日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

蒼い影(11)

2024年03月24日 04時01分32秒 | Weblog

 社会主義国とはいえ、庶民の中に儒教意識の残る中国では、世界中の資本市場が欧州の金融不安で騒いでいるのに対し、自国の経済方針を堅持して悠然と伝統的な慣習を守っている。 
 政治体制とは別に、大陸的な人間性もあるのか、歴史の重みを考えさせられる。
 健太郎の住む街も、都会の急激な価値観の変化や煩雑さとは異なり、田植えを終わり春の農繁期が過ぎると外仕事も一段落して、人々は毎年恒例の憩の行事を楽しむ習慣がある。 
 けれども、若い人達が持ち込む合理的な都会の文化が、山村の古き良き伝統を大事に受け継ぎながらも、少しずつ古い慣習の岩盤が静かに移行し改められている。
 つい、一昔前までは、冬季は出稼ぎや藁仕事などで過ごしていたことを思うと、最近の機械化された農業とは覚醒の感を覚える。

 先日も、恒例の定期健診があり、村の旧家で医院を開業している老医師が看護師を従えて、健太郎の家に訪れて来ると、近隣の生活習慣病の病持ちの老人達5人が集まり、血圧・採尿・心肺検査を一通り実施したのち、生活習慣病の原因としての、塩分・酒・タバコについて、わかり易い語り口で何時もの通り饒舌をまじえて話したあと、受診者達が訪問看護に感謝の意を込めて簡易な懇親会が開かれた。
 集まった人々は診察結果よりも、この懇親会のほうを楽しみにしているのが偽らざる彼等の心境である。

 炭火が赤々と燃え盛る囲炉裏を囲んで会が始まるや、老医師は厚い座布団に胡坐をかいてでんと座り周りを見渡した後、さしだされたお茶に口をつけたあと、遠慮することもなく真先に炭火の脇に串刺しされたイワナの塩焼きをとり、眉毛を八の字にして頭からかぶりつき、老人達が持参の自家製のドブロク(濁り酒)を、どんぶりで顔が隠れるくらいにあおり、ついでタバコに火をつけて紫煙をくゆらした後、謹厳な顔をくずして満面に満ち足りた微笑を浮かべて世間話を語りだした。
 雑談が進むや、患者?の一人が
 「先生!先程の御高説と、一寸矛盾するようですが・・」
と、酒の勢いで遠慮気味に迷問を発するや、老医師は目を輝かせて泰然とした態度で
 「以前、麻生総理閣下が、この前の諮問会議で発言されて世間の注目を集め、新聞記事を多いに湧かせたが、医師は、社会常識に疎いところがあるのは事実だ!」
と言ったあと続けて、自己弁護する様に
 「あれは、本当のことだ!」「紺屋の白はかまと言う諺があるが、専門家には、とかく世間に疎いところがあるが、ほかの政治家が言へないことを平然と言う勇気は、流石に吉田茂の孫だけあり見上げたものだなぁ」
 「酒もタバコも、程ほどにたしなむことは、逆に良いこともあるんだよ」
 「認知症は癌よりも恐ろしいからなぁ。なにしろ人間性が失われてしまうんだから」
と、ため息まじりに返事して妙にその場を納得させて、味噌漬けの味を褒めながら酒をマイペースで飲んでいた。
 一同もそれに合わせて心おきなく酒肴と雑談で和やかに楽しんだ。

 ちなみに、老医師は旧海軍軍医上がりで、戦後、南方で英軍の捕虜となり罪一等を減じられて英軍の野戦病院の軍医として、シンガポールやインドネシヤで軍関係の外科医として過ごし、後に、人間性と技術を認められてロンドンに派遣され、そこで腫瘍内科を学び、現地でイギリス婦人と結ばれて幸福な家庭を築いたが、60代前半にメスを置き帰国し、故郷に帰るや小さな診療所を開業したが、暫くして最愛の奥さんを病で亡くした。
 現在、息子さん(医師)夫婦と余生を過ごしているが、息子さんの奥さんも英国人である。
 老医師は齢70歳半ばにしても生来の明るい性格を反映して、近隣市町村の各種名誉職を引き受け活躍しておられる。

 秋子さんの病気も急性胃潰瘍と診断され、3週間の入院を経て退院し帰宅し、現在は店には出ず静養している。
 彼女が入院中、理恵ちゃんは健太郎の家で節子さんが面倒を見ていたが、二人の相性は抜群によく、まるで親子の様で、休日は勿論のこと帰校するや常に節子さんの側を離れず、明るい笑いが絶えない日が続き、そこにポチも混じり賑やかなうちに、秋子さんも退院を迎えることが出来て喜んでいた。
 
 定期健診の日も、秋子さんはお手伝いを兼ねて顔を出し、老医師から療養生活の細かいことを教えてもらっていたが、気分をよくした秋子さんが元気を甦みがえらせて、幾分酩酊気味の老先生に、彼女特有の如才ない語り口で、6月には節子さんが健太郎のところに嫁いで来ることや、そのころ、大学病院に勤めることなどを話し、その際は、同じ病院に勤務している息子さんの先生にも宜しく伝えてほしいと、さりげなく節子さんを紹介する様に頼んでいた。老医師は冗談とも付かぬ言いまわしで
 「う~ん 節子さんとゆうオナゴは、なかなかの美人じゃのう~」
 「大学病院なんかに行って、こき使われるより、わしの診療所に来てくれんかの~」
と、逆に斡旋を頼んでいた。
 秋子さんは、その熱心さにおされて経緯を説明するのに大分悩まされた。何しろ、頑固一徹な先生であるだけに・・。

 懇親会も終わりに近ずいたころ、老先生が座りなおし、何時もの謹厳な顔で、一同に対し   
 「いや、今日は久し振りに愉快な日を過ごさせて頂き、有難う。ついては、皆さんに是非ご協力をお願いしたいのじゃが」
 「来る、街の慰安会には、また、昨秋同様にダンスパーテイを開催する予定だが。この春は少し趣向をこらして、華やかにしたいと計画しているんだが・・」
と、例年、近隣の愛好者が集まって、コミュニケーションを図る目的で春・秋二回開催する会の模様を説明したあと、節子さんに
 「貴女も、見るからに運動神経がありそうでスタイルも抜群だし、東京の病院に長く勤めておられたのら、さぞかしダンスも上手でしょうね。楽しみにお待ちいたしております」
 「せがれ夫婦と孫娘も参加しますので、お見知りおき願うに良い機会ですので・・」
と、巧みに勧誘していた。、
 突然のことに躊躇していた節子さんに対し、秋子さんも、根がこのような賑やかなパーテイが好きなところから節子さんに
 「ね~、行きましょうよ」「わたしが付いているから余計な心配はいりませんよ」
と、誘いかけて理恵子も行こうとしきりに催促していた。
 ほどよく酔って患者であることをすっかり忘れている老人達は、老医師の健啖振りと若々しい発想や態度を見ていて、人の健康は暦年とは関係なく、精神的な要素が大きな比重を占めているんだなぁ。と、つくずく思い知らされた。
 



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