here and now

「依存的敵意」と「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」。


明るい日差しがふりそそぐ日曜日の午後です。


ゆったり時間があるので

いま、考えていることを綴ってみます。


自分では、誰かのことを

「愛している」「大切に思っている」と

信じていても・・・。


ほんとうにそうだろうかと

立ち止まってみることも必要かもしれません。


私の両親の世代は、

親の愛は、絶対的なものでした。


父だって、母だって、

親に対する恨み、憎しみ、怒りの感情は、

当然あったはずなのに・・・。


その感情を、人としては、自分自身に認め

許すことができなかったのです。


こころの底に、隠し、沈めていた

親からもらえなかった愛のさびしさを。


ふたりは、結婚して

いちばん求めやすい

ひとり娘の私に向けたのです。



父も、母も、自分のさびしさを

私を愛することで、癒し、埋め合わせしました。

そして

子どもが、自分の思い通りにならないところで

私を、強く憎み、嫌ったのです。


父も、母も

自分のこころに

娘を憎み、嫌っている感情が

存在することなど、ゆめにも思わずに

天国へ行ってしまいました。


若いころの私は、親に反抗をして

悪態をついたことがもちろんありますが。


親の側からすれば、そうなったことは、

すべて私の責任です。

私の根性、人間性が悪いのです。

そして、私のつきあっている人の影響と考えました。

私の信仰を憎んだりもしました。


無理もありません。

両親の育った環境の中には、

「心理学」などという世界はなかったのですから。


自分のこころと向き合うことなど

誰も教えてくれる人はいなかったのですから。


父や母から憎まれていた時の

悲しい言葉を思い出しますが。。。


父と母の意識の中では、

私は、十分に愛されて育ったのです。


そのおかげで

人生を楽しむことが苦手で、生きづらい

めんどうな性格になってしまいましたが。

カウンセリングが好きになりました!



アドラーが言うように

人生は、「原因論」ではなく

「目的論」です。


両親のおかげで、

私には、「嫌われる勇気」は、

しっかり育っております。


さあ、私の次の課題は、

「幸せになる勇気」ですね!





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