今でも春・夏の年2回放送される、テレビ東京十八番特番「昭和歌謡大全集」。
第1回の放送が92年だったそうで、今年春までで26回放送されている模様。
私が、初めてこの番組を見たのは99年夏でした。
毎回楽しみに見ていますが、やはり7年も見ていると映像のダブりが多くなります。
時代の流れか年々戦前・戦後歌謡曲も流れなくなってきました(または1コーラスで切られる)。あげく「歌番組なのに」司会者の旅コーナーで1時間以上…。
残念ながらこの番組はドンドン内部崩壊を始めています。
それでも、1曲でも貴重映像があれば…と思って見てますが、今年春は酷いもので…。
「昭和歌謡大全集は死んだ」と筑紫哲也ばりに言いたくなりましたね(笑)。
それでも私はこの番組が放送終了と相成るまで見届ける覚悟です。
さて、今回の「昭和歌謡大全集」は2000年夏に放送したものの記録です。
OPトーク~コロムビア・トップ登場。
トップ、玉置宏に促されて「なつかしの歌声」のフレーズを披露。
トップ「老いたる者には過ぎにし青春の郷愁を、若人には呼べど逝にて再び帰り来たらぬ古の幻を、さらば参りましょう昭和歌謡大全集」
VTR
大津美子「ここに幸あり」(昭和49年1月13日放送「なつかしの歌声」)
トップ師匠健在、玉置センセもまだしゃべりがチャンとしてます(最近はカツゼツが…)
ことに時代を感じます。
トーク
ゲストは、大津美子、こまどり姉妹、花村菊江、松山恵子、和田弘とマヒナスターズ、曽根史郎、青木光一、白根一男。
テレビ時代(創世記)のスターというくくり。
「当時のギャラは幾らか?」という質問に、みんな覚えていない。
こまどり曰く「500円くらい?」
和田弘「うちなんか6人だから余計わかんない」
他にはテレビカメラのレンズの話。
VTR
こまどり姉妹「ソーラン渡り鳥」(昭和56年7月12日放送「夏祭りにっぽんの歌」)
花村菊江「潮来花嫁さん」(昭和49年2月10日放送「なつかしの歌声」)
松山恵子「未練の波止場」(昭和47年9月9日放送「なつかしの歌声」)
ゲストのうち、和田弘・松山恵子の2名はお亡くなりに・・・。
花村菊江の映像が流れたとき、「あら~」とあまりの変わりように声が(笑)
お恵ちゃんはマドロス姿での歌唱。このときの衣装は30年後も歌番組で披露した事があるのを思い出しました。
チータはこの歌手たちの歌は東京で聴いているそうである。
潮来花嫁さんはコンクールの課題曲だったそうだ。
VTR
マヒナ「泣かないで」(平成5年12月31日放送「年忘れにっぽんの歌」)
曽根史郎「若いおまわりさん」(昭和59年7月14日放送「夏祭りにっぽんの歌」)
青木光一「早く帰ってコ」(昭和48年12月31日放送「年忘れ大行進」)
白根一男「次男坊鴉」(昭和47年7月1日放送「なつかしの歌声」)
全国警察官友の会推薦なんだそうだ「若いおまわりさん」(笑)
「次男坊鴉」の演奏はスィング感たっぷりで聴いていて心地よい。
オリジナル音源は何かもたついた感じがするし、再録音は問題外。
前回放送時から今回放送までの間に亡くなった歌手の追悼コーナー
淡谷のり子(99年9月29日没、享年92)
渡辺はま子(99年12月31日没、享年89)
池眞理子(00年5月30日没、享年83)
青江三奈(00年7月2日没、享年54)
淡谷の想い出は菊池章子が語る。
形見の指環を見ながら、元気でいなきゃと思うのだがなかなか元気になれないそうである。
渡辺はま子の思い出は二葉あき子。
二葉「渡辺さんはね、そうあの頃は歌手もあまり多くなかったから、淡谷センセ、渡辺はま子さん、私って順番なの。それで渡辺センセはとっても明るい方で、夏になると思い出すんですけど、ビールをよく召し上がって、疲れちゃったからアンマさん呑もうよっていてね、アンマさんがビールになってね、二人で呑んでてね、みんな宿の人も寝ちゃったもんだから、アンマさん探しに行こうって、二人で台所行って、ビールがここらへんにあるよって二人で呑んだ記憶があります」
池眞理子は並木路子、青江三奈はチータがそれぞれ想い出を語ってました。
菊池「華がある方ね、とっても素敵なね」(青江を評して)
VTR
淡谷のり子「別れのブルース」昭和45年9月15日放送「なつかしの歌声」
渡辺はま子「蘇州夜曲」昭和45年10月6日放送「なつかしの歌声」
池眞理子「愛のスウィング」昭和48年12月31日放送「年忘れ大行進」
青江三奈「恍惚のブルース」平成4年9月27日放送「演歌の花道」
青江のVTRの時にはチータ号泣。
しかし、このビデオを見る限り、並木センセが翌年亡くなるとはとても見えない…。
菊池・並木は故人、二葉は引退…。時代の流れを感じずにはいられないです。
昭和10年代コーナー。
トップ師匠と玉置宏のトーク。
レコードの溝の話などから…
玉置「それを語っていただけるのは今やトップさんしかいないですから」
トップ「いるよ向こうに(笑)、田端義夫さんとか。塩まさるさんなんてもっと知ってるよ」
会場爆笑。
VTR
東海林太郎「赤城の子守唄」昭和46年7月22日放送「なつかしの歌声」
藤山一郎「東京ラプソディー」昭和48年10月7日放送「なつかしの歌声」
ディック・ミネ「或る雨の午后」昭和46年7月29日放送「なつかしの歌声」
トップ師匠の思い出
東海林「楽屋で並べられる駄洒落がきつかった。笑わなきゃ怒るし、笑いすぎりゃまた怒るし」
藤山「奥さんがよく楽屋掃除しに来たの」
ディック「想い出がありすぎちゃって何しゃべっていいか全然わかんない」
トーク
ゲストは昭和12年デビュー:塩まさる、昭和14年デビュー:田端義夫。
灰田勝彦の思い出
「青春が歩いてるような感じ」(田端・談)
霧島昇の思い出
「霧さんは同じ区域で育った。いわば親戚同士みたいなものだった」(塩・談)
VTR
塩まさる「九段の母」昭和45年12月31日放送「年忘れ大行進」
田端義夫「大利根月夜」昭和47年11月19日放送「なつかしの歌声」
霧島昇「誰か故郷を想わざる」昭和45年10月6日放送「なつかしの歌声」
灰田勝彦「新雪」昭和49年3月31日放送「なつかしの歌声」
何だかバタヤンより塩まさるの方がしっかりしてるように見える。
既にボケが来てるバタヤン、これから6年、今も健在です。
バタヤンのギターが例のオンボロギターじゃない(驚)。
霧島は元ボクサーだったそうである(トップ・談)
(後編へ続く)
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