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わたしゃビルの お掃除おばちゃん
モップかついで 生きてゆく
ひとり息子を じまんのたねに
毎日床をみがくのさ
おばちゃんおばちゃん
がんばってゃおばちゃん
昭和44年 ( 1969年 )
上方落語の笑福亭仁鶴が唄った
「 おばちゃんのブルース 」 である。
中学三年生の時 憶えたこの歌、
私は今でも偶に口遊んでいる。
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昭和44年 ( 1969年 )
大阪万博の前年、大阪は活気に満ちていた。
そして、この活気に満ちた、大阪の勢いが、ヒーローを産み
そして、彼等は、「 大阪の笑い 」 を、革命していく。
笑福亭仁鶴
吉本新喜劇の岡八郎
漫才の横山やすし・西川きよし
各々の革命児の出現と共に、笑福亭仁鶴の登場も亦、大阪の笑い を変えた。
そしてそれは、大阪の芸人の存り方をも変えたのである。
是、真に革命的と謂えよう。
落語でもなく、漫談でもなく、これまでに無い形の喋りは、積重ねた過去をも、凌駕したのである。
中学生の吾々は、だからこそ これを 面白いと想った。
これを 吾々のモノ と、認めたのである。
そして、この吾々が認めたる モノ は、大阪発 は、全国区に展開していった。
吾々は得意に成って、自慢したのである。
彼は 吾々のヒーローなり と
「 大五郎 」
「 チャン ! 」
「 どこいくの? 」
「 チョット そこ まで 」
ボンカレーのTVCMでの、一コマである
ボンカレーを鍋に浸ける際のなべ底 の ソコ と、 チョットそこまでの そこ をかけたものである。
「 おもしろい 」
と、吾々はウケる
笑福亭仁鶴の絶頂期を物語る一つと謂えよう
ヤングオーオー
(1969年~1982年 毎日放送 日曜午後6:00~ 6:55)
大阪発の公開バラエティーである。
笑福亭仁鶴と桂三枝が、メイン司会を前後に分けた。
番組構成もバラエティに富み、どれもみな新鮮であった、楽しかった、面白かった。
桂三枝、笑福亭仁鶴、やすし・きよし・・・
と、続々と超新星も出現した。
中学生だった吾々にとっては、それはもう大御馳走・・の、満満腹
時代と相俟って、超人気番組に成ってゆく
その勢いたるや
関西のみに止まらず、滔々と全国に展開していったのである。
更に、大阪の時の勢いは
異端児 を産んだ
天才 月亭可朝 の登場である。
♪
ボインは
赤ちゃんが吸う為にあるんやで
お父ちゃんのもんとちがうんやで
ボインと云うのは どこの国のことば
うれし恥かし 昭和の日本語
おおきいのがボインなら ちっさいのんはコインやで
もっとちっちゃいのんはナインやで
♪
なんで女の子だけボインになるのんけ
腹の立つ事いやな事
シャクな出来事あった日は
男やったら酒のんであばれまわってうさ晴らし
女の子ならなんとする
胸にしまって我慢する 女の子の胸の中
日頃の不満がたまっている
それがだんだん充満して来て 胸がふくれてくるんやで
♪
あげ底のボインは満員電車に気いつけとくなはれや
押されるたんびに移動する
いつの間にやら背中に廻り 一周廻ってもとの位置
これがほんまの チチ帰るやおまへんか
コレほんまやで
「 嘆きのボイン 」
ギター弾き語りで以ての歌笑曲である。
Wikipedlia に、面白い記述をみたので
此処で、これを紹介する。
ボインという言葉が世間を席巻し、すっかり定着。
当時、全国津々浦々にいたるまで男子小学生のほぼ全員がこの歌を口ずさめた。
♪ おおっきいのんがボインなら、
ちっちゃいのんはコインやで、もっとちっちゃいのんは、ナインやで
などのくだりは、特に小中学生にはウケた。
「 乳房が赤ちゃんのためにある 」
というフレーズは子供達にとって至極当然の内容であった。
但しこれに
「 それが父親のためにあるのではない 」 と付け加えられることで、
子供達は母親の授乳器官が同時に性的器官であることを暗に悟らされることになった。
この事実を確認するために質問をぶつけられた大人達は当惑しかつ回答に窮し、
対応としては子供達を叱りこの歌を歌うことを子供達に禁ずる以外の手段を持たなかった。
全国の小学校で歌ってはならない歌と定められ、
これに対して子供達は殊更この歌を歌うという現象がおきた。
結局、なぜこの歌を歌ってはならないかと言う合理的な理由は子供達に示されることはなかった。
子供達は大人たちの気色ばんだ表情から、
何かこれ以上触れてはいけないものを感じ、
かつ、母親の乳房が子供の占有物ではなく、
父親と想像出来ぬ形で共有している事実を悟るのであった。
・・・
と、まあ
更に、これぞ月亭可朝の真骨頂
「 ♪ これまた奥さん、天狗の鼻見て、何想像してまんのんやぁ~ 」
「 あっ やっぱりあれでっかぁ 」
「 わいも、すっきや 」
「 ♪ 天狗印の・・・・・・や、おまへんかー 」
「 イヤ ほんま 」
(大阪ローカル) テレビコマーシャルが、家族五人の夕食時に流れる。
「 フッ 」
と、親父が笑う。
然し、皆の手前、笑いを抑えている。
未だ幼き妹二人はその意味は分らないだろうが
気まずい空気の漂う中、私は緊張の面持ちで以て聞いていた。
彼の笑いはシャレていた
「 中学生ふぜいに、簡単には笑わさへんで 」
・・と
どや・・・粋ななぁ
シャレてるやろ・・と
「 イヤッ ほんま 」