昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

「先生、そんなん言うたらあきませんわ」

2021年06月20日 05時20分18秒 | 4 力みちてり 1970年~

「 コケコッコーーーー 」
「 昼間や謂うのに・・・鶏までのんびりしとる 」 ・・・と。
笑いを取ろうとしての一言。
然し、斯の一言の底地に、
人として冷たいものを、私は感じ取って仕舞ったのである。
・・・余計な一言  から

昭和50年(1975年)1月15日・成人の日
念願の一眼レフカメラ・OM1で いの 一番 に撮ったは
母校、都島工業高校
それが
自分の成人式に相応しいと思った
 ・・・リンク→何シブイ顔して、歩いてんの!?

本館の玄関ホールに斯の鳥観図が展示されてあった。 吾々在席中の学舎である。
斯の鳥観図、作者の名前を見るに、
吾建築科の一期後輩で、亦 クラブ ・住宅研究部の後輩が作成したるもの。
私等が卒業した昭和48年 ( 1973年 ) 、
彼ら3年生の時、住宅研究部で作図したものであろう。
黒川良平とあるは、斯の物語に登場する教師。
吾々が卒業すると同時に 吾ら担任の木全先生も退職された。
木全先生は住宅研究部の顧問先生でもあった。
だから、黒川先生が 入れ替わったのであろう。・・・と、そう推っている。
しかし、不思議な巡りあわせである。
本館3階 左端教室が 斯の物語の舞台である。

   

よくぞ、言って呉れた
昭和45年 ( 1970年 ) 新学期
高校一年・建築材料の時間、例によって雑談ばかりする教師  ( ・・・ リンク→面白い 面々 )
授業よりも楽しいは当然のこと、「 おもしろい教師 」 と、誰もがそう想っていた。
ウケねらいの雑談にいっそう拍車がかかってゆく。
而して
彼はいい気に成って、同僚教師の悪口を垂れた。
勿論悪気はない。
他人を貶おとしめて笑いを取る・・・は、一つのパターン、テクニックである。
大阪人ならそれが理解る・・と、彼はたかをくくっていたのであらう。
そして、皆にウケているからと ついつい調子にのってしまったのだ。
吾々も、笑い以て聞いていたのだから。
ところが然し、
こともあらうに、笑いの種と さげすまされているは、我等が担任教師。
ちょっとまって、今の言葉プレイバツク
此を、黙って聴いて居れるものか。
誰がヘラヘラ笑って居れるものか。
「 先生、そんなん言うたらあきませんわ 」
即座に、席を立ったは

    級友中前

「 よくぞ言って呉れた 」
私はそう想った。
クラスの皆も頷いた。
「 何も君等の担任を馬鹿にするつもりじゃない、親しいが故につい・・ 」
生徒に咎められた教師の弁である。

話の流れに逆らってまで諫言するは、中々し難いものである。
ましてや相手は教師、
生徒が教師に諫言するなぞ出来様ものではない。
然し、其の儘流されて行くのも歯がゆいではないか。
だから
中前が言った
「 そんなん言うたらあかん 」
・・は、吾々の素直な感情、想いの代弁なのである。

中学の想い出 『 余計な一言  』 共々、
溜飲が下る想いをした私である。


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