心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

神戸 板宿八幡神社

2024年03月15日 | 名所巡り(兵庫)

 

名所巡りに欠かせないデジカメとスマホをポケットに押し込み

肌寒い早朝に神戸市須磨区の板宿八幡神社を参詣するために

神戸高速線の大開駅から3駅隣の板宿駅に足を運びました

 

現在の板宿八幡神社は、

おらが町の鎮守さん的な小さな神社ではあるのですが

ある伝説と関係する神社なので

前々から一度は参詣しておきたかったんですよね。

 

 

 

神戸 板宿駅『カルタゴ』

 

現在のチュニジアにあたる場所にあった

北アフリカの古代都市『カルタゴ』は、

紀元前3世紀にローマ軍によって破壊されましたが

後年再建されて美しい港湾都市として栄えました。

 

彫刻作品『カルタゴ』は、阪神淡路大震災で

大きな被害を受けた神戸がカルタゴのように

力強く再建し栄えることを願って建立されました。

 

 

 

 

この彫刻作品『カルタゴ』は、1996年(平成8年)に

天野祐夫氏によって製作された作品とのことで

象のような亀のような奇妙な生物の背中には、

これまた奇妙な建物のようなものが乗っかっています。

 

芸術感性が溢れているとは言えない私が見て思うのは

自由奔放に造形された彫刻作品『カルタゴ』

今回の様に通りすがりに目に留まれば

少しは足を止めて観賞するかと思いますが、

この彫刻作品を目当てに板宿駅まで足を運ぼうとまでは思えない。

 

しかし見る人が違えばまた違った想いを持つもので

2002年(平成14年)の日韓ワールドカップが行われた際に

この彫刻作品の存在を耳にしたチュニジアの大使が

この作品を観賞するためにわざわざ訪れたらしい。

 

 

 

震災遺構「止まった時計」

 

神戸市須磨区飛松町のプレハブの美容院

『ビューティーサロン西薗』の店前の鉄塔には

阪神淡路大震災の衝撃で時を刻むのを止めた時計が

今もそのままの状態で残されています。

 

外側から見た分には何一つ変化がないのに

内部が破壊されたことで時を刻むのを止めた時計。

 

大震災の揺れの衝撃ってどんなんかなと思って

帰宅後に自分の部屋の安い壁かけ時計を外して

もう両腕を思いっ切り激しく振り続けてみたんですが

時計は何事もなかったように時を刻み続けていました。

 

こっちは両腕はパンパン、息は絶え絶え、

心臓の鼓動が停止する一歩手前。危なかった。

 

 

 

神戸 板宿八幡神社 参道

 

この石段は、板宿八幡神社まで続く参道の始まり。

 

まだ午前の早い時間ではあるのですが

私の後から参道の石段を一人、また一人と

足取り軽く登って来ては追い抜いていきます。

 

京都の錦天満宮を参拝した際にも、

朝早くから地元の人らしき人達が次々に参拝に訪れて

境内を後にしていく光景を見ましたが

板宿八幡神社の神様も地元の住民に愛されているようです。

 

 

 

 

先ほどの真っすぐ伸びる石段を登り切ったら

今度は右にぐねっと曲がってさらに続きます。

 

大宰府に流された菅原道真公が九州へ向かう途中、

須磨の風波が高く舟待ちをするために

現在の神社境内に里人達が板で作った簡単な宿を用意して

道真公をもてなしたことが板宿の地名の由来とされています。

 

わざわざ石段を登った所に簡易の宿を作るとは思えないので

おそらくですが平安時代の頃は、石段参道の始まりの辺り一帯は、

板宿八幡神社の境内だったと思うんですよね。

なので簡易の宿を用意したのは石段の下だと思うんですよね。

 

 

 

 

この真っすぐ長い石段を登り切ると雪国じゃなくて

目的地の板宿八幡神社の鳥居が現れた。

なんてことを期待して、おっちらおっちらと登ります。

 

 

 

 

901年、菅原道真公は、無実の罪を着せられたことで

平安京から大宰府へと左遷されることになり

道真公の紅梅御殿の庭木で特に愛でていた

梅の木、桜の木、松の木との別れを惜しみます。

 

道真公を慕う庭木の桜は

悲しみのあまりにみるみるうちに枯れてしまいましたが

梅と松は、道真公の後を追って空を飛びます。

 

松は、途中で力尽きて現在の神戸市須磨区板宿町の丘に降りて

そこに根を下ろしました。『飛松伝説』

梅は、道真公の暮らす大宰府まで見事に飛んで

その地に降り立ちました。『飛梅伝説』

 

 

 

参道脇の千両の木

 

903年に菅原道真公は、大宰府で亡くなったその後、

909年に無実の罪で追いやった主犯格の藤原時平が死去し、

京都のあちこちで落雷が多発します。

 

京都中が落雷に見舞われるなかで

不思議と道真公の邸宅があった京都桑原町だけが

落雷の被害に遭わなかったので

京都の人々は、我が所に落雷が落ちないようにと

『くわばら くわばら』とおまじないを唱えました。

 

これらの災いは、

道真公の怨念による祟りだとの噂が広まるなかで

京都御所の清涼殿に落雷した際に

菅原道真公の左遷に暗躍した二人が死亡

 

もうこうなると京都の人々の間で単なる噂であったものが

噂の域を超えて菅原道真公の祟りであると確定化し、

947年、朝廷の命によって道真公の魂を鎮めるために

京都の北野の地に道真公を祀る社殿を造営しました。

 

 

 

 

菅原道真公が神様として祀られたことに伴い

神秘的な伝承や伝説が色々と語られることになり

飛梅伝説もその一つです。

 

普通に考えれば、道真公の屋敷の梅の木が一夜にして

大宰府まで飛んでったなんて有り得るはずが無いので

道真公の神秘性を高めるための

誰かの創り話でしかないとなるのですが、

 

飛梅伝説が本当の話だとして考えてみると

誰かの手によって大宰府の道真公の元に

紅梅御殿の梅と松の木が急いで運ばれたことを

飛んでったと言い換えられたとすると

途端に伝説から神秘性が消えて現実味が帯びてきます。

 

 

 

 

現在の板宿八幡神社は、

境内の敷地は広くはないし、美しい庭園が有る訳でもなく、

眼を見張る凄い社殿がある訳でもなく、

参詣するためには長く続く石段を登らなくてはなりません。

 

そんな板宿八幡神社を一度は参詣しておきたかった理由は、

そうです。そうなんです。飛松伝説の場所なんですよね。

 

 

 

板宿八幡神社

 

ようやく着いたあ。着きました。

何でまた空を飛んだ松が力尽きて根を下ろしたのが

ここ板宿八幡神社だとされたのか。

 

神戸市の三大神社とされている

長田神社、湊川神社、生田神社のどれかではなくて

板宿八幡神社だったのには、なんか理由がありそうですが

何でもかんでも調べ上げずに分からないままにしておくのも

神秘性が残って面白い。

 

私が勝手に思うに世話になった里人らにお礼にと

京都から運んでいた松の木の苗木か種、

あるいは一部を贈答したのかなと。

 

 

 

板宿八幡神社 鳥居

 

以前に写真で見た鳥居は白い石の鳥居でしたが

朱色の鳥居に代わっていました。

 

おそらくですが大震災により旧鳥居は倒壊し壊れたので

新しい鳥居が建立されたのだと思われるのですが

間違っていたらゴメンやっしゃのゴメンくさい。

 

 

 

 

 

 

板宿八幡神社 社務所

 

この建物が社務所なのか、授与所なのか、参集殿なのか、

おそらく3つの役割を果たす建物かと。

 

社務所ー神社関係の事務、御祈祷の受付やお札等の準備を行う施設。

授与所ー参拝者にお札やお守り等を頒布する施設。

参集殿ー氏子の接待や会合等に使用される施設。

 

 

 

板宿八幡神社 飛松天神社

 

飛松とされる松の木は、高さ30mもあったとされていて

紀淡海峡を渡る舟人は、飛松を目印にして針路を定めていたと

1701年の書物に書き残されているようです。

 

しかし、大正時代に数回の落雷にあったことで飛松は枯死。

現在は、飛松の切株がこの天神社に残されています。

 

 

 

 

伝説の観点から考えると

天神様を慕って空を飛んでまで後を追いかけた松の木が

落雷にあって枯死するって何で?

天神様って京都中に落雷を落としまくった怖い神様なので

途中で力尽きた松を懲らしめたら、やり過ぎたって感じ?

 

 

 

 

菅原道真公に参拝するのではなくて

空を飛んで道真公の後を追いかけた松の木に参拝するのも

何か変な気もするし、

 

飛松の精霊が私の願いを道真公へと届ける途中で

またまた力尽きたりするかもと不安も少しありますが

私の想い天まで届けと参拝。

そして天神社に鎮座する飛松と御対面です。

 

 

 

 

この時、菅原道真公の伝説に触れている感じがして

なんかこう身体が少し震えるような感覚があるのは

道真公が放った優しく緩い電撃を感じているのかもね。

 

 

 

板宿八幡神社 手水舎

 

ちいさな手水舎の手水鉢と龍の彫刻。

 

 

 

 

 

 

板宿八幡神社 拝殿

 

午前中の早い時間にも関わらず

境内を訪れる多くの人とまでは言えないのですが

私が境内に滞在している間は、一人また一人と

趣のある立派な拝殿で参拝して帰っていきます。

 

 

 

 

 

 

富成稲荷大神・本延稲荷大神・船津加稲荷大神

 

末社のお稲荷様は、家内安全・商売繁盛の神様。

 

 

 

 

毎年、お正月に献灯される稲荷提灯。

昨年は白色の提灯、今年は赤色の提灯。

 

 

 

登山道

 

この稲荷大神の横にあった石段の先に奥の院があるかもと

登ろうとしたのですが背中にぞわっと寒気がして

登ることに躊躇していたら丁度石段上から人が降りて来たので

石段の先に何が有るのかを尋ねたら

なんとまあ登山道とのこと。登らなくて良かったあ。

 

この登山道について後で調べてみたら、

神戸市が主催する六甲全山縦走・半縦走大会のコースにもなっていて

須磨浦公園から宝塚までの約57㎞を走破するというもので

毎年、全国各地から2千人近くの申し込みがあるようです。

 

で、そのコース、その大会の様子はと言うと

 

 

石段を登って奥の院はまだかまだかと粘り強く歩いて行ったら

こんな所に出くわしていたようです。これ遭難レベルですよね。

 

 

 

 

目の前にこんな道が現れたら

まあさすがにおかしいと勘付くとは思いますし、

仮にこの先に奥の院があったとしても引き返すわな。

 

で、朝早くから1人また一人と絶えなかった参拝者は

もしかしたら板宿八幡神社の参拝を目的にと言うよりも

登山愛好者の方々だったかも知れません。

 

 

 

旧板宿八幡神社 石鳥居

 

震災で倒壊した旧石鳥居の一部かなと。

間違っていたらゴメンやっしゃのゴメンくさい。

 

 

 

板宿八幡神社 境内からの景観

 

予定では板宿八幡神社からそう遠くはない所に

梅の名所と言われる神社に参拝に向かうつもりでしたが

板宿八幡宮に参拝に来ていた人から

あそこの梅はもう散っているとの情報を得ることが出来たので

今回は、これで帰宅することにしました。

 

 

 

 

元来た石段を下って板宿駅に向かいます。

 

 

 

神戸 鬼平コロッケ

 

神戸で7店舗運営されている鬼平コロッケ。

これまで食べたことが無かったので購入してみることに。

 

各種コロッケ3つに、ミンチカツに、アジフライに、

じゃが串に、たまねぎ串に、ポテトサラダ。買い過ぎたあ。

 

 

 

 

帰宅してから昼食用にと購入したのですが

我慢できずに3つのコロッケを食べ歩きでモグモグ。

 

一番肝心なコロッケの味はと言うと

さすがにコンビニやスーパーの惣菜のコロッケは凌駕していて

特に印象的だったのがパン粉のサクサク食感。

 

コロッケを求める人が行列をつくる神戸元町の森谷商店の

「どうだ美味いっしょ」的なコロッケの味とは違う

毎日食べてもくどく感じない味なので

近くにあったらちょくちょくと購入したい感じです。

 

 

 

神戸 板宿本通商店街

 

アーケードのある商店街の通りを多くの人が

往来する雰囲気って好きなんですよね。

 

キョロキョロと散策しながら歩いていると

おっちょっと立ち寄ろうかと思ったお店が数店舗。

そのどのお店も入り口の扉には

支度中の札がぶら下がっていて残念無念。

 

今回の名所巡りで『飛松伝説』に触れたので

後は『飛梅伝説』となるのですが

飛梅が飛んでった所が福岡県大宰府の太宰府天満宮。

 

文明の利器を利用して空をひとっとびすれば

一夜も要さずに辿り着けるのですが、

さすがに日帰りは無理があるし勿体ないので

何泊するかの本格的な国内旅行となります。

 

日帰り圏内の兵庫県内、京都、奈良、滋賀等の近場に

まだまだ訪れておきたい場所が残っていて

そちらを優先したい気持ちが強いので、いつになるやらです。

 

 

 

催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリングルーム花時計



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。