昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

「おかあちゃん、この漫才おもしろいで」

2021年05月17日 04時23分06秒 | 7 大阪ヒーロー

昭和40年~42年 ( 1965年~1967年)、 演芸のブームがあった。
「 ちびまるこ 」 の、野口さん・・程ではないが
お笑い好き少年の私は、
ほとんどの番組を見ていたのである。
この 「 演芸ブーム 」 東京がブームの主流であった。
少年の記憶に残るものは

東京
「ドッタの?」の、春野チック・タック  「ヤンナッ・馬鹿だなァ」の、Wけんじ
  
「卵の親じゃ ピーヨコちゃんじゃ」の、獅子てんや・瀬戸わんや  トリオスカイライン  
「びっくりしたなぁ、モオ!」の、テンプクトリオ  「親亀コケタラ、皆こけた」の、ナンセンストリオ  
「すきです、よしこさん」の、林家三平  「山のアナアナ」の、三遊亭歌奴  
新作落語の、桂米丸  柳亭痴楽の綴り方教室、「リュウテイチラクの言うコトニャ、アアイウコトニャ」  
「アーア、ヤンナッチャッタ、オドロイタ」の牧伸二 牧伸二の師匠・牧野周一 
「朝早く起きて、昼寝をしていたら、庭の柿の木にリンゴが成っていた」で、私を笑わせたコミックバンドの、ドンキーカルテツト  
「地球の上に朝が来た」の、小島宏之とダイナブラザース、灘康次とモダンカンカン
声帯模写の桜井長一郎、春野ピーチク・パーチク  早野凡平  「おじゃまします」の、南洲太郎  
「ハードボイルドダド」の、トリオ・ザ・パンチ  コロンビア トップ・ライト  ラッキーセブン 青空千夜・一夜
へびつかいの東京コミックショー 「夢もチボーも無い」の、イナカッペで一世を風靡した東京ぼん太  
コント55号  お笑い番組にも顔を出していた、ドリフターズ・・
    
     
 牧野周一   
      
         

大阪
海原お浜・小浜 「頭の先までピーコピコー」の、若井はんじ・けんじ  
「パンパカパーン」の、漫画トリオ  中田ダイマル・ラケット  
「3万円・5万円・10万円、運命の分れ道」と、夢路いとし・喜味こいし  
「こんなん連れてやってまんねん・・ハハァさいなら」の、平和ラッパ・日佐丸  
「忘れようとしても、思い出せない」と、笑わせた京唄子・鳳啓介  「又も出ましたロマンショー」の太平トリオ  
「うちら陽気なかしまし娘」の、かしまし娘  上方柳二・柳太  早口夫婦漫才の、ミスわかさ・島ヒロシ  
「アーイーヤ」の、暁シン・ハワイ  三遊亭小円・木村栄子  
ぼやき漫才の、人生幸朗・生恵幸子「責任者出て来い!」  島田洋介・今喜多代  
「毎度、皆様御馴染の・・」浪曲漫才の、宮川左近ショー  
「なんでやッ、おいしいからや」の、森野福郎  漫談の西条凡次  
声帯模写の川上のぼる  三味線トリオの三人奴 「おじゃましました」の、横山ホットブラザーズ  
「永谷園の松茸のお吸い物のCM・・まつといたら何か呉れるのか?いやマツタケヤ」の、天草四郎・岡八郎  
「イヤーン、イヤーン」のルーキー新一  
漫才の骨董品、砂川捨丸・中村春代 三味線漫談の吾妻ひなこ「ハハ・・ノンキダネ」・・
   
    
    
     
 岡八郎・天草四郎    

どれも皆、これぞ 「 芸 」 ・・・おもしろかった

新しい風
昭和42年 (1967年 )
( 中学1年の ) 私は、いつものとおりテレビで漫才を見ていた。
そして
「 おかあちゃん、この漫才、おもしろいでェ 」
夕食の支度をしていた母に、そう叫んだのである。
それはもう、おもしろかった。


ヤングおーおー  」 の、やすし ・きよし

横山やすし・西川きよし
彼等の漫才は、其れまでの漫才と全く違った。
新しい形の漫才であったのだ。
其れは、革命的なものであった。
それまで大人のものであったお笑いの世界に、新しい風が吹いた。
彼等の漫才は
吾々、中学生までもが
「 これは、吾々のもの 」
・・・と、
そう認めたのである。

・・・リンク→革命児達


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