昭和・私の記憶

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軍人勅諭 「朕は汝等軍人の大元帥なるぞ」

2013年07月31日 16時01分40秒 | 9 昭和の聖代

陸海軍軍人に下し賜りたる勅諭

我國の軍隊は、世々天皇の統率し給ふ所にぞある。
昔神武天皇、躬づから大伴物部の兵つはものどもを率ゐ、
中國もろつくにのまつりはぬものどもを討ち平げ給ひ、
高御座たかみくらに即かせられて、天下あめのしたしろしめし給ひしより二千五百有餘年を經ぬ。
此間、世の様の移り換るに随ひて、兵制の沿革も亦屡しばしばなりき。
古は天皇躬づから軍隊を率ゐ給ふ御制おんおきてにて、
時ありては、皇后皇太子の代らせ給ふこともありつれど、
大凡兵權おおよそへいけんを臣下に委ね給ふことはなかりき。
中世なかつよに至りて、文武の制度、皆唐國風からくにぶりに傚ならはせ給ひ、
六衛府を置き、左右馬寮そうめりょうを建て、
防人など設けられしかば、兵制は整ひたれども、打續ける昇平に狃れて、
朝廷の政務も漸ようやく文弱に流れければ、兵農おのづから二に分れ、
古の徴兵はいつとなく壯兵の姿に變かわり、遂に武士となり、
兵馬の權は一向ひたすらに其武士どもの棟梁たる者に歸し、世の亂らんと共に政治の大權も亦其手に落ち、
およそ七百年の間、武家の政治とはなりぬ。
世の様の移り換りて斯なれるは、人力ひとのちからもて挽回ひきかえすべきにあらずとはいひながら、
且は我國體に戻り、且は我祖宗の御制に背き奉り、淺間しき次第なりき。
くだりて弘化嘉永の頃より、徳川の幕府其政衰へ、剰あまつさえ外國の事ども起こりて、
其侮あなどりをも受けぬべき勢に迫りければ、朕が皇祖仁考天皇、皇考孝明天皇、
いたく宸襟を悩し給ひしこそ忝かたじけなくも亦惶かしこけれ。
然るに朕幼いとけなくして天津日嗣ひつぎを受けし初、はじめ 征夷大將軍其政權を返上し、
大名小名其版籍を奉還し、
年を經ずして海内一統の世となり、古の制度に復しぬ。
是文武の忠臣良弼ひつありて、朕を輔翼せる功績いさおなり、
歴世祖宗の専蒼生もはらそうせいを憐あわれみ給ひし御遺澤ごゆいたくなりといへども、
しかしながら我臣民の其心に順逆の理ことわりを辨わきまへ、大義の重きを知れるが故にこそあれ。
されば此時に於て兵制を更め、我國の光を耀かがやかさんと思ひ、
此十五年が程に、陸海軍の制をば今の様に建定めぬ。
夫兵馬の大權は朕が統ぶる所なれば、其司々つかさづかさをこそ臣下には任すなれ、
其大綱は朕親みづから之を攬り、肯あえて臣下に委ぬべきものにあらず。
子々孫々に至るまで篤く斯旨を傳へ、
天子は文武の大權を掌握するの義を存して、
ふたたび中世以降の如き失體なからんことを望むなり。
朕は汝等軍人の大元帥なるぞ
されば朕は汝等を股肱と頼み、汝等は朕を頭首と仰ぎてぞ、
其親
したしみは特に深かるべき
朕が國家を保護して、上天の惠に應おうじ、祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得ざるも、
汝等軍人が其職を盡すと盡さざるとに由るぞかし。
我國の稜威振はざることあらば、汝等能く朕と其憂を共にせよ。
我武維揚りて其榮を耀かがやかさば、朕汝等と其譽ほまれを偕ともにすべし。
汝等其職を守り、朕と一心になりて、力を国家の保護に盡さば、
我國の蒼生は永く太平の福さいわいを受け、我國の威烈は大に世界の光華ともなりぬべし。
朕斯も深く汝等軍人に望むなれば、猶訓諭なおおしえさとすべき事こそあれ。
いでや之を左に述べむ。


一、軍人は忠節を盡すを本分とすべし。
およそ生を我國に稟くるもの、誰かは國に報ゆるの心なかるべき。
して軍人たらん者は、此心の固からでは物の用に立ち得べしとも思はれず。
軍人にして報國の心堅固ならざるは、如何程技藝に熟し學術に長ずるも、猶偶人にひとしかるべし。
其隊伍も整ひ節制も正くとも、忠節を存せざる軍隊は、事に臨みて烏合の衆に同おなじかるべし。
そもそも國家を保護し國權を維持するは兵力に在れば、兵力の消長は是國運の盛衰なることを辨わきまへ、
世論に惑はず、政治に拘らず、只々一途に己が本分の忠節を守り、義は山嶽よりも重く、
死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ。
其操みさおを破りて不覺を取り、汚名を受くるなかれ。


一、軍人は禮儀を正しくすべし。
凡軍人には上元帥より下一卒に至るまで、其間に官職の階級ありて統屬ぞくするのみならず、
同列同級とても停年に新舊きゅうあれば、新任の者は舊任の者に服從すべきものぞ。
下級のものは、上官の命を承うけたまわること、實は直に朕が命を承る義なりと心得よ。
己が隷屬する所にあらずとも、
上級の者は勿論、停年の己より舊ふるきものに對しては、總べて敬禮を盡すべし。
又上級の者は下級の者に向ひ、聊いささかも輕侮驕傲けいぶきょうごうの振舞あるべからず。
公務の爲に威嚴を主とする時は格別なれども、其外は務めて懇ねんごろに取扱ひ、慈愛を専一と心掛け、
上下一致して王事に勤勞せよ。
若軍人たる者にして礼儀を紊みだり、上を敬うやまはず下は惠まずして、一致の和諧かかいを失ひたらんには、
ただに軍隊の蠧毒とどくたるのみかは、國家の爲にもゆるし難き罪人なるべし。


一、軍人は武勇を尚たうとぶべし。
それ武勇は我國にては古いにしえよりいとも貴とうとべる所なれば、我國の臣民たらんもの、武勇なくては叶ふまじ。
して軍人は、戰に臨み敵に當るの職なれば、片時も武勇を忘れてよかるべきか。
さはあれ、武勇には、大勇あり小勇ありて同からず。
血氣にはやり、粗暴の振舞などせんは、武勇とは謂ひ難し。
軍人たらむ者は常に能く義理を辨わきまへ、能く膽力たんりょくを練り、思慮を殫つくして事を謀るべし。
小敵たりとも侮あなどらず、大敵たりとも懼おそれず、己が武職を盡さむこそ、誠の大勇にはあれ。
されば武勇を尚ぶものは、常々人に接まじわるには温和おんかを第一とし、諸人しょにんの愛敬を得むと心掛けよ。
よしなき勇を好みて猛威を振ひたらば、果は世人よのひとも忌いみ嫌ひて、豺狼さいろうなどの如く思ひなむ。
心すべきことにこそ。


一、軍人は信義を重んずべし。
凡信義を守ること常の道にはあれど、
わきて軍人は、信義なくては一日も隊伍の中に交まじりてあらんこと難かたかるべし。
信とは己が言を践行ひ、義とは己が分を盡すをいふなり。
されば信義を盡さむと思はば、始より其事の成し得べきか得べからざるかを審つまびらかに思考すべし。
朧気おぼろげなる事を假初かりそめに諾うべなひてよしなき關係かんけいを結び、後に至りて信義を立てんとすれば、
進退谷きわまりて身の措き所に苦むことあり。悔ゆとも其詮なし。
はじめに能々事の順逆を辨わきまへ、理非を考へ、其言ことは所詮践むべからずと知り、
其義はとても守るべからずと悟りなば、速に止るこそよけれ。
いにしえより或は小節の信義を立てんとて大綱の順逆を誤り、
或は公道の理非に践迷ひて私情の信義を守り、
あたら英雄豪傑どもが禍わざわいに遭ひ身を滅し、
かたねの上の汚名を後世のちよまで遺のこせること、其例ためすくなからぬものを。 
深く警いましめてやはあるべき。


一、軍人は質素を旨とすべし。
およそ質素を旨むねとせざれば、文弱に流れ輕薄けいはくに趨はしり、驕者華靡の風を好み、
遂には貧汚たんおに陥りて志も無下に賤いやしくなり、
節操も武勇も其甲斐なく、世人よのひとに爪はじきせらるる迄に至りぬべし。
其身生涯の不幸なりといふも中々愚おろかなり。
此風一たび軍人の間に起こりては、彼の傳染病の如く蔓延し、
士風も兵氣も頓ともに衰へぬべきこと明なり。
朕深く之を懼れて、曩さきに免黜条例めんじゅうごうれいを施行し、
ほぼ此事を誡いましめ置きつれと猶も
其惡習の出いでんことを憂ひて心安からねば、故に又之を訓おしふるぞかし。
汝等軍人ゆめ此訓誡このおしえを等閑なおざりにな思ひそ。


右の五ヵ條は、軍人たらむもの暫しばしも忽ゆるがぜにすべからず。
さて之を行はんには、一ひとつの誠心こそ大切なれ。
そもそも此五ヵ條ごうは我軍人の精神にして、一の誠心は又五ヵ條の精神なり。
心誠ならざれば、如何なる嘉言かげんも善行も皆うはべの装飾かざりにて、何の用にかは立つべき。
心だに誠あれば、何事も成るものぞかし。
況してや此五ヵ條は天地の公道、人倫の常經なり。
行い易く守り易し。
汝等軍人、
能く朕が訓に遵ひて此道を守り行ひ、
國に報ゆるの務を盡さば、日本國の蒼生擧こぞりて之を悦びなん。
朕一人の懌よろこびのみならんや。


明治十五年一月四日

御名


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