here and now

こころを育てる


私の母は

私のこころを育てようと

私に、「がまんすること」を教えました。


なぜなら母親自身が

がまんをして生きていたから

私にも、いちばん大切なことを

教えようとしたのです。


結果、私は、

「こころに憎しみを持つ」ようになりました。


母は、世間体を大切にしました。

私が、わがままを言って泣いてる姿を

人に見られることは、恥になりました。


私が、「悪い子」の時

近所のだれだれさんを呼んで来て

おまえの姿を見てもらうとよく言いました。

私にも、周囲の目を意識して「よい子」として

生きることを教えようとしたのです。


結果、私は、

「本心から人を愛する能力」を失いました。



年ごろになった時

私は、周囲の友人と比べて

憎しみのこころが強いこと

愛する能力が欠如していることを

気にするようになり

そんな自分を矯正しようと

人を愛する努力を始めました。


結果は、自己不在に。

自分で自分のこころが

わからなくなりました。


ようやく

ありのままの自分を

少しずつ出すことを覚え

やがて

夫と巡り合うことができました。



私は、

父が私にしてくれたように

母が私にしてくれたように

「耐えて」

家族を愛そうとしました。


結果、私は、たいへんに

「恩着せがましい人」となりました。




ふつう、一般的には、

「がんばること」

「がまんすること」

「いい人としてふるまうこと」

「耐えること」

などは

「よい行い」と思われがちですが・・・。



これらの「よい行い」に囚われて

子育てをすると

人生を素直に楽しめない

「生きにくい人」を

育てることになります。



私は、カウンセラーですから

「生きにくい人」のこころに

耳を傾けることは、得意です。

お聴きするのが

私の好きな時間です。



しかし

ちいさな人たちと向き合うのは

少々苦手かもしれません。


私自身がのびのびと

子どもらしい時間を

持っていないので。

ちょっと距離を置いて

いっしょに

喜んでいるのが好きです。





さてさて、昨日、夫は、

二人乗りベビーカーに

まご君たちを乗せた娘に

駅まで送ってもらい

無事に、保育じぃじの役目を果たして

家に帰ってまいりました。


お疲れさまでございました。






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