here and now

嫌われる勇気


嫌われる勇気

2014年10月11日に購入したと

本の扉にメモがありました。


カウンセリングの学びで

上京した折に

新宿の紀伊国屋書店で求めたものです。


その時の私のこころに入り込んで

楽な気持ちをいただいて

そのままずっと忘れ去られて

本棚にしまわれたままになっておりました。


昨日、ふっとこの本のことを思い出しました。

まったく新鮮な思いで

私の中に入ってくる言葉がありました。


最近、また、不自由な気持ちになっていました。

自分が嫌われていると感じることがありました。

お相手は、最近、出会ったばかりの方です。

お互いを、まだ理解しあえていない段階で

というか

私の方には、ネットで読ませていただいた情報があったので

勝手にこの方ならわかっていただけると

まず、私の方から

私って、こんな人間で

こんなことを考えているんですと

自分を出してみました。


すると、どうやら

私、嫌われているみたいなのです。


私の早とちりがあります。

求めている方向が同じだから

きっと受け入れてもらえるという

期待やら、甘えた気持ちが

私の中にありました。


しかし、この関係を

自分中心でなく

もっと離れた視点で見てみると。


その方は、ずっと以前より

その活動の先頭に立って

尽くされておられる方です。


私は、ある偶然で、その活動を知って

学ばせていただきたいと

参加させていただいたばかりの新参者。

何の貢献もしていないし

嫌になれば、離れればいい自由も持ち合わせている。

通りすがりの人間でした。


私は、この方を尊敬していた・・

というか

「受け容れてほしい」と依存していた。

甘えていた自分に気づきました。

その期待に応えてもらえなかった不満な気持ちが

「その方は、私のことを嫌っている」という感情に

結びついたことに気づきました。



以下は、

本の覚え書きメモです。


およそあらゆる対人関係のトラブルは、

他者の課題に土足で踏み込むこと。

あるいは、自分の課題に土足で踏み込まれること。

によって引き起こされます



はじめて出会ったばかりの私は、

他者の課題に、土足で入り込もうとしていたのです。

その方は、立派です。

決して、私に対して、

「勝手に踏み込むな」と、反撃なさいませんでした。

ご自身を、静かに守ろうとされただけです。


その態度を

私が、冷たいとか、愛がないとか

勝手に判断を下していたことに

気づかされました。


私も、反対に、誰かから

自分の課題に、勝手に踏み込まれたとしても

あの方のように

静かに、自分のこころの扉を閉めて

自分を守ればよいのだと教えていたいただけたと思ったら

なんだかうれしい気持ちになりました。



以下も本よりの引用です。

人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく

自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいます。

あなたが見ている世界は

私が見ている世界とは違うし

およそ誰とも共有しえない世界でしょう



これが納得できたら

とても自由になって

やさしい、あったかい気持ちがわいてきました。










つぶやき日記

最近の記事
バックナンバー
人気記事