2012年8月16日。 トニー・ニックリンソンは、彼の『死ぬ権利』を拒否する決定を、高等裁判所から正式に通知される。
絶望に打ちのめされたトニーは、苦痛に満ちた咆哮を上げ、号泣。
高等裁判所は、「医師や介護者が本人の意志を汲んで自殺を幇助することを合法化できるのは国議会のみ」とし、「医師がニックリンソン氏の自殺を幇助できない以上、ニックリンソン氏に残された自殺の方法はスイスに赴くか餓死のみである」とした。 トニーと一緒に『死ぬ権利』を求めていた47歳の“マーティン”の訴えも、同時に退けられた。
コンピューターを使い、トニーは心境を述べた。
「裁判所の決定に、私は完全に打ちのめされた。 今の私はみじめさ以外の何ものでもない人生を送り、身体障害のためそれに関して自分では何ひとつできない。 “こんな人生を生き続けたくない、尊厳を持って死にたい”という私の願いは、受け入れられると信じていた。 法律が私に、今後深まる一方であろう屈辱とみじめさに満ちた人生を送ることを強いることに、深い悲しみを覚える。」
一方で『生きる権利』のサポーターたちは、この決定を「自殺に追い込もうとするプレッシャーや本人の意志によるものではない安楽死から弱い立場にある人々を守る」と歓迎した。 現行法である1961年制定の『自殺法令』の基では、いかなる理由があろうと自殺を幇助した者は14年以下の懲役に処せられる。 しかし2003年以降、病状が終末期にある患者や障害のある患者がチューリッヒにある安楽死施設に家族や友人の助けを借りて出向き、そこで『合法的に』幇助されて死ぬようになったため、同法令は論議を巻き起こすようになった。
2012年8月22日。 高等裁判所に『死ぬ権利』を拒否されて以来食物を拒否してきたトニーは、6日後のこの日、肺炎により死亡した。 自宅で、妻と二人の娘と妹に看取られての最期だった。 享年58歳。
“Goodbye world the time has come, I had some fun.” が、人生最後の朝の、彼が娘に託しておいたツイッターへのメッセージだった。
妻のジェーンは「最愛の伴侶を亡くしたけれど、彼の苦しみが終わったことに安らぎを感じる」と述べた。 娘たちはそれぞれ、「お父さん、やっとゆっくりできるわね。ベスと私は、お父さんの娘であることを心から誇りに思っているわ。私たちに、強さをくれた。大好きよ」 「最高の父だった。ようやく父に、安らぎが訪れた」とツイッターした。 家族は、6日前の高等裁判所の決定がトニーを断食に駆り立てたと信じる。 肺炎を発症しても食事を拒否し続けたため、症状は悪化。 トニーは脳溢血で倒れる前年に延命治療を拒否する意志を明らかにしてあったため、治療行為・治療措置は行われなかった。 トニーの死が公表されて間もなく警察は、「彼の死は自然死であり、捜査が行われることはない」と発表した。
「裁判所の決定を通知されたときの父を見ているのは、本当に辛かった。 まるで両脚を切り落とされているかのような苦痛に満ちていた。 人生は、長さでなく質で測られるべき。 父はみじめな90年を送るより、幸せな51年を選ぶ人だった。 身体が麻痺してからの父は人生を失った。 他人に体を洗われ、世界が自分の周りで回るのをただ見つめているだけ。 人生で大事なのは質と幸せで、ただ長ければいいというものではないわ」 娘のローレン(25歳)は、雑誌のインタビューに応えて語った。
トニーの妻と娘たちは、高等裁判所の決定の翌日、トニーを支持して最高裁判所に上告するとの決意を明らかにした。 しかし最高裁の判断が下るまで、少なくとも18ヶ月 はかかる。 高等裁判所の決定後、トニーの状態は目に見えて悪化した。 『死ぬ権利』を正式に拒否されたのが、8月16日の木曜日。 土曜日になるとジェーンは、トニーの呼吸が重く辛そうなのに気づく。 月曜日に医者を呼んだところ肺炎と診断され、抗生物質の服用をすすめられた。 死ぬチャンスと見てとったトニーは、「抗生物質を服用しないと死ぬ」ことを承知で拒否。 同日遅くなって、彼は家族に“言った”。 「私はすでに死んでいるのだから、悲しむ必要はない」。
最期は、比較的速やかだった。 火曜日の昼までにはトニーは意識を無くしていた。 水曜日の朝、妻・二人の娘・妹に囲まれ、トニーの命の灯火はゆっくりと消えていった。 死亡診断書に書かれた死因は肺炎かもしれないが、家族はトニーの命を奪ったのは『絶望』だったと信じる。 「裁判所の決定が、トニーの身体と精神を壊したんだわ」 と、妻のジェーン。
トニーの葬式は、近所の火葬場で開かれた。 現実主義者だったトニーの意向を汲んで、シンプルで宗教色のないものにした。 葬式のあとには、トニーの一生を祝う大きなパーティーが続いた。 トニーがいたら、喜んでくれそうな。 トニー不在の人生に、これから慣れていかなければならない家族。 今はその日その日をこなすだけだという。
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『死ぬ権利』を求めるトニーさんの戦いについては時々ニュースなり、知っていました。 トニーさんの願いが拒否されたあと、わずか6日後に亡くなったと聞いた時は、「まさか家族が・・・?」と思ってしまいましたよ。
何年か前、日本に里帰りしていた時、NHKスペシャルか何かで『閉じ込め症候群』のドキュメンタリー番組を見ました。 そこで紹介されていた二人の患者さんは、どちらも麻痺がトニーさん以上に重く、身体全体に加えて頭まで動かせなかったような。 口も開けず、動かせるのは目蓋のみだったような。 Aさんの方はトニーさんと同様に死を望んでいましたが、Bさんは「二人の息子の成長を見守りたい」と生きる意欲に満ちていました。
声は出せずともこんな表情まで見せられたトニーさん。 あの二人に比べたら、まだ恵まれていたのでは? と思ってしまいました。 でもトニーさんにとっては、これでは十分ではなかったんですね・・・
ある日突然襲った悲運の受け止め方は、人それぞれ。 受け止め方は、その人がそれまでの人生で培った価値観、思想、人生観によってそれぞれ違います。 だから「トニーさんはそんなに悲観せず、家族のためにも歯を食いしばって長生きすべきだった」などとは、私には言えません。 もともと行動的で外交的でスポーツマンだったトニーさんにとっては、脳溢血後の状態は「生きたまま埋葬されたようなもの」だった。 「そんな状態でこの先20年30年を生きるよりは尊厳をもって死にたい」と願うトニーさんを、誰が責められるでしょうか。
意外だったのは、トニーさんを支持する声が圧倒的に多かったこと。 「トニーさんの『死ぬ権利』は認められるべきか否か」への投票をニュースのオンライン投票で募っていたので、私は Yes に投票しました。 するとそれまでの時点で Yes が83%、No が17%という結果が出てきました。 トニーさんに関するニュースへのコメントでも、「自分が彼の状態におかれたらと思うとぞっとする。自分も絶対に耐えられない」 「精神状態が正常で健全な人間が、冷静に判断して死ぬことを望んでいるんだ。かなえてやるべき」 といった意見が大多数です。
“尊厳ある死は人間の権利” というプラカードを掲げる男性。
ただ怖いのは、ひとたび『死ぬ権利』が認められてしまうと、それが暴走してしまわないかということ。 学習障害者や精神疾患患者や認知症患者が、介護に疲れた家族や財産を狙う近親者に勝手に死を急がされる、なんてケースも絶対出てくると思います。 社会的弱者を守るため、法の改正にはやはり慎重にならざるを得ないでしょう。 でも「慎重に」「時間をかけて」いる間も、トニーさんのような人はどんどん出てくるはず。 問題を先送りにばかりしていないで、本腰を入れて検討し議論する時が来ている、と私は思います。
同じ50代に入ったから考えてしまう。 私がトニーさんの立場になったら、どう思うかな・・・? 行動的でもスポーツウーマンでもないから、じっとしていることはそれほど苦にならないかも。 でも赤の他人に身体を洗われたり着替えをさせられるのは、やっぱり嫌だな。 それがこの先20年30年と、死ぬまで続くとしたら・・・ ムスメの今後は見守りたいけど、やはり私もトニーさんと同様、(こんな人生には質などあったもんじゃない。いっそのこと死にたい)と思うような気がします・・・
トニー・ニックリンソンさんのご冥福を、心からお祈りします。
《 おわり 》