今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

昭和歌謡大全集・99年夏 後編

2006-07-27 16:51:39 | 歌番組

CM明け、トーク
ゲスト:島倉千代子
ひばり&鶴田の想い出を語るお千代さん。
トップ「何ノロケてんだか…」
映画で酔っ払って鶴田に介抱されるシーンを思い出してニンマリする千代子。
他はひばり誕生会に呼ばれた時に、色紙を持っていってサインをしてもらった話など。
VTR
鶴田浩二「悲しい酒」(50年6月4日放送・心で歌う50年)
美空ひばり「日陰者」(50年6月4日放送・心で歌う50年)

鶴さん
鶴田浩二「赤と黒のブルース」(50年6月4日放送・心で歌う50年)
美空ひばり「あの丘越えて」(50年6月4日放送・心で歌う50年)

「悲しい酒」「日陰者」それぞれ、台詞は鶴田・ひばり本人が担当。
ナレーションは高橋圭三。

CM明け、いきなりお嬢。
VTR
美空ひばり「川の流れのように」(平成元年1月15日放送「演歌の花道」)

CM明け、トーク
ゲスト:岡本敦郎、菅原都々子
当時の思い出を語る。
菅原は「月がとっても青いから」の秘話を披露。
父(陸奥明)がエレジー(悲歌)モノが多いので、陰気臭い娘に思われるのは心外だと思ったらしく、友人・清水みのるに頼んだそうである。
清水は「ツヅちゃんの顔なら子供の頃から良く知ってるから、すぐできる」と快諾。
最初は「遠回りして帰ろう」というタイトルだったそうだ。
トップ「遠回りして帰ろうって何か悪いことしたみたいだな
ツボにハマった都々子

VTR
自己陶酔の世界へ行ってます
岡本敦郎「白い花の咲く頃」(49年2月17日放送・なつかしの歌声)

今に人肉も食らいそう
織井茂子「君の名は」(48年2月24日放送・なつかしの歌声)

顔と声が一致しないシト
菅原都々子「月がとっても青いから」(47年10月22日放送・なつかしの歌声)

織井さん、怖い(笑)
菅原センセ、可愛い(-^〇^-)
歌謡界の元祖アイドルとしてこれからも頑張って欲しいんですけど・・・。

CM明け、トーク。
ゲスト:大津美子、三浦洸一、青木光一
昭和32年時の思い出。
ゴルフブーム元年ということで盛り上げる男性陣。
青木「(トップに)ステテコ履いて(ゴルフ場に)行ってたでしょ
他にもよろめきブームがあった年があったそうである。
VTR
往年の植木等が着てそうなスーツ

三浦洸一「踊子」(47年10月29日放送・なつかしの歌声)

♪オイラ岬の~
若山彰「喜びも悲しみも幾年月」(49年1月13日放送・なつかしの歌声)

現・歌手協会会長
青木光一「柿の木坂の家」(48年3月17日放送・なつかしの歌声)

若山は追悼の意味もある(98年12月没、71歳)。
青木の映像ではみんな「若い、若い」と盛り上がる。
当時の歌手協会会長
・・・大して変わってないんですけどねf(^_^;

CM明け、いよいよラスト曲。
VTR
自由の女神

大津美子「ここに幸あり」(昭和49年1月13日放送「なつかしの歌声」)


やっぱり当時を良く知るコロムビア・トップ師匠がいると場が盛り上がるし、話にも幅が出ます。
ゲストも最低限に絞ってある分、トークもブツギリになり過ぎない。
旅コーナーのような無駄な部分が無い。
…選曲はオーソドックスでしたが、しっかり作ってあるように思います。
まだ7年前はこういう番組が出来たのかと思うと何だか複雑な心境です。
もう少し早くこの番組の存在を知ることが出来れば、そう思えてなりません。
しかし、今の酷い状態を見ると少しでも間に合ってよかったとも…。


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1 コメント

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昭和歌謡大全集について (resistance-k)
2007-08-17 02:26:57
この番組、実は私は第1回(1992年夏)から見ています。
最初期の頃はいろんな懐メロ番組や歌番組を片っ端から映像保存していたので、この番組は貴重な資料の宝庫にもなっていました。

確か、最初はトップ師匠はおられず、玉置さんとチータさんの2人のみの司会だったような。
第1回目では藤山一郎さんがちょうど国民栄誉賞を受賞してまもなくの頃でVTRで出演していましたし、市丸さんも確かスタジオで出演していたと記憶してます。出てくる映像も見事なレトロ映像、しかもノイズや色ムラなどは殆どなく鮮明なものばかり。それはそれは内容が濃かったです(ただ、この番組のベースにある「なつかしの歌声」の映像が保存されているのは、この番組での映像で出てくる放送日テロップを見る辺り、1969年秋以降のようで、最初の仮放送やレギュラー開始から1年間の映像については全く残っていないようですね…。この最初の頃の映像もぜひ見たかったところなんですけど)。

ただ、或る時期に確か2夜連続で番組を放送したことがあり、第一夜が昭和30年代前半ぐらいまで、第二夜が昭和50年代までの唄を取り上げるという形で、第一夜のみトップ師匠、第二夜のみうつみ宮土理さんがそれぞれゲスト司会として参加するという構成を採ったことがあり、その辺りから、徐々に昭和20年代までの唄が軽視され、40年代以降の唄の比重が重くなっていってしまった、という傾向が回を追うことに強まっていったようで、番組の希少価値性もその辺から地に堕ちたという雰囲気がありますね。

テレビ東京は近年、過去の「B級放送局」というイメージからの決別をれっきとしたモットーとして打ち出しているそうで、なにかと他局の構成と類似したような番組ばかりを作っていて、この番組もその「悪い風潮」に見事に飲み込まれてしまったようですね…。
あと、うつみさんはちょっとなあ・・・、といった感じが。別に彼女が昭和40年代からの唄をよく知っているという根拠は見当たらないんですよね…(それだったら、彼女より年長だが、それこそこの時代に歌番組の女帝として君臨していた黒柳徹子さんや芳村真理さんのほうがはるかにこの時代の歌や歌手の事情をよくご存知でしょうに…)。

正直、テレビ東京にとっては「お荷物」になりつつあるようで、いつ終ってしまってもおかしくはない状態なのかも…。この番組の完全終了のときが「テレビ東京のよい個性が完全に死んだ」ときになっちゃうことをなんでテレビ局の側は分かってないんでしょうかね…(これはどこの局でも言えることですけども)。

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