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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

バラ色の夢

2006年03月15日 | Weblog
米国の世界支配の下請け工場で、かつ、米国農業の市場でもあり続けている日本は、教育においても米国流の教育を最高としてきた。民主主義の米国は、バラ色の夢に満ちたすばらしい国だから第一に学ぶべきものである。アメリカン・ドリームというやつである。
しかしそうだろうか。
明治維新以来欧化政策をとってきた日本の支配層が、大東亜.太平洋戦争で米国にこてんぱんに叩きのめされた途端、学びの先生を急遽欧州から米国にかえて、無批判に受け入れたのが戦後である。現在も、米国留学帰りの経済学者が、政権について、市場原理を謳って多くの失業者を自殺に導いている。
軍事力において世界最強の米国が敗北したのは中ソに後押しされたヴェトナムにだけである。それ以来、米国は、斜陽化して、毎年膨大な財政赤字を出し続けている。ドルが世界の基幹通貨であり続ける限り、米国は世界経済を支配続けられるであろうが、その膨大な債務を日本などによって支えられている。ある日、突然そのドル紙幣が紙くず同然になるかもしれない。政治経済文化の全ての面で教師だった米国先生が、ただのコピー商品を押し付けている乞食だったということになるのだ。
米国が今唯一頼りにできるのは、その軍事力だが、民衆に後押しされるゲリラやテロには、それも怪しくなってきている。
それでも、前の大戦で衝撃的な敗北を喫した日本の指導部は、米国先生から脱却できないでいる。確かに、民主主義国米国は全て正しいと教育されてきたのだから、米国の強引な手口は全て許されてきた。最近のWBC世界野球クラシック戦での強引な誤審などを見てもその考えに異を唱えられる政治家など政府にはいないであろう。「NO」と言った途端、政治の場から引きずりおろされるのは目に見えている。牛肉も1日も早く輸入再開するのが、政権のお仕事である。「基地再編」でも同じことだ。自衛隊は、米軍の支配下にある。最近ウィニーを使うパソコンによる自衛隊や警察の情報漏洩が問題になったが、パソコンのネット情報そのものが、米国の支配下にあり、米国の武器を使う自衛隊の情報ははじめから米軍に筒抜けなのだ。米国の意になど逆らえないのだ。首相になるときも、首相をやめて権力を温存したいときも、米国政府のご機嫌伺いに参勤交替にいかねばならないのである。日本の政権は、徳川時代に参勤交替しなければ藩政を敷けなかった各藩のように米国政府に認められなければ政権につけない。
民主主義であるはずの米国は、実は、国内的には、その体裁をとっているが、古代ギリシアのように自国だけの民主主義で、弱小な他国に対しては武力であり、ご都合主義である。都合の悪い他国の支配者には独裁のレッテルを貼って喧伝し、都合のいい独裁者は持ち上げる。イーラーンの核利用は認めないが、インドの核利用は認めるのだ。米国政府によって維持されている独裁国と王国がいかに多いことか。米国のご都合主義があからさまになってきている。なり振り構わないといっていい。それだけ米国の政治経済は追い込まれているということになる。米国を後追いする日本も、敗者と貧乏人を切り捨てる政策になっている。それでは、米国のように金持ちだけを優先する国家体制にすることが、どのような未来を期待できるのであろうか。

怪しい人物

2006年03月14日 | Weblog
「毎度ご乗車ありがとうございます。当社では、危険防止、テロ防止のため、ゴミ箱を使えないようにしています。皆様の周りで、不審なもの、不審な人物、怪しいもの、怪しい人を見かけましたら、車掌または、駅係員、警察官までお申し付け下さい」
という放送が近頃、どんな電車に乗っても放送されるようになった。乗るとすぐに「自分が怪しい人物」と言って通報されるのではないか、社内に危険物があるのではないかと、身体を硬直させてしまう。
私は、ヒゲを生やしている。一般の日本人にヒゲを生やしている人は少ない。たまに、ビン・ラーディンに似ていると言われることもある。怪しいと言われれば怪しいかもしれない。怪しい人物というだけで、拘束されたのでは、おちおち外出もできない。私がヒゲを生やすようになったのは、インド、パーキスターン、アフガーニスターンを旅した20代後半からだ。私のヒゲは、市民権を得てからもう何十年も経っている。
怪しく見える、不審に見える人物というだけで、拘束できるようになってしまったこの社会は、誰でも理由を付けて拘束できる法律が最近できたからだ。
そもそもが、ネクタイ背広で立派に見えて実は危ない、不審な人物などこの世の中に海の砂の数ほどいる。そこに持ってきて、怪しく、不審に見える人物となったら、世のほとんどの人がそれに入る。こんな法律を作った人たちこそが、危ない人たちだ。国会議員を見かけたら、すぐ怪しい人がいますと通報せねば。
アルカーイダが危険だから、そのテロを防ぐためと最初に米国のブッシュ政権が言い出して、日本もそれに倣ったが、アルカーイダを生み出したのは、米国政府のイスラーム圏でのテロ行為であり、CIAによるイスラーム圏での政府転覆作戦である。
米国は民間軍事会社MPRIを使って、時のユーゴ大統領ミロシェヴィッチを悪逆非道の独裁者と喧伝して政権から追い払い、ハーグの戦犯法廷で拘束して、その悪事を暴きたてていたが、2006年3月11日その元大統領は急死したことが分かった。米国はそのハーグ国際法廷に訴えられても無視して出廷さえしないことを許されているが、弱小国の指導者は国連安全保障理事会の名の下に連行されてそこで裁きを受ける。民族浄化という罪が特に重い。しかし、米国は、インディアンを浄化してできた国である。南北アメリカで700万人ものインディオが殺されたと、ノーム・チョムスキーの本に書かれている。
米国は、中南米でも、米国に従わない国の支配者を殺したり、拘束して自国に連行したりしている。世界を支配するためには手段を選ばないのは、軍事政権と同じである。民主主義とは名ばかりだ。日本政府もそのサンシタとして同じ道を歩んでいる。米国という暴力国家が暴力を振るえないようになれば、日本もその手先と看做されなくなるから安全になるのにだ。自衛隊を可及的すみやかに撤退するのが日本にテロを呼び込まない安全な方法である。ところが、米国は、これまで、CIA、民間軍事会社を使って米国政府の思うようにならない国を破壊してきたが、ここにきて、その役割を日本に求めはじめている。日本政府は、米国の軍隊にかわって、自衛隊を米国にたてつく国に派遣できるようにし、国内の基地もそれにあわせて再編しようとしている。世界の嫌われ者米国にかわって日本がその嫌われ役を引受けるのだ。これでは、電車に乗り、危険警告を受ける度に身をすくめなければならない日は、米国の植民地から脱却できる当分先まで続く。

滅ぼされ行く日本の農業

2006年03月13日 | Weblog
かつての小作人たちは、農地解放のおかげで、広大な農地を所有する地主から棚ぼた式に手に入れた零細な田圃を喜んで耕し、農地解放とともに立ち上げられた農業協同組合の指示に従って戦後間もなく復興して増大する日本の人口の食糧供給を担った。しかし、零細な農地の耕作には長男しか必要もないし、養えもしないから、農家に不要な次三男は、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争の軍需景気に湧く東京に集団就職列車で送り込まれ、工場労働者となった。それまでの大家族制の「家」を破壊し、核家族制を奨励した。それにより、増えた家庭に電気製品や自動車を大量に生産して売り込んだのだ。農協も、細かく分けられた農地を耕す元小作人たちの増加した農家に、借金をさせて1台500万円もするコンバインなどの農業機械やトラックを売り付け、零細な農家を借金漬けにした。
都会の農家の場合は、土地が高く売れたり、貸したりできたから、アパート経営などの金持ちの地主になったが、借金を抱えた田舎の農家は、農業より実入りの良い季節労務者として雇われたりして、給料によって借金を返すようになり、兼業農家が増えた。そこに、米国から米、麦、粉末牛乳、牛肉などが大量に売り込まれた。
日本の農業は、既定通りに破滅に導かれ、日本は単なる市場と化していったのである。これが、今、米国の政策を代弁している政治屋たちの進めている市場原理あるいは市場経済主義というものの実態だ。
米国が次に狙うのは、日本が持つ、巨大な預貯金であり、保険である。全部とられれば、それで、植民地の役割は終わりなのであろうか。

農協

2006年03月10日 | Weblog
約1か月ぶりに故郷の登米市登米町(とめ市とよままち)に行ってきた。今回は、米の所得に対する確定申告を母に代わってするためであった。
祖父母の頃の昔は、米が倉に満ちていたらしいが、今は、敗戦による農地解放で田畑が細分化され、我が家も、田圃はわずかしか残っていない上に、今頃になってから米国の大規模農業に対抗するためと称する、田圃の1枚を大きくする圃場整備という土建屋による工事が行われ、その工事の機械に便利なように、農道や堀を大きくしたため、田圃がさらに減ってしまい、文字どおり五反百姓である。圃場整備の莫大な工事費の、償還期間が30年というとてつもなく長期の借金を抱えさせられて、年利3%以上も払わされている。これらの工事や、米づくりの全てに農協が関わり、金融からタネモミの仕入れにいたる全ての面で農家を支配している。
農協と土建屋だけが肥え太っている。田舎では、農協が重要な就職先でもある。
我が家の田圃は、農業専業の人に作ってもらっている。
圃場整備の借金を払い、水利費、専業農家の耕作料を払うと、自家消費米が残れば良いほうである。私が子供の頃は、1町歩を耕す農家は大農家だった。今は、耕作を頼んでいる専業農家で、20町歩前後の田圃を耕作しているそうだが、手もとに年に500万円残れば良いほうだという。それが年々減ってきているのだ。しかも、その耕作農家の大半は我が家のようなところから農地を借り受けて耕している。登米町では、この規模の専業農家で、最大の農家のほうに属する。いや、登米市全体でもこれほど大きな専業農家は少ないであろう。この町の田圃で生産された米が昨年、日本で1番の金賞を獲得したのだから、最良最大の米づくり農家が、日本人の平均的給与の収入以下ということになる。
今回は、米づくりにかかる収入と経費の確定申告に必要なすべての資料を農協からもらわないと申告は出来ませんと係にいわれた。
納税にいたるまで農家は農協に完全に支配されているということだ。
秋に刈り取った米を乾燥させるカントリーという、農村でよく見かける巨大な乾燥機に米を納めるように農協から奨励されていて、そこに保管された米が消費者に出荷される。米づくりに必要な始めから終わりまでのすべてを農業協同組合が管理して、その費用も借金も全てのお金の出し入れは、農業協同組合の通帳をとおしている。その通帳には銀行とは書いてはいないが、農協は、銀行をも兼ねている。銀行ではないが銀行業をも営むなんとも妙ちくりんな企業体なのだ。

日本の植民地化

2006年03月04日 | Weblog
天皇を求心力にして、日本民族を統一するという発想のもとに、明治憲法は制定されたが、明治維新を実際に進めたのは、幼い明治天皇を担ぎ出した大久保利通らであり、幼い天皇を自在にあやつって模倣政治と模倣文化に走った。しかし、模倣は元のものにはかなわなかった。戦争で活躍する死の商人たちが、国内戦を煽り、米英との戦いを煽ってコピーの武器を売って、儲け、それを買う権限を持つ軍部上層部と官僚たちがまた儲けるという、お決まりの政治が繰り広げられる。しかしコピー商品はいずれ国際的に摘発されてしまうことになる。大正天皇を経て、昭和天皇にいたって、天皇はあまりに政治に関わり過ぎた結果、取り巻きの茶坊主たちが、実権を握って私利私欲を満たし、国民を塗炭の苦しみに突き落とした。
日本を敗戦に導いた米国は、名目的にではあるが国際的な形式をとって占領政策を敷き、戦争を推進した政治家を罰して、統治に都合のいい天皇はそのまま利用して温存した。米国は日本をよく研究していて、日本人の心情を懐にまで入ってきて調べている。
日本を植民地経営するため財閥を解体して、農地解放をした。その結果、日本人は自動車と、牛肉が好きになり、米をあまり食べなくなった。これからしばらくは、この儲かる日本を米国が手放さないことは、沖縄をはじめとする米軍基地を日本の政治家が日本に返還させられないことでも分かる。今や、米国と日本は、輸出入の面でも、お互いに必要な相手になっている。腐れ縁というべきか。もっとも世界中が、以前にもましてお互いに結ばれている。縁を断ち切るとすぐに何らかの問題が生じる。基地の問題など、当事者に我慢ばかり強いないで、聡明な政治家ならば、世論の怒りを招かないように解決できるくらい、国際間の利益は相互的になっている現在、不平等な地位協定を改善できるはずだ。暴力と環境汚染の基地問題を早期に解決することが、イスラーム圏の反米感情を日本にも持ち込まないための最良の政策ではなかろうか。

植民地化された中国インドの次は?

2006年03月03日 | Weblog
新約聖書で父親が3人の息子に金を与えて、増やした息子だけを褒めたという話から、資本主義はプロテスタント・キリスト教によって擁護され、利子を稼ぐことは認められているが、イスラーム教では利子は認められない。
また、キリストは愛であるとも云っている。金儲けと愛のこの二つは新約聖書に出てくる最も良く知られている教えである。
既に新聞などで知られているように米国のキリスト教徒右派とユダヤ教徒がブッシュ大統領の戦争政策によるイスラーム国の植民地化を支持している。石油一家のブッシュ一味と敬虔なはずの右派のキリスト教徒たちは、石油とガスという世界を動かせる巨大な利権を私物化しようとして、「資本主義、愛、民主主義」を標榜して戦争を仕掛けたのだ。教会に夫婦で通う熱心なキリスト教徒のブッシュ大統領は、その攻撃の最初に「十字軍の戦いだ」と口を滑らせて、側近から注意されたのか直ぐに訂正した。「圧政下の国民に民主主義を与えるため」「テロとの戦争」という言い訳だ。ブッシュにはユダヤの血が入っているとインドの新聞が報じていたそうだ。そのせいか、イスラエルを支持し、パレスティナのイスラーム教徒を切り捨てる政策をあからさまに採っている。ブッシュ大統領の側近と支持者には確かにユダヤ人も多い。
ユダヤ教は、旧約聖書が教典であり。これは、キリスト教の教典でもある。キリストの誕生は、旧約聖書で予言されているというのが、キリスト教の主張である。ユダヤ教とキリスト教の共通の教典旧約聖書には、イスラエルを擁護するため他の民族を抹殺する話が繰り返し述べられている。また、パレスティナの土地は、イスラエル人というユダヤ人に約束されていると旧約聖書ではいう。
そうであるから、そこに住んでいるパレスティナ人を抹殺して、土地を取り上げることが許されることだと主張するのだ。一方では愛を説き他方では聖書が勧める暴力で、金儲けするということだ。
政治の最後の手段は暴力・戦争すなわち殺人である。
敬虔なキリスト教徒とユダヤ教徒にとっては、最初から政治的解決は、暴力・戦争という最後の手段である殺人なのである。
日本に初めてキリスト教が布教された時、愛の宗教として入ってきたが、そのかげに暴力機構である軍隊が潜んでいることに早くに気付いた豊臣秀吉も徳川家康もキリスト教を禁止し、キリスト教国の中で最も危険なイギリス、フランスとの直接的接触を避け、幕府は斜陽化しているオランダだけと長崎の出島で貿易をした。これによって、日本は350年間の独立を保て政治文化の未曾有の繁栄を謳歌できた。
しかし、この間に蓄積された巨富は、ますます狙われることになる。
インドも、その巨大な富を狙われ、イギリスの植民地とされてしまったのだ。
宣教師によるインド研究は実に詳しいことが、印英や英印辞書から分かり、その研究をインドを搾取するためイギリスの政策者が徹底的に利用したであろうことも分かる。キリスト教と軍隊は、植民地経営のための車の両輪なのである。キリスト教の愛の精神は勿論多くの悩める人を救ってはいるが、それは一面でしかない。キリスト教は、欧米では、巨大な権力機構でもあるのだ。15億もの民の献金によって組織が動いているから、そこには当然政治がある。
インドの土地などに対するイギリス東インド会社による課税額が目に余るばかりに上げられ、払えない者は財産をどんどん没収されていったので、かつてセポイの反乱といわれたシパーヒー(傭兵)のイギリス支配に対する蜂起が1857~8年に起こっている。それまでは、名目的にムガルの現地王バハードル・シャーを立てていたイギリスは、この王が反乱軍の王に祭り上げられたのを理由にこの傀儡のムガル王をビルマに流刑にして、それまでの東インド会社による間接支配をやめインドを国有化したのだ。インド総督は大英帝国副王に格上げされた。
他方、中国は、清が1840年から42年のアヘン戦争でイギリスに敗れて、中国に不利な南京条約を結ばされ、イギリスの植民地化していた。
幕府の命で1862年に上海を訪れた高杉晋作は太平天国の乱を目撃し、植民地化した中国の現実を見て来たが、結局倒幕派になる。天下太平に安住する幕府の体制では、日本も危ないと判断したのであろう。
幕末の知識人たちは、インドで生産したアヘンを中国に売り付けて暴利をむさぼる悪徳なイギリスが、武力が強いゆえに義を重んじる中国を植民地にしたことに危機感を抱き、日本は討幕、天皇制に突き進んでいった。その国是は、富国強兵で、江戸の独自の文化を捨て西洋列強の植民地主義を模倣するだけのものだった。欧米植民地主義の背骨キリスト教に代わるその精神的支柱は、幕府による檀家支配の仏教を排して、国家神道による天皇の現人神である。国家の理想を1600年前に求めたアナクロニズムである。日本は天皇親政で国家が平安だったことなどないのにである。
前の大戦では「負けて良かった」というのが、国民の大半の気持ちであったようだ。負け戦に猪突猛進した明治憲法下での国民総動員による消耗戦はそれくらい苛烈であったということか。国民は、外国支配でも納得のいくものであれば、特にそれによって利益を得る人々は歓迎することにもなるであろう。日本国民は、愚かな同国人の支配者によるより外国による植民地支配の方がましだと思ったのだ。

植民地支配と埴谷雄高『死霊』―全5章―

2006年03月01日 | Weblog
日本がアメリカの植民地になるより345年前のキリスト暦1600年にエリザベス女王の勅許を得たイギリスの東インド会社は1612年、インドのスーラットに商館を建ててインド植民地化の第一歩を記し、インドは1858年に完全にイギリス国家の植民地となった。初めはイギリス国民の出資する民営会社が民間人をインドに進出させて、ならず者を使って武力とkを広げ、最後にイギリス国家の所有にしたのだ。現在武器を持たして活躍させている、民間人という名目の軍事要員や実質的傭兵による、米国のアフガーニスターンやイラークの占領体制は、民間人の悪逆非道は国家が賠償の責を負わないという点で、400年前の英国の方式をそのまま踏襲している。戦いに敗れた国家の国民は、外国支配によって有利になるものと、不利になるものがいる。占領軍におもねって利益を得るものはどんな国にでもいるが、それに反対したものは抹殺されるのは政治の当然の帰結である。
埴谷雄高は私との会話の中で、
「政治の最終的な解決の手段は暴力と戦争である」
と言っていた。農民運動で国家から投獄されたこともある思考と行動をあわせ持つ埴谷雄高にして云える言葉だ。
「20億年にわたる生の自然淘汰の結果である私達が、その自然淘汰を何らかの方法で克服するための思考ひいては妄想の実験をするため」と云って埴谷雄高は『死霊』というイデーとイメージの融合と称する小説を少しずつ書いていた。私は昭和44年から50年まで、その第5章「夢魔の世界」の原稿を毎月ペラの原稿用紙で数枚もらうために吉祥寺南の埴谷雄高の家に通っては、応接間で一時間ほど彼の饒舌な話を聞かされていた。そのときの印象的な言葉がそれだ。
その後私は出版部に配属され、最初に手がけた単行本が翌昭和51(1976)年4月22日に発行できた『死霊』―全五章―だ。
その翌5月15日に京都大学で「死霊を祭れ」と「高橋和巳を偲ぶ会」があわせて開催され、埴谷雄高、吉本隆明、島尾敏雄、川西政明とわたしは前日の14日に新幹線で京都に向かった。その車中で私が撮った埴谷雄高と島尾敏雄の写真が相馬市小高の埴谷島尾記念文学資料館に飾られているはずである。
先月の2月13日に市ヶ谷で、仙台一高第13回生同期会が開かれ、そこで40数年ぶりに遭った吉田清兵衛君が小高の住人と分かったので、帰ってから、その写真の確認をしてくれるように頼んだら、撮影者の私の名前入りで飾ってあると知らされた。
初めて担当した単行本『死霊』―全5章―は、埴谷雄高のいわゆる形而上小説としては珍しく、10万部を超えるベストセラーになり、私と埴谷雄高の二人だけのための皮装丁の本『死霊』―全5章―を記念品にもらった。
埴谷雄高は、難解な文章を書くことで有名で、あだ名を「南海ホークス」と言われていた。難解と南海を掛けたのだ。ホークスは今はダイエーを経て、楽天になって、楽に分かるようになっている。埴谷雄高の随筆と話は分かりやすい。しかし、『死霊』は大抵の人が難しいという。ただ、元担当編集者としては、作品の中に入るのに時間を要する場合もあるが、入り込んでしまえば、非常に分かりいいと言える。これって楽天的過ぎるか。