年金暮らしの自由人

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私の好きなアーチスト(スコット・ラファロ)について(第11弾)

2010年07月01日 09時48分16秒 | JAZZ

いずれも、リーダー作ではないがアルバムLP、CDを合わせると、サイドメンとして8枚程度を所持しています。最も好きなベーシストの一人であるスコット・ラファロについて簡略的に触れてみます。

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スコット・ラファロ(Scott LaFaro、本名:ロコ・スコット・ラファロ(Rocco Scott LaFaro)、1936年4月3日 - 1961年7月6日、25歳没)はジャズのベーシスト。20世紀のジャズ・シーンにおいて重要な役割を果たした一人。ビル・エヴァンス・トリオの一員としてよく知られている。

ニュージャージー州のニューアーク市でシチリア系の家系に生まれ、音楽家の一家に生まれ育った(父親は色々なビッグバンドに所属し演奏していた)。小学校の時にピアノをはじめ、その後中学校でクラリネット、高校に入りテナーサックスを始めた。
彼がダブルベースを手にしたのは大学に入る前の夏のことで、大学の音楽科で弦楽器が必修のためだった。大学に入り約3ヶ月後にはベースに専念することを決意した。

音楽を勉強するために大学に入ったが、2年目にバディー・モロー率いるビッグバンドに加わるために中退した。その後、自分の運をロサンジェルスのミュージックシーンで試すため、クロス・カントリー・ツアーを終えた後ビッグバンドを去る。次第に若手ベーシストの中でもベストの一人として知られるようになった。

その後チェット・ベイカー(Chet Baker)、パーシー・ヒース(Percy Heath)、ヴィクター・フェルドマン(Victor Feldman)、スタン・ケントン(Stan Kenton)、ベニー・グッドマン(Benny Goodman)など色々な有名ジャズミュージシャンと共演した後、1959年ビル・エヴァンスと活動を共にする。

ビル・エヴァンスに加わった2人(ドラムのポール・モチアンとベーシストのスコット・ラファロ)はトリオを結成した。ビル・エヴァンスのピアノと対等に渡り合うラファロのインタープレイは多くの人を魅了した。1960年代初頭には、エヴァンスとの活動のほか、ブッカー・リトル(Booker Little)と共演、またオーネット・コールマンのアルバム『Free Jazz』にも参加している。
このトリオで収録した「ポートレイト・イン・ジャズ」・「エクスプロレイションズ」・「ワルツ・フォー・デビイ」および同日収録の「サンディ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード」の4作は、アルバムとして世に出る。

リバーサイド四部作」収録後、ニューポート・ジャズ・フェスティバルでスタン・ゲッツ(Stan Getz)と共演するが、その2日後にニューヨーク州ジェニヴァ近郊のフリントで交通事故により死去。彼のキャリアはたったの6年で幕を閉じた(1955-1961)。25歳の若さであったが、その革新的なアプローチはジャズベースの演奏を再定義し、多くの同世代、また後進のベーシストらに影響をあたえた。

性格的にはやや粗暴で、麻薬常習者でもあったが、アドリブのひらめきとテクニック、4ビートウォーキングにとらわれない奔放なコンピングスタイルは当時唯一無二の存在であり、ことにビル・エヴァンスの内省的なピアノとの音楽的相性は抜群であったと言えます。
ラファロ夭折後、エヴァンスはチャック・イスラエル、エディ・ゴメス、マーク・ジョンソンといった優れたベーシストを迎えて演奏を続けたが、ラファロに匹敵する音楽的相性を備えたベーシストにはついに一生出会えなかったと言われてます。