一句鑑賞

とどまる

春昼の指とどまれば琴も止む   野沢節子

久しぶりに歳時記を開いてみると、こんな句があったのですね。

なんとなく物憂げになりやすい季節ですね。琴を弾いていて何か思うことがあったのか、或は気だるさを感じだのか分かりませんが、指まで重く感じたのでしょう。琴の糸はかなり強く張ってあります・・・気を込めて弾かないと音になりません。

座敷には母の箏が三面立てかけたまま。また三味線もケースに納めたまま。撥や琴の柱(じ)は象牙でこれまた箱の中・・・祖父は尺八でした。

尺八は兄が貰っている、六段を途中までやったそうだ。三味線は弟が若い頃に母が通っていた先生から六段を習い、全て暗譜で弾けるようになったのだが・・・私?お琴を子供の頃に桜変奏曲などを(笑)・・・もし母に娘がいたら大変だったでしょうね!徹底して教えられたでしょう(笑)。

箏三絃はけっこう値打ち物です、兄弟で相談して行く先を決めないといけません。たぶん懇意にしていたお琴屋さんに相談することになるでしょうが。

野沢節子の句に・・・臥して見上ぐる琴の丈、という句があります。上五を直ぐに思い出せないのですが。この句を昔に母へ、俳句にはこんな句もあるとばい、と言いますと感心していたことを思い出します。その箏の下に帰って来たのです。通夜葬儀のBGMは筝曲古曲のCDを流しました。

四月になりますね。気持ちも変えていかなくてはなりませんが、敢えて母のことを思いだすことも先への元気になります。

ではおやすみなさい

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