日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

山と河にて (28)

2023年10月28日 03時51分44秒 | Weblog

 二人姉弟である大助の姉、城珠子は、老人介護施設に勤めてから2年目となり、最初は戸惑った仕事の運びも、入所者の心情を少しでも理解仕様と日々努力したことが実を結び始めてきて、悩みと障害を抱えるお年寄りの人達とのコミュニケーションも、どうやら上手くとれるようになり、職場でも人気が出てきて、それにつれ仕事にも幾分心に余裕を持って臨める様になった。
 そんな珠子の周辺では、永井君との結婚話が秘かに進んでいた。
 彼女は毎日お年寄りを見ているためか、自分が嫁いだあと、一人身である母親の孝子に、将来、必ず訪れる介護のことが時に触れ脳裏をよぎり、確かに結婚するには若すぎる弟の大助と、日頃、まるで親戚同様、お互いが家族的な付き合いをして気心が知れ、実の妹の様に可愛がっている奈緒との交際関係が、自分が望んでいる様に進んでいないことが、唯一、心残りであった。

 都立病院の看護師をしている母親の孝子は、珠子に対して、「大助は大学を卒業して歳相応になれば、家や自分の老後のことは自然に考える様になるので、永井君と生涯暮らしてゆける自信がついたならば、女には適齢期があり相手に望まれているうちが花で、相手に御返事をするためにも、決心がついたら教えておくれ。」と、ことあるごとに言うことが多くなった。
 奈緒は、珠子を真似る様に介護士になるべく、介護の専門学校に通い、課業を終えると、珠子の家に寄る日が以前より多くなり、珠子も仕事から帰ったとき、奈緒の顔が見えるとホットして、その日の苦労や疲れも忘れ、夕方二人で買い物したり夕食の仕度をするのが楽しみであった。
 母親の帰りを待って、三人で和気藹々と食卓を囲んで、明るい話が弾んだ。
 夕食後、奈緒もリラックスした気持ちで、珠子や看護師である孝子の介護現場の話を聞いたり、周囲の人達の噂話の雑談に花を咲かせていたが、その様なとき、何時も、珠子が気を揉んで奈緒に対し
 
 「大助とは、手紙や電話で連絡がとれているの?」
 「皆で山に遊びに行ったあと、大助は私達に、からっきし何の話もしてくれないが・・」
 「奈緒ちゃんが、此処の家にお嫁に来てくれれば、母さんも私も大歓迎で、大助にも、せめて口約束でも良いから、奈緒ちゃんに、はっきりと意思表示をしておきなさい。と、言っておいたのだけれども」
 「ときには強い口調で、まごまごしていて、奈緒ちゃんに、逃げられて悔やんでも、わたし、知らないからね。と、強く言い聞かせておいたゎ」
と、機を見て話を振り向けると、奈緒は途端に俯いて黙り込んでしまい、孝子がみかねて
 「珠子や。奈緒ちゃんに、何時も同じことを言うんでないよ」
 「母さんは勿論大賛成だが、奈緒ちゃんには、奈緒ちゃんの考えもあることだし・・」
と、珠子の話を遮ってしまうが、珠子は、そんな母親に、人の心配も考えないで。と、チョッピリ不満を感じていた。
 その実、孝子も奈緒の母親とは顔を合わせる度に、さして根拠もない「西郷星」になぞらえて変革の願望を込めて、大助と奈緒のことを気にして、互いに遠慮することもなく話あって、二人が一緒なってくれることを、人生の最大の楽しみにしてた。

 厳しい酷暑や集中豪雨の夏を過ぎて、朝晩の風がひんやりと感じられ、時々、澄んだ青空に鰯雲が見られる様になったころ、永井君の母親の熱心な話を受けて、珠子と永井君の挙式の段取りが進んでいた。
 二人の挙式をむやみに急いだのは、プロポーズのときもそうであったように、永井君よりも彼の母親だった。
 少し我侭で軽はずみなところがある一人息子を、安心して任せられるのは珠子さんしかないと思いつめ、彼女の決意が翻ってしまうことを恐れていたからである。

 確かに、珠子が永井君とデートする度に、将来の生活設計の話を持ち出すと、彼は自動車の性能や営業の話には熱の入った話をするが、彼女の問いかけには、彼女が期待することを満足に答えることもなく、彼女も、仕事に生きる男とは皆そうゆうものかと思い、深く気に留めることもなかった。 
 ただ、登山旅行から帰ったあと、以前の様に、機会を見ては、身体を求めることがなくなったのは、自分の言うことを聞いて理解してくれ、浮いた話も耳にしなくなり、それなりに精神的に成長したのかなと思い、彼の素直さが不思議でならなかった。
 珠子が、永井家の急な申しいれに対し、自分も母親と足並みを揃える気になったのは、彼女自身、迷ったり躊躇ったりする自分に愛想ずかしをして、確実に訪れる当てもない自分の描く理想的な生活に目をつぶって、周囲の人達が祝福してくれる今が潮時で良縁かもと考え、目の前の現実的な生活を選択するのが正しいのかなと思ったからである。

 珠子と永井君は、クリスチャンではないが、花嫁が文金高島田に髪を結い、重い衣装を着て、神主の勿体ぶった祝詞で、エスカレーターに乗せられた様に、次々と新夫婦が作られてゆく職業的な神前結婚よりも、教会形式の式を望み、両家の親達も二人の希望を聞き入れてくれ、婚約者の永井君の母親の手配で、知り合いの牧師と相談して、古びたホテルに急造の会場を作り、挙式することになった。

 挙式の準備も、永井君の家の方で手際よく進められ、明日は愈々挙式かとゆう前の夜、珠子は怖い夢を次々と見て、安眠できなかった。 
 荒れた海を小船に乗って漂流し、いつひっくりかえるかと怯えている夢で、目を覚ますと肌に軽く汗をかいていた。
 彼女は、そんなとき、どうしても心から離れない一人暮らしとなる母親の生活や老後のこと、大助と奈緒のすっきりしない交際、それに、今迄親切に付き合ってくれた八百屋の昭二さんに対する未練等を次々に思い浮かべては、この期にいたっても悩んでいる自分が悲しくなった。

 挙式の招待状は、いつも顔を合わせている町内の健太夫婦や六助とマリーに、それに昭二にも届いた。  
 挙式当日の早朝。 昭二が健ちゃんの店に沈んだ表情で現れ
 「健ちゃん、俺、今日は悪いけど欠席させてもらうわ」
と、御祝儀袋に招待状を添えて差し出したので、健ちゃんは
 「俺の力量不足で、お前と珠子さんを結ばせることが出来ず、本当に済まない気持ちで一杯だ」 
 「お前の気持ちを察するに、悲しみは充分過ぎる位に判るが、だが、今日はそれを乗り越えて、是非、恋の戦いに敗れたとはいえ、吉田松陰の辞世に

 ”身はたとへ 武蔵野の野辺に朽ちるとも 忘れおかまじ大和魂”

と、あるように様に男昭二として勇気を発揮して、お前の心の広さを皆に知らしめ、堂々と潔く出席し、彼女の門出を祝ってやってくれ」
 「これは、親友としての俺の心からのお願いだし、それが友人として仲良く過ごした彼女への最大の花むけだと思うよ」
 「また、嫁に行ったとしても、今後もお前の店に買い物に来ることだし・・。お得意様には変わりないしなぁ」
と、如何にも健ちゃんらしく、大袈裟な表現で、昭二を勇気ずけるために励ましているのか、気合を入れて諭しているのか、自分でも判らないくらい声を強めて、無理矢理嫌がる昭二を説得し、昭二もその剣幕に圧倒されて、渋々ながら出席する旨返事をせざるをえなかった。
 健ちゃんの傍らでは、彼の愛妻の愛子が、朝から玄関で大声で話している夫の声に触発されて顔を覗かせ
 「私の様に再婚して大輪の花を咲かせることもあり、人の運命は判らぬもので、悲しいでしょうが、一度躓いたからといって落ち込まず、元気を出してね」
と優しく話しかけて、自らの経験に基ずき、夫である健ちゃんの言葉足らずを補い、一緒になって励ましていた。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山と河にて (27)

2023年10月28日 03時51分14秒 | Weblog

 大助は、奈緒から美代子のことについて聞かれたとき、彼女の胸の中を慮って正直に答えてよいかどうか迷って、返事を躊躇していたので、二人の間に少し沈黙の重苦しい時が流れたが、この際、ある程度のことは正直に話しておいた方が彼女の心の霧が晴れるんでないかと思い

 『 美代子は、家庭内の複雑な事情で、母親のキャサリンの故郷であるイギリスに行ってしまったよ。
 春、別れる時、お互いに、美代子は見知らぬ土地での生活、僕は規則の厳しい大学の寮生活と、夫々が、これからの生活に馴染むまで、連絡は取り合わないことにしようと約束したんだ。
 最も、これは、彼女のお爺さんが、僕達のことを気遣かって好意的に言ってくれたことなんだが・・。
 考えてみれば、若い僕達には当然のことで、目先の恋愛感情に溺れて、大事な勉強がおろそかにならない様にとの気遣いで言ってくれたことと、僕はそれなりに納得しているが、正直寂しさはあるが不満はないよ。
 僕達は若過ぎるし、大学卒業後、果たして自分達の思う様に自立した生活が出来るかどうかは全く未知数で、それに遠く離れていれば、生活環境に左右されて自然と感情が薄れるだろうし、この先、今まで通りの交際が続くかどうか自信がもてないや』 

 と、近況を説明したところ、奈緒は道脇の熊笹の葉をいじりながら
 「そうなの。 孝子小母さんや珠子さんから、ある程度は聞いていたけれども、本当なのねぇ。
  わたし、思うんだけれども、二人が愛し合っていれば、家庭の事情がどうであれ遠く離れていても、美代子さんとの絆は切れることは無いと思うゎ。
 彼女は志の強い人で、その様なことで挫ける人ではないと思うけれど・・。
 わたしも、あんな風になれたらなぁ。と、羨ましく思う時があるゎ」
と、返事をしたので、彼は
 「愛し合っているなんて、大人ぽい難しいことを言うが、普通、人間は生活環境に左右されて、少しずつ大人の目で物事を見て考え成長してゆくんでないか・・。
 それにしても、地図を見てもイギリスはやっぱり遠い国だわなぁ~。まるで地球の裏側だよ。
 例え、将来、彼女と別離することがあっても、それは失恋だと思いたくなく、これまでのことは、だれもが経験する青春のヒトコマで、夢の世界の出来事だったと割り切って考え様と思うんだ」
と話したあと。奈緒の落ち着いた表情を見て
 「人の運命なんて、そんなものじゃないのかなぁ」
 「永い期間、離れて暮らせば、自然と感情が薄れて行き、これは避けて通れない道だと思うよ」
と付け足して答えておいたが、美代子と肌をあわせたことを隠して話したことが、罪悪感となって強く胸を締め付けた。

 奈緒は、表情を変えることも無く黙って聞いていたが、急に、きりっとした顔つきななり
 「大ちゃん、随分、冷たいことを言うのね」
と言ったあと、傍らの熊笹の葉を掴んで、彼の顔を見ることもなく
 「大ちゃんは、そんな人とは思いたくなく、わたしを庇って無理して言っているのがよく判るゎ」
 「大ちゃんが、そお言ってくれる心遣いは正直嬉しいが、わたし、あなた達の迷惑にならない様にしようと、すでに、心に堅く決めたので、今迄通り、お友達でいられれば、それでいいゎ」
と返事をして、彼の顔をチラット見た。
 大助は、彼女が意識的に自分から一歩距離をおいている様に思え寂しい気持ちに襲われて、それ以上話す気になれなかった。
 二人はそのあと、言葉を交わすこともなく、彼女は大助の後ろに付いて坂道をくだり宿に向かった。

 宿に着くと、小母さんが入り口で機嫌よく迎えてくれ
 「六助さんが、外人さんの彼女と生簀からマスを取り上げて、塩焼きを作ってくれているが、二人は、まぁ~なんとも賑やかで、美味しい料理が出来ると思うゎ」
と、笑いながら教えてくれた。
 一同は、温泉で疲れた身体を癒したあと、テーブルに向かい、山鳥とキノコや豆腐の鍋とウドやウルイにワラビ等の山菜料理や天麩羅に加えてイワナの刺身に鱒の塩焼き等盛り沢山に用意された豪華な夕食を楽しそうに、山の感想を語りあいながら箸を運んだが、珠子が隣の健ちゃんに対し声を殺して
 「あの二人は、どうだったのかねぇ~」「奈緒ちゃんに聞いたけれども、何だかパットしないゎ」
と言いながら、大助と奈緒の様子をチラット覗き見たら、二人は喋ることもなく、奈緒が大助の皿に刺身と天麩羅を、人目を盗むようにさりげなく、そっと分けているのが見えた。 健ちゃんは
 「上手いこと行っているのでないか、あの二人は、幼いときから一緒に過ごしてきたので、互いに知り尽くしており急に燃え盛ることはないが、俺の後ろでなにやら真剣に話しあっていたよ」
 「帰ったら、お袋さんに大成功だと報告しておけよ。きっと、大喜びするよ」
 「あんたも、これで心おきなく、永井君と結婚でき、一人の男の哀しさを除けば目出度しメデタシだ」
と親友の昭二を慮って言ったところ、珠子は
 「そうかしら、私のことは余計なことだが、奈緒ちゃんの表情を見ると、女心を理解出来ない大助だけに、奈緒ちゃんが可哀想で心配だゎ」
と答えていた。 
 健ちゃんは、珠子のお酌で上機嫌でお酒を美味しそうに飲んでいたが、皆が疲れているせいか話声も少なくなく沈んでいる雰囲気をみてとり、なんとか話題をと考えた末、過去に経験した、この宿にまつわる夏向きな話題を思いつき

 『 あのなぁ。3年ほど前のことだが、習志野の降下部隊にいたとき、休暇で同僚と二人でこの温泉に来たときの話だが、本当にあったことなんだ。
 そうだなぁ。 時刻は草木も眠る真夜中の丑三つ時に露天風呂に入ったところ、崖ぷちの雑木の小枝に吊るされた薄暗い行灯の下に、妙齢の中肉中背の御婦人が背を向けて腰から上を湯の上に晒して立っていたんだ。
 俺達はビツクリして顎まで湯に沈めて息を殺して見とれていたが、肌の色は蝋燭の様に白く、背筋がくっきりと通っていて湯際の尻は熟した桃の様にフックラとしており、それは男の欲情をそそるほど凄く官能的で、まるで、ミロのヴィーナスの彫刻の像を背面から見ている様だったわ。 
 ところが何時までたっても、こっちの方を振り返らないので、俺達は酒を飲んでいたこともあり湯にのぼせてしまい、それになんとなく不気味に思って、そぅと湯から上がってしまったが、翌朝、再び昨夜の露天風呂に行き、遥か下に清流を望む崖の渕で、幻の彼女の立っていた場所に行ってみたら、その場所は大きい台石が置かれていて湯の深さは俺の膝下位までしかなく浅くなっているんだよ」

 「さぁ~、ここまで話せば判ったと思うが・・」
と、意味ありげにニコッと薄笑いしたところ、直子が
 「わたしの顔ばかりジロジロ見て話をしないでよ」「わたしなんて、そんな官能的な女でないゎ」
 「お酒を飲んで温泉に入ったために、日頃、頭の中に潜んでいる願望が幻想となって見えたのじゃないの?」
 「枯れ尾花をお化けと間違って見るように・・」
と言ったところ、健ちゃんは真面目な顔になって
 「いや、そうじゃないんだ」
 「その朝、食事のあとで宿の小母さんに、そのときの話をしたら、小母さんは宿の評判にかかわるので、その話は決してよそで話さないでおくれ」
と厳しく注意されたことを話したあと、続けて
 「内緒話だが、小母さんが言うには、数年前、大学の山岳倶楽部の若者が冬山登山に来たとき、その中の一人が雪崩で命を落としたことがあり、その恋人が悲嘆にくれて彼の後を追って自死したらしく、その霊が彼を慕って恋しさのあまり現れると言うんだ」
 「愛し合った女性の宿業は恐ろしいもんだなぁ」
と話したところ、今度はマリーが
 「病院でもそれに似た話を聞いたことがあるゎ」
と話すと、健ちゃんは皆の表情を見て
 「まぁ、そんなに深刻にならんでもよいわ」「山や海には色々と神話的な話があるもんだよ」
 「ところで、今晩は十五夜で、食事後、小母さんが座敷で山の神に祈祷するので、俺達も今日の登山が無事に過ごせたことを神に感謝して、一緒にお参りさせてもらおうよ」
と話を締めくくった。

 六助は、ビールのコップを片手に、神妙な顔つきで話を聞きながら「少し寒気がしてきたわ」と言いながら刺身や塩焼きを食べていたが、隣のマリーが
 「ねぇ~、私の作ったマスの塩焼き美味しい?。それとも女将さんの作ったイワナのお刺身のほうがいい」
と、いたずらっぽく聞くと、彼は
 「このイワナは養殖物で、脂身も薄く余り美味しくないわ」
と言って、続けて塩焼きをほおばったあと
 「これは塩加減が良く効いていて旨いわ」「合格!」
と、満足そうに言ったので、マリーがすかさず
 「六ちゃん、本当!。初めて褒めてもらったけれど、わたし、魚屋さんのお嫁さんになれるわね」
と、声を上げて喜んだので、皆が、彼等を見ていて漫才みたいで可笑しくなり笑い出すと、六助は急に「うぅ~ん」と唸ってタオルで口を押さえたので、直子が「どうしたの?。大丈夫」と心配そうに声をかけると、彼は「喉に小骨が刺さった」と答えるや、マリーは
 「大丈夫ょ。 私が彼のお嫁さんに合格と、遂、口を滑らせて本心を言ってしまったので、照れ隠しに大袈裟にしているのょ」
と言って、嬉しそうに声を殺してククット笑っていた。
 皆は、そんな二人の滑稽な様子を見て、手をたたいて大笑いした。

 大助だけは姉の珠子の表情がなんとなく冴えなく見えたので、もしやと思い傍らの奈緒の顔を覗いたら、彼女は健ちゃんの話にあまり興味がないようで、普段と変わりない澄ました表情で黙ってデザートのスイカを食べていたので、姉には霧の中での出来事を話してはいないなぁ。と、胸をなでおろして安堵した。
 その反面、もし美代子なら、陽気なマリー同様に、この際、自分の立ち位置を珠子や健ちゃん達にはっきりとアピールする絶好の機会ととらえて、霧の中での出来事を大袈裟に説明したと思うと、母親の仕事を手伝い生活の苦労を多少なりとも知っている奈緒と、祖父の庇護のもとで裕福に暮らしていた美代子との違いは、単に性格的な静と動だけではなく、やはり日本人と外国人の生活環境が自然と齎すものかと考えさせられた。

 夕闇が迫ってきたころ、宿の小母、さんが
 「今晩は、幸いに晴れて、月光が蒼い夜空に峰々を神々しく照らしており、わたしの家では先祖からの慣わしで、山の神々にお参りする日なので、皆さんもよかったら、今日の登山を無事に果たせたことに感謝して一緒にお参りしませんか」
と、村や宿の風習を教えてくれたので、一同は、是非、お参りさせてくださいとお願いした。
 ほどなくして、白い羽織袴の装束で身つくろいした小母さんが、用意が出来ましたと迎えに来たので、座敷に行くと、山に面した幅の広い廊下のガラス戸を開いて、白布に覆われた祭壇の中央に御霊鑑の前に白玉団子とお神酒を乗せた三方を供え、下段にはスイカやトマトそれにマクワウリや茄子と胡瓜等の自作の野菜などを大きい笹の葉の上に並べて供え、祭壇の両脇は新鮮な榊と若いススキの穂で飾り、その前に正座した小母さんが座り、やがて、皆の方をそろうと振り返って
 「みなさん、本日はご苦労様でした。沢山の思い出があったことでしょうが、何よりも無事で登山を終えたこを感謝いたしましょう」
 「二礼二拍手だけ、わたしにあわせ、あとは楽な姿勢で、皆さんが夫々に胸の中で、楽しかったことや苦しかったことなどを思いだして、安全に登山できたことを神に感謝してくださいね」
と言っ一同を見まわしたあと、「みなさん、心を静めるために、深呼吸を二・三度してください」と言って皆が深呼吸を終わると、大助にたいし
 「男衆の中で一番若そうな貴方のお名前はなんとゆうんですか?。背が高く少し頬に髯を蓄え精悍な顔をしており、立派な若い衆ですねぇ」
と、いきなり問いかけたので、彼は虚を突かれビックリしたが、小さい声で「城 大助です」と答えると、小母さんは次に彼の脇に座っている奈緒に「貴女は・・」と聞いたので、彼女もヤット聞き取れるような細い声で気まずそうに「ナオです」と答えた。
 小母さんは、二人の名前を聞くと、にこやかに
 「そんなに恥ずかしがらなくてもいいんですよ。 山の霊がお二人の絆を一層強めてくれたことでしょうね。 恋人同士ですか?。山奥に住む老婆には、滅多に逢えない若い貴方達が凄く羨ましく見えるんですよ」
と、皆の気持ちを和らげるためか声をかけたた。 健ちゃんは、すかさず張のある声で
 「小母さん、そうなるように願って今日連れて来たんですが、正直のところ90%の完成度ですかね」
と返事すると、大助も平静さを取り戻して特有のユーモアで「僕は口下手なので、まぁ、そんなところです」と言うと、奈緒は彼の腿をつねり<よくもそんな心にもないことを神様の前でヌケヌケと言うはねぇ>と言わんばかりの表情で覗きこんだ。
 健ちゃんは、小母さんのそんな問答を聞いていて、なにか全てを見透かしているようで、内心、質素であるが今宵の儀式に畏怖心を覚えた。
 小母さんは、ころあいをみて「それでは、始めましょうか」と言うと、その瞬間から、小母さんの顔は厳粛な表情となり眼光も鋭くなった。

 小母さんは、月光の映える峰々に向かって正座すると、祭壇の蝋燭に火をつけ恭しく礼をして二回拍手をしたあと、静かだが心の奥底に優しく響きわたる音色の鈴を鳴らし終えると、小さい櫓太鼓をリズミカルに打ち鳴らしながら、言語明瞭な朗朗とした声で、ゆっくりと
 「山深き越後の里に生まれてきし、このかた・・」
と長い祝詞を何も見ずに恭しく唱え、最後に
 
 ”幽世の大神守り給え 惟神霊幸倍坐世” 
  <カクヨウノオオカミ マモリタマエ カムナガラ タマチハイマセ>

 と、二回繰り返して真言を唱えて、拍手をして深々と頭を垂れて終わるや、少し間をおいて、彼等に向き直ると、普段の柔和な顔に戻り
 「はい、終わりましたよ」
 「この山頂には、”コノハナサクヤヒメ”と言う女神の神霊が祀られており、若い皆さんを守護してくだされ、これから幸せが沢山訪れますよ」
と祝福してくれた。 
 そのあと、小母さんは
 「私は、近くの村の神職の娘として生まれ、この宿に嫁ぎましたが、主人が数年前に、春先の残雪が残る山で遭難し、遠い世界に旅立ちましたのよ」
と話すと、一同は濃い霧に覆われ雷鳴に畏怖を感じたことを思い出し、厳粛な気持ちになった。
 奈緒は、大助が巧みに表現した霧の中での”魚の接吻”。 彼に力強く抱擁され無心にしがみついたこと。等々、ひと夏の秘められた出来事を思い出して、隣の大助の横顔を見ると、彼は神妙な表情で姿勢を正していたが、その表情から風雨の中の優しい彼と異なり、無精髭が目立つ厳しい顔つきで、なにを思い巡らせているのか察しられずチョッピリ寂しい思いにかられた。


 



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山と河にて (26)

2023年10月24日 06時11分24秒 | Weblog

 皆が黙々として、前を行く組に従い歩いているうちに、雲の切れ間から下界の緑が眺められる様になり、やがて暑い日ざしが照り映え、下からソヨソヨと吹き上げる生温かい微風は、風雨に濡れた身体や衣服を乾きやすくしてくれた。
 マリーは、ちゃっかりと六助に負ぶさっていたが、健ちゃんが大声で
 「もう直ぐ休憩小屋に辿りつくので、そこで服を乾わかし、休んで行こう」
と声をかけて、疲労気味の皆を励ました。 
 山の中腹にある休憩小屋に辿りつくと、荒れた天候も一変して雲一つなく晴れ渡り、夏の陽光が眩しく草原を照らし、薄紅色のハクサンコザクラや白や黄色の名も知らぬ小さな草花が綺麗に咲き乱れていた。
 暑い日差しにも拘わらず、そよ風が心地よく吹いていて、疲れた身体を癒してくれた。

 直子は、健ちゃんの背から降りると、まだ、六助の背から降りようとしないマリーを見て
 「六助さん、重かったでしょう」「マリーさん、離れたくないでしょうが・・」
と二人を冷やかすと、六助は疲れきった表情で
 「このフイリッピン産のクロマグロは痩せていて脂身が少なく、売り物にならんと思うよ」
 「刺身にしてもアジに自信がもてないなぁ~」
と、彼女の我侭と甘えた態度に懲りて、独り言を呟やきながら皮肉を言って降ろすと、彼女は彼の頭をいたずらっぽく軽く叩いて
 「なに言っているのよ」「賞味する勇気もないくせに」「わたし、お魚ではないゎ」
と、小さい声で負けずに言い返していたが、健ちゃんが
 「お前達、お互いに山の神様の御利益でよい思いをしたので、言い争いは止めろ」
と冗談を言って、二人をなだめたあと
 「宿にたどり着くまでに時間もたっぷりあるので、此処で服を乾かして行こう」
と声をかけた。

 奈緒は、皆の笑い話の輪からそっと外れて、大助の背後で
 「シャツを脱いでぇ~、小川で洗うから」
と小声で言うと、大助は
 「いいよ、木にぶら下げて乾かすから」
と返事したが、彼女は彼の白いシャツの胸元をチラット見て
 「いいから脱いでぇ。口紅が付いていると困るので・・」
と言って、袖を引張って無理に脱がせると、小川の淵に行って洗い出した。
 皆は、彼女に攣られるように、夫々が、小川の方に行き、シャツやズボンを脱いで洗い出したが、珠子がシュミーズ姿になった女性群を代表して、少し離れた男性群に向かい
 「わたし達、ヒュッテの中で休ませて貰いますので、貴方達は杉の木陰で休んでいてね。来ないでねぇ。。。」
と叫んで、さっさと小屋の方に女性達を連れて行ってしまった。
 健ちゃん達は、パンツだけの姿になり、洗った衣服を枝に吊るし、彼女達が川の淵に並べて置いた靴と自分達の靴を洗い終えて、石の上に並べて干したあと、木陰の下で輪になって腰を降ろし雑談していたが、六助がいまいましげに
 「チエッ! 背負って難儀した分、ゆっくりと目の保養をしようと思っていたのに、小屋に逃げ込んでしまい、ツイテネェナァ~」
と、冗談ともつかぬ不平を漏らし、大助に向かい
 「女性のあの姿は凄く色っぽく男心をくすぐるなぁ~」「奈緒ちゃんは、一番若いせいか初々しくていいなぁ」
と、やけっぱちに言って皆を笑わせていた。

 直子は、隣合わせて座っている、マリーのシュミーズからのぞいている胸や上腕を見て
 「あなた、素肌が白いのね。肌も艶があって凄く健康的で羨ましいゎ」
 「良い美容方法があったら教えてくれない」
と聞いたところ、マリーは
 「わたしは、赤道直下のフイリッピンで育ったけれども、私の祖父はアメリカ人の軍人だったらしく、要するに、現地人の母親とのハーフよ」
 「特別に手入れなどしていないが、時々、お風呂に薬用の炭酸を少し入れているためかしら・・」
 「血液の循環が良くなって、サウナに入ったみたいに汗をたっぷりかいて、皮膚からも老廃物を出して気持ちもすっきりするゎ」
 「もともと、地肌も黒いし、それに、お給料も安く、高級なお化粧品は欲しいが勿体無いし・・」
と、健康的な白い歯を覗かせて、明るく笑って答えていた。

 珠子は、そんな会話を興味深そうに聞いていたが、隅の椅子に黙って座っている奈緒を傍に呼んで
 「奈緒ちゃんも、子供の頃に比べて肌が白くなったわね」「大助が見たら、きっとビックリすると思うゎ」
と話しかけたら、奈緒は恥ずかしそうに俯いて、上腕を両手で隠すようにしていたが、珠子が
 「奈緒ちゃん。大助は霧の中で、ちゃんと貴女を面倒みてくれたの」
と聞くと、奈緒は
 「雷が鳴って怖かったけれども、大ちゃんは、心配ないよと言って、力強く抱きしめてくれたゎ」
と、小声で答えていたが、珠子が、尚も
 「そぅ~、それっきりなの?」「アイツ、そうゆうところが駄目な男なのよ」
 「わたしが、あとで、よく言っておくから、大助を諦めたりしないでね」
と言って、奈緒の返事が期待に反したのか、少しがっかりした様に答えたので、奈緒は
 「お姉さん、大ちゃんには、なにも言わないで」「彼は必死になって、わたしを濃い霧や風雨から守ってくれたゎ」
と、霧の中の出来事を避けるように言葉を選びながら、やっとの思いで当たり障りなく、はにかみながら答えていた。

 一行は、暫く休憩した後、マリーが携行して来た湿布薬で直子の足を応急措置をすると、健ちゃんは
 「六助と永井君の組は先に行き、宿についたら、一風呂浴びたあと晩酌の用意をしておいてくれ、俺と大助の組は、直子を庇いながらゆっくりと行くから」
と言って、夫々が二組に別れて下山した。
 大助は、健ちゃんに腕を抱えられて歩く直子の後ろから、彼等の様子を見るようについて歩いたが、彼は道中、杖で草叢を払いのけながら、黙って歩いている隣の奈緒に顔を向けることもなく
 「奈緒ちゃん、好きな人でも出来たかい」 「親しい人が出来たら必ず教えてくれよな」
と声をかけると、奈緒は
 「それ、どうゆう意味?」 「そんな人いる訳ないじゃない。判っているのに聞かないで」
 「失恋の苦しみは、もう、懲り懲りだゎ」 「わたしは、恋をする女にむいていないみたいだゎ」
と元気なく寂しそうに答えたので、彼は奈緒の手を握って
 「僕達は、まだ先のことなど、どうなるか判らないので、あまり型にはまることなく、勝手な思い込みで自分の心を縛らずに、今まで通りに、伸び伸びと行こうよ」
 「明日、学校に戻ったら、今度は秋まで帰れないが、気が向いたら手紙でも出してくれよ」
 「学校は携帯電話は禁止だし、およそ色気のない所なので、心を癒す愛をこめてだよ・・」
と言うと、奈緒は彼の問いかけに直接答えることもなく
 「美代ちゃんとの連絡はとれているの」
 「わたし、同年代の女性として、彼女の幸せの邪魔になる様なことはできないゎ」
 「これまで通り、お友達でいいゎ」
 「大ちゃんも、周りの人達の話に振り廻されず、わたしにも気兼ねなく、彼女と幸せになってね」
と、しゃがみ込んで草花を摘みながら、呟くように小声で寂しそうに答えていた。
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山と河にて (25)

2023年10月17日 03時40分08秒 | Weblog

 登るときには天候もよく、それほど苦にならなかった頂上への最後の急勾配の断崖も、下山するときには霧を含んだ風も吹いて岩石がぬれて滑りやすく、皆が、崖に吸い付くように足元に神経を集中して、緊張のあまり背筋に冷や汗を流しながら、一歩一歩足元を確認しながら降りた。
 大助は崖を降りる途中、眼前の奈緒の豊かに丸味を帯びた尻を見て、彼女も立派な大人なんだわと妙に触りたい衝動にかられながら、やっとの思いで登り口の勾配がやや緩やかになった尾根の登山道に降り立った。

 尾根の両側の下方を見ると、すでに霧が渦を巻いて奔流の様に湧き出てきて、左右の下方から吹き上げてくる風を遮るものが無いので、身体に当たる風も強く感じるようになった。
 一息入れて入る間にも天候が瞬く間に急変し、視界は全く塞がれて3メートル位離れた、前を行く六助達の組が見えなくなってしまった。
 雨水に打たれた赤土の小石混じりの道は滑りやすく、脇の熊笹は濡れて掴まりにくく、歩くにしたがい霧と風は益々濃く強くなってきたので、熊笹の葉が風と雨に打たれて奏でる音のみの静寂な霧の中で、最後部の健ちゃんは大声で
 「おぉ~い、危険なので、風と霧が少し途切れるまで、歩行を中止して、周囲の大きめな岩に身を寄せろっ!」
と叫んだので、大助も奈緒の手を引いて背丈ほどの大きさの岩陰に身を寄せた。
 各ペアも同様に、夫々が適当な場所を探して避難したため、話し声が途絶えて、風の音だけの静寂な世界となってしまった。

 大助は、霧の世界を眺め廻していたが、谷底の深さを試そうとでもするかの様に、石ころを拾って二・三回力任せに放り投げたが、なんの反響もなく、白い霧が濛々と渦巻くばかりで、様子を見ていた奈緒が気味悪がって「大ちゃん、止めなさい!」と声をかけたので止めたが、その声が畏怖心をおびてか震えていて、彼の胸をキュンと締め付けるように不気味に聞こえた。
 霧の水滴が大粒になり、皮膚に感じられると思ったら、いつか雨に変わっていた。 
 雨の色とも雲の色ともわからない、薄い灰色の深いひろがりが、海の様に脚下の谷底に口をあけている。と、不気味に思っていた瞬間、霧の中で雷が鳴り、こだまとなって長く響いた。 
 奈緒の呼びかけに強がっていた大助も、次第に大気を真二つに引き裂くような烈しい振動があり、稲妻がジグザグと眼下に鋭く走っているんでないかと想像すると、少し怖くなり身をすくめた。
 
 大助と奈緒は、初めて経験する眼下での雷鳴に不思議な感覚と畏怖を覚え、二人は咄嗟に岩陰に身を潜め、彼は腰を降ろし片足を小さい岩石にかけて踏ん張り、伸ばした足の間に奈緒を抱き寄せようとすると、彼女は少し躊躇したが、無言で強引に引き寄せてだき抱えたが、咄嗟のことで彼女を仰向けにし両腕を肩に廻してしっかりと抱きしめてしまった。
 彼女も、大助の両腿の上に身体を預けて、彼の濡れたシャツの背中を両手で掴み顔を胸に埋め足を海老の様に曲げていた。
 やがて霧は大粒の雨に変わり容赦なく二人に降りかかり、見る見るうちに被服を通り越して全身をぐしょ濡れにし、彼が「大丈夫か」と声をかけると、彼女は「大丈夫だゎ。少し怖いけれど・・」と力なく答えたが、だき抱えられている彼女は時々上半身を小刻みに震わせて、様変わりした環境に怯えているのか顔色も青ざめていた。

 大助は、抱きしめた奈緒の顔が雨に叩かれて濡れているのを見て、首に巻いていたタオルで拭いてやり、彼女も彼の額に粘りついた髪の毛を掻き上げるようにしていたが、その瞬間、彼は奈緒の真一文字に閉じている唇に無意識に唇を当てたところ、雨のにおいがして、それは冷たく燃えるもののないものであった。 
 彼女は顔をそむける様にして「ダメョ ミヨコサンニ ワルイヮ」と呟いたが、彼は構わずに彼女の後頭部に手を当てて顔を引き寄せ、再度、唇を求めたところ、彼女は拒むこともなく素直に唇をあわせ、霧が雨となって流れる水となり一つに溶け込んでいく様に、二人の心は感情をも流して思考が停止し言葉を交すこともなかった。
 彼女は、彼のなすがままに任せて、両手で彼のシャツを握りしめて抱きつき、初めて経験するフアーストキスに慄いたのか目を閉じて身体を硬直させていた。
 奈緒は、時が流れるにつれ、胸の奥深くに秘めて閉ざしていた彼への思慕の想いを、一挙に吐き出したかのように、感情がこみ上げてきて、雨と涙で顔を濡らし小さく嗚咽していた。

 大助は、奈緒の雨で濡れたサマーセイターが肌にピッタリと吸い付いて、胸の隆起がはっきりと見てとれや衝動的にチョコット手を触れても彼女は嫌がることもなく、彼の顔を下から無言で見つめていた。
 大助は奈緒のその表情が、赤ちゃんが、ひたすら生きる本能にかられて乳を飲みながら、無表情な顔で乳房に紅葉のような両手の掌を当てて、二つのつぶらな澄んだ瞳で、この世で唯一絶対的に信頼げきる母親の顔を、無心にジイ~ッと見つめている姿にそっくりであると思いおこし、奈緒の表情がよく似ていると思いながら、彼女が一層可愛いく思えた。
 彼女は、無言で見つめている彼に対して顔をそむけて隠すようにして、蚊の鳴くような小さい声で
 「コレッキリニシテネ」「ダレニモ イワナデョ」
と、小さく呟いたあと、俯いてやっと聞き取れるような細い声で
 「デモ ウレシカッタヮ」
と囁くように呟いて、彼の胸に顔を埋めてシクシクと泣き出してしまった。
 大助は、咄嗟に思いついた特有のユーモアで、彼女の耳下で彼女を安心させるために
 「雨の中での ”魚の接吻” ダヨ」 「勿論、人に言うわけないさ」
 「余り窮屈に考えないで、今まで以上にもっと自由に、あるがままに付き合うことにしようよ」
 「僕は、奈緒ちゃんが、これまで通り好きだよ」
と答えて、再び、顔を拭いてやったところ、彼女も泣くのを止めて顔を少し離した。

 風雨も弱まり霧も薄くなって視界が広がり、皆の姿がボンヤリと見えてきたころ、健ちゃんが
 「ヨ~シッ!、前進だ。 雨に濡れて道が滑り易いので、急がずに足元に注意して歩くこと」
と、霧の中から大声で指図したので、奈緒は大助の後について、雨に叩かれ濡れた熊笹の葉を掻き分けながら、水を含んだ靴を踏んで、ゆっくりと尾根を下っていった。
 奈緒は、歩きながら、美代子さんに悪いことをしたと思いながらも、その反面
  ”ホロ甘い雨の味がするキス”    ”必然性だけに裏ずけられた肉体の接触”
と、次々に思い浮かべ、それは造物主である神仏が、有史以前に生みだした、およそ罪とゆう意識のないもので、 男であり女であることの哀しくも必然的な出来事であり、美代子さんも許してくれるであろうと、自分に言い聞かせる様に考えながら、時々大助の背中を見ながらそのあとに従い歩いた。
 然し、一度は大助に抱擁してもらいたいと、高校卒業後、彼を男性と意識し始めてから思っていたことが、偶然にも叶い、いつのころか、彼を恋人として意識することを消し去ろうと懸命に努めていた心に、再び、火が灯ったように思えた。と、同時に、心の中では胸がときめくような恋に憧れながらも、積極的に彼との交際や心情を素直に表現することが苦手で、つい、控えめな行動になってしまう自分には、この先、心を明るく照らしてくれる、恋が訪れることもなく、青春が過ぎ去ってしまうのかと思うと、悲しく寂しい気持ちにもなった。

 登るときはチョロチョロと水が流れていた谷間の小川も、いまは幾筋もの細く浅い川になっており、白い泡を立てながら勢いよく流れていた。
 流れる水に粘り気を洗われた小砂利は踏むたびにズルズルと崩れて、奈緒の悲鳴を聞いて大助が振り返って見ると、彼女は足元をすくわれて2・3度尻餅をついて、尻が小砂利に擦れて痛いのか尻に手を当てて泣き出しそうな表情をしていた。
 大助は奈緒の傍に行き彼女を抱き上げて「こんなことくらいで情けない顔をするなよ」と励まして寄り添って手をとり小川を渡った。
 彼等の後方でも直子が滑って転倒したのか「健ちゃん~ 助けてぇ~」と叫んでいるのが聞こえた。
 
 谷間に入ると風圧は薄らいだが、雨の激しさが急に身に沁みた。
 服は着ているのだが、身体中水浸しで、肩は勿論、胸や背中、股ぐらなどにも、身体中のくぼみに雨水が容赦なく入り、まるで、裸で歩いているようであった。
 谷間を抜け杉や楢等の林を何度か通り過ぎたところで、風も雨も嘘の様に止んで、足の早い流れ雲の間から薄日さえ漏れてきて、下からソヨソヨと吹き上げる生温かい微風は、身体や服を乾きやすくしてくれ、中腹の草原に近くなるにつれ、下界の緑の展望が眺められる様になり、久し振りに草原の弾力のある緑の土を踏んだ。
 皆は、そこで小休憩中に靴に溜まった水を出して再び下山の道を歩き出したが、直子は途中で滑って足を軽く捻挫したとのことで、健ちゃんが、空のリュックにロープを巻きつけて、縄が尻に食い込まないように配慮して彼女を背負って来たが、皆に合流すると直子は照れ隠しに背負われたまま
 「健ちゃんは頼りになるゎ」「わたし、この様な男気のある優しい人が現れたら直ぐにでも結婚するゎ」
と、彼の胸の前で両手を握って嬉しそうに笑いながら話していた。
 マリーは、その姿を見て羨ましくなり六助に
 「この先、わたしも足が痛いほど疲れたので、背負ってネ」
と甘えた声で話すと、六助は「チエッ!アマッタレテ」と舌打ちしていたが、顔は満更でもないようだった。

 

 

 

 
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山と河にて (24)

2023年10月14日 03時43分27秒 | Weblog

 健ちゃんは、皆が崖淵の方に景色を見に行った後、残ってもらった永井君と草わらに対面して座り
 「今度から、町内会や商店会に積極的に参加してくれるとのことだが、君は頭も良いと言うことだし、人当たりも如才なく柔らかくて、会員の親睦と商店街の発展に頑張ってくれ」
 「町内会は任意団体で法律的な裏付けがなく、纏めるのに苦労もあるが、君なら性格的にも適任だと期待しているよ」
と言ったあと
 「聞くところによれば、珠子さんと結婚するらしいが、彼女とは同級生だろう?。兎に角、おめでとう」
 「俺が口出しするのも、出すぎている様で失礼だが、城(珠子)さんの家族は店のお得意様で古くから親しくさせてもらっているので、差し支えなければ、これまでのいきさつを聞かせて欲しいのだが」
 「君、珠子さんを幸せにする確かな自信があるんだろうな?。極めて当たり前のことだが・・」
 「君の過去のことについては、色々と耳に入っているが、単なる噂かも知れないが、結婚後は、噂と言えども、彼女を泣かせることのない様に俺からも頼むよ」
と言うと、永井君は、健ちゃんの黒々と光る鋭い眼差しを見て、少し緊張した顔で

 「今後、色々とお世話になりますので、健太さんには、正直に話しをしますが、今までは、同級生や取引先で知りあった5人位の女の子と、興味半分でsexプレイをして遊んだこともあり、珠子さんもその中の一人でしたが、これからは、その様な遊びは慎むことにします」
 「僕達の仲間は、皆が、夫々に彼女をつくり、気楽に遊んでいたので、僕も皆と同様に、特別に恋愛感情なんて持ち合わせなく、女性に対する興味から、軽い遊び気分で付き合い、皆、2~3回位sexすると、自然に別れてしまっています」
 「そのことで、あとで女の子に泣かれたり、又、文句を言われたこともありません」
と正直に告白したので、健ちゃんは、彼の正直すぎる返事に、一人っ子で甘えん坊なところがあるなぁ。と思い、ついでに

 「珠子さんとは、何時ころから、どの様な動機で交際を始めたんだい。彼女にきちんとプロポーズしたのかい?」
と聞き返すと、彼は額に手を当てて、少し思案したあと、重苦しい口調で
 「珠子さんとは、高校生時代2~3回遊んだが、高校卒業以来は逢ったことも、勿論、遊んだこともありません」
 「最近、急に彼女との結婚話が周囲から持ち上がり、僕も驚きましたが、彼女ならしっかりしており、彼女の心も身体も知っており、他の女性よりずぅ~と好きで、僕にはもったいない人と思っておりますが、未だに、この話が半信半疑で信じられないので、従って、まだ、プロポーズはしておりません」
と、健ちゃんに対する畏怖と恥ずかしさから、青ざめた顔色で答え、更に
 「彼女を幸せにする自信があるか。と、正面から聞かれても・・」「まぁ~、精一杯努力しますと答える以外に、確かな返事は・・」
と、言葉を濁してしまった。 

 健ちゃんは、彼を見つめて諭す様に
 「君達の結婚について、俺が言う立場でもなく、大変失礼だが、生意気ぶって言わせて貰えば、君が幸せを得る反面、影で悲しむ人がいることを決して忘れないでくれ」
 「それと、商工会の役員会の慰労会で、区会議員が君と珠子さんのことを盛んに言いふらしていたが、あの様なことは、君の名誉の為にもさせない方が良いと思うよ」
と、先輩らしく一言注意すると、彼は
 「区会議員の件は、お袋が僕と珠子さんの結婚を焦って、多額の謝礼金を払って頼んだらしく、あとで知らされて、余計なことをしないでくれ。と、母親と喧嘩してしまったが、健太さんも知っていると思うが、お袋は婿とりで、普段、威張っているので、親父も面白くなく外に女を作っているらしく、我が家も内情は、たった三人の家族が内戦状態で大変なんですよ」
 「それだけに、しっかり者の珠子さんに来て欲しいと、お袋の方が僕より熱心なんですよ」
と、聞きもしない家庭内の事情まで暴露して、真面目な顔で話したあと俯いて

 「僕達が結婚した場合、悲しい思いをする人がいることは、噂話で承知しておりますが、恋愛や結婚にはメロドラマの様に悲喜がつきもので、僕なりに、僕の知りうる範囲内の人で、将来、個人的にも、また、商売の上でも、大切な人達には、どうしたら皆が納得して、誰もが心に傷を残さずに、この話が円満に治まり、そして、僕が親に干渉されずに一人前に生活して行けるか、日夜、真剣にその方法を考え悩んでいるんですよ」
 「場合によっては、健太さんにも応援をお願いをするかも知れませんが、そのときは是非力添えを、宜しくお願いします」
と、彼の心情を聞かされて、健ちゃんは、それこそ想定外のことで逆にビックリしてしまった。
 と、同時に、成る程、彼は頭脳明晰で性格も温和であるが、家庭内の事情から推察して、珠子の結婚について、前途に不安な予感が頭をよぎった。

 健ちゃんは彼の話を聞き終えると
 「いや、正直に話して貰って、君の人柄と悩みは良く判ったょ。余計なことを聞いて迷惑かけて済まんかった」
と言うと、永井君も笑顔を取り戻して、互いに握手したところ、永井君が空を見上げて
 「健ちゃん、風が冷たくなって来たようだし、雲の流れも早くなったようだが・・」
と言ったので、彼は上空を見上げていて
 「本当だ、夏山の天候は変わりやすいので、下山することにしよう。皆に連絡してくれ」
と返事して身支度を整えていると、珠子達が集まって来て、彼は女性達に
 「天候が急変する様なので下山するが、風に煽られないように帽子はリュックに仕舞い、スカーフで髪の毛を覆い、首にはタオルを巻いて、何でもよいから重ね着して、登るときと同じペアで、六助組が先頭になり、岩石の崖は濡れているので、足元に特に注意して男性が手助けして、ゆっくりと降りろ」
と言うと、女性達は薄手のニットのカーデガンの上にジャケットを重ね着て支度が整い終わると、彼は「さぁ~、出発だ」と号令を掛けて一行は下山をはじめた。

 最初の急勾配な断崖に差し掛かったとき、各ペアとも、男性が先になって岩盤に這い蹲り、一歩一歩足元を確かめながら降り、後から降りる女性の足元を気遣いながら、その都度「よし。ヨシッ!」と声をかけて降りたが、崖を降りたころで、尾根を渡るように強い風と濃い霧が流れだしてきたので、健ちゃんは
 「風が強まり、霧が濃くなって視界が悪くなったら、大き目の岩石の影で低い姿勢で屈み込み、男性は風上になり身体を利用して、遠慮することなく、彼女に覆いかぶさるように抱きしめて風から守れ」
と大声で注意を与えていた。
 敬虔な信仰者である小柄なマリーは、六助に向かい、胸に十字をきり
 「主よ、六助とわたしを、風と霧から守り給え」
と祈ると、その様子を見ていた他の者達にも一瞬緊張感が漲った。



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山と河にて (23)

2023年10月11日 04時02分51秒 | Weblog

 皆が、お喋りしながら賑やかな昼食を終えると、マリーは六助をせきたてて仲良く手を繋いで池のほうに駆けていったが、健ちゃんは
 「お~ぃ! 池に近ずくなよっ!」「はまったら、底なしの無限地獄だからなぁ~」
と声をかけると、六助は振り返って
 「脅かすなよぅ~」
と真顔で返事をし、興味深そうに覗いているマリーの手を引っぱって、水溜りの周辺から離して崖の方に駆けていった。

 皆が、健ちゃんの言葉にビックリしていると、教師をしている直子が、珠子達に対し
 「健ちゃんは、二人を冷やかして言ったのょ」
 「ポツポツとある池は、”池塘”と言って、ホラッ、尾瀬や火打山でも見られるゎ。高い湿原地帯に出来る、雪解け水等が泥炭層に溜まった沼なのょ」
と説明したところ、皆は、納得して安心していたが、健ちゃんは
 「あの二人、単なる仲良しか、恋愛中なのか、よぅ~判らんわぁ。まぁ、仲良きことは良いことだ」
と言って笑っていた。
 
 皆が、南側の崖のほうに景色を見に行こうと立ちあがったとき、健ちゃんは
 「永井君。一寸、残ってくれないか。君に折り入って話があるんだ」
と彼を呼びとめたが、珠子と直子に大助と奈緒の四人は、六助達の後を追うように南側の崖に向かって歩き出した。

 珠子達は、見晴らしの良い崖のところに来ると、職業柄話好きな、直子が
 「遠くのほうに雲に霞んで富士山の白い峰が見えるでしょう。お天気がよいので青い空と区別がつかないが、下の方は雲に隠れているゎ。左側に見える山は赤城山よ。わたしの故郷はあの麓なのょ。だから、わたし、カカア殿下予備軍ょ」
と言ってフフッと笑って皆を笑わせたあと、直子は続けて
 「今度は右側を見てょ。微かに噴煙を上げているのが見えるでしょう、あの山は浅間山だゎ。そして眼下に広がる平野が関東平野で、こうやって上から見ると随分広いことが改めてわかるわねぇ~。雲の切れ間にキラキラッと光って見える一筋の河が利根川だゎ」
と、指を差しながら説明していた。
 彼等は、直子の説明にいちいち感心して声も出さずに聞き入り遠景を眺望していた。

 皆が、直子の説明に頷き、景観に感嘆して話し合っているとき、大助は一人で反対側の崖に向かい歩き出し、北側の遠景を腕組みして見ていた。
 彼は、遥か彼方の空に霞んで浮かぶ様に見える奥羽山脈らしき青い山並みを見ていて
 大学入学前の春休み、あの山脈の中にある飯豊山の麓の街で、美代子と二人で、自転車で裏山を走り廻って牧場の乳牛を撫でたり、白樺林の小径を、彼女が長い金髪をそよ風に揺らしながら、自転車を降りて並んで日頃のことを話しながら歩んだこと。 更に、裏山の木陰で草花を摘みながら、互いの進路について話あったことや、街を縦断して流れる河のほとりで、無邪気に戯れて遊んで過ごしたことなど、二人が記した美しき青春の暦の数々を想い出していた。
 勿論、大学進学後、彼女に突然呼ばれ最後に訪れて、家庭の事情でイギリスに旅立つことを知らされた日の夜。彼女を初めて抱きしめたことも鮮明に想い出していた。
 彼女は家庭内の複雑な問題など悩みを抱えながらも、そんな苦悩を微塵も表情に出さず、彼女が描く未来の夢に向かって、ひたすら純真に自分を慕い、情熱を滾らせて夢を実現しようとする目的意識の強さ、そのためには肌を許すことを厭わなかった、その夜の出来事が頭をよぎり、別れて一層愛しさが募った。
 普段は、強気で積極的に行動するが、時折、薄青く澄んだ瞳を涙で潤ませ、哀愁の表情を漂わせることもあったが、そんな率直な感情の起伏も、万事に控えめな奈緒と異なり、やはり、アングロサクソン系の血統かとも考えていた。
 そんな彼女も、今頃、何をしているのかなぁ~。と、少し感傷的な気持ちで、懐かしく偲んでいた。
 そして、行けるものなら飛んでいって逢ってやりたいと、涼風にそよぐ草の葉の様に心が揺らいだ。

 大助が、賑やかな話声が聞こえる後ろを振り向くと、珠子達三人が自分の方に、手を繋ぎ合って楽しそうに話合いながら歩いて来るのが見えた。 
 彼女等は上着を腰に巻いて揃って白いシャツに首に色とりどりののスカーフを巻いていて、まるで、航空会社のカウンターに並ぶ受付嬢を連想させた。
 彼は、何時も自分に対し喧しく文句を言いながらも面倒を見てくれた姉も、永井君のお嫁さんになるのか。と、彼にしては昭二さんと結婚するものと思っていただけに、その意外性に呆然として見とれていたが、彼女等が傍に来ると、珠子は奈緒が傍にいるのもかまわずに、大助に対しいきなり
 「大助っ!。奈緒ちゃんを連れてこないで、何をしていたの?。可哀想じゃない」
 「姉さんには、あんたの胸の中が透き通るように見えるゎ」「でも、駄目なものは駄目なのよ」
 「美代子さんとは条件が絶対に合わないことは判るでしょう。長男と長女同士だし、職業は勿論のこと、全ての面で無理だわ」
と少し険しい顔つきで話しだしたので、大助は
 「姉ちゃん達女性軍が楽しそうにしていたので、僕は遠慮してここにきたのさ」
と咄嗟の思いつきで答え、ついでに    
 「こんな素晴らしい天空の世界で、勝手な想像をするなよ。美女の香りがプンプンと漂うので避難して来たんだよ」
と話題をそらそうと冷やかし気味に話題をそらそうと答えたが、珠子はなおも執拗に追及の手を緩めず
 「お世辞は言わなで・・。奈緒ちゃんと一緒になってくれれば、わたし、家や母さんのことを心配せずに、安心してお嫁に行けるのだが、あんたが煮え切れないので、ただそれだけが気がかりだゎ」
  「ねぇ~、真剣に考えてょ。母さんも良く聞いてきてきなさい言っていたゎ」
と問い詰めると、大助は今度は真面目に
  「それこそ、姉ちゃん、自分中心の勝手な言い分だよ」
  「その話はマダズ~ト先の遠い話しだし・・。それに、美代ちゃんはイギリスに行ってしまったし、どうなるかわかんないや」
  「それに、奈緒ちゃんだって、自分の人生を選択する自由があるんだよ」
と答えると、珠子は
  「あんた、奈緒ちゃんの気持ちがわからないのかね。何時も大事な話しになると掴みどころのないことを言うので、全く、じれったくなるゎ」
と痺れを切らして聞くので、大助は
  「姉ちゃん、この様なところで話すことではないが、姉ちゃんがしつこく話すので、僕も意見を言わせてもらうが、僕は結婚はお互いの意志の合意でするもので、相手の家柄や職業それに相手の両親と一緒になるもでなく、それなのに嫁いだ後は自分の親より先方の親の面倒を見るなんて・・。そんな古臭い風習、僕には理解できないわ」
  「美代ちゃんの祖父や母親のキャサリンは、家業や自分達の老後のことは考えずに、二人が良く考えて自分達の人生を考えなさい。と、口が酸っぱくなるくらい言い続けているよ」
  「僕も、外国の人はやっぱり広い目で若い人達を見つめているなぁ。と、感心しているんだ」
  「だからといって、両方の親を面倒見ないといっている訳ではないんだから誤解しないでくれよ」
と言い合っていると、奈緒は珠子の説得を聞きかねたのか、珠子の袖を引いて
 「珠子姉さん、もう、そのお話やめてくれない」
 「わたしのことを思ってくださることは、本当に嬉しいんですが、大ちゃんの言うとおりだし、それに、わたし、もう、心に決めたことがあるの」
と姉弟の会話を、少し寂しそうな表情をして、静かな口調でやめさせた。
 
 珠子の話を引き継ぐ様に、直子が
 「珠子さんのお話も最もだが、わたしが、アラサーに近いからといって、珠子さんの結婚に嫉妬する訳ではなが、今は価値感が大きく変わり、”断捨離”とか、威張らず・頼らず・手に職の”三低”とか言って、昔の”三高”と違い、結婚の条件も様変わりして、人生の可能性を自由に追求する時代になったと思うゎ」
 「勿論、自己責任でねっ!」
と言って、珠子に気兼ねしつつ大助を庇い話を引き取った。
 珠子は、感情の高ぶりと家や母親を思う焦りから場所を弁えず、大助を説得したことを悔やみ、健ちゃんが傍に居てくれれば、大助の未熟な理屈をなんとか押し返してくれると思うと、自分が情け無くなって、それ以上話すのをやめてしまった。

 大助は、遥か遠くに霞む青い山脈に向かって深呼吸をすると両腕を広げて大声でオ~イッと声を張り上げて叫んで、解決の見えないモヤモヤとした気分を鎮めた。
    
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山と河にて (22)

2023年10月08日 04時07分02秒 | Weblog

 冷えた微風が漂う暗夜の午前3時。
 珠子達女性群は目覚まし時計で起きると、外の井戸端で洗面したあと、各人は昨夜健ちゃんから指示された通りに、宿のお女将さんのお握り造りの手伝いを終えると、部屋に戻って日焼け止めの薄化粧をしたあと薄手の長袖ブラウスにジャケットを着てジーパンを履いて装い、珠子の勧めで首に予め用意してきた色とりどりのタオルを巻き、揃って入り口前に出ると、すでに、男性群は支度を整え彼女達を待っていた。
 健ちゃんは腰に吊るした鉈で小枝を落とし杖を作っており、各人を見ると皆に渡していた。
 彼女等は、男性群は二日酔いで自分達より遅いと思っていただけに、口々に「流石に、男性は違うわね」とコソコソ囁いていたら、六助は彼女達の服装を見て
 「いやぁ~、登山訓練とはかけ離れて華やかだなぁ。 まるで、フアッション・ショウーのようで、これでは本当に婚活の予行練習だなぁ~」
と囃し立てると、すかさず、マリーが
 「若い男女が集まれば、常に婚活だゎ~。ねぇ~奈緒さん、そう思わない?」
と、まぜっかえして答えると、一同が彼女の絶妙な答えに声を上げて笑い出し、出発前の緊張した雰囲気を明るく和らげた。

 健ちゃんが苦笑しながらも、皆を前にして
 「熊は出ないと思うが、蛇はたまに出ることがあるかも知れないが、杖や足で構うことの無いように」
と一言注意し、皆の気を引き締めるために、敢えて自衛隊口調で、自分が先頭になり、中ほどの女性達を永井君と大助が傍らを護衛して、殿を六助が全体を見渡しながら、転倒等怪我をしない様に隊列を組んで進むことを指示したあと出発した。
 健ちゃんは額に装着したヘットライトで細い道を探りながら先導して登り始めた。

 十三夜の月も山の端に沈み、闇夜の空には宝石を散りばめた様に星が燦燦と輝いていたが、静寂な暗い夜道で、頬を撫でる冷えた空気が、彼等を神秘な世界へと導かれて行く様な心境にさせ、誰も声を出すこともなく黙々として前の人に従って進んだ。
 山道から見下ろす朝靄に包まれた村々は、まだ深い眠りを貪っており、健ちゃんが熊笹を掻き別けながら「六根清浄」と、たまに声を出すと、静寂な闇夜を突き刺す様に吃驚するほどバカ高く響いた。
 1時間程歩いて、愈々本格的な登山道の入り口に差し掛かり、健ちゃんは立ち止まって振り返り
 「中腹には休憩小屋がありトイレもあるが、もう1時間位頑張ってくれ」
と声をかけて細く急な山道を進んだが、健ちゃんや大助が道際の熊笹を杖で払い別けるカサカサと聞こえる音以外静寂な闇夜の静けさは格別で、こんもりと繁る杉や雑木林の中を通り抜けるときは、漆を塗った様に暗かった。
 ヘットライトの光に驚いたのか、身近で鳥の慌てた羽ばたきが聞こえたりすると、彼女達の誰かがヒヤーッと小声で悲鳴を発し、その声に反応して彼女達は思わず無意識に互いに身を寄せあった。
 小高い山を超えると、やっと中腹の草原にたどり着き、朝靄のなかに視界が開けて、周囲が見渡せるようになり、早くも穂を孕んだ若いススキの穂先が朝露にぬれて、そよ風に揺れており、皆は、山奥に来たんだなぁ~と実感した。

 草原に輪を作る様に腰を降ろして朝食を食べながら、健ちゃんはマリーの「ロッコン・ショウジョウ」の意味についての問いかけに答える様に
 「漢字では”六根清浄”と書くんだが」
 
 『 ほらっ。日本中の山の頂上には神社や祠があるだろう、これは、日本に佛経が渡来する以前の”雑蜜”と言われていた時代から、山の頂上には祖先の霊が存在すると誰しもが考えて信仰してきた証しなんだょ。
 例えば、越後と羽越の境にある縄文時代の三面遺跡を見学したときの案内人の説明によれば、頭部が太陽の昇る東側になる様に小高い山の上に石を並べた墓が作られており、今度、六助と旅行するとき見学してきてごらん。
 明治以降の神仏習合で、頂上に祀られていた仏が神に代わったが、学説や地域の伝承で多少は解釈が異なる様だが、俺も自衛隊当時山岳訓練の際、先輩からの又聞きで正確なことは判らないが、つまり、簡単に言えば
 人は死後、その霊は50年かけて、その地域の高い山の頂上に向かい歩き続けて、生前の心の汚れを山の精霊で清め、再び、50年かけて生まれ育った故郷に舞い戻って来て、地元の鎮守様の氏神様となり、子孫や農作物を守護すると、信じられているんだよ。
 まぁ~現代のせせこましい世の中では、都会では尚のこと、こんな話も単なる美しい夢物語となってしまったようだわなぁ~。
 ”六根清浄”と言う言葉も佛経から来ていると言われるが、佛経発祥のインド人は数に強い関心を持っており、人の心はそのときの環境に応じて、移ろいやすく、これを戒める教訓として最も卑しい世界を”四羊蹄迷心”となぞらえていた。
 簡単に言えば、四羊蹄迷心の地獄から始まって、餓鬼・畜生・阿修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・如来と十戒あるうちの、最初の六段階を、六根と言って、これを山の精霊で清めると言い伝えられているんだよ。
 言いえて妙で、成る程、昔の人の自然と共生する生活の知恵は素晴らしいと思うよなぁ~』

と説明していた。

 皆は、お盆も近いこともあり、お握りを食べながら健ちゃんの話を素直な気持ちで静かに聴いていたが、マリーは
 「わたしなんか、毎日、患者さんの汚物整理や血まみれのガーゼの交換、そして何よりも辛いのは、患者さんの我侭を、自分の感情を殺して聞いてあげること等で、健太さんの話良く理解出来るゎ」
 「けれども、六助の心の移ろいの激しさは中途半端でなく、なにかいい方法を教えてくれない?」
と口を挟んで健ちゃんを面食らわせ、お握りをほうばっていた六助は言い訳の言葉も思いつかず、肘で彼女をこずき、余計なことを言うなと睨みつけていた。
 その間にも、奈緒は大助の食欲旺盛な様子をみて自分のお握りを一個、彼に無言で顔を見ることもなくソット差し出したら、彼はニコット嬉しそうな顔をして受け取り額の前にかざして感謝の意を示していた。
 姉の珠子と健ちゃんも、その仕草を横目で見ていて、共に願うことは一つで満足そうに笑顔をかわした。

 一行は、身支度を整えると、隊列を組んで頂上を目指して歩き始めたが、途中で直子が健ちゃんに
 「チョット~。もう少しゆっくり歩いてょ。やっと高い所に来たとゆうのに、この素晴らしい景色を見て心を癒すゆとりもないゎ」
と注文をつけると、六助が後ろから来て、健ちゃんの腰につけた革バンドの吊り輪に縄を結んで、その先を彼女に渡し
 「時々、これを引張れよ。調教されているから、上手く速度を調整できるよ」
と言ったところ、健ちゃんは
 「おいっ!六助。おれは競走馬ではないぞ!」
と、強い調子で文句を言ったが目は笑っていた。
 マリーはこれを見ていて
 「直子先生。今から男性を上手に操る練習もいいことだゎ」「残念ながら、健ちゃんは妻子もちだが、山の中ではこれくらいのことは、神様も許してくれるゎ」
と言いながら、奈緒の顔を見て
 「奈緒ちゃん!大助君も足が長く歩幅が広いから、彼の腰に縄をつけなさいょ」
 「一層のこと、この際、このイケメンが余所見しないように、絶対に切れない神様の赤い紐をねっ!」
と、彼女らしく陽気に話して、皆の笑いを誘っていた。

 それからも、小休止をとりながら随分長い時間をかけ、潅木林や草原や谷間を超えて、うねり曲がった尾根の細道を登り続け、最後の山ひだにはいった。
 大きな岩ずたいに両手両足に力を込めて崖を這い登る途中、細々と水が錚々と流れており、その爽やかな音が、下界の感覚を懐かしく呼び覚ましてくれた。
 下界を見下ろすと霞の切れ間に緑の平野が視界に入り、背丈の低い笹薮をわけて登りつめて、予定の時間通りに頂上に辿りついた。
 頂上は、想像していた以上に広く平らな草原となっており、所々に池のような水溜まりがあり、四方を遮るものがなく見晴らしの素晴らしい所であった。
 一同は、頂上の平原に立ち周辺を眺望すると、皆が、山頂の景観と遠くに望むアルプスや噴煙を微かに靡かせている浅間山と近くに見える赤城山の悠然とした山容等周辺の山々や、薄い雲の切れ間にキラキラと光っている利根川が見える下界の景色に心を打たれ、達成感もあり、清々しい気分になって、揃ってワァ~と歓声を上げて手を取り合って喜んだ。
 山頂の涼風は、汗ばんだ身体を程よく冷やしてくれ、健ちゃんを中心に輪となって、湿り気の無い草わらに腰を降ろし、各人が途中の景色や、雲を眼下に見る幻想的な感想、それに崖を登る時にみせた苦闘する互いの姿等を楽しそうに語りあっていた。


 
 


 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山と河にて (20)

2023年10月04日 03時15分03秒 | Weblog

 奈緒は、健ちゃんをカウンターに呼び寄せたが周囲のお客さんが気になり、落ち着いて話が出来なく、二人だけで部屋に入ることに少し躊躇したが、思案の末、奥の居間に健太を案内した。
  健ちゃんも、彼女の部屋に入るのは初めてで、彼女の誘いに一瞬躊躇ったが、奈緒の顔つきから難しい内緒話かと察し、オンザロックを手にして部屋の丸テーブルの前に座ると、奈緒は「真面目に話を聞いてネ」と念を押すと、彼は「少し酔ってはいるが大丈夫だよ」と返事をしたので、彼女は冷えた水を一口飲んだあと、俯いてコップを見つめながら、重苦しい口調で呟くように

 『 実は、一昨日、お店が休みの夜、母さんとお店の飾り幕に刺繍をしていたとき、母さんがいきなり
 「お前、好きな人でもいるのかい?」 と聞いたので、わたしビックリして「いる訳ないでしょう」と答えたら母さんは言いにくそうに、この前、大助君のお母さん(孝子)とお茶を飲みながらお喋りしていたとき、孝子さんが
 「奈緒ちゃんが大助と一緒になってくれれば、幼い頃から奈緒ちゃんを大助同様に自分の子の様に可愛いがって気心が通じていて、わたし達は勿論、珠子とも姉妹の様に仲が良く、世間であるように嫁と姑のドロドロしたこともなく、何でもお話しできるので、嬉しいんだけれどもねぇ~」
と言っていたが、母さんも大助なら幼いころからお前とまるで双子の様に一緒に育てられ、相性もよく似合うと思うし、一緒になってくれれば、これまで苦労した甲斐もあったと思うんだけれども、お前の気持ちはどうなの?。と、聞いたので、わたしは、彼には恋人がいるし、とっくに大助君とのことは、所詮叶わぬ恋と諦めているので、母親の期待に応えることが出来ないことで悲しくなり、まともに返事もせずにいたところ、母さんは寂しそうな表情をしたが、それ以上深く聞くこともなく
 「珠子さんも、自動車会社の永井さんと結婚するらしいが、そうなると、大助君は大学の寮にいるし、孝子さんも一人になってしまい寂しいんだろうね」
と言っていたが、わたしは、そのとき初めて珠子さんの結婚話が噂でなく本当なのかとビックリしてしまったゎ。健ちゃんなら判っているでしょう。どうなの?』

 と話したところ、健ちゃんは「なにか簡単なおつまみをくれないか」と言うのでカマンベール・チーズを出してあげたところ、彼は
 「う~ん、やっぱりそうなのか」「俺も薄々とは耳にしていたが・・」
 「まぁ~、珠子さんも大人だし、それなりに考えて永井君との結婚を決意したんだろうな」
 「幾ら親しい友達でも、こればっかりは、俺も口出しできないわ」「俺は賛成できないなぁ」
と、がっかりした様な顔つきで溜め息をついた。
 奈緒は実の姉の様に慕っている珠子さんが、確かにイケメンに見えるが何処かひ弱な感じのする永井君に奪われるようで心が落ち着かず、何時もの健ちゃんらしくない中途半端な返事が不満で「健ちゃん、本当にそれでもいいのっ!」と語気を強めて、彼の顔を見つめたところ、彼は水割りを飲みながら時々奈緒の顔をチラット見ては、苦々しい顔で

 『 そう言えば、思いつくことがあったなぁ。 それは、この前の町内商店街の会合に、普段は顔を出さない永井君が珍しく顔を出し、会議後の慰労会に移ると、彼は皆に愛想よくお酌をして廻り、そのあと「今後は、役員会に毎回出席致しますので・・」と挨拶していたが、俺も車のことではお世話になっているので、是非、商工会の発展のため出席してくれと無難な返事をしておいたが、その時、こともあろうに昭二のいる前で、区会議員が選挙話にかこつけて
 「永井君も、近いうちに城(珠子)さんと、結婚する運びになったが、君達青年部の諸君も、今後とも仲良くしてやってくれ」
と、場に似合わない可笑しなことを言っていたが、今、奈緒の話を聞いて、あのとき、それとなく根回しをしていたのかと思いだし、区会議員のおっさんも、永井自動車とどんな関係があるのか知らんが、良くやるわい。
 永井君も、学校時代、成績もよかったらしいし、仕事熱心で、性格もおとなしそうで、珠子さんにとって悪い話ではないとも思ったが、ただ、彼女に熱を入れていた昭ちゃんが気の毒でたまらんわ。』

と言ったあと続けて
 実際、その晩、慰労会の途中で昭ちゃんに裏口に呼び出されて
 「お前は親友として不甲斐のない奴だ!。見損なったよ」
 「俺は最後までお前の仲立ちに期待していたが、これで全て終わってしまったわ」
と言うなり、俺に、いきなり往復ビンタを食らわせたが、俺も自分なりに昭二と珠子のために随分と努力したつもりだけど、結果が出ないことには言い訳も出来ず、昭ちゃんの心中を思えばと、両手の拳に力を込めて握り締め仁王立ちして、昭ちゃんの気が済むようにと為すがままに殴らせたが、あの時は流石に痛かったわ。 
 昭ちゃんも、余程頭にきたらしく、男泣きしていたよ。
 だからと言って永井君を攻める理由は俺には無いしなぁ。全く弱ったもんだ。
と、コップの中の氷を割り箸で掻き回しながら、会合での出来事を思い出して話たあと、急に話題を変えて

 「奈緒ッ!昭ちゃんもそうだが、お前も、俺から言わせれば、大体が控え目過ぎるんだよ」
 「鳶に油揚げ攫われるた後で悔やんでも、後の祭りだ」「もっと積極的にならんと幸せは掴めないよ」
 「あの青い瞳の美代子さんのことなんて、大助が一時的な子供のハシカにかかったみたいなもんだ。いずれ熱が冷めるよ」
 「自分勝手な思い込みで簡単に諦めるな」「恋愛そして結婚は、男と女の人生最大の戦いだッ!」
と話の矛先を変えたので、奈緒は
 「ナニョ! 自分が長い春を凌いで思いが叶い、結婚したからって、人のことを単純に見ないでょ」
と口答えすると、彼は目を鋭く輝かせて
 「奈緒っ!。お前は大助の嫁になれよ!。いや、必ずなるんだっ!」
 「両方の母親もそれを望んでおり、俺は女房の愛子にも二人を必ず一緒にしてみせると宣言しているので、今度こそは意地でも出雲の神様に願をかけてやり遂げてみせるわ。いいなっ!」
と顔を紅潮させて力んで言うので、奈緒は
 「健ちゃん、わたしのことを心配してくれる気持ちは大変有り難いけど、大助君とのことは、それこそ、もう終わったことなのょ・・」
 「それは、大助君は、わたしにとって初恋の人で、中学生の頃から二人で逢う度に心が萌え胸がトキメイたこともあったゎ。けれども、倒々、何も言いだせないまま、片思いで終わってしまったゎ」
 「初恋は稔らないって言うけれど、本当だわね。つくずく思い知らされたゎ」
 「けれども、片思いでも恋は恋よ」「楽しい夢を沢山見させてもらっただけでも感謝しているゎ」
 「勿論、一人で泣きくれたこともあったけれど・・」
と、目を潤ませて話したので、健ちゃんは、慌てて
 「俺は、女の涙に弱いんだ。なにもいまここで涙を零すこともないだろう」
と言ったあと
 「大助を本当に好きなら、もっと勇気を出して大助の懐に飛び込め」「俺も、精一杯応援するからな」
と言って、適当な慰めの言葉が見つからないので、思いつくまま
 「お前もわかっているだろうけど、俺なんか、石の上にも3年と言うが、幾ら頼んでも返事がもらえないので、最後は、彼女の子供を可愛いがって、成るべく時間をとって遊んであげたら、子供のほうが俺になついてきて、遂に、彼女も折れて一緒になったが、正に格言通り”将を射んと欲せば馬を射よ”で、辛抱強く相手に思いを尽くすことだよ」
と自分の話をしたあと

 「近く青年部で恒例の夏山登山の行事をするから、そのときは大助も休暇で参加すると言っていたので、お前とペアになる様に配慮するから、その時、思いきって心の中のモヤモヤを全部彼に吐き出してしまえよ」
と言って肩を軽く叩き「さぁ~、飲みなおしだ。涙を拭いて店に行って歌えよ」と奈緒の手を引いて部屋を出ようとしたが、奈緒は座ったまま動こうとしなかった。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山と河にて (19)

2023年10月02日 01時39分24秒 | Weblog

 珠子は、ベットの端に座らせられた瞬間、真新しい白い敷布を見て反射的に、このベットの上で自分と同様に見知らぬ女性達が感情を無視されて、彼の一方的で単純な性的欲望の対象として弄ばれているのかと直感的に思い浮かべ、嫌悪感から彼の話も耳にはいらなかった。 
 珠子は取り立てて話す気にもなれず、早く立ち去りたいと思っていると、彼の母親がコーヒーカップをのせたお盆を運んできて、彼女の顔を見るると、安堵感から和やかな表情で
  「この子は、仕事はお父さんも驚くほど上手にこなすが、人生で一番大事な結婚のことになると、好きな人がいても、恥ずかしくてプロポーズなんて言えないよ。と、弱気になり、まさか、私が代わってプロポーズする訳なんて出来ないでしょう。と、言っても取り合わないんですよ」
  「珠子さんなら、この子の性格を補ってくれると、私は、あなたを見たときから強く確信して、是非、お嫁さんに来て欲しいと願っているんですよ」
と、永井君の女性関係を全然知らぬげに話すので、珠子は永井君も一人っ子で、裕福な家庭に育てられ、母親もわが子可愛さに、彼の外見上の姿しか見ていないんだなぁ。と、心の絆の薄い家庭なのかなと瞬間的に思い、自分達の交際に先行き不安を覚えた。
 珠子は、無性にいたたまれなくなり、適当な理屈をつけて帰るべく立ち上がり、座っていたベットの皺を伸ばして綺麗に整えて、帰ることを告げると、彼は「車で送ってゆくよ」と、意外にも、あっさりと承諾して車で送ってくれたが、自宅付近で車から降り際に「今日は楽しかったよ」と言いながら擦り寄って顔を近ずけてキスを求めたが、珠子は「家の前だし、悪いけど止めてくれない」と、顔を背けて降りてしまった。

 その夜も、彼とのことが一部始終生々しく甦って想い起こされ、広い家に親子三人で住み、中小企業とはいえ数人を雇用して自動車の修理販売を営み、経済的にも恵まれ、過去の女性関係を除けば、優しい彼の態度と実家に近いこと等を考え合わせれば、彼に嫁ぐことは自分や家族にとって良縁かも知れないかな。と、思案にくれたが、どうしても最後には、彼の女性遍歴が凄く心の重荷になった。
 その様なとき、何時も心の片隅で、彼とは対照的に、普段、町内の青年部で顔を合わせて、自分に好意を寄せてくれ、仕事一筋に生きる真面目で几帳面な、八百屋の昭二君のことを思い浮かべ、一層、悩みを深くして心が迷った。
 珠子は、人に相談することもなく、結論を見出せないままに、結局は仕事の忙しさに紛れて日々を過ごしていた。

 入梅で雨続きの土曜日の夜。 彼女は気分を紛らわせるために久し振りに、ピアノの伴奏で歌えることで、何時の間にか口込みで評判になった駅前の居酒屋を訪ねると、街の商店街の役員をしている健ちゃん夫婦と、鮮魚店を営んでいる六助の店の二階に間借りしているフイリッピン出身の看護師を連れた六助達がにこやかな顔を見せてやってきた。 
 何故か常連の昭二の顔は見えず少し気落ちした。
 午後8時ころになると、店は中高年の男女でほぼ席がうずまり、ママさんも店の趣向を凝らして、照明を薄暗くし天井に吊るしたシャンデリアをつけると、店内が蒼暗くなり、新婚間もない健ちゃんの奥さんのピアノ伴奏で、華やかなカラオケバーに模様変わりした。

 海上自衛隊出身の六助と一緒に来たマリーとゆう名の看護師は、20歳前半位で背丈はそれほど高くはないが、少し黒味ががった艶のある地肌にも首筋辺りが白く、目のクットした可愛らしい、痩身で如何にも健康美そのものといった人で、人なっこく愛嬌のある笑顔を絶やさず、六助に言わせれば、たまに手伝って魚を扱う包丁さばきも上手で、時々、頼みもしないのに積極的に店を手伝ってくれ助かっているとのことだが、彼がどのようにして交際を始めたかは、二人とも笑って答えようとしなかった。
 仲間達も深く聞くこともせず、健ちゃんの想像にもとずく噂話では、六助が海外訓練と親善でフイリッピンのマニラに寄航した際に、見初めて連れてきたのではないかと言っていたが、皆もそうかも知れないと思いこんでいる。
 彼女は、日本に3年間見習い看護師として勤務しながら難関の正規看護師の免許を取得し、病院に勤めているが、英語は勿論のこと、日本語も達者で、歌うときの発音に多少英語訛りがあるが、これが、また、お客さんの評判を得て人気になっていた。
 その哀愁を帯びた歌唱力は、遠い昔、戦後間もない頃、当時有名映画女優の淡路恵子と結婚したフィリッピン人のビンボウーダナオとよくにており、店のママさんも子供の頃好んでレコードで聞いたことを覚えており、懐かしく聞き惚れていた。

 店では、カラオケのオープニングとして、中高年のお客さんのリクエストの多い、西島三重子作曲の”池上線”の歌謡曲が、店が沿線に位置するため歌われるが、時たま、六助の彼女が指名されると、彼女は店の娘である奈緒のドレスを拝借して
 ♪ 終電時刻を確かめて・・・灯ともす夜更けに商店街を通りぬけ
     待っています と つぶやいたら 突然抱いてくれたわ・・・
と思い入れを込めて情感たっぷりに歌詞の詩情を豊かに表現して歌うので、そのような時はお客さんも一緒に歌いだし、店の雰囲気が一挙に盛り上がる。

 奈緒も、お客さんの指名で、彼女が好んで歌う、都内北区出身の演歌歌手である、水森かおりの”釧路湿原”や”松島紀行”を歌って皆に喜ばれることがあるが、彼女の場合、物静かで控えめな性格から、滅多に歌うことはないが、健ちゃんの強引な指名には、店のママさんである母親のほうが折れてしまい、無理に歌わらせられることが多い。

 そんな或る日の夜。 奈緒は歌ったあと、ほどよく酔って至極機嫌の良い健ちゃんに
 「一寸、相談があるんだけれども・・」
と、遠慮気味に声をかけたところ、健ちゃんは大声で
 「なんだ、そんな元気のない顔つきで俺に相談なんて・・」 「片思いの大助のことか?」
 「あいつは、大学に行ってから、益々、お前のことをどの様に考えているのか、俺にもさっぱりわからくなったよ」
と返事をしたので、奈緒は
 「そんな大きな声で言わないでょ」
と、彼の口元に手を当て、か細い声で
  「勘違いしないでょ。わたしのことではないのっ・・!」「珠子さんと昭二さんのことなのよ」
  「お酒に酔っていて、難しい相談は無理かしら・・。 大丈夫?。きちんとお話出来る?」
と、頼りなさそうな顔をして聞き返すと、健ちゃんは声を殺して目だけは鋭く輝やかせ
  「なにッ! 珠子さんのことか・・。そう言えば、今夜は、昭ちゃんの顔が見えないなぁ~」
と呟きながら、奈緒ちゃんに手を引かれてカウンターの席に移った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする