日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

山のかなたに

2008年04月29日 17時30分18秒 | Weblog
越後路は、本日、快晴。 気温22℃、 そよ風が心地よい。

GWとゆうのに、終日、山郷の棚田で泥水にまみれ、田植えの準備に精を出す。

毎年恒例の都会の学生が3名、農業実地研修のため訪れてきました。
我が家で、宿泊・食事を依頼され、一泊2.500円で、床の上げ下げわ自分達で行う、食事は特別なものは用意しないとの条件で、気持ちよくお迎えしました。
今朝は、6:00起床、朝飯前に田圃の水周りの点検・補修を散歩代わりに農道を歩き、その後、今日の作業工程の説明と打ち合わせをして、朝飯をとる。

午前中は、畦ぬりやしろかき等田植えが出来るように、機械の操作・実修をして、早めの昼食のため野原にゴザを敷き、オニギリを皆でほおばった。

休憩中、持参のラジカセで、昨夜から思案して選曲した戦後の明るいリズムの曲の「青い山脈」 「山のかなたに」
 
それに、親子の優しい思いやりや「情・絆」、これから歩むであろう色々な「道」
を、日本の原風景を背景に一篇の詩で美しく表現していると、私が勝手に思い込んでいる 「春の訪れ」などのCDをかけたら、紺碧の空の下遠くに霞む白銀の山脈近隣の麓の青い山脈、それに周辺の青草原が曲にあい、良い曲は世代を超えて人の胸に響くのだなと、自分の学生時代を思い出し懐かしくもあり嬉しくなりました。

午後は、集落の人達も仲間に入り、小川の清掃をしたが、このとき、沢蟹や川エビ
それに子鮒を掬い取り、思いがけない収穫に、皆が大喜びでした。

夕日が沈みかけた頃、冷えた身体を近くの温泉で温め、我が家の囲炉裏を囲み、炭火で串にさした鮒をやきながら、から揚げしたエビと山菜料理で食事をしながら、四方山話しやらVTRの柔道選手権を見て過ごしましたが、自然を満喫しながら一日をお互いに元気に明るく過ごせたことに無上の喜びを感じました。

明日もきっと幸せな日が訪れることと思います。   静かにおやすみなさい
                         

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拓海君の霊に (ll)

2008年04月18日 13時00分27秒 | Weblog
拓海君 お地蔵様に導かれて、岩木山のどのあたりまで登ったかな?。

君が、学校で友達と仲良く勉強した後、家の近くで好きな野菜や果物を育てていた世界は、里の桜は満開ので、遠くの山々は元気良く芽ぶいた新緑で青く霞み、薄桃色の山桜がところどころに眺望される、一年中で最も美しい、静かな田園風景の季節となりました。

君なら、きっと素晴らしい詩で、この景色を表現してくれるものと、君が読んだ詩を読み返しながら、想像しております。
出来るものなら、いま君が歩んでいる岩木山の極楽浄土の「道」を、卒塔婆に記しておいてください。

今日は君にお願いがあるのですが、今から70数年前に、優秀な学生が心ならずも時運に流されペンを置いて、青春の喜びを満たされることなく、過酷な訓練を経てやっと戦闘機を操縦できたころ、全てを諦観して、国家や年老いた両親、兄弟それに多くの学友その中には、或いは、青春を謳歌することもなく、初めて胸の高鳴る感動を自覚した初恋の人を、誰に語ることもなく胸に秘めて悠然と旅立つた若き人達、所謂、特別攻撃隊の霊も、いまや神となり山の頂上から降りてくるころと思いますが、君のお爺さんと同じくらいの歳ですので、古き良き時代の良いところだけを、教えていただき、おじさんに知らせてください。

その人達(霊)には、いまの日本の平和ボケした国家、社会、政治と経済の混乱した有様は、とても説明できず、申訳ない気持ちで恥ずかしさで胸が痛みます。

春の渚を 君と歩きたかったね 砂に あしあと残しながら・・ ♪


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拓海君の霊に

2008年04月07日 17時07分37秒 | Weblog
拓海君 お地蔵様に導かれて、岩木山の嶺を目指して歩むお花畑は、花盛りですか。  顔も合わせたこともない見知らぬ、越後の里に住む、おじさん?いや君のことをこの世で一番愛したお爺さんと同じ歳位の、いずれ近いうちに君に逢えるかも知れない、一人で現世を自然に任せて細々と日夜を過ごしている者です。

下界では、君のことを讃える新聞記事も散見されますが、人の噂も四十五日、いずれ忘れ去られることでしょう。

東北には、悲しい出来事があまりにも多く、ましてや、現実のめぐるましい社会・経済の変化に、自分を守ることに精一杯であることを考えれば、これも致し方ないとも思いますが、人の心が荒んでいることは、向こう三軒両隣りの古い時代に人生の大半を過ごした、おじさんには、あまりにも悲しすぎる世の中です。

君が、不本意に天国に旅立つ歳のころ、おじさんは、盛岡の郊外に学童集団疎開しており、厳しい冬を良く理解できます。

そのころ、先生に教えられたことを、今でも良く覚えていますが、
 「人は死すと、その霊は五十年かけて近隣の高い山に登り、現世の汚れた心を澄んだ空気に浄化されて、五十年かけて山を降りて、村の鎮守様に帰り祀られて、氏神様となり、村の五穀豊穣と村人の幸せを守る。」
と言い伝えられてきたとのことです。

 その後、読んだ本でも、民俗学の先駆者柳田国男?の「遠野物語」でもそれらしきことを読んだ記憶がありますが、東北地方に残る「神仏習合説」からも、流転の激しい人の心の最終的なよりどころと、私の胸には今も焼き付いております。

 君が、9歳で畑を耕し、おじさんも知らない多くの野菜の名を覚え、それをわずかな子遣いで求めていたと知り、君の才能の豊かさに驚きました。

 おじさんの脳裏に、君の人間的な素晴らしさが永遠に残るように、君の面影を想像しながら、勝手に書きましたが、安らかに「道」を歩んでください。

 何時の日か君に逢えることを念じつつ。           合掌







 
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春とは名ばかり

2008年04月04日 06時49分42秒 | Weblog
今日は暦の上では、「清明」。 天地がすがすがしく明るい空気が満ち溢れる日とされていますが、越後も、昨日までの寒気が去り、予報では気温も上がり暖かい一日になるようです。

柳の芽も青く息吹いて春風にゆれ、雪柳も純白の花を満開に咲き乱れるころです。

新入生・新社会人も、それぞれに未来に明るい希望を胸に秘めて旅立つきせつとなりましたが、若き日の夢とは大部かけ離れた現実の我が姿を見つめるとき、歩んできた道に反省と後悔が先立ち、すこしばかり悲しい思いが脳裏をよぎるこの頃ですが、月をかすめる雲のように、過ぎ去りしことはなるべく思いだすことなく、前向きに日々を充実させるように自分なりに努力しようと毎朝心に誓うこの頃です。

越後の春は、遅くやってきて足早に駆け抜ける春で、桜も10日ころから咲くようですが、来月の連休頃には透き通るような青空のもと遠くに白銀の山脈を神々しく眺望でき、棚田には早苗がそよ風になびく日本の原風景を見せてくれます。

年年歳歳、変わることもない歳時記ですが、やはり自然は人々に生気を与えてくれます。

閑話休題

サブ・プラ問題は、世界中の経済に信用収縮をもたらし、過剰流動性は商品相場の上昇、必然的におよそ金融問題には無縁と考えていた庶民にも生活必需品の高騰となって、身近に関連してくるとは、グローバルな世の中の動きにいまさらながら難しい世の中になったものだと考えております。 政治の混乱は情けないの一言です。 第四の暴力ともいわれるマスコミの経済至上主義のもたらす選挙の結果、有能な政治家が育たず、悲しい国になったと思うことがあります。

母親を詩情豊かにたたえた小学生が、その母親に命を奪われるなんて、如何なる理由があったにせよ、正に人の心がすさんでしまった、社会の病だと思われてなりません。 政治と教育の貧困がもたらした帰結だと思います。

幼き霊よ、静かにやすらげ!
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