姉妹編 「河のほとりで」・「雪の華」・「山と河にて」に続くあらすじ}
地方の医院で裕福に育った美代子は、所謂、英系のハーフなるがゆえに中学・高校時代、厳しい批判や差別に悩みながらも、抜群の運動神経を発揮して水泳では常に県大会で入賞するほど逞しく、培われた忍耐力で数々の苦難を凌いできた。
そんな彼女も中学2年生の夏に、街を縦断する河で水泳中に起きた偶然の出来事から、東京から知り合いに遊びに来ていた、城大助の陽気で優しい思いやりのある態度に、何時しか自然と心を惹かれて恋に落ち、高校時代を通じて華やかな青春を満喫して過ごし、逢う瀬を重ねる毎に二人の淡い恋を深めていった。
高校卒業直後の春。家庭の事情とはいえ街を離れて、母親のキャサリンの故郷であるロンドンに移住したが、初秋に帰国後、地元の医療福祉関係の大学に進学して日々を送っていたが、大助に対する思慕の念を片時も忘れず胸に秘めていた。
里の山々が紅葉に染まりはじめたころ、中学時代から友達の寅太から、大助が新潟大学にいる、と、知らされ、急遽、寅太の案内で大助のもとに駆けつけたところ、彼女の想像を遥かに超えた惨めな生活振りに驚いてしまい気が動転してしまった。
美代子は、大助がお爺さんに対し、穏やかな口調で新大に転学した経緯を簡潔に説明し終わって、老医師のお爺さんが「男のロマンだなぁ」と感嘆したところ、彼女は大助の説明をなんとか理解したものの、昼間見た悲惨な生活の影が強く脳裏をよぎり、理想と現実の乖離の大きさから、それまで精一杯堪えていた思いが、お爺さんの意外な一言で気持ちを押さえきれなくなり
「お爺さん!なに感心しているのよ。そんな悠長なことを言っている場合でないわ」
「男のロマンだなんて、恰好のいいことを言って・・」
「今にも倒壊しそうな隙間風の入る狭い部屋で、自炊しているのょ。このままでは、必ず栄養失調で病気になり、場合によっては死んでしまうかも知れないわ」
「そんなことにでもなれば、わたしの人生も破滅してしまうのよ」
と、お絞りを握り締めて強い口調で、心中を大袈裟に表現して反論した。
大助は、彼女の少し誇大過ぎる話をやめさせようと、彼女の肘をひぱったが、彼女はそれを振り切り、ブルーの瞳に怒りを込めて、自分の話しに感情を煽られるかの様に、益々興奮し
「男の人にもロマンがあるなら、女のわたしにもロマンがあるわ」
「わたし、もう、彼との幸せな生活を夢見ることに絶望し、自殺してしまいたく、その場で観念したゎ」
「そのため、いけないと思いつつも、咄嗟に身近にいるパパに電話して来てもらい、ホテルで相談したゎ」
と一気に心情を吐露したが、流石に、母親の前では、養父の愛人である静子さんが同席し、自分の心境を理解して、アドバイスしてくれたことを口に出すことは控えた。
お爺さんは、美代子の顔を見つめ腕組みして黙って聞いていたが、その表情はそれまでとうって変わって険しくなり、養父の話が出たときは目が怒りを込めて鋭くひかり、彼女は勿論、キャサリンも大助も、その威圧感に梳くんで黙ってしまった。
皆は、重苦しい雰囲気に包まれ、お爺さんが美代子を怒鳴りつけるのではないかと恐れていたが、しばし間をおいて意に反し、お爺さんは静かな口調で、美代子を諭す様に
「美代子や、家族との約束を破って正雄に会ったことは、精神的に大人に成長してない何よりのあかしだ。
「そんなことでは、とても大助君の嫁さんにはなれんわ。大助君も迷惑であったと思うよ」
「ワシが、大助君の行動や生活振りをを聞いて、男のロマンと言ったのは、お世辞ではない」
と話したあと、お爺さんの人生観を語り始めた。それは
人間の幸福感には、大別して”正しい生活”と”幸せな生活”の二通りあり、”正しい生活”とは自分の信念に基ずいて、艱難辛苦に耐えて行動し、理想を実現しようと、ひたむきに努力することであり、”幸せな活”とは親や家族を思い平穏に安定した暮らしを送ることだ。
普通の人々は後者を選ぶであろうし、特にオナゴはその傾向が強い。それはそれで良いと思うよ。然し、意志の強い男ほど、その様な平和な生活を実現することを希求はするが、それは生きるための手段と考え、起伏の激しい長い人生の過程では、自分の信念に生きる目的がなければ、優勝劣敗の激しい人生競争や困難に打ち勝てず、生き甲斐を見つけられないのだ。
よく考えてみろ。今から60数年前の戦争で、若い兵士は、皆、国家や家族を守ることを目的に、自己の意に反しても手段として戦い、信念を貫いて任務を遂行し、戦場で潔く死んでいったのだよ。
ワシは、その様な意味で、大助君の行動をロマンと言ったのだが、これは若いときにしか出来ない勇気のいることで、老いた身から見て、実に羨ましく素晴らしいことだと、心底から思ったからだ。と、話して聞かせた。
美代子は、不満そうな表情で黙って聞いていたが、自分の真意が思う様に伝わらないのがもどかしく、お爺さんに対し、叱りつけられるのは覚悟して
「お爺さん。また、古い話を持ち出して、わたしを誤魔化そうとするが、わたし、そんなお説教を今更聞きたくないゎ」
「大助君には、彼女が出来たらしいのょ」「寅太君が、現場を見つけて教えてくれたの」
「わたし、その彼女には絶対に負けないわ。そのため、今日、やっと捕まえた大助君を、誰がなんと言おうと、今度は絶対に離さないゎ」
「正雄父さんは、順序を踏んで大助君の家族の了承をいただければ、新潟市内の空いているマンションを提供し、経済的援助も惜しまない。と、おっしゃってくれたゎ」
「わたし、一人で大助君の家に伺い、彼のお母様に実情をお話して、わたしの考えを理解していただくわ」
「わたし、そこで大助君のお世話をしながら、一緒に暮らすつもりなの。いいでしょう」
と本音を言って、自分の考えを理解して欲しいと必死に訴えた。
お爺さんとキャサリンは、彼女の言い分を黙って聞いていたが、驚いたのは大助の方で
「美代ちゃん、それは駄目だよ。それこそ僕の生活が滅茶苦茶になってしまうよ」
「さっきも言ったとおり、現在の僕は姉の珠子夫婦に経済的に大部分をお世話になっており、実情は違うが、母も姉達も僕を信じて勉強させてもらっているので、それをいきなり・・」
と、強い口調で説明すると、彼女は涙混じりに
「大ちゃん。お母さん達に隠れて、幾ら勉強のためとはいえ、今の生活をしているなんていけないわ」
「身体を壊したら全てが終わりょ」
と真剣な眼差しで反論していたが、母親のキャサリンが
「美代子。あなたどうして自分中心に物事を進めようとするの」
「あなたの気持ちも判らぬ訳でもないが、正雄先生にお逢いしたことは、母さんとしては凄くショックで悲しくなったわ。でも済んでしまったことは言わないゎ」
「けれども、もう大学生でしょう。今後のこともあり母さんの立場も考えて欲しいわ」
「もっと落ち着いて考え、皆が納得する方法で、大助君が勉強に集中できる環境を考えましょうよ」
「母さんとしては、お爺様や節子さんと相談して、大助君や美代子も納得するように考えてみるわ」
と、彼女をいさめながら静かに諭すと、お爺さんはテーブルを叩いて
「キャサリンの言うとおりだ。幸い連休だし一日二日急ぐこともなく、じっくりと考えることにしよう」
と言って、話を遮ってしまった。
美代子も、自分の考えを判ってもらえたと思い、大助の横顔を見ながら、それ以上話しだすことをやめてしまった。
大助とお爺さんは、彼女がおとなしくなったことで、目を見合わせてヤレヤレといった顔つきで、お互いにコップをカチンとつき合わせてオンザロックを飲み始め、キャサリンは食事の用意にキッチンに去ったが、夫々が思わぬ美代子の嵐に遭遇して、楽しさも半分といった思いであった。