平泉メビウスの会では、年一度の遠征観察会が計画されています。今回、私は初めて参加しました。今年は、八幡平市安比高原「悠々の森」に於けるブナの二次林の様子と周辺に関わる生き物の観察を体験して来ました。自然の貴重なる写真を数回に渡って紹介したいと思っています。
現地に移動中、バスの中で講師の千葉一男さんが、ブナの由来、一関市とブナの関係、ブナの役割と人との関係、ブナの分布や安比高原に於ける動植物の生き物、ブナと動植物の生態系、観察ルートなどに関するお話がありました。予備知識を学んでいる内に現地に到着。
現地では自然観察指導員の千葉裕さんと阿部慶元さんがガイドをしてくれました。
ヤナギランの群生、ブナの二次林の森林浴、ハナニガナの群生は、言葉では言い表せない、すばらしい風景であり、里地では見られない別世界のようでした。自然の良さを再発見したような気がしました。
ブナ林の案内板 ヤナギランの群生 ハナニガナの群生
いずれも、リーダー作ではないがアルバムLP、CDを合わせると、サイドメンとして8枚程度を所持しています。最も好きなベーシストの一人であるスコット・ラファロについて簡略的に触れてみます。
スコット・ラファロ(Scott LaFaro、本名:ロコ・スコット・ラファロ(Rocco Scott LaFaro)、1936年4月3日 - 1961年7月6日、25歳没)はジャズのベーシスト。20世紀のジャズ・シーンにおいて重要な役割を果たした一人。ビル・エヴァンス・トリオの一員としてよく知られている。
ニュージャージー州のニューアーク市でシチリア系の家系に生まれ、音楽家の一家に生まれ育った(父親は色々なビッグバンドに所属し演奏していた)。小学校の時にピアノをはじめ、その後中学校でクラリネット、高校に入りテナーサックスを始めた。
彼がダブルベースを手にしたのは大学に入る前の夏のことで、大学の音楽科で弦楽器が必修のためだった。大学に入り約3ヶ月後にはベースに専念することを決意した。
音楽を勉強するために大学に入ったが、2年目にバディー・モロー率いるビッグバンドに加わるために中退した。その後、自分の運をロサンジェルスのミュージックシーンで試すため、クロス・カントリー・ツアーを終えた後ビッグバンドを去る。次第に若手ベーシストの中でもベストの一人として知られるようになった。
その後チェット・ベイカー(Chet Baker)、パーシー・ヒース(Percy Heath)、ヴィクター・フェルドマン(Victor Feldman)、スタン・ケントン(Stan Kenton)、ベニー・グッドマン(Benny Goodman)など色々な有名ジャズミュージシャンと共演した後、1959年ビル・エヴァンスと活動を共にする。
ビル・エヴァンスに加わった2人(ドラムのポール・モチアンとベーシストのスコット・ラファロ)はトリオを結成した。ビル・エヴァンスのピアノと対等に渡り合うラファロのインタープレイは多くの人を魅了した。1960年代初頭には、エヴァンスとの活動のほか、ブッカー・リトル(Booker Little)と共演、またオーネット・コールマンのアルバム『Free Jazz』にも参加している。
このトリオで収録した「ポートレイト・イン・ジャズ」・「エクスプロレイションズ」・「ワルツ・フォー・デビイ」および同日収録の「サンディ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード」の4作は、アルバムとして世に出る。
リバーサイド四部作」収録後、ニューポート・ジャズ・フェスティバルでスタン・ゲッツ(Stan Getz)と共演するが、その2日後にニューヨーク州ジェニヴァ近郊のフリントで交通事故により死去。彼のキャリアはたったの6年で幕を閉じた(1955-1961)。25歳の若さであったが、その革新的なアプローチはジャズベースの演奏を再定義し、多くの同世代、また後進のベーシストらに影響をあたえた。
性格的にはやや粗暴で、麻薬常習者でもあったが、アドリブのひらめきとテクニック、4ビートウォーキングにとらわれない奔放なコンピングスタイルは当時唯一無二の存在であり、ことにビル・エヴァンスの内省的なピアノとの音楽的相性は抜群であったと言えます。
ラファロ夭折後、エヴァンスはチャック・イスラエル、エディ・ゴメス、マーク・ジョンソンといった優れたベーシストを迎えて演奏を続けたが、ラファロに匹敵する音楽的相性を備えたベーシストにはついに一生出会えなかったと言われてます。