大助は、なかなか寝付かれないので、皆が寝ついたと思って忍び足で風呂場に行き、お湯を温めて身を沈め手足を思い切り伸ばし、窓から見える庭の松に掛かる冷気を放つ様な満月を気分よく眺めていたら、突然入り口戸から珠子が顔を覗かせて、迷惑そうな顔つきで
「こんな時間に・・」「夕方入ったでしょうに。ガス代が無駄だゎ」
と小声で言ったので、彼は慌てて咄嗟の思いつきで
「姉ちゃんも一緒に入ればいいさ」
「筋骨逞しい男性の肉体を、月明かりで拝めば、精神的にもリラックスしていいんじゃない」
と駄洒落を飛ばしたら、彼女は
「コノ バカッ! 頭がお可笑しくなったみたいだわネ」
と戸を閉めながら怒った声で
「明日、精神科に行ってきナッ!」「少し位勉強したからといって・・」
と言い放って戸を勢いよく閉めてしまった。
彼は姉の小言などいつものことと意に介せず、湯船の中から
「姉ちゃ~ん、腹もへったので食パンとチョコレートそれに暖めた牛乳を用意してくれよなぁ~」
と大声で叫んで頼んだあと、汗をビッショリかいて気分が清々しくなったところで風呂から上がり、キッチンに行くと注文通りパン等を用意しておいてくれたので、それを食べながら、姉も、ことあるごとに五月蝿く文句を言うけれど、案外優しい思いやりがあるわ。と思い嬉かった。
、
彼は、夜食を食べながら美代子達三人のことをあれこれ考え部屋に戻ると、取り敢えず、美代子と奈緒にはクリスマスカードに”信頼”入試突破”と書き、美代子には確かな当てもないのに 『正月休みにスキーに行くことを楽しみにしております』 と小さい字で書き添えた。
姉に美代子の手紙を見せたあと、美代子との交際について、母親や珠子に交際することは難しいと言われたことは、文章で表現することは誤解の元になると思い、逢った時に話をしようと考え、わざと書かなかった。
例年にない酷暑が過ぎたあとだけに、多摩川堤防や河川敷のススキやコスモスが咲き乱れた秋日和は体感的に足早に過ぎ去り、期末試験が終わったころには、時折、木枯らしが吹く初冬の音が聞こえて来た。
美代子の住む街も、周囲を取り巻く高い山脈の峰々も、すっかり冠雪に覆われ、学校や公園のある丘陵も、たまに霜柱が立ち薄い氷結が白く彩られる日が訪れていた。
冷たい風の吹く日の午後。美代子は白い毛糸の襟巻きを首に巻きつけ緑色のオーバーの襟を立て帰宅する道すがら、期末試験を終えて気分が楽になった同級の女生徒達が、仲の良い男子生徒の腕にすがってハシャギながら楽しそうに歩いている姿を見るにつけ、彼女には親しい男子生徒もおらずチョッピリ羨ましく思ったが、その様なときは”自分には大助君がいるヮ”と心の中で呟き自からを励まして寒い道を急いで家路についた。
帰宅して、診療所の受付のカウンターの前に差し掛かると、病院では一番若い受付担当の朋子さんが
「アッ 美代ちゃん、お帰りなさい」
「キャサリン先生は、これから若先生の会合のお供でお泊りで新潟にお出かけょ」
「老先生の発案で少し早いが慰労会をやろうとゆうことで、お料理は仕出し屋さんから取り寄せ、節子小母さん御夫婦も来られるのョ」
「クリスマスには早いが、皆さんでご馳走を頂くなんて久し振りなので嬉しいヮ」
と笑顔で教えてくれた。
彼女は朝登校時キャサリンから何も聞いていなかったので、突然何かあったのかと思い、母親のキャサリンの部屋に行き声をかけてソット忍び足で部屋に入った。
キャサリンは鏡台の前で振り向きもせず
「アラッ お帰りなさい。試験はどうだったの」
と返事をしながら、鏡台に向かい入念にお化粧をしていた。
鏡に映る美代子を見たキャサリンは
「美代子。貴女、もう背丈がそれ以上に伸びない方がいいヮ」
「貴女の背丈につりあう男の人は少なく、将来、お嫁入りの邪魔になるし・・」
と、化粧しながら背後の彼女を鏡の中に見て呟やいたので、彼女は
「いいわよ。私、もっと伸びてやるわ。別にバレーボールの選手になるつもりも能力もないが、もう、私と一緒になってくれると堅く心に決めた人がいるので・・」
「彼も背が高くてスマートな、頼り甲斐のある男の子で、心配なんか全然していないヮ」
と自信満々に答えて、甘える様にキャサリンの背後で中腰になり、両手をキャサリンの肩に置いて鏡を覗きこみ、化粧中のキャサリンの顔を覗き込んで、鏡に映る顔をジーット凝視して自分の顔と見比べていたが
「お母さんの顔と私の顔、面長の輪郭や切れ長の目に淡いブルーの瞳、それに薄くて冷たい感じのする唇の形など、全てがよく似ているので、幾ら親子でも、わたし不思議な感じがするヮ」
「わたし、お父さんに似ているところが、全然、無いみたいだヮ」「どうしてなのかしら?」
と何気なく言ったところう、キャサリンが
「わたしに似ていて嫌なのかネ。親子なら当たり前でしょ。」
と、少し険しい顔をして返事をして、そのあと
「神様のなさったことで、母さんには判らないわ。神様に聞きなさいょ。おかしなことを言う子ね」
と返事をし、続けて
「きっと、貴女を身ごもったとき、母さんの女としての命の火が、一番烈しく燃えさかっていたからでしょう」
と付け加えた。 美代子はキャサリンの耳もとで囁く様に小声で
「それって具体的にどんなことなの?。 わたしを生んだあと、兄弟がないとゆうことは、情熱が冷めてしまったとゆうことなの?」
「わたし、兄弟が欲しかったヮ」
と、普段思っていることを思いつくままに率直に話したあと、続けて
「何時も思うのだが、お母さんて、余りにもお父さんに対して遠慮気味で自主性がないことが、わたしには物凄く不満だし、お母さんが可愛そうに思えるときがあるわ」
「何故、もっと主婦として積極的に自分の意見を話さないの?」
と、彼女にしてみれば、大助君の手紙のことで家族が大激論となり、お酒の酔いもあり、お爺さんが仕舞いには癇癪を起こして
「こんな診療所なんていらんわ」
「医師として人様の健康管理も大切だが、自分の足元を見つめることも、老いた身には、それ以上に大事だわ」
「老人は精神的に目的を失うことが一番老け込むんだよ」
と怒ってしまったことがあったが、その時以来、父親の態度や自分に対する考え方が気になっていたので、それ以後、心の中に抱いていたモヤモヤを一気に吐き出す様に話してしまった。
母親の化粧した白い顔が少し薄赤味を帯びて、表情が強張っていくのが美代子にはハッキリと見てとれ、自分では普通のことと思っていたことも、何か母の心を傷つけてしまったのかと心配になってしまった。