理恵子の通う高校は、街の北外れに位置する小高い丘陵の上にあり、校舎裏のなだらかな広場は生徒達に人気のある憩いの場所である。
新しい芽をふいた欅の大木を中心に広がる芝生の草原は、街の中ほどを流れる川、それに沿って奥羽本線の鉄路が一望できる、この街唯一の眺望の良い場所でもある。
理恵子は、母亡きあと遺言にもとずき、周囲の人達の同意を経て故人の望んだ通り、山上健太郎・節子夫婦の養女となり、三人が仲睦まじく日々を送っていた。
奥羽山脈の残雪が初夏の青空に映え、初夏の陽ざしがほどよく照り映える柔らかい芝生の広場は、土曜日のお昼どきは各グルーフ毎に弁当を広げる生徒の輪でにぎあう。
中間試験を悲喜こもごもに過ごした生徒達は、この時期、新しい友達も出来て開放感で明るい表情に満ちて、各競技の対外試合をはじめ、夫々の部活の練習や打ち合わせで話が盛り上がり話題が尽きない。
山上理恵子の吹奏楽部も、お弁当を開き互いにおかずを交換しながら、午後からの練習の打ち合わせに花を咲かせていたが、理恵子は途中で慌ててトイレに駆け込み、予期せぬお客様に一瞬とまどったが応急処置をした後、メモを書くと持ち合わせの小遣いをテッシュで包み、時々、家に来て勉強を教えてもらっている、先輩の織田君のいる野球部の輪に行き
「織田君! 悪いけど、これ持つて急いで薬局にいってきて~」「ね~ お願い! わたし本当に困っちゃつたの、助けて~」
と、周りの仲間に目もくれず紙包みを渡し、急なことに戸惑う織田君に
「アッ 中身は絶対に見ないでね。 きっとよ~」
と告げると、織田君は周りの顔色を気にして
「なんだ! 食べつけない友達のおかずを食べて、食あたりでもしたのか?」
と返事するや、部員が織田君に対し、やっかみ半分に
「おい 校内一の美人に見込まれて光栄だな~」「俺たちも、あやかりたいよ」
と、夫々に大袈裟に囃したて
「お前 我がチームの盗塁王だろ、全力疾走で早くいつってやれよ」
と、せきたてたので、織田君も渋い顔で自転車小屋に走り出していった。
行きは丘陵の坂道を駆け下りるためスピードがあがり、薬局に着くや小母さんに紙包みを無言で差し出した。 店の奥さんはメモを一読するや奥から小さい紙包みを持つてきて
「はいッ お釣りも中にいれておきましたからね」「あなたは 親切な生徒さんね」
と言ってニコリと微笑んで渡してくれたが、織田君の耳にはそんな言葉も入らず中身がなんだかも聞かずに、慌てて自転車にまたがったが、今度は勾配の急な道を汗を全身にかきながら校庭裏の芝原に辿り着くと、理恵子に紙包みを渡すと額の汗を拭いながら
「ホラッ! いや~ しんどい。 俺の方が具合が悪くなりそうだよ~」
と言って芝生に仰向けに寝転んでしまった。
仲間たちは、その様子を見ていて
「御苦労! 御苦労! 美人に見込まれるとゆうことは大変なんだな~」「俺達、将来、少し不安になつてしまったよ」
「心配するな 美人なんてそんなにいないし、少なくても俺達には未来永劫縁のないことだ」
と、夫々に勝手な冷やかしを言いあって笑いころげていた。
理恵子がトイレで生理の処置をして再び皆の輪に戻ってくると、織田君が息を弾ませて寝ており、仲間達がその周囲を囲んで盛んに冷やかしていたので、理恵子は少しばかり心配になり、周囲をはばからず織田君の顔を覗き込むように近ずいて
「ねェ~ 大丈夫 元気をだしてよ」
と小声で言うや、仲間達が
「理恵子! 織田君の心臓が破裂するかも知れなぞ。冷たいタオルで額を冷やしてやれよ」
「今度は 俺に言いつけてくれな」
などと、羨望を交えて口々に冷やかしていたが、彼女は意外と冷静に
「アノネェ~! 私たち恋人でもなんでもなく、時々、勉強を教えてもらうだけなので、変な誤解をしないでね!」
と、誰にともなく言い残してその場を去った。
織田君は、理恵子の近所で食品店を開いている母一人子一人の高校3年生で、温和だが体格は同級生の中でも大きく、運動神経は優れており、皆の人気を集めている。
勉強も熱心で大学進学を目指し、理恵子が中学生の頃から、健太郎の家を訪ねては勉強を指導してもらいながら、彼女の補習の面倒を見ていて、彼女とはすっかり顔見知りで、彼女が山上家の養女になったことを非常に喜んでくれていた。
その日の夕方。 理恵子は織田君が下校するのを校門のところで待ち伏せ、織田君が友達と揃って現れると、彼の手を引張って友達から無理矢理引き離し
「織田君 ゴメンネ。わたし 今日だけは君に頭があがらないゎ」 「お礼とゆう訳でもないが、これから、わたしの家に行き、夕飯を一緒に食べようよ」
「わたし、あんたの返事をもらう前に、母に電話してしまったの」「母も、今日は病院が休みで家におり、お誘いしなさい」
と機嫌よく話して、彼の返事を待たずに「ね~ いいでしょう」と言って半ば強引に誘い、そのとき、彼に聞かれもしないのに母との電話の内容を話して
「家では父もおり今日のことを話さないでね」
と、二人が並んで自転車を押して歩きながら、念を押して家路についた。
秋子さんの葬儀も終わり、親族との相談のうえ、なによりも生前の秋子さんの遺言、それに理恵子本人の強い希望と、節子さんの積極的な願望と周囲に対する説得もあり、秋子さんの位牌とともに理恵子も、健太郎の家族の一員となり、早いもので一ヶ月が過ぎようとしていた。
幸いなことに、理恵子も節子さんとは以前からの行き来もあり、その生活慣習になじんでおり、最初の頃は遠慮気味であったが、節子さんの気配りと理恵子の性格の順応性が相俟って日毎に、互いに心を通わせて打ち解け、端から見ていても何等遜色のない母娘の自然な姿に、健太郎も心が休まり安心していた。
養母となった節子は、理恵子の日常生活については、起床・就寝時間、勉強時間、自分の部屋、玄関等の整理整頓については厳しく実行させていたが、理恵子はそれ以外にも進んで家事を手伝い見習っていたが、そんな中にも時折甘えて戯れ、節子さんも気持ちよく相手をして日常を楽しく過ごしていた。
或る日の夕餉の時には、理恵子が悪戯っぽく
「以前、死んだ母さんが、節子母さんはお父さんの初恋の人だと言っていたことがあったが、本当なの?」
と言ったら、健太郎は苦笑いして「そうだったのかなぁ}と恍けて答えたが、そのあと彼女に対し
「理恵子は、恋人でもいるの?」
と逆に聞き返すと、彼女は
「好きなお友達は何人かいるけど、恋人なんていないゎ」
と返事したあと、節子に
「ねぇ~ 初恋ってどんな気持ちになったときからかしら」
と聞いて、節子を困らせていた。
また、夏になると、診療所の一人娘で小学生の美代子と河で水泳して遊ぶが、彼女は水泳では小学生の地区選手権に出るほど泳ぎが上手で、自分を姉の様に慕ってくれて、とても可愛い子だゎ。と、仲良くしている美代子のことを話していた。
健太郎は、駅頭にたたずみ、久しぶりに見た奥羽の山並みは、時を経ても、その姿は変わることなく悠然と構えていた。
新緑の萌える木立の中に宝石をちりばめた様に、山桜が晩春の陽光に映えており、それは、人の世の基本である保守的な部分を象徴しているようにも思えた。 一方、不変の峰々から流れ来る川は、世の清濁を合わせた様に、時には激しく流れて川辺の岸を削り周辺の模様を変容させながらも、反面、静かに流れゆく様は、社会の進歩的な有り様を連想させてくれる。
小高い山並に囲まれ、一筋の広い川を挟んで静かにただずむ田舎町の自然な光景である。
皆が、それぞれに思いを胸に描いて楽しく奥羽の旅から帰って早くも一ヶ月が過ぎ、平穏な暮らしに勤しんでいた。
節子さんは、晴れて健太郎の妻となり大学病院の看護師に、理恵子は高校にと通い、秋子さんは胃癌手術後、自宅で療養していた。
健太郎は、軽く農作業をする傍ら、街の生涯学習の講師として、従来と変わらぬ平凡ではあるが静かな生活の中にも幸せを感じていた。
毎年6月中頃を過ぎると、鉢植えのサボテンの花が命を終えて閉じる頃。
健太郎は日課の様に夕方になると、薬の副作用に悩む秋子さんを様子見に見舞いに訪ねていた。
彼は妻の節子から秋子さんの手術後の病状について、肺や肝臓に転移する可能性が高いと聞かされていたので、一層、世間話の会話の裏で注意深く彼女の体調等を観察することを怠らなかった。
秋子さんは、その都度、決まり切った様に、健太郎に対し、死を悟ったかの様に
「あの世で、律子さん(健太郎の亡妻)にお逢いしたら、あなたが節子さんと結ばれたこと、理恵子があなたがた夫婦の養女となり、三人揃って羨ましいくらいに仲良く過ごしていることなどをお話して、わたし達は以前の様に仲良く、律子さんの案内で二人で手を繋いで比叡のお花畑をなんの心おきもなく永い旅に出るわ」
「だから、理恵子が成人するまで、面倒を見てやって下さいね。最後のお願いょ」
と、その時に限って瞳が輝き、くどい様に話すので、彼は慰める言葉を失い、これまでに何度も話したことを繰り返して
「節子からも、君に万が一のときには、理恵ちゃんを自分達の子供と思って可愛がり大事にしてよ。と、事ある度に耳が痛くなるほど言われているし・・。そんな後ろ向きなことを考えるな」
と、返事をしていたが、顔面の皮膚が黒ずんで頭髪が抜け落ち薄くなり頬も細り、病状が好ましくない方向に進行していると、素人目にもはっきりとみてとれた。
そんな或る日。 彼女が世間話中に、突然、腹部を抱えて冷や汗を流して苦痛を訴えたので、彼は直感で尋常でないと判断して、直ちに診療所の老医師に連絡して指示を受け、腫瘍外科に勤める節子にも連絡して手続きさせて大学病院に緊急入院させた。
病院では、老医師の息子正雄医師も腫瘍内科担当であるところから、幸いにも担当医に加わってくれ、一安心と秋子さんの妹さん共々喜んでいたのも束の間、入院後一週間を経過した頃、棚田で友人達と世間話していた健太郎に、節子から携帯で
「容態が急変したので、理恵ちゃんを連れて、すぐに病院に来てほしい」
と連絡が入り、昨日、病院を訪れ見舞いしたときには普段と変わりないと、理恵ちゃんと安心していただけに、どうしたのだろうと半ば驚き、大急ぎで身支度をして車で学校に理恵ちゃんを迎えに行き、その足で病院に急いだ。
理恵ちゃんも、母親の急変が理解できず無言でついてきたが、終始黙り込み彼の腕に手を絡ませていた。
高校生とはいえ、まだ母親に甘えたい盛りの少女、青ざめたその顔を覗き見るのも痛々しく可哀相で、彼もやるせない気持ちで胸が一杯になった。
息を切らせて個室の病室に入るや、担当の医師に青い消毒衣をつけた看護師が節子とともに、秋子さんのベットを囲み先生の指示に従い酸素マスクや脈拍計等を見ながら、せわしなく作業をしていた。
健太郎が許可をえて秋子さんの、血管の浮きでた青白い右手首を両手で軽く握り、顔を近ずけて「理恵ちゃんがきたよ!」と二・三回呼びかけると、それまで昏睡していた秋子さんが、ふと目をかすかに開いた。
気力・視力も落ちているせいか、その瞳は心なしか彼には少し白濁している様に見えたが、語ることも無かった。
それまで節子に寄りかかっておびえていた理恵ちゃんが、その姿を見て進んで彼の前に出て、母親の手を握り
「母さん! 理恵だよ。 わかる!。ねぇ~、理恵の顔見えるの、返事して~!」
「眠っちゃだめだよ~!」「手が冷たいが寒いの」
と、涙声で呼びかけると、秋子さんは目を閉じたまま、なにかを語りかけたいように唇をかすかに動かそうとしている様に見受けられたが、気力がつき果てたのか、そこで顔を右枕に崩れ落ちる様に伏せて、昏睡状態におちいった。
理恵子は、驚いて節子の胸にもたれかかるように飛び込み、周囲をはばからず大声で嗚咽をあげて泣き出し、節子が両手で肩を抱えて理恵ちゃんの髪を優しくなでながら言葉をかけることもなく慰めていた。
奇跡か或いは健太郎の幻覚か、二人のその姿が秋子さんの心眼に映ったのか、彼女は心が満たされたかのように軽く微笑んだ様に彼には見えた。、
その直後。 主治医が聴診器を外して合掌したあと「皆さん、なにも苦しむことなく安らかに、旅たたれました」と、厳粛に告げて再度合掌したあと、看護師に指示をすると部屋を静かに出て行った。
健太郎は、薄く開いている瞼を優しく撫でて閉じると席を離れた。
節子が、あとを引き取るように、健太郎と理恵ちゃん、秋子さんの妹さんに対し
「秋子さんの身つくろいをしますので、あなた理恵ちゃんと控えの部屋に移り、休んでいてくれませんか」
「理恵ちゃんを、ちゃんと介抱していてくださいね。 お願いよ!」
と、その声は普段静かに話すときとは違って、職業的な少し冷たく響くように感じられたが、反面、彼女のどこにこんな強い精神力が潜んでいるのだろと、内心頼もしくも不思議に思いながら理恵ちゃんの手をとり病室を出た。
理恵子も、泣き疲れたのか涙を流すこともなく、現実を悟り、落ち着いて暫くたったころ、節子が控え室に現れ、ゆっくりとした口調ながら何時もの優しい声で
「理恵ちゃん、一人で歩ける?。大丈夫?。寂しいでしょうが、お母さんにお別れの御挨拶をして来ましょうね」
「あなたも、理恵ちゃんを支えてきて、秋子さんに御挨拶をしてくださいね」
「私たち、秋子さんには本当に御世話になりましたので、そのご恩に感謝の気持ちを一杯こめてね」
と言って、病室に案内してくれたので彼女についてゆき、秋子さんの傍らに合掌しながら近ずくと、節子が秋子さんの顔を覆うた白い布をとってくれた。
秋子さんは、白装束で装い胸に手を合わせ、白や黄色の菊の花束に囲われた顔には、彼女が生前好んでいた薄い桃色の口紅が塗られ薄く化粧された綺麗な顔で、今にも目をあけて語りかけてくるようだった。
健太郎は、故人があまりにも生前と同じ化粧をしていたので、おそらく節子が送り人に頼んで死に化粧をしたものと直感した。
暫くして、現実を悟った理恵子が、目に涙をためながらも落ち着いた声で、母親に顔を近ずけて囁く様に
「母さん 本当にお月様のところへ行ってしまつたのね。わたしを一人ぼっちにして・・」
「ときどき、私のところに遊びにきてね。約束ょ」
と語りかけ、髪を名残り惜しそうに優しくなでていた。
健太郎は、この地を離れてから久振りに降り立った奥羽の駅は、駅舎も新しく装い、正面の通りも広くなり町並みに新しいビルが整然と建ち並び、雪国特有の重苦しい雰囲気から脱皮して、都会的な明るさが感じられた。
合併で市や街の名前が変更され、なにか心の片隅に寂しさもよぎったが、それよりも、駅のホームに健太郎の大好きな明るいメロデイーである「青い山脈」が流されていた。
街の片隅の建物や路地裏に目をやると昔の面影が残っており、それらが郷愁を甦らせて懐かしさがこみ上げてきた。
節子さんの妹さん夫婦が迎えに来てくれた車に乗り、少しゆっくりと走って貰い、説明をうけながら街並みを感慨をこめて見ながら家路に向かった。
越後同様に雪解けが遅いが、ここ奥羽の街も山の懐に抱かれ地形的や季節的にも似ており、遅れて訪れた春も短く、郊外の田圃の早苗が揃った頃には早くも初夏の香りが随所に漂ってていた。
幸い好天に恵まれ、空が真っ青に晴れわたっており、暖かい微風が野や山そして街にも心地よく吹きめぐり、促されたかのように林檎や桃などが淡白な色の花を咲かせて清楚な趣を感じさせくれ、健太郎が若き日に感じた郷愁を一層強く想い起こさせてくれた。
若き日に勤めていた学校の裏山の林檎園も見ごろで、校舎裏にそびえて立つ欅の大木も悠然と昔日の姿を残し、新しい芽吹きで新緑が鮮やかである。
山の麓から西側に緩やかに続くその地帯は丘陵となっており、昼休み時間などに生徒と欅の葉陰で日差しを避けて雑草の上に寝転んで戯れた日を懐かしく思い出した。
欅の大木を見て思い起こしたが、新任教師として勤めていた頃。
昼休みに熊笹を掻き分けて辿り着いた青草の広場で、普段は乱暴気味の男子生徒が、このときばかりは女生徒の指図におとなしく従い、持ち寄りの野菜や肉を不器用に調理して作った即席鍋をおかずに弁当を食べ、教室では得られない、生徒達の無邪気な会話に混じって大笑いしたこと。更には、健康美そのものの素足を惜しげもなく野原に投げ出して昼寝やお喋りする女学生の様子など、現代の高校生には見られない素朴で純真な学園生活が脳裏をかすめた。
当時、高校3年生であった節子さんは、その中にいたかどうかは思い出せないのが残念だった。
街並みを外れて、田と畑の中に周囲を防風の杉木立に囲まれヒバの垣をめぐらした広い一劃が節子さんの家で、母屋と白壁の土蔵がただずむ姿は昔日のままである。
家の前の道路が舗装されている以外に、往時、下宿していたころの面影をそのまま残しており、家の中は改装されていたが、間取りは変わりなく、床柱と梁の欅の赤茶けた重量感のあるその造りは往時のままで心から懐かしさが甦った。
用意された茶の間の囲炉裏には、炭火が赤々とたかれ、吊るされた鉄瓶からは湯気を吹いて部屋の雰囲気を温めていた。 広い囲炉裏の片隅にすえられた銅壷には、お銚子が並び燗のついた酒と串刺しのイワナの焼ける香ばしい香りが部屋に漂っていた。
健太郎は、節子さんの母親や妹夫婦の気配りに、改めて親しい気遣いを察し、昔日の懐かしい思い出に感傷的に若き日の自分を回顧した。
家族一同の心の篭ったもてなしで早目の宴を、思い出話しを織り交ぜて楽しく御馳走になった後、母親が、陽もまだ明るいようだし、お風呂の支度が整うまでの間、近所に散歩に行ってくれば。と、薦めてくれたので、節子さんと鎮守のお宮様に出かけた。
入り口の脇に、お稲荷さんを祭った小さな祠があり、健太郎は節子さんに従い杉林に囲まれた石畳を踏みしめて境内に入って行った。お稲荷様の入口前には一対のキツネに似た石像が夕日を浴びていた。
節子さんも、今晩は何時も以上に機嫌が良く、狛犬に向かい
「キツネさん、今晩わ~。お久しぶりねぇ。今日は私達の邪魔をしないでね~」
「あなたのお陰で、私達、今度夫婦になるのょ。あなたも、祝福してネ」
と囁いて、晩春の夕暮れとはいえ冷たい石像のキツネの頭をなでていた。
石畳に残した自分達の足音も途絶えると、境内は一層静寂の杉の森に囲まれ、神秘的な世界に入って来た様な気分を誘った。
彼女は、スプリングコートからハンカチーフを2枚取り出すと縁台に並べて敷いて、その上に健太郎と並んで座った。
健太郎は、樹齢を重ねた見事な杉木立に目を奪われ紫煙をくゆらせていたところ、節子さんが夕餉の歓談から連想して、遠い昔の出来事を思い出したかのように、誰に言うともなく呟くように
「健さんが、転勤するとゆう前の晩も、名残り雪が残っていたこの場所で、お別れの言葉を交わしたわね。 覚えているかしら。 帰宅したその夜、わたし、早々と床に入って、訳もわからずに泣けてしかたなったわ」
「その晩、お宮様で健さんと二人で逢って、どうして転勤なんかするの?。と、訳も判らずに聞いたわね」
「まだ、高校を卒業したばかりで社会のことなどわからず、3年も一諸に過ごして家族同様にと思っていたのに、急にわたしの前から去るなんて、わたしには理解できず、ただ、健さんのオーバーのボタンを弄り回しながら、降っては消える春の糊雪の様に、心の中で思ってはすぐ消えるモヤモヤとした思いを、上手にお話すことができず、無性に寂しい思いをしたゎ」
と話しだし、続けて
健太郎が家を後にしたあと、暫くの間、父親は口数がすくなくなり、母は情けなさそうな顔をして、お前が意気地がないからだ。と、愚痴を零し、見かねた妹の悦子は自分に代わって先生にラブレターを手紙を出してやろうか。と、詰め寄り、家の中の雰囲気が急に冷え込んでしまった。と、当時の家の中の模様を小さい声で話し、更に
わたしは、後日、これが恋なのか。と、自分なりに生まれて初めて知ったことを、しみじみと懐かしそうに話し終えると、健太郎の膝に手を当てて
「あのとき、囲炉裏を囲んで、健在だった父と晩酌を酌み交わす健さんの笑い声が、とても明るく廊下に漏れて聞こえ、母の用意したお刺身を運ぶとき、わたしったら、幸せだわ。と思いつつも、何故か涙が目ににじみ、その様子を母に見られ恥ずかしさから、慌てて横を向いてしまったが、そのときの母の微笑が今でも胸にしみてるわ」
と、感慨深く語りだし「そう、そうだったのか」と、深く息を吸い込みながら返事する健太郎に、彼女は少し声に力を込め
「健さんったら、毎日生徒を相手にしていたのに、案外、女心を理解出来ない人なんだから・・」
と言って、健太郎の太ももを軽くつねり苦笑した。
黙って聞いていた健太郎に対し、更に
「その当時の、わたしの気持ち、今では少しは理解して頂けるかしら。どうなの・・」
と返答を迫ったので、健太郎は余り話したくない事を聞かれて返答に窮しながらも、その頃の想い出を語り始めた。
彼は、節子さんの話を頼りに記憶を辿りながら
「う~ん、また、なんでそんな遠い昔のことを聞くの」
「人生は正に”諸行無常”で、一口で話なんか出来ないなぁ」
「確かにあの頃、春の田圃の耕しや秋の稲刈り等、休日に君の父親の手伝いをして、田の畦で君達家族と一緒に輪を作って昼食をとり、力仕事をした後のお昼のお握りの美味しかったことを今でもよく覚えているなぁ」
「その頃、父親の普段の話しぶりから、なんとなく君と僕が結ばれることを望んでいるのかなぁ。と、僕なりに薄々感じたことが度々あったわ」
「けれども、当時は社会の価値観が今とは違い、教師と教え子とゆう垣根は厳然と仕切られていた時代であり、それに、君と僕はまだ若過ぎたし、君も僕も家の跡継ぎと言う宿命を背負っていたこと等、お互いに種々問題が大きく被さっていたので、若い僕の力ではどうにも答えを見つけだせなかった。と、ゆう以外、説明のしようがないわ」
と答えた後、その後の人生について、転勤先の同じ高校で音楽を担当していた律子(亡妻)と見合い結婚したが、3年後に父を看取ったあと、結婚生活8年目に律子が子宮癌であっけなくこの世を去り、それを追い駆ける様に今度は自分が結腸癌を患らい、幸いにも奇跡的に回復したが、その後は、先祖伝来の家・屋敷のことより自分の健康を第一に考えて、時折、秋子さんの世話になりながらも一人で慎ましく過ごして来たことを簡単に話た。
節子さんは、すでに秋子さんから詳しいことを聞かされていたとみえ、頷くだけで深く聞くこともなく、自分のこれまでの辛かった思いと重ねて静かに聴いていた。
健太郎は話終えると、彼女を抱き寄せキスをしたところ、彼女は、それまでの思いを全て拭い去るかの様に、彼の背中に廻した指先に力を込めて抱きつき、熱い唇を何時までも離そうとしなかった。
緩やかに傾斜して街に連なる棚田の稲も生育して、緑のそよ風を丘から街へと爽やかに吹き抜けてゆく。
雪解け水で増量した小川の流れも勢いがよく、それが川淵の残雪を削り落とし川面に光を反射させて、名も知らぬ草の緑を一層輝かせている。
毎朝、散歩の時に見る堰堤の桜並木もすっかり葉桜となり、川淵の猫柳も芽を膨らませ、日ごとに初夏の香りを漂わせている。
理恵子も、高校1年生として元気に通学しているが、慣れぬ学園生活に戸惑っているようだ。 それでも本人はもとより母親の秋子さんも、やれやれといった安堵感で一息つき、健太郎も彼女の愛くるしい笑顔を見ると、わが子のようで祝福せずにはいられない気持ちになる。
秋子さんが、実家と里帰りしている節子さんに根回しして、自分の体調を考慮し、この暖かいときに予定より少し早いが帰郷したいと連絡したとみえ、実家の人達もそれが良いと賛成してくれたので、明日、列車を利用して三人で行きましょうよ。と、健太郎を誘いに来た。 理恵子もその気になり早々と支度を整えていた。
彼も、若いとき勤務した土地が懐かしく思い出され、秋子さんの意見に即座に賛成して旅立つことにした。
最も、節子さんから電話の度に母親も逢うのを楽しみしているので是非一緒に来て欲しいと言はれていた。
翌朝、店の美容師が運転する車で秋子さんと理恵子が迎えに来た。 理恵ちゃんが玄関先で弾むような明るい声で
「おじちゃん おはよう~。ちゃんと支度できたかね~」
と少しませた、母親の何時もの口癖をまねて呼びかけ、健太郎を見るや「OK! OK!」と指先を丸くして笑い、皆が駅まで送ってもらった。
理恵ちゃんは、お土産を入れているらしい膨らんだリュックを背負い手にはボストンバックを提げていたが、きっと母親の体力を気ずかつてのことだろう。と、その優しい思いやりのある心ずかいが、高校生となって一段と成長したようで、微笑ましく見えた。
山形に向かうローカル線は、いまや全国でも珍しくなった旧国鉄時代の気動車を使用しており、近く新車に入れ替えるらしいが、写真マニヤの間でも人気者の気動車で、単線ではあるが、この時期、通学通勤客を乗せる以外余り利用がなく座席がすいていて楽々と足を伸ばすことが出来て彼等には良かった。
山合いの平野部を、二両連結で60k位のスピードで未だに残る残雪を雪煙をあげて進み、小さく固まっている村々や黒々と茂る杉林を後に残し、やがて峡谷沿いに飯豊山麓に差し掛かると、スピードは40k位に減速され、警笛を鳴らす度に短いトンネルを潜り抜け、赤く塗られた橋を何度となく渡る。
窓外から眺める景観は、峡谷の狭い川は所々で水を藍色に染めた様に澄んで、流れがよどんで湖の様で、静寂の世界そのもである。
縄文時代、人々は、ここで狩猟やクリの実を集め、ひたすら信仰の生活をしていたのであろうと思うと、永い伝統に基ずいた人間の知恵に、健太郎は今更ながら感心して思いをめぐらして景観を眺めていた。
理恵ちゃんは、地図を手にして興味深々と現在地を確認したり、移り行く景色を眺めて、時折、気にいつた風景を写真に撮っていたが、横顔を覗いて見ると薄化粧をしているようで、目が合うや
「おじちゃん! イヤ~ッ。 そんなにしげしげと見ないでよ~!」
と言って地図で顔を隠してしまった。
秋子さんが笑いながら
「この子。朝、美容師のお姉さんから、お化粧を習っていたらしく、いたずらしたみたいだわ」
と、内心娘の成長を喜んで説明するや、理恵ちゃんは
「天気も良く、紫外線に焼けないようにと、お姉さんが肌の手入れを教えてくれただけなのよ」
「女性なら当たり前のことでしょう~。ねえ~母さん!」
と少し抗議ぽっく話したあと健太郎にむかい
「見るなら、母さんの顔をみてよう~」「今日の母さんは何時にもまして、綺麗でしょう」
「何時もこんなに綺麗なら、わたしも嬉しいんだけど・・」「ついでに、もう少し優しくしてくれたら・・」
と、ニヤット笑いながら答えていた。 秋子さんも娘の返事に、今日は言い返すこともなく
「ハイ ハイ。 それよりも今晩お家にいつたら、ちゃんと手をついて丁寧に挨拶してよ。お願いよ!」
と、理恵ちゃんの心が確実に成長している姿を家族に見せたい気持ちにかられ答えていた。
列車はいつの間にか山間を過ぎて、村々が散見され、やがて都会のビルが近くに見える様になると、まもなく山形駅に着き、そこで奥羽本線に乗り換えて新庄に向かった。 鈍行ののんびりとした旅とは異なり、今度は新幹線だけにスピード感があり、座席も柔らかく、理恵ちゃんは、TVで見るバレーボールの選手の様に、この歳にしては背丈に比例して脛が長く、その脛を横崩しにして大機嫌で、窓外の景色に見とれながら月末に合唱する「花かげ」の楽譜を見ながら口ずさんでいたが、途中で
「ね~ おじちゃん」 「一番の歌詞にある 車に揺られて とゆう車とゆう文字には何故 人偏がついているの?」
と聞いたので、健太郎は、いいところに気ずいたなと感心し
「それは、いまから80年位前、田舎では遠い村や町にお嫁に行く時は、タクシーのない時代だから、人力車に乗って嫁いだのだよ。 人が引くから人偏が付いているのだよ。空想してごらん、のんびりしていて優雅な嫁入りでしょう」
と、説明したら納得して歌い続けていたら、途中から乗車した隣席の四人連れの中高生らしき女性達から「貴女 綺麗な声ね~」と言われ、一寸はにかんで薄笑いを浮かべ軽く会釈したあと、なおも窓の方に向かって気分良く歌い続けていたが、最後の歌詞を習った通り感情を込めてゆっくりと
「わたしは 一人に なりました~ ♪」
と歌い終わるや、その歌う後ろ姿と歌詞が秋子さんの胸に厳しく刺さった。
彼女は、その瞬間感情が込み上げて、健太郎の左手こぶしの上に右手のひらを重ねて乗せたので、彼はオヤッ!と思い彼女の顔を覗くと、健太郎の顔を食い入るように見つめ、目にはうっすらと涙を浮かべているので「どうしたの?」と、理恵ちゃんに気ずかれない様に小声で聞くと、声を出すと涙がこぼれるのを精一杯こらえている様に見えたので、健太郎は勝手に心情を解釈して、右手で握り返し顎をひいて「判った」とうなずき、心情をいたわってやつた。
健太郎は、彼女が理恵ちゃんの歌を聴いていて、きっと、もし、自分が(マーゲン・クレイブス)で、この世を去るようなことになったら、理恵子は、歌詞の通り本当に一人ぼっちになってしまうのかな~。と、病人特有の後ろ向きの思考になり、悲しくなったのであろうと考えた。
秋子さんの以前の強気はすっかり影を潜め、なにかと弱気になり、逢う度に、理恵子の行く末を頼みますと言われ続けている事とあわせ、久し振りに実家に帰るとはいえ、綺麗に髪型を整え、普段より少し厚めに化粧した、その姿がいじらしくも悲しく思えてならなかった。
願わくば、三百六十五夜泣き暮らすことなく、少しでも元の秋子さんの姿に戻って貰いたいと、医学は医学として、運と精神力それに免疫力の向上で、同じ病を経験し、死線を乗り越へてきた者として、この病の本質を知るだけに、精神的苦悩はよくわかり、秋子さんを目の前にして、健太郎も旅の途中とはいえ心が重苦しくなった。
節子さんが、奥羽の故郷に帰って半月が過ぎた今日この頃、それまで一人身の生活に慣れていたものの、夕闇が迫ると空虚さを無性に感じ、花瓶の花も心なしかうなだれて見える。ポチも囲炉裏端で静かにして、時々、健太郎の顔を上目で覗き見しながら退屈そうだ。
几帳面な彼女らしく、毎日夕刻に電話をかけてくれ、互いの日常生活の連絡を話しあい、知人への挨拶廻りや荷物の整理に追われているが、夜、床に入るや新しい仕事のこと、結婚後の生活設計、それに秋子さんの病状等考えると、思いが纏まらないまま眠れない時が過ぎて行くと話していた。
雪国の春の訪れは遅い。
けれども、連休が終わる頃には、短い春が過ぎて一挙に初夏の香りが漂い20℃前後の温暖な日が続く。 空は毎日青く透き通る様に晴れわたり、長い冬篭りの中での欝屈した様々な想念が、青空に奔放に駆け上がって吸収されてゆく心地よさを覚える。 小川も雪解水が溢れて流れに勢いを増し、山々は急に遠くへ退いて、見渡す田をかすめるように、緑のそよ風が早苗を揺らして吹き渡って行く。
街道脇に並んだ松並木の枝も傾きかかって、天蓋のように道を覆っている様は、まるで、日本画の原風景の様だ。
朝、ポチと散歩に出かけて帰ったあと、二階の廊下から見渡す、青空と松並木の姿のとり合わせが、遠くの飯豊山脈の白銀の稜線と重なり、北越後のどかな春の気分を満喫させてくれる。 この待ちわびた春の景色を楽しみに、雪国の人々は、これまで幾星霜も厳しい冬を耐えてきた。
健太郎は遅い朝食後。 縁側でポチを抱き春の山並みに見とれていると、何時の間にか家の前に姿を見せた秋子さんと理恵ちゃんを、ポチが先に気ずき勢い良く飛び出して行き、理恵ちゃんにジャレついた。 理恵子は急いで家を出てきたために、ポチのオヤツを忘れてきてしまい、慌てて知り慣れた健太郎の台所に行き煮干を持って来てポチに与えていた。やはり、このコンビは相性が抜群に良い。
秋子さんは、家に上がると何時もの様に仏壇を拝んだあと囲炉裏の上にすえられた細長いテーブルを囲んで、健太郎にお茶を入れて差し出し、彼女も美味しそうにお茶を飲みながら
「今日は店も休みで、理恵がピアノの練習をしたいと急に言い出したので、私も久し振りにお家を覗きたくなり、理恵子についてきたの」
と言ったあと立ち上がって、節子さんのアイデアを取り入れた改造したキッチンや部屋や風呂場等を一通り見渡した後
「彼女らしく工夫を凝らし、使い易いお家になったわね。これなら彼女も自分の城で、伸び伸びと過ごせるわ」
と、独り言のように呟きながら安心した様に呟いていた。
健太郎は、そんな彼女を見ていて、何年過ぎても後輩を思いやる、彼女の心の奥深さに改めて感心した。
理恵ちゃんは、ポチと遊んだあとピアノに向かい、月末の新入生の歓迎会で下級生の部員と演奏し、全員が合唱することになっている童謡の「花かげ」の練習を始めた。
その間、秋子さんは、現在の体の具合をこまごまと説明し、食欲のないことや体重が元に戻らないなど愚痴ぽく話しだした。
健太郎は、自分の時のことを回顧する様に彼女の表情を伺いながら
来週には老先生親子が検査結果に基ずき診察してくれるので、外見的にはそんなに心配しないほうが良いと思うが・・
前にも話した通り、癌とゆうとマスコミの影響から素人判断で必要以上に悲観的に考えがちだが、確かに死亡率の高い病気には違いはないが、だからと言って恐れおののいても、この問題から逃れて解決する方策はない病気であることは確かだが・・
自分のOPのとき、当時、貴女にも正直に話した通り、今の貴女以上にステージが悪かったが、同一に比較は出来ないが、少なくても僕の場合、一担は死を覚悟し、痛みから逃れるためにホスピスへの入院を真剣に考えたことがあったよ。
そのとき、自分なりに死生観として、普段は、病気になると生から死を見つめる余り、限りない欲望から心が激しく動揺しおののくのが誰しも当然だなぁ・・・。
ましてや、病状から余命半年と告げられたとき、覚悟を決めて真剣に考えた末、逆に病状を直視し死を潔く受け入れざるをえないと観念したものだよ。
その時、死から生を見つめたら気持ちが落ち着き、なんと表現したらよいか、丁度、月の地平線から静かに昇る青い地球を見るように、病気ならずとも寿命には限度があり、これで全ての欲から開放されて永遠の眠りにつけると腹を決めたら、精神的に楽になり、それが結果的に良かったのか、抗癌剤の副作用も余りなく、現在、見ての通りで、アノマリーと言ってしまえばそれまでだが・・・。
貴女の場合、一流の大学病院で診察を受け、これ以上のない治療を受けているのだから、兎に角、無駄な神経は使わぬことだな。
と、静かな声で現状を正しく認識して必要以上に落ち込まない様に慰めをまじえて話しをして、彼女を落ち着かせた。
秋子さんは、これまでの生活ぶりから、人の意見には色々反論して自己主張の強いところがあったが、このたびは、テーブルの上をなぞらえながら彼の話に反論することもなく黙って聞きながら頷き聞いていた。
彼は、彼女が肩を落とし寂しそうな表情をしているのを見てとり、精神的に大部弱っていることが気になった。
何よりも、薬の副作用と思うが、体重の減少と食欲のなさが、病状が進行していると素人ながら気になった。
彼が話し終えると秋子さんは、幾分なりとも気分が落ち着いたのか、お茶を一口のむと
「ところで先生。もし、節子さんが貴方の前に現れなかったら、ご自分の老い先をどうするつもりだったのですか?」
「今更、こんなことを言ったらおかしいと思われるかもしれませんが」
「わたしは、わたしなりに自分勝手に貴方との暮らしを想像していたんですよ・・フフッ」
「理恵子なんて、貴方を父親の様に思っているみたいで、この間なんて突然、小父さんと一緒に暮らすことにしたら・・。なんて言い出し・・」
「あの子は思いやりから慰めのつもりで言ったのかも知れないが、それにしても、わたし達の雰囲気から自然とそう思って口にしたのでしょうが・・」
と話し出し、健太郎の顔を見つめて苦笑いしながら
「ありえもしない、そんな生活を勝手に思いめぐらして、今迄度々お邪魔して自分の好きなように掃除や片付けなどをしておりましたが」
と、これまでの生活のありようを説明した。
健太郎は、彼女の突然の話に対し答えに窮し、思い浮かぶ侭に気安く我が儘一杯にさせてもらったことに感謝して頭を垂れ、その先のことまで深く考えていなかった旨弱々しく正直に答えた。
彼女は、その先の言葉を心に秘めてか
「人生、縁が薄いと言うことは悲しいことですね」
と、うつむいて小声で呟いていた。
黙って聞いていた健太郎も、彼女の心情を薄々と感じていただけに、お互いに思いもよらぬ切ない思いを心の底に残した。
健太郎は、この先どの様なことがあっても、秋子さん親子は出来うる限り暖かく見守り続けようと心に誓った。 勿論、節子さんの理解と協力を得て・・。それが自分達の幸せにつらなると確信した。
丘陵の麓に広がる林檎畑に白い花が咲き乱れるころになると、小川のほとりの猫柳も芽吹き、山里にも一年で一番美しい緑萌える季節が確実に訪れる。
新しい生活の準備に追われた日々も、どうやら一段落してそれなりに落ち着き、節子さんも久し振りに実家に帰ると言うので、奥羽も越後同様に雪深い土地なので、幸い小雪の年とはいえ、道路事情を考慮して列車を利用することにし、健太郎は車で彼女を駅まで送り、その帰り道に気になる秋子さんの家を覗いてみた。
裏口を開けると、日曜のため、理恵ちゃんが元気良くニコツと笑いながら顔を出し
「おじちゃん こんな早い時間に来るなんて、どうしたの?」
と尋ねるので、節子さんを駅まで送った帰り道で母さんの顔を見にきたと告げると
「あら そうなの~」
「本当は急に寂しくなったから、話し相手を欲しくて、かあさんの顔を見にきたんでしょう?。かあさんも一人で退屈そうなのできっと喜ぶわ~」
と、二階の部屋に案内してくれた。
炬燵にながまりTVを見ていた秋子さんが、理恵ちゃんの
「おじちゃんが、かあさんの顔を見たいってさ~」「元気をだしてよ~」
と甘えた様に話かけると、秋子さんも意外な突然の訪問に怪訝そうな顔をして
「どうしたの?なにかあったの?」
と奇異に思ったのか驚いて起き上がり、慌ててブラシで髪をなでてから座り直し、彼と向かい合って炬燵に入ったが、5日ほど顔をあわせなかったためか、少しやつれた様な素顔の顔でも、肉つきの良い丸顔で素肌が色白のためか少し青白く見えたが、健太郎の気のせいか目には輝きがあり、花の素顔に悩ましくも上品な色香を感じさせた。
理恵子は、けなげにもお茶の準備をした後、間に挟まる様に炬燵に入り、蜜柑をいじりながら母親達の他愛ない世間話をうつむき加減に聞いていたが、病気の話に移り、健太郎が
「マーゲンクレーブス、なんて難しいことをよくおぼえていたな~」「あんたには関係ないと思うがな」
と話すと、元気な頃の秋子さんに戻り
「それはね、3年前に貴方が結腸癌を手術したとき、わたし真剣に本を読んだり店のお客さんで旦那さんを癌で亡くした人の話を細かく聞いたりして、貴方のことを心配したからよ」
「だけど皮肉ね!わたしが癌になるなんて・・」
と答えたが、健太郎は理恵ちゃんも側にいることだし、余り詳しい話もと思い話題を変えようとしたが、普段、強気な彼女らしく、また、理恵ちゃんにも親子の間で日常それとなく病気のことを話し合っているのか
「ねぇ~、先生。」「先生も、世間では初恋は結ばれないと言われているのに、10数年越に貴方と結ばれる機会を逃がしていた節子さんと、予期しないことから、御夫婦になられることだし、まずはおめでとうと申し上げますが・・」
「これで、亡くなられた奥さんから生活の下手な貴方の面倒を見てほしい。と、頼まれた責任を果たしたのかなぁ。と、ほっと安心しておりますわ。正直に言うと少し寂しい気持ちもありますが、まさか、わたしの後輩の節子さんが貴方の奥さんになるとはね~。人生って本当に不思議ねぇ」
と、しみじみとして話すので、彼は
「いや~、わたしもこの様な人生の巡りあわせを不思議に思っていますが、これも貴女のお陰と感謝しております」
と返事すると、彼女は
「今更、お世辞抜きで、この機会にお話ししたいのですが・・」
「わたし、本当に癌でも、もう覚悟はそれなりに出来ているつもりですが、せめてこの子が成人するまでは。と、それのみが唯一の心配ごとなの」
と言うと、それまで黙って聞いていた理恵ちゃんが、急に険しい顔をして
「かあさん、そんなに心配することないよ」「ね~、おじさん!」「おじさんも、こんなに元気じゃないの~」
と、母親を勇気ずけるので、彼も思いつきで、自分の経験に照らし
「節子さんから聞いたのだが、ステージⅡなら、そんなに思いつめることは、かえって体力・精神力を消耗してよくないよ。むしろ、免疫力をつけるために、食事を工夫したり半身浴もいいらしいよ。なにしろ今は3人に一人が癌に侵されるとゆうし、自慢にならぬが、わたしは貴女もわかる通りステージⅣと診断され医師も諦めた状態だったのにご覧の通りで・・」
と、慰めともつかぬ返事をした。
理恵ちゃんは、私達の話に納得したのか、笑いながら
「母さん、女は恋をすると脳が活性化して、元気がでるらしいのよ?」
と、ませた言葉で母親を元気つけるや、秋子さんは
「まぁ この子ったら親に対しなんて言うことを・・・」「お前、徹君と蒼い恋でもしてるのかね?」
と言い返すや理恵ちゃんは
「ウ~ン。織田君は嫌いでないが・・。恋人かどうか判んないやぁ」
「あの子、時々、炬燵の中で勉強中に、わたしがわかんない~。と、言うと、わたしの足をわざとらしく踏みつけるだよ」
「わたしが、大学を出てもあの子やっと就職して2年目でしょう。わたしを、食べさせて行けないから無理だわ~」
と言い返し
「その恋人らしき徹君が今日わたしの勉強の補習に来ることになっているんで、わたし下に行くわ」
と捨てせりふを言い残して階下に降りていってしまった。
理恵子がいなくなると、秋子さんが少し思案した末に、先程の話を引き継ぎ
「ところで、先生。わたしの別れた亭主に今でも逢う時があるの?」
「あの人は、先生も御承知の通り、店の従業員と不倫して二人で逃げる様に家を出ていつたのですから、この先、どんなことがあっても、理恵子には逢わせないでくださいね」
「あの子は、わたしの妹とはそりがあわないし・・」
「自分勝手なお願いで恐縮ですが、成人するまでは貴方にお願いしたいのですが・・」
と、真剣に話すので、彼も
「良く判っています」「幸い、節子さんにもよくなついているようですし」「お互いに、この病気では万一のことも、年齢的に考えておかなければならないし・・」
と、卒直に考えていることを返事すると、秋子さんも、やっと思いを告げた安心感からか普段の優しい顔にもどつた。
しかし、秋子さんの離婚した彼氏のことは、毎年、彼の求めで一度会うことにしているが、父親としての責任を自覚し、理恵ちゃんが事の是非を分別の出来る歳になるまでは絶対に合わない様に言い聞かせてある。
彼氏も理恵ちゃんのために密かに貯金をしている旨答えていた。 勿論、秋子さんの病気のことは話してない。
病気のことは、いずれ節子さんが帰宅したら、三人で老先生のところに伺い、主治医の診断ともあわせ、治療・療養方針を作ってもらうことにして、私達の式を終えて暖かくなったら、四人で秋子さんや節子さんの故郷でもあり、自分にとつても若き日の思い出が一杯積もった懐かしい、奥羽山脈の懐に囲まれた山と川のある町に旅行しようと約束して、また、暫くの間、人気のない家路についた。
節子さんは入浴後、夜化粧をしたあと掘炬燵に入り、TVニュ-スを見ている健太郎の脇に腰をおろして、リンゴジュースを飲みながらゆったりした気分でいると、こんな時間にめったに鳴らない電話が鳴り、健太郎が彼女と顔を見合わせて出てみると、賑やかな声に混じり居酒屋のマスターの響くような声で
「今。老先生や息子さん夫婦とお孫さんが揃って珍しく店に来ているわ。例のヤンキー娘も交えて今日の参加者で、店は大繁盛でこんなことは、めったにないので、先生(健太郎の別称)も奥さんを同伴してこられませんか」
と、誘いの案内だった。
健太郎は
「それは結構だなぁ。けれども、彼女も初めてのことなので緊張していたせいか、多少疲れている様なので遠慮させて欲しいが・・」
と丁寧に断ると、老先生に電話を代わり
「いやぁ、今日は大成功だった。皆んなも喜んで、また秋になったらやりましょう」
「会場を青い照明にしたので、初心者も気兼ねなく踊り易いと言ってくれているが、それにしてもプラスバンドの演奏が一寸まずかったな~」
と、感想を話されるので、確かに吹奏楽部はダンス音楽など普段練習していないので。と、弁解がましく答えるや、老先生は
「今度、誰もが馴染みの楽譜を2~3取り寄せるので、なんとか生徒の練習に発破をかけて腕を上げてくれ」
と、課題曲中心の部活には無理な注文だが、後日、部員と相談することにして、軽く返事をしておいた。
健太郎がご機嫌取りに、「先生、今日は本当に楽しそうでしたね」と、水をむけると
「う~ん、老いたりといえども心は花盛りだわ」「これが、ダンスの良いところだよ」
「ただ、ステップが下手だと、孫に散々文句を言われたが、孫の手を握るなんて、こんなときくらいだからな~」
と、笑いながら上機嫌で答えていた。
老医師は、節子さんも、正雄とのダンスや会話の様子から判断して、良かったですね。と、健太郎にあいずちをしていた。
彼女は、炬燵に戻ると
「わたし、健さんとダンスをしている最中に、二つのことが頭をよぎり、つい涙を流してしまい済みませんでした」
と、言った後、目を伏せて恥ずかしそうに、小声で、
「菜の花が咲きかけた頃。枝折峠でお逢いした後、こんなにも早く思いが遂げられるとは夢にも思っていなかったのに、いま、こうして自然な気持ちで貴方と話しあえるなんて、嬉しさで胸が一杯だゎ」
「高校卒業後。 貴方への思いを断ち切るために、故郷を後にして東京に出て行くときは、本当に先が見えず心細ぼそかったゎ」
と、これまでの二人の間の心の流れを振り返って、当時の寂しかった心境をしみじみと話した。
ところが、急に顔を曇らせ、ダンスの途中で秋子さんの病気のことが心配になり、色々と思いあぐねて踊っているうちに、嬉しさと悲しみが入り混じり、涙を流してしまったいきさつを語りはじめた。
彼女が、慎重に言葉を選びながら話したことは
秋子さんが、診療所に入院して以来、毎日付き添いに通っていたころの夕方。 帰り支度をして挨拶する私に対し、秋子さんが急に涙を流して、私の手をとりベットに引き寄せ
「節子さん、わたしの話を聞いてくれます?」「私、散々考えたあげく、貴女だけに是非聞いて欲しいの・・」
と、普段、あの強気な秋子さんが瞳だけは黒く鋭く光らせながらも声は力なく言うので、わたし、直感的に何か大変なことが彼女の身辺に起きているのかしら。と、不安に思いつつも「いいわ、わたしでよければ・・」と、返事をして、再度、彼女の枕元に椅子を近寄せて腰を降ろすと、秋子さんは意を決した様に
「わたし、きっと癌だわ!」
「先生は、一応生体検査をしておりますが・・。念のために薬を出しておきます」
「検査結果次第にもよりますが、或いは大学病院に転院するとなっても、病状と病院の都合で一時帰宅していただきますが・・」
と話したあと、彼女は「出来たら自分のカルテを見てくれませんか」と、懇願する様に頼むので、「他人はカルテは見れないことになっているのょ」と答えて慰めたあと、「何故そんなことを自分で決めてしまうの」と、聞くと、秋子さんは
「前に本で読んだり、店のお客さんから聞いたことがあるので覚えているが、朝の回診のとき、老先生と正雄医師が会話の中で小声で<マーゲン・クレーブスの疑い十分だな~>と話あっているのを聞いてしまったの」
と、病名を答えるので、わたしも驚いてしまい、まさか、そんなことがと思いつつも、秋子さんの涙に誘いこまれて泣いてしまったゎ。と話し、続けて、秋子さんが
「どうも、近く大学病院に移された後手術をするらしいの。わたし、すでにその覚悟はできているゎ」
「若し、そうなったとき、それなりに先行きのことは覚悟はしているつもりだが、自分に万一のことがあったら、理恵子が成人するまで貴女に面倒を見て欲しいの・・貴女しかいないゎ」
「店のことは別に考えているが、あの子は私に似て表面は強気な反面、内心は気が弱く、それに人見知りが激しく、それだけに、あの子のことだけが心配で眠れないの」
と悩みを告白したと、更に、わたしにとっては衝撃的だったことは
「あの子の父親のことは、いま、正直に話しますが、離婚の理由は健さんが全て知っていますし、いずれ時期が来れば、彼があの子に一番良い方法で解決して下さる。と、貴女が彼の前に現れる以前から、健さんとそれとなく話し合いをしたのよ。 また、逆に、若し健さんが具合が悪くなったら私が面倒をみてあげるから。と、冗談交じりに話しもしていたこともあったわ」
「でも、貴女が健さんと御夫婦になられることになり、人の因縁って不思議だわねえ」
と、秋子さんに話されて、わたし、彼女の告白を思いだして、悲喜こもごも複雑な感情を抑えられず涙を流してしまったの。と、ダンス中に涙を零した件をしみじみと説明した。
そして、付け足すように
「この話しを、いつ貴方にすればよいのかと、帰り道歩きながら随分悩んたが、この様な大事なことを何時までも私の胸に秘めているとゆうことは、私達を含め理恵ちゃんにもよくないと考え、いまお話したのです」
とも話した。
健太郎は、自己の体験から、秋子さんが例え本当に癌であっても、一時退院して会場に顔を出しており、病気のステージにもよるが、このことは後で時間をかけて相談しようと、節子さんにあまり深刻にならない様に話しをして、それよりも節子さんが使い易い様に、彼女の個室や台所等の家屋の改造の考えを話して、六月からの二人の生活のあり方を決めることに話しを移してしまったた。
健太郎にしても、まさか、秋子さんが胃潰瘍であっても、癌の疑いがあるとは思いも及ばなかったので、彼女の心境を考えると、これ以上秋子さんのことについて会話を続ける気持ちになれなかった。
春の連休が終わる頃になると、山里の夕暮れも一時間位延びて、午後5時頃とゆうのに外は明るい。
それでも夕方になると、晴れた日ほど山脈から吹き降ろす風が冷たく、道端の小川の流れも雪解け水を含んで流れも早く、瀬に当たって砕け散る水が夕日にきらめき一層冷たく感じられる。
雪解けの遅い山麓の川端には、早くもフキノトウが今を盛りと黄色く可愛い蕾の顔を覗かせており、心を和ませてくれる。
音楽とダンスの親睦会も楽しく無事終えて、ほどよい興奮の余韻を残しながら、狭い農道を四人が揃って家路に向かって歩き、鎮守様のところで秋子さんと別れるとき、彼女が節子さんを呼び止め少し離れたところで、なにやら二人で話しあっていたが、その隙に、理恵ちゃんが健太郎に対し、会場で話したことが言い足りないのか、再び、話を蒸し返して
「おじちゃん、節子小母さんがダンスをしながら、途中から、おじちゃんの胸に頬を寄せて、なんだか泣いているように見えたので、わたし、驚いてサキソホーンを吹くのを止めてしまつたが、一体どうしたの?」
と言いながら、演奏中に見た様子について細々と話続けた。
理恵ちゃんは、普段、練習仲間で仲の良い隣の徹君が演奏中に、わたしに「真面目にやれよ」と小声で注意し、いきなり、わたしの足の脛を軽く蹴ったので、わたし、気が動転していたのか「五月蝿いわね~」と言い返してやったら、徹君ったら「チエッ!今日のお前は朝からいやに気合が入っているな」「急に大人ぽっくなつて・・」と言いながらも、徹君も吹く真似をして小母ちゃんの方を見ていたが、時々、首をかしげながら「どうしたんだろうな~」と、独り言を言いながら、二人で演奏なんかやめて暫く見とれていた。と、そのときの状況を細かく話してきた。
最も、CD音楽中心で、演奏は伴奏程度なので影響はないが、演奏台の上なのでよく観察できたのかもしれない。
健太郎は、確かに、思春期の子供たちには、皆が楽しそうに踊っている輪の中での、自分達の一瞬の行動は、人々の目に異状に映ったかもしれない。
彼は、彼女の質問に少し戸惑いながらも、節子さんの雰囲気にのまれて高ぶったそのときの感情を説明する必要もなく「いや~、小母さんも久し振りのダンスだから興奮したのかな~」と、お茶を濁した返事をしておいたが、彼女は納得せず「わたし、お母さんにもっと詳しく言ってやろ~」と返事して、怪しげな目つきで「今晩、小母ちゃんをいじめないでね」と言っていた。
入れ替わるように、節子さんが秋子さんとの話が終わったようで、襟首を白い毛糸のストールで隠す様にしてきたので、健太郎は彼女に「なんの話しだったの?」と聞いたら
「寒いので、早く帰りましょう。あとで、ゆっくりと、お話しますわ」
と、少しこわばった顔で返事をするので、そのまま家まで語り合うこともなく帰った。
家に着くや、健太郎がお風呂の準備をしたあと、留守中にきた郵便物の整理や、明日からの株式動向等を新聞を広げて一通り見てから浴場に行った。
節子さんは脱衣場に着替えを用意した後、キッチンで夕食の支度をしていた。
彼は風呂から上がると炬燵に入り缶ビールを飲んでいると、彼女が柔らかいシシャモの焼き魚をつまみに用意してくれたので、早く風呂に入り身体を温めるように促すと「あとからにします」と言いながら、彼の脇に入って座り、今日のダンスの感想を話したあと、秋子さんとの話しに触れ
秋子さんが「もう、お二人は肌をあわせたの?」と、真面目くさった顔つきで、いきなり聞いたので、私ビックリして「いいえ、式を挙げるまで・・。部屋も別々にやすんでおります」と正直に答えておいたら、秋子さんは
「お二人とも、子供でもないのに、なぜそんなに遠慮をしているのょ」
「もつと積極的に、生活を作り上げなさい」「周囲の人達も、あなた方が御夫婦になることを認めているのだからさ」
と話したあと、秋子さんが入院中に考えいたらしく
「式の方は秋子さんが一切とりしきると言って、詳しい内容は近いうちに貴方と相談すると言っていたわ」
「だから式の前でもよいから、健さんと打ち合わせて荷物を運びなさい」
と、わたしの、新しい仕事のことに関係して心配して言ってくれたと説明しながら、彼の顔を見つめて「どうしましょうか」と返事を求めるので、健太郎は「そうだね。仕事を考えると準備は早い方が良いんではないかな」と答えた。
彼女は、健太郎の平然とした顔で答えてくれたことに安堵したのか、軽い笑みを浮かべて
「明日、実家に帰らせていただき、早速、母と悦子夫婦に相談しますゎ」
と機嫌よく答えていた。
夕食後、節子さんは、入浴をすませたあと、再び、炬燵に入り健太郎に寄り添いくつろいでいた。
健太郎は、これまでに断片的に話しをしてきた今後の生活のあり方を整理して再度まとめて話し込んだ。
勿論、彼女の考えも取り入れての具体的な生活説計を・・。
健太郎は床に入ると、自分も3年前に結腸癌をOPして、医師からステージから判断して一般的には医師のマニュアルから5年生存率70%と言われており、そのこととあわせて、あの元気な秋子さんが、まさか胃癌かもと思うと、さぞかしや自分と同じ悩みで色々と悩んでいるんだろうなぁ。と、彼女の心境を思いやり、今、自分に何がしてあげるかと思い悩んだ。
幸いにも、外科手術の助手として豊富な経験をつんでいる節子さんが、付き添いし気配りしてくれる。と、言ってくれているので、その一言が唯一の救いであった。