昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

すきがあったら どっからなと かかってこんかい

2021年05月19日 05時38分00秒 | 7 大阪ヒーロー


昭和40年(1965年)
藤山寛美の松竹新喜劇 
「 夜明けのスモッグ 」
テレビ中継を視て、
親父は笑っている。
一緒に視ていた私は、ちっとも面白くない。
11歳(小学5年生)の、私に、舞台演劇というもの 分かろう筈もない。
演劇は、「 大人のもの 」
子供が視ても、愉しくはなかったのである。


昭和38年 (1963年 ) 大阪に移住して
「 お笑い 」 に関心を持った私は、
「 お笑い 」 の番組は ほとんど視ていた。
特に印象深い喜劇ものは
藤田まこと 白木みのる の 全国区 「 てなもんや三度傘 」
白木みのる 藤田まこと 藤純子 大丸・ラケット 都喋々出演の 「 スチャラカ社員 」
これらが人気番組であった。
ではあったが・・・やはり 大人のもの
吾々のもの・・という感がしなかった。
況や その頃の 「 吉本新喜劇 」 は マイナーのマイナー
つまらなかった。
「 てなもんや三度傘 」 で、子供等にも人気があった平参平も出る新喜劇
さぞや、面白かろうと 期待したのであるが、反してつまらなかった。
「 松竹新喜劇の真似をしている 」
子供の私にも、そのように、映ったのである。
当時の主な俳優
秋山たかし 藤井信子 平参平 花紀京 桑原和男 「 チャボ 」 こと奥津雄三 

昭和42年 ( 1967年 ) 
グルーブサウンズが時代を席巻した
その時代の変化と共に
大阪のお笑いの世界にも、新しい風が吹き始めたのである。
吉本新喜劇の岡八郎
落語の笑福亭仁鶴、桂三枝
漫才の やすしきよし
彼等が登場したのである
それは、我々中学生でも、大人と共に笑えるもの
・・と、そう認識したのである。
・・・リンク→革命児達

 
井上竜夫  岡八郎  山田スミ子

昭和43年 ( 1968年 )
岡八郎の登場で、吉本新喜劇が革命的に変貌する。
藤山寛美の松竹新喜劇のようなものから、ドタバタ喜劇に変わった。
今の吉本新喜劇の始まりである。
「 ギャグ100連発 」
・・・が、ここから、スタートしたのである。
それは、中学2年生の私の心に響いた。
これは、オモシロイ
爆笑したのである。    ・・・リンク→おまえ・・ブタマン屋の娘やろ

吉本新喜劇史上最高のギャグ
おまえら、やんのんかぃ やったろやないか
ゆうとくけど、俺は強いで
こうみえても、学生時代
柔道部で ピンポン しとったんや
ま、これは冗談やけど
本当は、空手をしとった
通信教育やけどな
おまえら
すきがあったら どっからなと かかってこんかい 

クサー
エゲツナー
イヤラシー

       

岡八郎の真骨頂
吉本新喜劇の歴史上最大のギャグである
これほど爆笑を取ったギャグが他にあるものか
 

私にとって
岡八郎は 
まさに、
ヒーロー
それは もう   おもしろかった
つくずく
そう・・想うのである

   
オーノー         これで焦点距離があうんや   ガオー  リンク→ガオー


 1983.11.23
 
  1982.12.03

吉本新喜劇の俳優達
岡八郎 花紀京 「誰がカバやねん」の原哲男
「ナカスゾアホー・・オホホー」 「お前が泣いてどないすんねん」の船場太郎 
「見よ この決意」の桑原和男    「ヨーシ、ようし、ヨーシ」の阿吾寿朗
「ヨイショッ、アーイソガシー」、「イワン、イワントイテ」の谷しげる 
「・・じゃアーリマセンカ」の浜勇次 「首振り」の淀川五郎  「ブタブタコブタ」の伴大吾 
「おじゃまシマンネヤワ」の井上竜夫
間寛平 木村進 「・・ヨ、ワレー」、「タマネギのたたりやねん」の室屋信雄 
池乃めだか 「あほんだら、アホンダラ」の帯谷孝史 「アツ、アツー」の高石太
「ワレコ、われこ」の由利健 「ブルブルブルー」の泉ひろし 
「マーソノー」の島田一の介 「ちゃーすど、チャースド」のやなぎ浩二 
「ふんどし姿」の木村明 
「はげ頭」の中川一美 「エテコー」の中山三吉
懐かしの女優
山田スミ子 中山美保 片岡あや子
津島ひろ子 安田密子
西川洋子 楠本見江子 藤里美 末成由美 浅香秋恵
高瀬ぎん子 南喜代子

誰も皆 想いで深い 懐かしい 俳優達である。


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