分の箸を余念なく運んでいた。
 健太郎は、そんな理恵子を見ていて、理恵子が日増しに成長してゆくのが微笑ましく思え、この子は、何時ころ、どの様な人と初恋をするのかなぁ~。と、勝手に想像しながら秋子さんと、時折、目を合わせて話合いながら笑いあっていた。  

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