昭和二十一年の元旦
「 新日本建設に関する詔書 」 という記事が掲載されており、
読みにくい官報発表記事を幾度か読み返した。
・・・
ポツダム宣言受諾のラジオ放送を耳にしたあの暑い夏からわずかまだ四ヶ月だった。
いったい占領軍は何をしようとしているのか、
天皇の身の安全は保障されているのか、
田舎にいては皆目 見当もつかないところへもってきて、元旦からこの発表だ。
史 が目を通した天皇の詔書の前半は、
明治天皇が国是と決めた五箇条の御誓文を紹介し、
天皇自身が誓いも新たに新日本の建設を願う心構えが述べられていた。
驚かされたのはその後に続く文章だった。
「 然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ有リ、
常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。
朕 ト 爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、
終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、
単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。
天皇 ヲ以テ
現御神トシ、
且 日本国民を以テ
他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、
延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス
トノ 架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ 」
史 はさっそく池田町にいる父に手紙を認めた。
「 天皇は国民と共にあって、利害を同じくするのだそうです。
お互いは信頼と敬愛の絆で結ばれていて、
それは神話や伝説に基づくものではないと仰せられています。
天皇のことを神と考えたり、
日本民族が多民族より優秀だと考えて
世界を支配する運命を持っている
といったことは 架空の観念だとおっしゃっております
父上様、
陛下は現御神、つまり現人神、であられることさえも否定されたのです。
史 には到底理解が及びません。」
・・・
瀏は何も答えなかった。
白きうさぎ 雪の山より出て来て
殺されたれば 眼を開き居り
・・・齋藤 史 昭和二十三年
昭和二十四年春のこと
「 陛下の人間宣言を栗原たちが聞かないでよかったなあ 」
それが毎日の口癖のようになった。
史 にしても思いは変わらない。
戦地に行って死んだ兵隊さんも、青年将校も ああおっしゃられてはねえ、立つ瀬がないわよ、
と父に相槌を打つのだが、それさえもまたむなしさがこみ上げてくる。
したがって、みんな黙って口を利くのが億劫になる。
・・・・・・・・・・・・
「でもな、俺はあれでよかったと思う。
我々がやったことは確かに不合理なことだった。
陛下が二十七日に本庄におっしゃった有名な御言葉があっただろう。
朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、
此ノ如キ暴ノ将校等、
其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ
お前も覚えておるだろう。
確かに陛下は股肱を殺されたとお考えあそばされた。
だがな、陛下からご覧になれば股肱でも、我々から見れば君側の奸だった。
陛下のお考えは極めて理にかなつたことだったと俺は思う。
だから、合理と不合理のぶつかり合いを起こしたのさ。
維新なんてものは、合理じゃ片付かんよ。
勝つことを計算しない、後の人事も見返りも考えないのだから不合理な行動さ。
だからよかったんだ」
こんどは 史 が何も答えられなかった。
縁側に座って遠い過去の不合理な行動を思い起こし、
うなずいている父の背中を 史 はながめていた。
そして、天皇に見捨てられた栗原たちを、
父だけは見捨てていないことを
史 は誇らしく思っていた。
ある日より 現神は人間となりたまひ
年号長く 長く続ける昭和
・・・齋藤 史 昭和五十九年
・
昭和維新の朝(あした) 工藤美代子著 から
リンク
齋藤史の二・二六事件・1 『ねこまた』
齋藤史の二・二六事件・2 『二・二六事件』
齋藤史の二・二六事件・3 『その後』
昭和21年1月1日
天皇は人間宣言をして、「現人神」では、なくなった
この日より、日本人の魂が、凍結された
昭和29年
敗戦の日から九年后、私は生まれた
たった九年后に・・・・・・
・・・・・・かくてわれらは死後、
祖国の敗北を霊界からまざまざと眺めていた
今こそわれらは、兄神たちの嘆きを、
我が身によそえて、ふかく感じ取ることができた
兄神たちがあのとき、吹かせようと切に望んだものも亦、神風であったことを
あのとき、
至純の心が吹かせようとした神風は吹かなかった
何故だろう
あのときこそ、
神風が吹き、草木はなびき、血は浄められ、水晶のような国体が出現する筈だった
又われらが、
絶望的な状況において、身をなげうって、吹かせようとした神風も吹かなかった
何故だろう
にほんの現代において、もし神風が吹くとすれば、
兄神たちのあの蹶起の時と、
われらのあの進撃の時と、二つの時しかなかった
その二度の時を措いて、
まことに神風が吹き起り、この国が神国であることを、
自ら証 (あかし) する時はなかった
そして、二度とも、実に二度とも、神風はついに吹かなかった
何故だろう
われらは神界に住むこと新らしく、なおその謎が解けなかった
月の押し照る海上を眺め、わが肉体がみじんに砕け散ったあたりをつらつら見ても、
なぜあのとき、あのような人間の至純の力が、神風を呼ばなかったかはわからなかった
曇り空の一角がほのかに破れて、青空の片鱗ん゛顔をのぞかすように、
たしかにこの暗い人間の歴史のうちにたった二度だけ、
神の厳(いつく)しきお顔が地上をのぞかれたことがある
しかし、神風は吹かなかった
そして一群の若者は十字架に縛されて射たれ、
一群の若者はたちまち玩具に堕する勲章で墓標を飾られた
何故だろう
しかも、あとから見れば、
兄神も、われらも、不吉な死と頽廃たいはいを告げる使者のように、
蒼ざめた馬に乗って、この国を駆け抜けたのだ
兄神たちはその死によって、
天皇の軍隊の滅亡と軍人精神の死を体現した
われらは死によって、
日本の滅亡と日本の精神の死を体現したのだ
兄神たちも、われらも、
一つの、おそろしい、むなしい、
みじんに砕ける大きな玻璃はりの器の終末を意味していた
われらがのぞんだ栄光の代りに、
われらは一つの終末として記憶された
われらこそ暁、
われらこそ曙光、
われらこそ端緒であることを切望したのに
何故だろう。
何故われらは、
この若さを以て、
この力を以て、
この至純を以て、
不吉な終末の神になったのだろう。
曙光でありたいと、冀 ( こいねが ) いながら、
荒野のはてに、黄ばんだ一線になって横たわる、
夕日の最後の残光になったのだろう
・・・・・・・何故だろう
しかしだんだんに、われらにはわかってきた
天皇制は列国の論議のうちに、風に揺られる白い辛夷(こぶし)の花のように、
危険な青空へ花冠を さしのべてゆらいでいた
昭和二十年の晩秋、
幣原首相は拝謁の際、陛下に次のようなお言葉を承った
『 昔、ある天皇が御病気に羅られた
天皇御自身が、医者を呼べと仰せられると、
宮中の者たちは、
神であらせられる玉体に、医者ごときが触れ奉るはおそれ多いと、
医者も呼ばず、薬もさしあげず、御病気は悪化して亡くなられた
とんでもないことではないか 』
このお言葉によって陛下は、
民主主義日本の天皇たるには、
神格化を是正せねばならぬと暗示されたのである。
陛下の前に立っていたのは、いろいろ苦労を重ねてきた立派な忠実な老臣だった
軍隊と聞くだけで鳥肌立つ、深い怨みから生まれた平和主義者、
皺だらけの自由と理性の持主、立派なイギリス風の老狐だった
昭和のはじめから、
陛下がもっとも信頼を倚せたもうていた
一群の身じまいのいい礼儀正しい紳士たちの一人だった
彼は恐懼して、こう申上げた
『 国民が陛下に対し奉り、
あまり神格化扱いを致すものでありますから、
今回のように軍部が
これを悪用致しまして、こんな戦争をやって遂に国を滅ぼしてしまったのであります
この際これを是正し、改めるように致さねばなりません』
陛下は静かに肯かれ、
『 昭和二十一年の新春には一つそういう意味の詔勅を出したいものだ 』
と 仰せられた
一方、その十二月の中頃、
総司令部から宮内省に対して、
『 もし天皇が神でない、というような表明をなされたら、天皇のお立場はよくなるのではないか 』
との示唆しさがあった
かくて幣原は、改めて陛下の御内意を伺い、
陛下御自身の御意志によって、それがだされることになった
幣原は、自ら言うように
『 日本はよりむしろ外国の人達に印象を与えたいという気持ちが強かったものだから、
まず英文で起草 』 したのである
その勅書の一節には、
英文の草稿にもとづき、こう仰せられている
『 然れども 朕 は爾等国民と共に在り、常に利害を同じふし休威を分たんと欲す
朕 と爾等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、
単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず
天皇を以て現御神とし、
且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、
延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものに非ず 』
・・・・今われらは強いて怒りを抑えて物語ろう
われらは神界から逐一を見守っていたが、
この 『 人間宣言 』 には、明らかに天皇御自身の御意志が含まれていた
天皇御自身に、
『 実は朕は人間である 』
と仰せ出されたいお気持ちが、
積年に亙って、ふりつもる雪のように重みを加えていた
それが大御心であったのである
忠勇なる将兵が、
神の下された開戦の詔勅によって死に、
さしもの戦いも、神の下された終戦の詔勅によって、
一瞬にして静まったわずか半歳あとに、
陛下は、
『実は人間であった』
と 仰せ出されたのである
われらが神なる天皇のために、身を弾丸となして敵艦に命中させた、
そのわずか一年あとに・・・・
あの 『 何故か 』 が、
われらには徐々にわかってきた
陛下の御誠実は疑いがない
陛下御自身が、実は人間であったと仰せ出される以上、
そのお言葉にいつわりのあろう筈はない
高御座 ( たかみくら ) にのぼりましてこのかた、陛下はずっと人間であらせられた
あの暗い世に、一つかみの老臣どものほかには友とてなく、たったお孤りで、
あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた
清らかに、小さく光る人間であらせられた
それはよい
誰が陛下をお咎めすることができよう
だが、
昭和の歴史においてただ二度だけ、
陛下は神であらせられるべきだった
何と云おうか、人間としての義務 ( つとめ ) において、神であらせられるべきだった
この二度だけは、陛下は人間であらせられるその深度のきわみにおいて、
正に、神であらせられるべきだった
それを二度とも陛下は逸したもうた
もっとも神であらせられるべき時に、人間にましましたのだ
一度は兄神たちの蹶起の時。
一度はわれらの死のあと、国の敗れた時である。
歴史に 『 もし 』 は 愚かしい
しかし、もしこの二度のときに、陛下が決然と神にましましたら、
あのような虚しい悲劇は防がれ、
このような虚しい幸福は防がれたであろう
この二度のとき、
この二度のとき、
陛下は人間であらせられることにより、
一度は軍の魂を失わせ玉い、
二度目は国の魂を失わせ玉うた
御聖代は二つの色に染め分けられ、
血みどろの色は敗戦に終り、
ものうき灰いろはその日からはじまっている
御聖代が真に血にまみれたるは、
兄神たちの至誠を見捨てたもうたその日にはじまり、
御聖代がうつろなる灰に充たされたるは、
人間宣言を下されたし日にはじまった
すべて過ぎし来しことを 『 架空なる観念 』 と 呼びなし玉うた日にはじまった
われらの死の不滅は瀆 (けが) された・・・・・
ああ、ああ、嘆かわし、憤いきどおろし
ああ
ああ
そもそも、綸言汗のごとし、とは、いずこの言葉でありますか
神なれば勅により死に、神なれば勅により軍を納める
そのお力は天皇おん個人のお力にあらず、
皇祖皇宗のお力でありますぞ
ああ
ああ
もし すぎし世が架空であり、
今の世が現実であるならば、
死したる者のため、
何ゆえ陛下ただ御一人ごいちにんは、
辛く苦しき架空を護らせ玉わざりしか
陛下ただ人間ひとと仰せ出されしとき
神のために死したる霊は名を剥奪せられ
祭らるべき社やしろもなく
今もなおうつろなる胸より血潮を流し
神界にありながら安らいはあらず
日本の敗れたるはよし
農地の改革せられたるはよし
社会主義改革も行わるるがよし
わが祖国は敗れたれば
破れたる負目を悉く肩に荷うはよし
わが国民はよく負荷に耐え
試練をくぐりてなお力あり
屈辱を嘗めしはよし、
抗すべからざる要求を潔く受け容れしはよし、
されど、ただ一つ、ただ一つ、
いかなる強制、いかなる弾圧、
いかなる死の脅迫ありとても、
陛下は人間ひととなりと仰せらるべからざりし
世のそくり、人の侮りを受けつつ、
ただ陛下御一人、神として御身を保たせ玉い、
そを架空、そをいつわりとはゆめ宣のたまわず、
( たといみ心の奥深く、さなりと思おぼすとも )
祭服に玉体を包み、夜昼おぼろげに
宮中賢所のなお奥深く
皇祖皇宗のおんみたまの前にぬかずき、
神のおんために死したる者らの霊を祭りてただ斎き、
ただ祈いつきりてましまさば、
何ほどか尊かりしならん
などてすめろぎは人間ひととなりたまいし
などてすめろぎは人間ひととなりたまいし
などてすめろぎは人間ひととなりたまいし
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三島由紀夫著、英霊の聲 から