日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

丘は花ざかり

2008年05月29日 18時14分10秒 | Weblog
静穏な山奥の里に、階段状に整然と耕作された棚田の苗も、草丈17cm位に元気よく育ち、彼等を、慈しむかの様に取り囲む小高い麓の山々も、青から緑に日々変化してゆく今日この頃、越後も、初夏の季節となりました。
 
遠い昔、人々が会津に通った山道を、森林浴をかねて、ブナ林のひんやりとした新鮮な空気を胸一杯に吸い込みながら、歩くことおよそ1時間、小高い丘に悠然とした姿で立つ欅の葉陰で、何時ものことながら一休みと、青草にビニールを敷いて横になり、ほどよく疲れた足を伸ばすことにした。

大空を見上げ、遥かなる県境の山脈を眺望すると、紺碧の抜けるような青空のもと、山頂に残雪を陽光に輝かせて、それは、美しき自然のかもし出す光景に、我を忘れさせる。

その神々しさに、故人も、それぞれの思いを胸に秘めて、山霊に現世の救済を願い、祈りをささげたことであろう。

移り気の弱い心の変転(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)、六根を山霊の神通力で清楚な心に清めるべく、「六根清浄」と唱えて山登りをするのもうなずける。

やがて、下道の方から賑やかな子供連れの二組の中年が姿を現し、人なつこい話しかけにさそはれ、一同がビニールのゴザの中で輪になって談笑することになった。
話から察しるに、近くの村の出身の男兄弟で都会でそれぞれ身を固め、会社の休みを利用して嫁さんの希望を汲み、田舎の両親を見舞いに来たが、子供達に自分達の育つた風景を見せようと、散歩に出てきたとのこと、道理で仲が良いわけだ。

小学一年生の女子と二年生の男児を雑談の合間に観察していると、従兄弟同士で普段行き来しているらしく、女児があれこれと年長の男児を世話やいている光景が、本当に微笑ましく、ふと、いまどきの社会は成人になっても、この延長で構成されてゆくのかなと、大和時代を連想させられた。 
平和の象徴かも知れない。

嫁さん達は、この時とばかり、御主人達の少年時代から高校卒業頃までの話を聞きだすのに余念がなく、明るい声で笑い転げて、茶菓子を口に運ぶのが忙しいようで、時折、欅の葉を揺らす緑のそよ風に、優しくゆれるおくれ毛を無意識に手入れするその姿が、成熟した女性の上品で健康的な色香を漂わせ、みんなの雰囲気を一層明るく盛りたてて、名も知れぬ草花や子供さん達のはしゃぐ声とあわせ、「丘は花ざかり」となった。

一期一会、お蔭様で元気を貰い、清楚な空気で心を癒し、明日からの活力を養い、山ノ神に感謝しながらブナ林の来た道をくだつた。
皆さんが、健康で明るく過ごせますように、祈念しながら。
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山のかなたに ll

2008年05月09日 15時10分03秒 | Weblog
皐月晴れの越後の棚田にも、早苗の運ぶ緑のそよ風が、心地よく肌をかすめる季節となりました。

牧草地の若草を、素足で踏んで、自然の恩恵に感謝しつつ、生気を吸収して元気を養いながら、無農薬の棚田を覗くと、オタマジャクシもこの季節を待ちかねていたかの様に、私と同じ様に元気良く泳ぎまわり、思わず微笑ましくなりました。

周囲の山々が、新芽の青いみずみずしさから、樹木が成熟の緑に移りかわってゆく初夏になれば、蛙の合唱が、年老いた私には、遥か昔を懐かしく思い出させてくれます。

その昔、「昔、陸軍。いま日教祖。」と言われたころ、学園も荒れて、生徒の指導に、日夜、頭を痛めてその対策に苦悩したこともありました。

その生徒の中に、暴走族の元祖とも思われるグループがあり、どの先生も説得には手を焼いたものですが、一方、先生の中にも体育系の若い先生もおり、情熱のあまり行きすぎた指導が原因で退職を余儀なくされましたが、非は明らかに生徒の側にあり、同僚からは同情されましたが、その青年教師はそれを振り切り、学園を去つてゆきました。

その後、十数年の時が流れ、私も退職して、実家の農業をついで、にわか百姓となり、何事もなく平凡に過ごしておりましたところ、ある歳の夏の暑い盛りに、家の前に、農村ではめつたに見かけられない黒の大型乗用車がとまり、中から大きいドスのきいた声で「やあ~先生」と、身体も大きく立派な背広姿の男が、腰を折れんばかりにかがめて降りてきて、「先生、俺だよ、俺」と明るい笑顔で挨拶し、促されるように後から、これはあきらかに見覚えのある例の元先生が現れ、突然の訪問に驚きつつも、部屋に案内して、お茶を差し上げて、くつろいでもらいました。

一通りの話を聞きましたところ、元先生は苦難の末、中部の都市で建築業を起業して成功し、くだんの生徒は、卒業後、上京していくつもの職を転々としたのち、夜学に通い建築士の免許を得て、仲間の紹介で元先生のところに就職したとのことが、わかり、またまた驚きました。

会話を聞いているうちに、粗野な生徒であった彼も礼儀正しい社員となり、経営者となった先生も、彼を信頼しきつており、端から見ていて羨ましいくらい仕事に対して意欲を燃やしている姿に、安心感を覚えました。

「色即是空」人の世は因縁が形成し、俗にゆはれるとおり、優等生よりも苦難を経て自分の進む「道」をしり地道にひたむきに努力を一歩一歩積み重ねた人が、因縁により回り逢うことにより、やがて、才能を発揮して幸せの花を咲かせるものだと、これが本当の勉強だなと、思い知らされました。

政治が内向きの議論だけで、真に国の進むべき「道」を示されず、外国特派員から物笑いされるような現在の社会では、ますます、学歴以上に自分の進む「道」を、確立して努力するほか、老若男女を問わず求められている世の中になったものだと、日夜、考えさせられます。

さて、私も老いたりといえども、心に青年の心を甦らせて、緑の尾根にむかって元気よく歩み出そう。 尾根の先には、幸せがあると希望をいだいて・・!
古い嘆きは、月をかすめる雲のように、時の流れが消してくれるであろう。
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