年金暮らしの自由人

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私の好きなアーチスト(アート・ブレーキー)について(第八弾)

2010年04月29日 11時53分28秒 | JAZZ

LP、CDを合わせると、21枚程度所持していて、好きなドラマーの一人であるブレーキーについて簡略的に触れてみます。Photo Photo_2 Photo_3 Photo_4 At_the_jazz_corner_of_the_world 

 

 

 

アート・ブレイキー(Art Blakey, 1919年10月11日 - 1990年10月16日、71歳没)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ出身のジャズドラマー。出生名はアーサー・ブレイキー。

10代後半からバンドで活動しニューヨークへ進出。一説には当初はピアニストであったが、ある時から(暴力団の連れてきたピアニストが居座り、お前ドラムをやれと脅かされて、仕方なくドラムに転向した説がある)ピアノを断念しドラマーに転向した。

1944年からビリー・エクスタインの楽団へ入り、1940年代後半からマイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカーらと共演後、1954年から1955年にかけてホレス・シルヴァーと初代のジャズ・メッセンジャーズを結成。クリフォード・ブラウンやルー・ドナルドソンらを擁してジャズ・クラブのバードランドに出演して人気を博した。

1956年にシルヴァーが脱退した後も、ブレイキーは晩年までメッセンジャーズのリーダーとして活躍し、日本でもファンキー・ブームを起こした一人である。この頃の代表曲は、モーニン、ブルース・マーチである。ジャズ・メッセンジャーズは基本的に2管または3管のフロント+3リズムのコンボ形式のバンドであった。

また多くの新人を発掘するとともに多くの著名なミュージシャンが巣立った。50年代後半からはリー・モーガン、ボビー・ティモンズ、ウェイン・ショーター等が、60年代にはフレディ・ハバード、キース・ジャレット、チャック・マンジョーネ、シダー・ウォルトン、レジー・ワークマン等,80年代になるとウィントン・マルサリス、ブランフォード・マルサリス、テレンス・ブランチャード、マルグリュー・ミラー、ジェイムス・ウィリアムス、ロニー・プラキシコ、ケニー・ギャレットなどの多くのプレーヤーたちがメッセンジャーズの出身で在籍をきっかけにスターになっていった。

代表作としてはモーニン、チュニジアの夜、バードランドの夜 Vol.1-2、ザ・フリーダムライダー、ザ・ビッグ・ビートなどがある。