奈津子は、二人が上京以来3ヶ月ぶりに訪ねて来たことを待ちかねていた様に、理恵子のことは江梨子に任せて、台所でアイスコーヒーやら水菓子を用意して部屋に戻ると
「田舎と違い、コンクリートの街は蒸し暑つさが事の外感じられるわネ」「こんな日は田舎が恋しくなるゎ」
と言ってエアコンをを弱めにつけて座ると
「貴女達、お土産なんて無理すること無かったのに・・」
と礼を言いつつも、早速、「戴きましょうヨ」と包装紙を解き「アラッ! 果物もいいわネ」と言って、遠慮気味に少し堅くなっている二人の気持ちをやわらげてから、二人に対しまるで姉さんらしい語り口で
「皆が、病気もせずに逢えたことが、何よりの幸せネ。 慣れない土地での緊張感やストレスは、それぞれにあったでしょうが・・」
と、同級生時代からのリーダー格らしく、頭脳明晰なところもあるが、二人の先頭に立って来た持ち前の陽気で気性の強さで雰囲気を和ませたあと
「一番弱わよわしかった江梨子ちゃんが、今日、お逢いした中では最も社会人らしくなったわネ」
「服装やお化粧も、私や理恵子さんより、断然、先頭を行っているヮ」
「理恵ちゃんは、美容師だけに抜群のスタイルに合わせて、髪型やお化粧はとっても素敵だが、高校時代と同じで、静かで温和し過ぎるる様に見受けられるが、大きな悩みでもあるの?」
と、インスピレーションを働かせて卒直に話し始めると、江梨子が
「奈津ちゃん、お部屋に伺った瞬間、まるで新婚家庭の様に家具や調度品が並べられていて、わたし、ビックリしてしまったヮ」
「実際の生活は、どうなっているの?」 「彼氏が、頻繁に来ているの?」
と聞くと、奈津子は飾り気のない言葉で日常の生活振りについて
貴女達も御承知の通り、内山君は、まだ、医学部3年生で勉強が大変らしいこと。
自分も薬学部のキャンパス内のことしか判らず、共に世間知らずな面があり、それに、どちらも親からの仕送りで生活しているので、人並みにお洒落や観光地を遊んで歩けないが、自分はこれで充分満足して今の生活をエンジョイしているわ。
彼も、月に一度泊りがけで訪ねてくるが、その晩は奮発して少し豪華な外食を楽しんで帰宅後は、勿論、同じベットで肌を合わせて愛を確かめ合うが、周囲には学生結婚している人達も結講いるらしいの。
自分達は、お互いの両親が、将来、私達が一緒になることは承知しているが、正直言って両家とも田舎の小さな医院であるだけに、自分達の収入で生活出来る様になるまでは一緒になることは頭になく、単純に計算しても研修医が終わるまでに、この先6年もかかり、余り先のことまで考えても仕様がないので結婚を焦せっていないわ。
兎に角、今を大事にして、出来る範囲で学生生活と彼とのデートを楽しむことにしているの。
それだけに、人それぞれに考えはあるでしょうが、わたし達は、単にsexは快楽だけでなく、二人の愛を確かめ合うためにも、また、自分達の精神的な生活に必要不可欠だが、その反面、瞬間的な感情に流されて避妊を怠ることのないように神経を使うわ。このことは女性の宿命みたいで、貴女達も良く覚えていた方がよいわ。 今時、価値観も大分変わり生娘での結婚は珍しいくらいで、性も大分解放されているが、ただ、赤ちゃんを抱いての結婚式だけは御免だわ。
ただ、興味半分の遊びは絶対に駄目ょ。 自尊心を傷つけない様に良く考えて行動してね。
と、経験に即した忠告を交えて近況を正直に話をしたあと
「江梨子は、三人の中で、唯一、自分で収入を得ているが、会社勤めは大変でしょう」
と、話題を江梨子に向けて聞き出したので、江梨子は
わたしの場合、小島君と共に母親の敷いたレールの上を、ひたすら走り続けている様な生活で、彼は会社の寮生活だが、この会社はやたらと人間教育が最優先と、社是にしており、そのため試用期間中の彼も、女性の出入りは禁止の寮生活で、寮長が自衛隊出身の人で生活の躾は厳しく、休日の外泊は許可せず、外出も届けて帰寮時間も厳守で鍛えられているが、幸い彼も機械好きで夢中になっており、泣き言もいわず、わたしは助かっているわ。
わたしは、一応営業部に席をおいているが、最初の頃は、先輩の付き添いもあったが、今月からは一人で、大坂や名古屋に出張することがあり、出張先で招待のあと中年の男性から怪しげな誘いを受けることもたまにあるが、社会ってこんなものかなぁ~と、思い適当にあしらっているが、彼が月に一度しか日帰りでしか、わたしの部屋に来れないのが、目下の最大の不満と言へば不満なことだわ。
今日着てきた服も、半額会社負担で、下宿代を払えば特に大きなお金を使うことも無いので、半分は彼に自由に逢えない腹いせに、思い切って高いかなと思うが、服装やお化粧等身の回りのことで気持ちを癒しているわ。 お陰様で会社の人達は、社長の身内であるとゆうことを抜きにしても、皆が親切にしてくれるので、仕事上の苦労は余り感じないが、今時、贅沢かも知れないが、精神的には悲しきOLと言ったところかな。
と言って笑い、続けて少し恥じらいながら
この前なんか、母親と妹の友子が上京してきて、社長が姉の母親に敬意を表して夕方に、高級料理屋に招待してくれたが、座敷に座るや二人して、わたしのお腹の辺りをジロジロ見ていて、友子が
「母ちゃん、まだみたいだヮァ~」
と言ってフゥ~と溜め息をつくと、母親も、険しい目でわたしの顔をチラット見ながら、友子と社長にも口説く様に、元気の無い声で
「本当に、この子ったら意気地がないんだから・・。何のために二人して上京させたのか判んないのかねネェ~」
「この分だと、わたしが老いぼれてからでないと、孫の子守が出来ないんかネエ~。寂しいもんだわ」
と口説いたあと、弟の社長を横目で睨んで
「ヤッパリ わたしが会社に残り、お前が田舎に帰り先祖の墓守りをすれば良かったんだわ・・」
と深い溜め息混じりに小さい声で呟くと、母親を庇うかのように妹の友子までもが生意気にも、
「姉ちゃん!あとがつかえているんだからネ」
「わたしが、姉ちゃんよりも先に結婚して子供を生んだら村中の笑いものになってしまうんだからネ」
と、母親に便上して、わたしが早く妊娠するのを期待しているかの様に言うので、流石に社長も見かねて、会社の方針で小島君が一人前の技術屋になるまでは、我慢してくれと助け船を出してくれていたが、わたしは、何時、妊娠してもいいと覚悟はしているが、世の中は思う様に行かないわ。
と、自分達の置かれている現実的な立場と悩ましい現在の心境を、愚痴を織り交ぜて溜め息混じりに話した。
黙って聞いていた奈津子と理恵子は、江梨子が急に大人びいた考えを披瀝したことに驚いて言葉も出なかった。
何時もは賑やかに食卓を囲む城家の夕食後。
大助は何故かおとなしく疲れた様子で横たわってTVでサッカーを夢中で見ていると、電話の呼び出しに出た珠子が
「大ちゃん 靴屋の彼女から電話だよ」「なんだか声が、元気ないみたいだったゎ」
と告げたので、大助は
「姉ちゃん 彼女だなんて人聞きの悪い言いかたは止めてくれよ。勝手に遊びに来る友達でしかないんだから・・」
と、少し不満げに返事をして億劫そうに立ち上がり電話に出ると、タマコがいきなり興奮した声で
「大ちゃん このお手紙ナニヨッ! 意味がゼーンゼン ワカラナイヮ」
「でも、お爺ちゃんに見せたら、大助も英語で手紙を書く様になったか、たいしたもんだ。と、感心していたゎ」
と言った後、彼女は手紙を巡り家庭内の様子について、お爺さんに意味を聞いたら、全然、ワカラン。と言って、そばにいたお祖母ちゃんに手紙を渡したらチラット見ただけで
「英語が読めれば、靴屋には嫁に来なかったょ」
と言って、お手紙のことで、お爺ちゃんと口争いになってしまい、わたしも困ってしまったわ。と、一気に話したあと
「イッタイ 大ちゃんは、何を書いたのョ」 「珠子姉ちゃんに、あとで読んで貰ってもイイッ」
と、半べその泣き声で言うので、大助はいたずら半分に書いた手紙が騒動の原因になっていることに困惑して返事に窮してしまい
「タマちゃん そんなに怒ることはないョ」 「今度、英語を教えてあげるかサ・・」
「タマちゃんが 中学生になれば自然に判ることなので・・」
「それに、二人だけの秘密なんだから、珠子姉ちゃんには絶対に見せないでくれョ」
と思いつきの返事をしたら、<二人の秘密>と言う怪しげな謎めいた言葉でタマちゃんも気分をなおし、ヤットの思いで彼女をなだめて電話を切った。
大助が再びTVの前に座ると、彼の弁解がましい話を聞いていた母親の孝子が
「大助、タマコちゃんは小学生で真面目な子なのだから、お前、同じ気持ちでからかっては駄目だよ」
と、大助の返事の雰囲気から察して注意したところ、珠子も
「そうョ 同級生の中に好きな人いないんかネ?」 「意気地なし」
と、母親に同調するので大助は
「ミ~ンナ、一山幾らのオンナノコばかりで、付き合うオンナノコなんていないヨッ!」
と不機嫌そうに返事をしていたが、傍にいた理恵子が
「大ちゃん 今にその同級生の中から、大ちゃんの心をときめかせる人が必ず現れるゎ」
「だから、同級生のオンナノコは、大ちゃんの未来の憧れの宝庫ョ」 「普段、仲良くして優しく接することが一番大切なことョ」
「それに、タマコちゃんだって、中学生になれば大ちゃんにお似合いの可愛いく素敵なオンナノコになるかもしれないゎ」
と、大助を懸命になだめていた。
翌日の朝。理恵子は孝子小母さんに
「今日、この春一緒に上京したお友達三人で久し振りに逢うので、夕食は結講ですヮ」
と今日の日程を話して玄関に立つと、孝子小母さんは
「そ~うなの、お楽しみだわネ。何処でお逢いするの?」「余り遅くならない様に、注意して帰って来てね」
と、気持ちよく送りだしてくれた。
見送りに出た大助が、玄関先で
「理恵姉ちゃん 若し遅くなる様だったら、僕に電話してくれよ」
「雪ケ谷なら近いから、僕が迎えに行くから」
と、母親の話を横取りして口添えしたあと、笑いながら、彼特有の冗談や大袈裟にものを言う時の癖である右目でパチパチとウインクをして
「お土産は要らないョ」「理恵姉ちゃんが、どうしてもとゆうのだったら、僕、雷オコシがいいけどナァ~」「無理しなくてもいいからネッ」
と如才なく話をしていたが、 傍らにいた母親の孝子と姉の珠子は
「理恵ちゃん 大助特有の甘えのユーモアなので、本気にしては駄目ョ」
と、大助の肩を軽く叩きにこやかに笑っていた。
理恵子は、池上線に乗ると町並みの景色を見ながら、久し振りに逢える奈津子と江梨子のことを思い浮かべ、おそらくすっかり都会の雰囲気に慣れて日頃どんな服装や生活をしているのだろうか。と、彼女達の顔を思い描きながら思案ををめぐらせているうちに雪ケ谷駅についたところ、先に奈津子のマンショを訪れていた江梨子が、奈津子と二人揃って改札口に迎えに来ており、一番近い自分が遅くなったことが恥ずかしくなった。
理恵子は、昨晩、珠子さんが気を使って用意しておいてくれた果物のお土産を手にして、二人に挟まれる様にして歩き、駅に近い少し古びたマンションの二階の奈津子の部屋に案内された。
実家が医院を経営していて経済的に恵まれているためか、彼女の部屋はまるで新婚家庭の様に家具や調度品が用意され、書棚には通学している薬学部の本が並べられていることに、少なからず驚かされた。
奈津子は高校時代同様に、三人の中では常に先頭に立って自分達をリードしてきた気性そのままに、テキパキとお茶の準備をしてくれ、江梨子は戸惑う理恵子に対し
「理恵ちゃん、遠慮することないヮ」
「奈津ちゃんは、人の面倒を見るのが前から好きなんだら」「あれで、彼女は結構満足しているのョ」
と、相変わらず平然としてお茶を御馳走になっていた。
霧雨のけぶる土曜日の昼下がり。 帰校後、大助は中間試験を何とか終わり、ヤレヤレの思いで廊下で一人昼食後の牛乳を飲んでいると、タマコが訪ねて来た。
大助の様子を見ると
「大ちゃん、寂びしそうな、お昼ご飯ネェ~」
と言いながら後片付けをしてくれて、椅子に座るや
「わたしの、お手紙読んでくれた?」
と、早速、感想を求めて来たので、大助は
「ウ~ン 夕べ読んだよ」
と、物憂げに答えると、タマちゃんは
「なによ、そんな元気のない返事をして・・」 「試験が思う様にいかなかったの?」
「それとも、何か、大ちゃんの気にいらぬことでもあったの?」
と、少し気落ちした顔つきで聞き返すので、大助は彼女に無理に理恵子さんの靴の修理を頼んだ手前、これはシマッタと思い
「僕、試験勉強の合間に読んだが、タマちゃんらしい可愛い文章だったよ」
「返事を書かなければ、タマちゃんに怒られると思い、大急ぎで書いておいたよ」
と言って、昨晩、書いた手紙をタマちゃんに渡すと、彼女は急に機嫌を直して笑いながら
「大ちゃん、ありがとう。今夜、床の中でコッソリと読ませてもらうヮ」
と言いながら、大事そうに持参した漫画本に挟んで仕舞うと、愛用の布袋からチョコレートを取り出して
「コレ タベテェ~」
と、お礼のつもりか差し出した。
大助は、何時もと違い、今日ばかりはチョコレートを貰うことに、ためらいを感じ
「いいよ、何時も貰ってばかりで気が引けるよ」
と言いつつ遠慮したが、彼女は
「どうしたの? 何時もの大ちゃんらしくないヮ」 「勉強して疲れているの?」
と言いながら、テーブルの上に置いておいたら、隣家のシャム猫のタマが、網戸に顔を寄せて泣いたので、彼女はタマを家の中にいれ
「こんな日は来てはだめョ」 「ほら、大ちゃんも元気ないみたいだしさァ~」
と文句を言いつつも、タオルでタマを拭いて抱いてあげていた。
大助が、チョコレートを遠慮したのには、手紙のことが気になったからである。
それと言うのも、大助は勉強の疲れもあるが、小学生のしかもオンナノコに、なんて書けばよいか思案にくれて、真面目に書く気にもなれず、遊び半分の考えで、たまたま、英語の勉強をしている最中でもあったので、面倒臭いこともあり、咄嗟の思いつきで
「タマちゃん、何時もおやつを分けてくれて有難う」
「最近のタマコちゃんは、笑窪も可愛いし、とっても綺麗になったョ」
「きっと、将来は、宮城から西半分の都内では、一番の美しいオンナノコになると思うョ」
と書き出したが、そのあと、アルフハベットのZから逆にAまでを書き並べて、途中に適当にandやofを入れて体裁を整えて、最後にgood nightと書いておいた。
大助にしてみれば、こんないたずらを知らずに嬉しそうに手紙を仕舞い込んだタマちゃんが、読んだあと果たしてどんな気持ちなるだろうかと、一寸、心配になり可哀想にもなった。
雨模様もあり、沈んだ気分でいる大助に、何時の間にか帰宅していた理恵子と珠子が、二階の部屋で時に笑い声を出しながら賑やかに話あっていた。 すると突然、珠子が
「大ちゃん、一寸、部屋に来てくれない」
と声をかけてきたので、大助は彼女等の部屋に呼ばれることはめったに無いことでもあり、何事かと思い元気よく返事して、タマコちゃんと二階に上がると、珠子が
「ねェ~ 理恵子さんの、この服どうかしら、涼しそうでお似合いと思うんだけど、男性の目で見た感想を聞かせてェ~」
と言われ、大助は一目見て、卒直に
「理恵姉ちゃん、色白で全体がスレンダーだし、それになんと言っても、薄いブルーのフレヤスカートの裾から覗いて見える均整のとれた長い足がとっても艶けがあり、魅力的で凄く似合うョ」
「切角だから、僕の感想と言うか希望を言わせて貰うと、上着のフレアーの刺繍もよいが、もうちょっと、胸の谷間が覗いて見えるほうが、いいんじゃないかなァ~?」
と、真面目くさって言うと、理恵子が
「わたし、その様な服は、一寸、恥ずかしくて着れないゎ」
と少し赤くなって返答すると、珠子が険しい顔つきになり、燃える様な黒い瞳で、睨みつける様に
「大ちゃん、あんた雑誌のグラビヤの見すぎョ」
「どうして、中学生らしく素直に感想を言えないの」「もう、いいゎ 下に降りなさい」
と文句を言いだしたので、大助は
「なんだョゥ~ 人を呼びつけておいて・・」 「僕、男性として正直に感想を言ったのに・・」
「姉ちゃんは、理恵姉さんの美しさに、やきもちを焼いているんだろ~ッ」
「大体、姉ちゃんは発育不全で、表も裏も区別がつかない様な胸では、比較の仕様がないからナァ~」
と捨て台詞を言うと、一緒にいたタマコが
「大ちゃん、そんなことを言うと、また、珠子姉さんからお仕置きを受けて熱がでるわヨ」 「わたし、知らないからネ・・」
と言いながら大助の頬をつねった。
その後、タマコちゃんは後難を恐れてか、猫を抱えて
「わたし、今日は帰るヮ」
と言い残して階下に降りていってしまった。
大助も、今日は昼から気分が冴えず、タマコちゃんを玄関で見送ったあと、自分の部屋に戻り寝転んでしまった。 試験の出来具合も気になっていた。
初夏の爽やかな風と陽ざしが、柔らかい濃緑の芝生に流れて照り映えている夕方。
大助は、鉢巻をして鞄を枕に横たわり、中間試験に備えて英語の教科書を開いて復習していたところへ、庭先の垣根を音も無く開いて、タマコちゃんが「大ちゃん、いたぁ~」と声をかけながら、涼しげな水色のミニスカート姿で、手には愛用の布袋と漫画本と、それに靴箱を入れたビニール袋を提げてやって来た。
彼女は、大ちゃんの脇に足を横に崩して座ると、彼の読んでいる教科書を覗き込んで
「アラッ 今日は本当の英語の本なのネ」 「今度はお姉ちゃんに見られても叱られないわネ。よかった~」
と言いながら、早速、漫画本に挟んだ白い封筒を出して大助の顔の上に差出し、恥ずかしそうに俯き加減に
「ハイッ! 約束通りお手紙を書いてきたヮ」 「夕べ遅くまでかかって、お母さんに見つからないように書いたの・・」
「珠子姉ちゃんに見られないように気をつけて読んでネ」 「読んだら感想文を書いて、わたしに必ず返事を書いてョ」
「大ちゃんが、うっかりして、そこいらに出しっぱなしにしておくと、わたし恥ずかしいから大切に仕舞っておいてョ」「必ずョ。 ワカッタワネ!」
と、用心深そうに念を入れて言うので、大助は教科書を放り出して彼女から手紙を受け取ると
「エッ! お前、本当に書いて来たのか」 「どうせ作文の練習のつもりで書いたのだろッ~?」
と笑いながら言うと、タマコちゃんは、真面目な顔つきに変わり
「そんなことないヮ」 「だから、大ちゃんも、わたしに対する思いを正直に書いてョ」
と、再度、念を押されて大助は「ウ~ン・・」と唸り絶句してしまった。
そんな会話をしているところに、自転車に乗った八百屋の昭ちゃんが「オイッ 大助ッ!、珠子姉ちゃんおるか?」と言いながら紙包みをだしたので、大助が
「理恵姉ちゃんと二人で、デパートに行って留守だよ」
と答えると、昭ちゃんは
「それならこれを、俺からのプレゼントだと言って渡してくれ」
と言うので、大助は
「昭ちゃん、今度から直球で姉ちゃんに当たれよ。僕を利用してカーブばかりでは三振の山ばかりだよ」
「僕も、何時も昭ちゃんの補欠では面白くないヤッ」
と返事をしながらも包みを受け取ると、昭ちゃんも
「よしっ ヨシッ」「大助コーチ、サンキュウー」
と笑って返って行った。
大助は姉に話すのも面倒臭いので、タマコちゃんに
「これ何だと思う?」「きっとイチゴだよ」「二人で食べヨゥ~ッ」
と言いながら包みをあけ始めると、タマコちゃんは
「アラッ そんな悪いことをするもんではないヮ」
と言ったが、大助は
「イインダヨッ 何時もお前からお菓子を貰っているし・・」
と言いながら食べ始め、タマコちゃんにも手に取って渡してあげた。
二人はおいしそうに笑いながら食べているところに、理恵子と珠子が帰って来て、珠子が二人を見て
「アラ アラッ お二人さん、今日もデートなの、仲が良いのネ」
と声をかけ「わたしも、戴くヮ」とイチゴを一つ手にすると、タマコちゃんは靴入りの袋を珠子に差し出し
「お姉ちゃん、夕べお爺ちゃんに頼んで修理してもらったヮ」
と言うと、大助は、「タマちゃん 凄いなぁ~」と声を上げ「タマちゃん、有難う。お爺さん、怒らなかったか?」
と聞くと、タマコちゃんは、澄ました顔で
「お爺ちゃん、夕べ靴の修理が終わると熱を出して、今朝から氷嚢を額に乗せて寝ているヮ」
「そばで、お婆ちゃんが、何時もオンナを馬鹿にして、やりつけないことをするから罰が当たっのだヮ」
「今度から、女性の物も作りなさいッ!」 「いい気味だヮ」
と、説教していたが、お爺ちゃんは
「うるせい~ッ」「大助にやられたぁ~」
と、小さい声でうめいていたが、わたしは、学校に行ってしまったので、あとのことは判らない。と、祖父母の朝のやり取りを途切れ途切れにも説明したところ、大助は
「エッ! お前、本当に俺から頼まれたと言ったのか?」 「珠子姉ちゃんの名前を言えばよかったのに・・」
「きっと、後から、お爺さんに怒られるナ。 全く嫌になっちゃうョ~」
「あぁ~ 俺も熱が出てきたョ」
と、鞄を枕に芝生の上に仰向けになってしまったが、それを見たタマコちゃんは、大助が本当に熱を出したと思い慌てて、大助の手拭を庭先の水道で冷やして大助の額に乗せ、傍らで
「お爺ちゃんと同じで、頭の中身が可笑しくなってしまったの?」
「わたしを、大切にしないからョ」 「今度から、もっと親切にしてネ」
と、遺伝子の為せる業か、朝、聞いたお婆さんのセリフを真似して大助に語りかけていた。
珠子は、そんなタマコちゃんの仕草を見ていて、可笑しいながらも微笑ましくなり
「タマちゃん、大助の熱はタマちゃんが好きでたまらなく出たのョ。心配しないでネ」
と優しく言うと、タマコちゃんも安心したのかニヤッと笑い、安堵の表情を浮かべていた。
理恵子と珠子が部屋に戻り、靴を取り出すと中に<修理代 無料>とメモが入れられており、それを見た珠子がクスッと笑ったあと理恵子に
「あの頑固なお爺ちゃんは、タマちゃんにめっぽう弱いのよ」 「お礼にイチゴを贈りましょうョ」
と言って、早速、昭ちゃんに電話で頼むと、昭ちゃんは
「アレッ! 先程、大ちゃんに渡しておいたが・・」
と答えたので、彼女はすぐに大助とタマコちゃんが美味しそうにイチゴを食べている姿が頭をよぎり、笑い声で「ハイッ 留守にしていてすみませんでした。何時も有難うネ」と弾んだ声で返事をしていた。
珠子は、腹這いになり興味深々と雑誌を読んでいた大助に忍び足で近寄ると
「大ちゃん、何の本を読んでいるの?」
と優しく聞くと、大助は慌てて雑誌を腹の下に隠して顔を上げもせず
「姉ちゃん、勉強の邪魔をしないでくれよ」
と不機嫌に返事をするばかりで、珠子の求めも無視して、腹の下に隠した雑誌を出そうとせず必死に隠し、何度尋ねてもなしのつぶてで嫌がるので、彼女は益々不審感を抱き業を煮やして実力行使で、大助の背中にスカート姿のまま馬乗りになり何とか雑誌を取りだそうとしたが、大助の頑強な抵抗で取りだせず、二人は遂に取組合になり、一度は大助の背中の反動で足を広げたまま仰向けにかえされたが、再度、本気になって襲いかかり、やっとの思いで雑誌を取り上げて見れば、若い女性の水着姿のグラビア集で
「大助!何が勉強だね。こんな下らない雑誌ばかり見ているから、何時も成績が上がらず、母さんを悲しまさせているんだ」
「もう~、あんたには、ほとほと呆れてしまったわ」
と言って雑誌を破りそうになったので、大助は慌てて
「姉ちゃん、それ友達から借りた本で破らないでくれよ」
と、ふて腐れながら抗議すると、彼女も
「あんたの友達は不良ばかりだはネ」
と叱りながら、雑誌を丸めて大助の頭をポンと二・三度叩き
「今度、また、こんな雑誌を借りてきたら姉ちゃんは、もう今後、あんたの言うことを聞いてやらないからネ」
と言いながら返してやった。
タマコは、大ちゃんが叱られている様子を見てビックリしていたが、一度は取組合の最中に、珠子姉ちゃんが大助の頭を拳骨で叩こうとしたとき、大ちゃんが頭をすくめたので空振りになり、その手がタマコが抱いている猫のタマの顔に当たり、驚いた猫のタマがギャァ~と鳴いて逃げ出し、また、仰向けにされた珠子のスカートの中から覗いた白いパンテイを見て
「珠子姉ちゃんも、わたしと同じ白のパンテイーなのネ」「同じでよかったヮ」
と、見ていた光景を素直に言い出したので、珠子も一瞬恥ずかしくなり顔を赤くして服装をなおした。
理恵子は、二階からその戯れを見ていて、幾ら兄弟でも自分には経験のない光景であり、心配になり庭に下りて行くと、珠子が大助に厳しい口調で
「わたしの言うことを聞いてくれなければ、夏休みに理恵子さんの田舎に連れて行かないわよ。それでもいいの?」
と言うと、大助は、毎年夏休みに家族揃って、理恵子さんの田舎に行き、川遊びや魚採りを楽しみにしているので、これは大変だと考えて仕方なく
「大体、用事ってなんだい?」
と渋々と姉に聞くと、珠子は
「あのネェ~、理恵子さんが靴を修理したいんだけど、わたしや、理恵子さんがミツワ靴店に持って行っても、あそこの頑固お爺さんは断るでしょう」
「そこで、大ちゃんからタマコちゃんに頼んで欲しいのよ、理恵子さんのためにお願いだわ」
と用件を説明すると、大助は、こと理恵子さんのことなら夏休みのこともあるし、何とかしなければと機嫌を直し、驚いて芝生にしゃがんだままのタマコに笑いながら話掛けた。
大助は、タマコに向かい
「お前、俺の何処がいいんだ」「手紙は、まだ、つかないぜ、本当に書いたのか?」
と聞くと、彼女は
「ワカ~ン ナ~イ。。。」「だけど、スキナンヤネェ~」
と、顔を少し紅潮させて俯き加減に、照れ隠しに関西便交じりで答え
「この言い方、TV見ていて覚えたの。面白いでしょう」
と言うので、大助は
「お前、大阪弁つかうんだナァ~」「そう~、言われると、やっぱりお前は可愛いゎ」
と答えると、彼女も嬉しそうにニッコリと笑みをこぼしたので、すかさず大助が靴の修理のことを話すと、彼女は
「お爺さんに、大ちゃんに頼まれたと言ってもいいの」「叱られても、ワタシ知らないわヨ」
と言いながら頼みを引き受けてくれた。
珠子が早速紙袋に入れた靴を持って来ると、タマコは大助の顔を眩しそうに見ながら機嫌よく受け取ってくれた。
大助にしてみれば、やっと商談が成立した安心感から彼女に愛想笑いをなげかけて髪を何度も優しく撫でてやった。
理恵子と珠子は、目的が適いホットして、二人で「タマコちゃん有難う」と言うと、大助は
「今日は、とんだ厄日だ!」
「タマが三匹揃うと、碌な事はないャ」「城家の惨酷物語第一章か!」
と呟くと、珠子とタマコちゃんが口を揃えて
「私達、猫とはちがうヮ」
と、またもや、文句を言ったので、大助は再び芝生に横たわり
「もう~疲れた」「早くどいてくれ」
と姉に言いつつ、タマコちゃんがくれたビスケットを二人で仲良く食べながら、手紙のことを話しあっていた。
理恵子は、部屋に戻ると珠子に対し
「貴女達、兄弟が羨ましいわ」「わたしにわ、望んでも適わぬことだけど・・」
と、溜め息混じりに言うと、珠子は理恵子の立場を思いやり
「いい様な、煩わしい様な気がするときもあるわ」
「大助が、近頃、色気ずいてきて、そのうえ勉強をおろそかにして遊びに夢中なり、一寸、心配の方が沢山あるわ・・」
と珠子なりに弟のことを心配していた。
珠子は、話しついでと考えて
「理恵子さん、織田君とゆう学生さんは、恋人なんでしょう?」
「貴女が来てから一度も顔を見せないわネ。母さんも不思議がっていたわ」
と、以前から気になっていることを聞くと、理恵子は
「時々、メールがあるけれども、彼はアルバイトが忙しくて、逢う時間がないのョ」
と返事をしていた。 珠子には、その姿が必死に寂しさを堪えている様に思えてならなかった。
初夏の香りを含んだ風が、庭の梢から柔らかく流れてきて心地よく肌に触れる土曜日の午後。
二階の自室で、理恵子と珠子は二人して髪型の雑誌のグラビヤ写真を見ながら互いの顔と似合う髪型の話を楽しげに語りあっていた。
理恵子は
「珠子さんは、わたしと同じように面長なので、やはり長い髪を自然に流しておいた方が似合うと思うわ」
「丸型の人は、思いきりカットして軽くカールした方が可愛いかもネ」
と、鏡に向かいしきりに髪をいじり試行していた。
話の途中、理恵子が今度の休日に一緒に上京した人達と逢うことになっているんだが、大事にしてきたパンプスの底が傷んでしまったので、これから近所のミツワ靴店に行って来たいと言い出したので、珠子は
「理恵ちゃん、あすこのお店は駄目ヨッ」
と反対した。
それと言うのも、以前、彼女が修理に行った際、職人のお爺さんに足元ばかりジロジロ見られたた挙句に、女物は修理しないと断られたことがあり、お爺さんは腕は確かだが頑固で女物は一切手にしないことで近所でも有名であることを教えてくれた。
珠子のそんな忠告を聞いて、理恵子は何処へ行けばよいのか思案していたら、珠子が見かねて
「アッ! そうだ、わたしに良い考えが思いついたゎ」
と言って立ち上がり窓から庭先を覗いたら、大助は陽光に暖められた芝生の上にユニホーム姿で腹這いになり熱心に雑誌を読んでいたのが目に入った。
珠子は声をかけようと思っている途端に、何時も遊びに来ているミツワ靴店の孫娘であるタマコが、本と小さい手提げ布袋を提げて
「大ちゃん、わたしも、隣に寝転んで本をよんでもいい?」
と言いながら、大助の隣にしゃがみこみ話かけると、大助が
「俺、いま難しい英語の勉強をしているので、話相手になってあげられないよっ」
と顔を見ることもなく、つれなく言うと、タマコが「それでも イイワァ~」と返事をして、大助の横に真似して腹這いになると、大助は
「タマちゃん、顔を隣り合わせると気が散るので、俺の足元の方に頭を向けてお互いに反対方向に並べばいいサ」
と言って笑ったら、タマコは大助の言うことを素直に聞いて互い違いに寝転ぶや、彼女は「大ちゃんの足、汗臭いワ」と言いながらも、本を読みはじめた。
すると暫くして、タマちゃんは、漫画の面白さに思わず声を上げて笑い出すと同時に、両足先を膝から上げてバタツカセていたところ、その片方の足が大助の後頭部に当たり、大助が「アッ! 痛ェッ~」と言いながら
「タマちゃんの大根足で殴られ、まるで、野球のバットでやられたみたいだゎ」
と、大袈裟に叫び声をだすと、タマちゃんもビックリして起き上がり
「大ちゃん、ゴメンナサイ~」「わたし、うっかり漫画の面白さに釣られて思わず足を上げてしまったのヨ」
と弁解して、大助に愛用の布袋からビスケットを取り出して「コレタベテェ~」と大助にあげていた。
タマコのお菓子を生垣から見ていたのか、隣家のシャム猫のタマも忍び足で二人のそばに近寄って来て、彼女の手先をみつめていたが、大助が猫の鼻ずらをつっついて
「お前も来たのか」「五月蝿いから向こうに行けッ」
と言うと、タマちゃんは猫を脇に抱えて
「大ちゃん、オンナノコに大根足なんて言うの失礼ョ」
「わたしの、スカートの中を覗いたでしょう。大ちゃんの、エッチッ~」
と、文句を言いながら、また、猫を小脇に抱えて元通りに寝そべって本を読みはじめた。
珠子は、二人のそんなあどけない仕草を見ていて、思わず微笑ましく笑いがこぼれてしまった。
珠子の笑いに誘われて、理恵子も一緒に並んで庭先を見たら、確かに二人が並んで寝転んでいるのが見えたが、二人が逆さまに行儀良くならんでいたが、フットそういえば先日文房具屋で大ちゃんに手紙の難題を押しつけていたタマちゃんであることを想いだし、二人の仲良しぶりに、タマコちゃんは大ちゃんに対し幼いながらも淡い初恋を感じているのかなぁ~。と、勝手に想像してしまった。
珠子は、暫く二人の様子を見ているうちに、大助は熱心に何の本を夢中になって読んでいるんだろうと思い
「大ちゃん、一寸、用事があるんだけれども頼まれてくれるぅ~」
と声をかけたところ、大助は素気ない声で
「いま、英語の勉強中でいやだぁ~」
と素っ気無く返事をして、顔を向け様ともしないので、彼女は勉強なんて言い訳で何か良からぬ本でも読んでいるんだろうか。と、直感して不審に思い階下に降りて廊下から芝生の庭を忍び足で大助に近寄ると、タマちゃんが先に気付き
「大ちゃん!姉ちゃんが来た~」
と叫んだので、大助は慌てて読んでいた雑誌を腹の下に隠し
「姉ちゃん、勉強中に邪魔しないでくれよぅ~」
と不機嫌な声で言うと、タマちゃんも
「大ちゃん、いま、難しい英語の勉強中なので、ソゥ~ットしておいてあげてェ~」
と、珠子に言って彼をかばっていた。
大助は、肉屋を気分良く出ると、健ちゃんのサービスが嬉しかったとみえて、理恵子に笑みを漏らしながら「次は何を買うの?」と聞くと、理恵子が「お野菜を買いたいわ」と答えると、夕刻時で買い物客で混雑する商店街の人混みを、何時の間にか理恵子の左手を握って引く様にして空いている左手で巧みに対面して来る人を掻き分ける様にして、八百屋さんの前まで来ると、町野球のコーチをしている店員の昭ちゃんが
「オ~イッ 大助! 俺の店には寄らないのか?」
と恥ずかしくなる様な大声を掛けてきたので、大助は
「今日は、僕にとっては大事なお客さんを案内しているので、特別にサービスをしてくれるかい?」
「ダメなら、よその親切な店に行くよ」
と、笑いながらも冗談交じりに返事をすると、昭ちゃんは
「いま、健ちゃんの店に寄っただろう、俺、ちゃんと見ていたぞ。何故、俺の店に先にこないんだ」
「健ちゃんに負けずに、お客さん次第で何ぼでもサービスするさ」
と威勢の良いことを言うので、大助は、得意げに理恵子を指さして
「昭ちゃん、ビックリするなよ」「ほら、今までに見たこともない昭ちゃん好みの美人だろ~ッ」
「僕の大事な姉さんだから、惚れてはダメだよ」
と言いながら店に理恵子を案内して入ると、昭ちゃんは
「う~ん 本当だ!」「上手いこと言って、果たして姉さんかどうかな?」
と信じられない様な顔付きで理恵子の方をチラット横目で見ながら
「何処の女優さんを連れてきたんだ」「お前も、隅に置けなくなったなぁ~」
と商売の手を一瞬休めて、色白で細身な理恵子のスカートから覗く白い足元に目を奪われていたが、気を取り直し
「今日の品物は新鮮で良いし、サービスするから、さあ~買った買ったぁ~!」
と二人で漫才でもしているかのように言い合っている合間に、理恵子は白菜や葱それに糸こんを籠に入れてレジで清算していたら、昭ちゃんは
「大助! 今日は特別入荷のイチゴがあるので、あの姉さんに上げてくれ、俺の誠意だ」
「数量が少ないので、珠子姉さんと二人分しか用意できないが、お前は、我慢してくれ」
と、先ほど健ちゃんに言われたことを、まるでオーム返しの様に言いながら、袋詰めのイチゴを大助に渡してくれたが、大助は
「チェッ 昭ちゃんは、時々、親方の目を盗んでつまんで食べているんだろう?」
と言うや、昭ちゃんは
「トンデモネェ~、俺なんか朝から晩まで拝んでいるだけだ」
「お前も、我慢することを覚えろ、男は、我慢する根性がなければダメだ」
と、野球の練習のときと同じことを言うので、大助も負けずに
「昭ちゃん、またとない機会なので、照れないで姉さんに渡してくれよ。どうせ、僕の分は無いんだから・・」
と、皮肉交じりにも、昭ちゃんにリップサービスをする気持ちで促すと、昭ちゃんは理恵子の籠にそ~っとイチゴの袋を入れて、何時もの柄にもなく鉢巻を取り丁寧に頭を下げていた。
理恵子は、店を出ると大助に
「あまり大げさに言わないでネ」「わたし、恥ずかしくなってもう来れなくなってしまうゎ」
と言うと、大助は
「理恵姉さん、心配することはないよ。この辺の店は何処でも活気を出すために威勢よく声を上げて、皆、少し大げさに言っいるんだ」
「それに品物質や量についても、少しオーバーに宣伝しているんだから・・」
と答えていたが、理恵子にしてみれば、経験したことも無い多勢の客と威勢の良い掛け声に、街で生活する人達の逞しさに今更ながら感心して、田舎と違い神経が疲れる思いであった。
大助は、八百屋さんを出ると理恵子に「僕、ノートと消しゴムが欲しいんでけど」と言い、文房具屋に行き店内に入るや「アッ イケネェ~」と小声をあげて理恵子の背後に隠れたが、その姿を見た近所の靴屋の孫娘であるタマコが駆け寄ってき来た。
タマコは、小学校4年生で大助のところにもよく遊びに来ているので、理恵子も顔を覚えている、お茶目で仕草の可愛いオンナノコである。
ただ、孫爺さんが評判の頑固者で、腕の良い職人であるが、何故か、女物の靴は手をつけないことで有名でもあるが、普段、タマコと仲良く遊んでくれる大助には自分の孫の様に親しみを覚えて可愛いがっている。
タマコは、大助に近寄るとズボンの端を引っ張り
「大ちゃん、なんでわたしを見て慌てて隠れるの?」「足が長いから、頭かくして尻隠さずだヮ」
と言って盛んにズボンを引っ張るので、大助が仕方なく顔を見せて
「タマちゃん なんだよ~」「俺、今日は、大事なお客さんを案内しているんだから、邪魔しないでくれよ」
と、ブツブツ言うや、タマコは
「わたし、お姉ちゃんを知っているヮ」「珠子姉ちゃんから、お話を聞かせていただいたヮ」
「大ちゃんは、意地悪してチットモ教えてくれないが・・」
と、不満を言ったあと
「ネェ~ わたし、とっても可愛いい花模様の入った便箋と封筒を買ったのだけど、何処にも出すところが無いので、大ちゃんに出そうと思うんだけど、いいでしょう?」
と、甘えた声で言い出したので大助は、「エッ 僕に・・」と胸にトゲでもささった様に目をパチパチさせて
「ワザワザ手紙なんか出さなくても、遊びに来たとき話せばいいじゃないか」
「僕、オンナノコからの手紙は余り好きでないんだよ」
と返事をすると、タマコは
「アラ~ッ 優しいオンナノコには、言葉に出せないこともあるヮ」
「わたしのお手紙を読んだら、必ず、大ちゃんもお返事を書いてェ~、必ずョ~」
「お手紙には、<赤ッ面>とか<デブ公>なんてあだ名を書かないで、<お懐かしきタマコ様>とか<月夜の君はとっても可愛いかった>とロマンチックなことを丁寧に書いてネ」
と自分の考えていることを一通り話すと、チョコレートをだして、「これたべるゥ~」と差し出したので、大助は「う~ん」と絶句しながらも口に入れた。 大助はそれでも気が向かないのか
「僕なら、切手代がもったいないので、アイスクリームを買うよ」
と言うと、タマコは「まぁ~ いやしい」と機嫌を損ねたが、大助は咄嗟に頑固爺さんに言いつけられては大変だと思い、急に猫なで声で
「タマちゃんが、も~っと大きくなって綺麗になったら、出すかもしれなよ」
と話すと、タマちゃんも少し機嫌を直し
「いいわ とにかく、わたしは書いて出すからネ。必ず返事に感想を書いてネ」
と言い残して別れた。
理恵子は、おもわぬ光景を見てクスッと笑いながら
「大ちゃん、オンナノコに人気があるのネ」「タマコちゃんも、可愛い娘さんだヮ」
と、予期しない難問に遭遇し意気消沈している大助を励ましながら帰途についた。
理恵子は、上京してから早くも1ヶ月を過ぎ、美容学校の授業や下宿先の城家の生活にも慣れて来た。
或る晴れた日の夕方。 2階の窓から茜色に彩られた夕焼け空やビルの街並みを眺めていると、やはり母親の節子の言う通りに、自宅から通学できる新潟の学校に進むべきであったかと、ホームシックにかられて考えることがある。
一緒に上京した奈津子や江梨子に電話すると、皆が着々と自分の考えていた道を確実に進んでいることを知るにつけ、彼女等のたくましさがすごく羨ましく思えた。
それに反し、自分は一人ぼっちで、寂しさから思わず涙をこぼすこともあり、上京すれば高校時代の先輩で恋心を抱く織田君にも時々逢えると、勝手に思っていたことが甘い考えであったと悔やまれた。
今日も学校から帰り、二階の自室で沈んだ気分でぼんやりと街並みを見ていたとき、孝子小母さんが、お茶とお菓子を持つて来て
「理恵ちゃん。貴女、最近、食も細く、元気がないみたいだわネ」
と声を掛けてくれたので、彼女は元気のない声で「小母さん御心配掛けてすみません」と、返事をしたが、次に続く言葉を思いあぐねていたところ、孝子小母さんはベテラン看護師で、女手一人で、珠子や大助を育てている気丈なところから、彼女が恋人に満足に会えないこともあり、軽いホームシックにかかっていることを、日常の生活を通じて見抜いていた。
孝子は、彼女が訪れる前に、現在の生活を導いてくれた尊敬する先輩の節子さんから、彼女の性格や生い立ち、それに恋人のことなどを一通り聞いており、彼女を引き受けた手前、我が子同様に明るく育ててあげたいと念願していたので、節子さんから聞いたことはおくびにも出さず、彼女に対し、今、自分は何を為すべきかを自分や節子さんの昔話を交えて話して聞かせた。
孝子にしてみれば、彼女に日常生活における目標をきちんと立てて、精神的にも強い一人前の美容師になって欲しいと思う一念から、何時かはその機会を見つけて話しておこうと心がけていた。
孝子は、そんな思いから彼女に対し、普断、病院での若い看護師達に教える様な柔和な語り口で、彼女の表情を見ながら語りかけたことは
貴女の母親は、自分と同郷で高校2年先輩であり、高校卒業後、苦い思い出を振り切る覚悟で秋田を出て、単身上京して看護師になったのよ。
丁度、貴女と同じ歳頃で、見ず知らずの人達との寮生活で、それは寂しくて何度も泣いたこともあったらしいわ。 然し、それは皆同じことで、それぞれに努力をしたものです。
節子さんが高校卒業するころ、当時、節子さんの家に下宿をしていて、私達の通う高校の教師をしていた御主人の健太郎さんが、当時、節子さんに男の兄弟がいないないこともあり、彼女の父親に非常に可愛がられ、休みの日には田畑やリンゴの剪定など農作業を手伝ったりして、まるで実の親子の様に和気合いあいと日々を過ごしていて、教師と教え子の関係で農村特有の難しい問題を承知の上で、早く一緒になってくれればと、彼女の母親共々切ないほど父親はそれを願っていたのよ。
ところが彼女が若いこともあり、健太郎さんに対して、起居を共にした生活の中で自然に芽生えた淡い恋心を胸に抱きながらもその思いを口に出せないうちに、健太郎さんは転勤になり、その後は離れ離れとなり卒業後、そんな心の傷を癒すこともあり、懐かしい故郷の景色を見るのも辛くて悲しく、彼女なりに意を決して上京して看護師になり、勉強と仕事に打ち込んでいるうちに10数年の日が過ぎてしまったのよ。
勿論、その間に病院関係者との結婚話もあったが、彼女の健太郎さんに対する一途な思いや複雑な病院内部の人間関係から、それも纏まらずに日々を過ごしていたところ、たまたま帰郷した際、節子さんや私の高校の先輩であった貴女の母親の亡き秋子さんが、そんな事情を知っていた事から、健太郎さんが奥さんを亡くして一人で暮らしていたのを見かねて、熱心に仲を取り持ち、その結果、それこそ偶然にも縁が巡り来たとゆうのでしょうかね、ご主人と結ばれたのですよ。
やはり若い時の赤い糸が切れることもなく結びあっていたのですネ。
全く人生なんて、よく言われる様に小説より奇で、何時何が起こるのか不思議と思いますわ。
それなればこそ、絶えず自分を大切にするように心掛けねばならないと、主人を病で亡くした私も常々考えておりますのよ。
それ以後のことは、貴女もお判りの通りです。
今、貴女のご両親が願うことは、貴女が実母である亡き秋子さんの意思を継いで、亡母が経営していた美容院を立派に経営することですよ。
それが貴女に与えられた最大の目標であり、また、貴女に負わされた責任と思いますわ。
私も節子さん同様にその日が訪れることを本当に楽しみしているんですよ。
と、簡潔に話して聞かせたが、理恵子も中学生のころから母親の秋子に連れられて一緒に養父である健太郎の家には何度も訪ねていたので、そのときの様々な出来事と想い重ねて、孝子小母さんの話も素直に耳に入り、自分を取り巻く周囲の人達が自分に期待していることが身にしみて良く理解でき「小母さん ありがとう」と返事をして、やっと笑みを浮かべた。
孝子は、一通り話し終えると
「理恵子ちゃん、街には街なりに良い人も多勢おり、部屋にばかり閉じ篭もっていないで、なるべく暇なときは外に出なさいよ」
と言うや、階下に向かって大きい声で
「大助! 理恵子姉さんと、お使いに行って来てくれない」
と声をかけると、大助姉弟も二階の様子を気に掛けていたとみえ、大助は
「ヨッシャ~、すぐ行くよ!」
と威勢よく返事したが、傍らから勤めている母親に代わり家事を手伝っている高校生の姉である珠子が
「私が一緒に行ってくるわぁ~」
と言うや、大助は
「駄目 ダメッ!、僕が先に言はれたのだよ。姉ちゃん、僕の仕事を横取りしないでくれよ」
と文句を言いあっていたが、そつのない大助は、さっさと母親からメモとお金を貰うと、理恵子さん!早く行こう。と催促して、二人で夕暮れの商店街に出かけて行った。
大助にしてみれば、理恵子姉さんと二人で商店街を案内して歩くのはかねてからの夢で、楽しそうに理恵子の手を引きながら買い物でにぎあう人混みを縫う様にして歩き、最初に行き着けの肉屋に入った。
理恵子さんが、牛肉を買い代金を払うと、街の野球部の先輩である肉屋の健ちゃんが
「おい 大助!お使いなんて珍しいこともあるんだなぁ~」 「勉強はどうした。また、サボりか?」
「丁度、揚げたばかりの特製のコロッケがあるから、サービスするから持って行けよ」
と、包みを出してくれたので、それを遠慮なく受け取ると、大助が
「健ちゃん 大事な商品の都合をつけて、まさか、これではないだろうナ」
と、右手の人差し指を折り曲げて差出しニヤット笑うと、健ちゃんは
「オィオィ、変なな真似はするなよ! 一緒にいる初顔の綺麗なお姉さんへ敬意を表してのサービスだ。俺の給料から払うので余計な心配はするな!」
「但し、数がないので、お前の分は入れてないからな」
「野球でエラーばかりしている罰として、俺はサービスしないことにしているんだ」
「今度、あげるからナァ~、今日はコロッケを見て拝んでおけよ」
と返事をしながら、理恵子の方を見て軽く会釈をして笑っていた。
二人は店を出ると、大助は理恵子に悪戯っぽく右目でピクピクとウインクして
「健ちゃんは、スタイルの美しい理恵姉さんを見て、気の毒にも瞬間的に脳をわずらってしまったんだよ」
「僕の思った通りでアタリだよ」
と自慢しながら、大助特有のユーモアで、健ちゃんの仕草を冷やかしていたので、理恵子にもその光景が微笑ましく映り、なるほどなぁ~と、健ちゃんの明るさと、中学2年生に似合わない大助の如才ない友達付き合いに感心して思わずクスッと笑ってしまった。
大助は、次によった八百屋さんで、また・・・
江梨子達が、なんとか採用の返事を貰い、気分が楽になって会社を立ち去ろうとしたとき、後を追い駆けてきた案内係の阿部さんが
「いやぁ~ おめでとう御座います。 入社が決って良かったですね」
と笑いながら声をかけてきて、二人の肩をポンと叩き、さも嬉しそうに
「今、専務からあなた方をホテルに送り、夕食の接待を準備しなさい。と、指示を受けたので僕の咄嗟の判断で、昨晩の会話の内容から、どうやら和食が好きな様ですよ。と進言したら、専務はそれなら駅前の寿司屋に案内しなさいと言はれ、専務も仕事を済ませてすぐ伺うので、それまで君がお相手をしていなさい」
と、、会社の考えと併せて接待の趣旨を正直に説明したあと「これから御案内いたします」と言ったので、江梨子は堅苦しい雰囲気を好まない小林君の内心を慮って遠慮したが、阿部さんの再三にわたる丁寧な誘いを断りきれずに、会社の馴染みらしい寿司屋に連れて行かれた。
阿部さんは、座敷に通されると畳に手をついて丁寧に頭を下げて改めて挨拶したあと、お茶を一口飲むと
「昨晩はワイフも非常に喜んで、お二人さんが合格すると良いわネ」
「私達も地方の出身であり、ワイフもお友達も少ないので、是非、お付き合いさせてほしいわ」
と喜んでいたと言って、お土産に渡したワインのお礼を言ったあと、雰囲気を和ませるかの様に、自分の仕事の内容について、時々、ミスして上司から叱られるが、近頃は慣れっこになり、そんな時は下を向いて「済みませんでした、今後、注意致します」と返事をしながらも、頭の中では、これも給料のうちで百円玉が何枚になったかな?、なんて思いながら不謹慎だが、その場を軽い気持ちで凌いでいたり、或いは今頃、ワイフは何をしているのかなぁ~。と思い巡らせていますが、サラリーマンは、辛いことがあったとき、自分で自分の心を癒す方法を見つけ出すことも大事なことですよ」
と、彼らしく明るく屈托のないユーモアを交えた語り口で、社員の心構えを教えてくれた。
江梨子も達夫も、なるほどなぁ~。と感心して聞いていたが、江梨子が
「奥様は、どちらにお勤めなのですか?」
と聞くと、彼は
「証券会社ですよ」「会社の用事で何度か証券会社に行っているうちに、僕の方から上手く誘い出して口説き落として、やっとの思いで結婚しましたが、僕は高卒、彼女は大卒で歳も2歳上ですが、諺に”姉さん女房は草鞋を履いても探せ”と聞いたことがありますが、事実、日々の暮らしの中で生活の知恵が旺盛で安心感があって良いものですよ」
と尋ねないことまで進んで卒直に話してくれた。
暫くすると、専務さんが現れ、阿部さんは入れ替わりに座敷から出て行った。
阿部さんが帰り際に話してくれたのか、お寿司とお酒が運ばれてきたが、江梨子が未成年でお酒は飲めませんと言うや、専務さんは「そうか、そうか。それではお寿司を食べなさい」と言いつつ自分は美味しそうにチビチビと手酌で飲み始めた。
専務さんは、金子勝と自己紹介をしたが、痩身で身の丈が高く、白髪交じりで面長に黒縁の眼鏡が良く似合う、優しい話し方をする人で、江梨子は、どこかこの人は自分の父親に似たタイプの感じがして、さして緊張することもなく話を聞くことができた。
その専務さんが、お酒を飲みながら語るには
自分も、東北の出身で大学卒業後、社長や営業部長と一緒に親会社に入社して、精密機械の製造に従事したが、入社後、15年位した時、親会社の社長の勧めで、組み立て部の一部が子会社として今の会社を設立したが、その時、仲間の誰もが充分な資金の用意ができず、仲間の一人であった社長の姉さんが地方の資産家であったところから、社長が懇願して大金を出して貰ったのです。 その関係で社長の姉つまり小林江梨子さんのお母さんが、この会社の大株主なんですよ。
余計なことかも知れませんが、本来は、貴女のお母さんが社長になり、社長は長男として田舎の田畑や山林を守るべきであったのですが、社長は無理やり姉さんを田舎に帰し、その時、これは確かでありませんが、姉さんには将来を誓いあった恋人がいたらしいのですが、生木を裂かれる思いで別れて田舎に帰られたと聞いておりますが、まぁ~お互い若い時のことですから、色々あった訳ですわ。
ところが男とゆうものは悲しい性があり、会社の業績が伸びると、悪るいことに社長は2~3人の女性に手を出し、その都度、姉さんが上京して苦労して問題を解決し、遂には離婚を経験して今の奥さんと結ばれましたが、この奥さんは銀座のクラブのママサンをしていた関係で、世の中の裏表や人の苦労を知り尽くしていて、我々に対しても思いやりがあり、あの頑固一徹な社長でも頭があがらないくらい良い人なのです。
と、簡潔に話をしたあと
「まぁ~ 参考までにお喋り致しましたが、ところで本題に戻りますが、社長の命令で、江梨子さんは私の家の離れの居間に住み、食事は私らと一緒にすること。小島君は会社の寮に入ることになりますが、私は妻を亡くし会社から派遣の賄いさんに家事一切を任せておりますが、寮の方は舎監が自衛隊上がりの厳しい人で、女性の立ち入りは禁止されています」
「うちの会社は、社長や私達創業者の功罪織り交ぜた豊富な人生経験を土台にして、良い品物は良い人間が作ると言うことを社是にしており、普段の生活は勿論のこと勤務を通じても、人間教育を大切にしておりますので、承知しておいてください」
と、酒の勢いもあってか、また、社長の身内とゆう安心感からか、小声でボソボソと口説き話の様に、会社の沿革や入社条件を話していた。
江梨子は、これまでに母親から断片的ではあるが薄々聞かされていたことなので、時折、母親が父に対して不満を漏らしているのは、若い時のそんなエピソードも影響していたのかと内心思ったりもした。
実際、父親は無口で暇さえあれば、勤務先に関係する機械関係の本を読んでいる姿を見ていたので、父親もどこか寂しい影をやどしている人だなぁ~と、しばしば思ったりしたこともあった。
専務の話を聞いて、一見平穏に見える夫婦であっても、それぞれに色々な想いがあり、難しいもんだなと考えると共に、自分達は叔父さんや両親の様な影を潜めた夫婦には絶対になりたくないと、小島君の横顔をチラッと見ながら心の中で誓った。
小島君は、専務の話をお寿司を美味しそうに食べながら聞いていたが、腹が満ち足りると箸を置くや、まるで別世界のことと思う様に、テーブルに右手の肘を突いて顎を乗せて、週刊誌の記事を聞かされているかのように興味なさそうな顔をしていたが、左側に足を崩して出している江梨子の脹脛や足首あたりを、座布団のへりと思ってか或いは無意識にか撫でていたが、江梨子は専務の目が気になり、止めようとしない彼の手を軽く叩くと、彼は江梨子の顔を見てニヤッと笑い手を引き込めたが、退屈なのか、何時の間にかまた同じことをするので、江梨子も少しくすぐったいが手が膝にまで伸びる気配はなさそうなので、これも彼の悠長でお茶目な性格がもたらす、異性に対する本能的な一種の癖なのかなと思い好きな様にさせていた。
入社面接試験の際、江梨子は母親の強い願望通り、近い将来に二人して実家に近い支社に転勤して、小島君との生活を実現しようとの思いから、社長が叔父であることを幸いに自然な思いで、自分としては最大の知恵と勇気を絞って周囲の役員等にお構いなしに、何時もの強い自己顕示性を発揮して少し誇大であるが、聞く者としてはそれなりに納得してもらえる答弁をしたところ、社長にしてみれば予期もしない答えが返って来て、試験会場が一瞬凍りついたような静寂な雰囲気に包また。
社長も意外な答えにたじろぎ、キョトンした目で彼女を見つめて返答に窮して、とまどったが、そこは社会の底辺から叩き上げた持ち前の気骨の強さから、気を取り戻すと、やをら腕組みをといて立ち上がるり、眼光鋭く険しい顔で、江梨子に対し
「今日は、採用の面接だよ」「親族会議とは違うんだ。場を弁えて話しをしなさい!」
と、一言注意したあと、これ以上彼女に田舎のことを喋らせては自分の恥を晒しかねないと警戒して、すぐに表情を和らげて、そこは可愛い姪でもあり、若いのに家督を継ぐとゆう堅固な考えや、自分の恋を実らせる現実的な方法を聞かされて、流石に母親である姉の強気な性格を受け継ぎ、生活感覚がよく似た逞しさがある。と、すっかり感心して次の質問についての言葉を失ってしまった。
暫し沈黙の間をおいて、江梨子の答えに一人だけクスッと笑った明るい声が部屋の雰囲気を少し和らげた。
声の主は、入り口で受付を担当していた社長秘書で、江梨子の目から見ても羨ましく思うほどスレンダーで、江梨子が憧れる都会のOLとして洗練された容姿の木村さんで、社長は江梨子に対する質問のやり場に困り
「おいッ! 木村君 君はこの子の答弁をどう思うかね?」
「役員達は、職責を忘れて、彼女の話に圧倒されてポカーンとしているが、社長として私情を挟む訳には行かないので、君の意見を参考までに聞かせてくれ給え」
「今の若いもんは、皆、このように卒直に自分の考えを言うものかね?」
と、苦し紛れに声をかけたところ、木村さんは真面目な顔をして、細いながらも透き通った静かな声で
「社長さん。 私は、御家族や先祖様との絆を大切に思う自分の考えを、この場で臆することなく堂々と述べられたことは、お歳に似合わない素晴らしい考えをお持ちの方だと、ひたすら感心して聞いておりましたわ」
「私を含め、今時、こんなに御自分の意見を堂々と述べると言うことは、そう多くはおりませんわ」
と言って褒めてくれたが、江梨子にはその言葉がとても嬉しかった。
江梨子は、木村さんの一言でなんだか気が抜けたように急にしおらしくなって下をうつ向いてしまった。
彼女は、内心、控え室で見た人達の年令や服装等から自分は到底かなわないと自信を喪失し、それに役員達の質問や態度から、結果は不採用だと判断すると、自分としては不思議にも冷静な気持ちで、言うだけのことは言ったし、もう結果等どうでもいいわ。と、緊張感から開放され半ば開き直った気持ちになり、彼女らしく落ち着きをを取り戻し、やっぱり自分にあった生活が出来る田舎に帰ろうかなぁ~。と、少し弱気な思いが胸をかすめた。
そうなった場合、小島君は果たして一緒に帰ってくれるかしら。と、チョッピリ不安な思いが心をよぎった。
社長は、木村さんの返事を聞いたあと、周囲を見渡したのち、江梨子に対し
「今、ここから当社の筆頭株主である母親に電話して、採用された旨話して安心させなさい」
と指示したので、江梨子も予想に反した社長の一言でホットして我に帰り、社長の前に進み、机上の電話をそっと取りあげて実家に電話を掛けた。
社長は、髭をなでながら薄笑いを浮かべて、彼女の顔を上目で覗き込む様に見ていたが、電話に出た母親の種子が、彼女の採用決定の連絡に対し、採用のことはわかっているのか、そんなことにお構いなしに
「ここに小島君の母親も心配して来ておられるが・・」
「夕べは、小島君と一緒のベツトで休んだのかネ?」
と、思いもよらぬ返事をしたので、彼女は
「うーん。。。。 お母さんったら、もう~嫌ネ。そんなこと、どうでもいいでしょう~!」
「会社が手配しておいてくれた、ホテルの綺麗なお部屋で別々に休んだわ」
と答えるや、種子はガッカリした様な沈んだ声で
「お前達は駄目なもんだねえ~。この意気地無しっ!もう情けなくなってしまったわ」
「わたしの気持ちを少しでも理解しようとしないんだから・・」
「村の年寄りは、皆、孫をおぶって自慢話に花を咲かせているわ。もうこの歳になれば、名誉や財産なんてどうでもいいわ。わしも毎朝人の輪にはいって人並みにお喋りして過ごしたいんだよ」
と呟いていたが、そんな会話は社長には聞こえる筈もなく、彼女の態度から会話の雰囲気を察して、彼女から受話器を取り上げ
「いやぁ~ お元気の様ですネ」 「今度は、私が姉さんに恩返しをする番になりましたネ」
「江梨子も、暫く見ぬうちにすっかり大人になり、姉さんの若い時と同様に強情・・・イヤイヤ、意思が堅く、それに歳に似合わぬ淡い色気を漂わせ、それでいて口も達者・・イヤイヤ、自分の意見をきちんと話すので、感心致しましたわ」
「姉さんの教育の賜物ですね」
「今後は、私が責任を持って、姉さんの希望に沿うように育てますので、どうぞ御安心ください」
と、何度も言葉を言いなおしながら額の汗をぬぐい、受話器に向かい恭しく頭を垂れて言ったあと、続けて
「会社は、全員が一丸となって頑張った結果、今期の業績も大変成績が良く。いずれ社員を伺わせ報告させますので、来月の株主総会には、遠路をわざわざおいでくださらなくても・・」
と姉を敬遠し、立ちあがって受話器にその都度頭を垂れていたが、終わるやホットした顔になり「これで俺の首も繋がったわ」と、ブツブツ呟いて、あとは専務に任せて部屋を出て行ってしまった。
江梨子は面接室を出ると、急いで小島君の待っている階下のロビーに行くと、彼は長椅子に横たわり顔に新聞紙を乗せて眠っていた。 彼女はそんな彼の姿を見て、なぁ~んて呑気なんだろうとチョピリ悲しい思いに駆られたが、少し間をおいて落ち着くと、腹いせ紛れに彼の脂の滲んだ鼻先を思い切り強く摘んだところ、彼は驚いて起き上がり、疲れきった様な小声で「遅かったなぁ~」と呟いたので、彼女は新聞を取り上げて丸めると、彼の頭をポンと軽く叩き、小声で
「なに言っているのよ~」「わたし、一生懸命に頑張って来たとゆうのに・・、しっかりしてよ~」
と、すねながら答えて二人とも採用が決定したことを教えると、彼は急に瞳を輝かせて
「そぅ~か お前、頑張ったんだなぁ~」 「また、お前に借りを作ってしまったわぁ~」
と、如何にも嬉しそうに笑い、元気を取り戻して
「急に腹が空いてきたよ」「取り敢えず、飯を食べに行こうよ」
と言いだして、二人で足取りも軽く腕を組んで廊下を歩きだしたら、後方から顔なじみになった阿部さんが大声で「小林さ~ん、小島さ~ん、一寸、待っててくださいよぅ~」と叫びながら駆け足で追いかけて来た。