11月11日は英連邦諸国では Remembrance Day(戦没者追悼の日)。Armistice(停戦・休戦)Day、Poppy Day とも呼ばれる。
未曾有の犠牲者を出した第一次世界大戦は、1918年の11月11日の午前11時にドイツが休戦協定にサインしたことでようやく終わりを告げた。
そのため『11番目の月の、11番目の日の、11番目の時間』は英連邦諸国民には特別な意味を持ち、人々は通常1~2分間の黙祷を捧げる。
11月11日だった一昨日の午前11時、黙祷を捧げるロイド銀行の従業員たち。
ウェンブリー・スタジアムでも、イングランドのサッカー・チームが練習に入る前に黙祷。
国会議事堂前で警備にあたっていた警官二人(左)も、マンチェスターで建築工事中だった人たちも(右)。
買物客たちも街角やショッピング・センター内で黙祷。
国防相はアフガニスタンで記念碑に花輪を捧げ、現役の兵士達と歓談。
その他各地で、記念の式典が執り行われた。
最も重要な式典は、Remembrance Sunday にロンドン・ホワイトチャペルで行われる。第一次世界大戦とそれ以降の紛争において戦死した兵士たちを追悼して、首長たるエリザベス女王をはじめとする王室関係者、主だった政治家や軍関係者が“The Cenotaph”と呼ばれる戦没者慰霊碑に、ポピーの花輪を置くのである。
11月11日に一番近い日曜日が Remembrance Sunday になるので、今日(13日)がその日だった。
日本のNHKにあたるBBC1で、その模様が実況中継された。
全国各地から式典に駆けつけた、退役軍人の皆さんとその家族。
アフガニスタンでの、現役軍人の皆さんによる式典。
孫と戦没者墓地を訪れ、かつての盟友に思いを馳せる老人。
いろいろと意見はありましょうが、祖国のために命という最高の犠牲を払った戦没兵士たちを国を挙げて「忘れまい(Lest we forget)」という精神、私は肯定します。
でも私、Remembrance Day のこと、イギリスに来るまで全く知りませんでした。そして、象徴となったポピー。
10月の末が近づくと、街角やスーパーの入口にこういう方々が立ち始めます。
Royal British Legion (英国在郷軍人会連盟)をサポートするポピー・アピールのため募金活動をしている人たちで、募金をすると紙製のポピーの花をもらえます。
Remembrance Sunday まで、この赤いポピーを胸につけた人をよく見かけることになります。
では、なぜにポピーなのかというと。
第一次大戦中、ベルギー西部のフランダース地方は特に戦闘が激しく、おびただしい量の血が流され多くの戦死者を出しました。
カナダから軍医として参戦していたジョン・マックレイ(1872-1918)は、22歳の友人が戦死するのを目撃したあと“In Flanders Fields”というポピーの花に言及した詩を手帳に書き留めました。
大戦終結後、荒涼とした焼け野原だったフランダースの原に、真先にたくましく戻ってきたのが赤いポピーの花。
ポピーの花は戦場に流された血を象徴するかのように赤い色をしており、
マックレイの詩は1915年12月にロンドンの雑誌に掲載されたため広く知れ渡り、
また1918年にアメリカ人のモイラ・マイケルは“In Flanders Fields”にヒントを得て「戦没犠牲者を尊んでポピーの花をつける」ことを約束する内容の詩゜“We Shall Keep the Faith”を書いた。
これらのことから、ポピーの花は戦没者追悼のシンボルとなったそうです。
大きな犠牲のもとに現在の自由と平和が成り立っているという点では、日本も同じですよね。
幸い戦争が終わってから生まれた私ですが、戦争で犠牲になった多くの命のことを忘れてはならない。
そんなことを考えさせられた一日でした。
未曾有の犠牲者を出した第一次世界大戦は、1918年の11月11日の午前11時にドイツが休戦協定にサインしたことでようやく終わりを告げた。
そのため『11番目の月の、11番目の日の、11番目の時間』は英連邦諸国民には特別な意味を持ち、人々は通常1~2分間の黙祷を捧げる。
11月11日だった一昨日の午前11時、黙祷を捧げるロイド銀行の従業員たち。
ウェンブリー・スタジアムでも、イングランドのサッカー・チームが練習に入る前に黙祷。
国会議事堂前で警備にあたっていた警官二人(左)も、マンチェスターで建築工事中だった人たちも(右)。
買物客たちも街角やショッピング・センター内で黙祷。
国防相はアフガニスタンで記念碑に花輪を捧げ、現役の兵士達と歓談。
その他各地で、記念の式典が執り行われた。
最も重要な式典は、Remembrance Sunday にロンドン・ホワイトチャペルで行われる。第一次世界大戦とそれ以降の紛争において戦死した兵士たちを追悼して、首長たるエリザベス女王をはじめとする王室関係者、主だった政治家や軍関係者が“The Cenotaph”と呼ばれる戦没者慰霊碑に、ポピーの花輪を置くのである。
11月11日に一番近い日曜日が Remembrance Sunday になるので、今日(13日)がその日だった。
日本のNHKにあたるBBC1で、その模様が実況中継された。
全国各地から式典に駆けつけた、退役軍人の皆さんとその家族。
アフガニスタンでの、現役軍人の皆さんによる式典。
孫と戦没者墓地を訪れ、かつての盟友に思いを馳せる老人。
いろいろと意見はありましょうが、祖国のために命という最高の犠牲を払った戦没兵士たちを国を挙げて「忘れまい(Lest we forget)」という精神、私は肯定します。
でも私、Remembrance Day のこと、イギリスに来るまで全く知りませんでした。そして、象徴となったポピー。
10月の末が近づくと、街角やスーパーの入口にこういう方々が立ち始めます。
Royal British Legion (英国在郷軍人会連盟)をサポートするポピー・アピールのため募金活動をしている人たちで、募金をすると紙製のポピーの花をもらえます。
Remembrance Sunday まで、この赤いポピーを胸につけた人をよく見かけることになります。
では、なぜにポピーなのかというと。
第一次大戦中、ベルギー西部のフランダース地方は特に戦闘が激しく、おびただしい量の血が流され多くの戦死者を出しました。
カナダから軍医として参戦していたジョン・マックレイ(1872-1918)は、22歳の友人が戦死するのを目撃したあと“In Flanders Fields”というポピーの花に言及した詩を手帳に書き留めました。
大戦終結後、荒涼とした焼け野原だったフランダースの原に、真先にたくましく戻ってきたのが赤いポピーの花。
ポピーの花は戦場に流された血を象徴するかのように赤い色をしており、
マックレイの詩は1915年12月にロンドンの雑誌に掲載されたため広く知れ渡り、
また1918年にアメリカ人のモイラ・マイケルは“In Flanders Fields”にヒントを得て「戦没犠牲者を尊んでポピーの花をつける」ことを約束する内容の詩゜“We Shall Keep the Faith”を書いた。
これらのことから、ポピーの花は戦没者追悼のシンボルとなったそうです。
大きな犠牲のもとに現在の自由と平和が成り立っているという点では、日本も同じですよね。
幸い戦争が終わってから生まれた私ですが、戦争で犠牲になった多くの命のことを忘れてはならない。
そんなことを考えさせられた一日でした。