『 親愛なる大助君に
先日は、地震のお見舞い電話を下さいまして、本当にありがとうございました。
電話を頂けるなんて夢にも思っておりませんでしたので、地震の恐怖も忘れ、嬉しさが心の底から込み上げてきて、思わず泣いて取り乱してしまい済みませんでした。
この飯豊山麓の町も、TVでは震度3と放送しておりましたが、その後、余震が数え切れないほどあり、最近では、私も地震慣れした様で騒ぎたてしませんが、これがいけないことは充分に判っております。 然し、最初の揺れは、心がちじみあがるほど怖かったです。
大きな揺れを感じた直後、お爺さんは棚に飾っておいた愛玩のガラスの花瓶が落ちて壊れたのが癪にさわったのか、わたし達に当たり散らすように、大きな声で怒鳴る様に指示したので、ママと二人して咄嗟にテーブルの下に身を隠しましたが、そのとき、お爺さんが「頭隠さず・・」と怒鳴って、私のお尻を思いっきり叩いたので、揺れが治まったあと、お爺さんに「大助君にも触らせていないのに・・」と、文句を言ったら、お爺さんは「まだ、そんなモタモタした交際なのか」「意気地のないヤツダ」と、ブツブツ言って苦笑しておりまし。
近頃では、お爺様まで君の顔が見えるときは人が変わったように優しくなりますが、おられないときは時々癇癪を起こし、私やママを困まられせていますが、たまにはユーモアもあり、わたしは、お爺さんの何気ない悪戯とその言葉に、私達に対する信頼感を読みとり、お爺さんの期待に添える様に、君との愛を一層深めたいと心に誓いました。
時を経過するに従い、大震災であることがわかり、ましてや、毎日見ている飯豊山脈の裏側の福島、宮城が中心地で、こともあろうに原発事故も発生して、この先、どうなるのでしょうかね。 私には、不安だけが募り心細くなります。
私の町では、水も農作物も汚染されていませんが、東京は放射物での汚染が大変ひどい様子で、赤ちゃんのミルクを作る水も不足していると新聞・TVで盛んに報道されておりますが、君のところは大丈夫ですか。
一時的でも、御家族揃って、わたしの家に避難してくれれば、大歓迎で精一杯つくしますが、こんな自分勝手な思いは許されませんよね。
でも、被害に合われた方には不謹慎ですが、いまの私は本気でそう思っております。
後日談ですが、お爺さんは、珍しく家に顔を見せたパパと晩酌しながら
自然の力は、この飯豊山をも動かし、人間なんてプレートの上で蟻よりも小さく生きているに過ぎない。 どうも、長く生きていて思うことは、天変地異は概ね300年単位で起こり、歴史は60か70年位で、地球上の何処かで戦争が起こって変化するようだな。 世の中の価値観も30年単位で変遷してゆくようだ。 このように考えてゆくと、人間はミクロ的には3年が一つの節目で、経済の循環なんかその典型的な例だな。
美代子も、3年以内に人生で大きな変化が訪れるかも知れないなぁ・・。
と、歴史と哲学が混じった様な、古臭い占い師の話みたいな事を真面目くさって披瀝したので、聞いていて可笑しくなってしまいましたが、パパは「お爺さん、悪性腫瘍の患者さんも、OP後、3年位が要観察期間で、そこを切り抜けた患者さんは健康を取り戻していますよ」と、ご機嫌とりかどうか判りませんが、話を合わせて答えておりました。
私は、世の中には理論や経験則では理解も説明も出来ないアノマリーが沢山あるんだなぁ~。と、知らずしらず話に聞きいってしまいました。
中でも、私の人生で劇的な変化が3年以内に起こると聞いたとき、直感で、これは君によって齎されると思いました。
私は、中学2年の夏、盆踊りの会場で偶然君と巡り合い、その後、何度か河のほとりでのデートを重ねるうちに波間に浮かぶ魚火の様なチラチラとした君への思いが、いつしか、マリア様の神棚で明々と灯る火の様に燃えあがってゆき、お陰様で今では誰よりも幸せな中学時代を過ごせたことを、毎朝、マリア様にお祈りし感謝しております。
話は戻りますが、君と久ケ原駅で親しくお話することもなく別れて、池上線に揺られてホテルに帰るとき、幾つ駅を過ぎたかも気付かず、まだ顔を見たこともない奈緒さんのことが無性に気になり、帰宅後も、その影が心の闇となって、どうしても頭から離れず悩み続けました。
別れ際に見せた君の戸惑った様な表情を見て、私は、まだお逢いしたこともない奈緒さんに、君が思いを抱いていると瞬間的に思いましたが、彼女の気持ちを察すると、私も胸が痛みます。
私は、彼女と親しい友達になりたいと勝手に考えており、君が彼女とお付き合いすることには反対致しませんが、唇だけは絶対に触れないで下さいネ。 私の必死のお願いです。
この前、私のことを、まだ、子供だなぁ~。と、お電話でおっしゃいましたが、私達、恋人同士なら、当然、私を精神的に成長させる責任が君にもあると思うんだけど。どうかしら?。 フフッ
お彼岸を過ぎ、北国に春を告げる、梅の古木の蕾もほころびはじめたとゆうのに、お正月休みに君とスキーで滑った思い出多い裏山には、時折、名残り雪が風にチラチラと舞って、野原に落ちることもなく消え行く淡い雪を眺めては、色々な想いを巡らし、とりとめもなくペンを走らせています。
こうして、お手紙を書いているときが、今の私にとっては心が落ち着き、一番幸せなときなのです。
大好きな大助君へ 美代子 』