はぶて虫のささやき

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(旧:はぶて日記)

「チャリティ」なんて言葉を使わなければいいだけ!?

2024-09-04 | 日記
偽善の祭典である日テレの「24時間テレビ」が終わり、いつものように意味不明なマラソンが終了したことによる「チャリティはもう終わりね」という号令によって人々(と言っても、ごく一部だけど・・・)が我に返ったようだ。

ところが、この時点でまだわけのわからないことを言い出すヤツがいた。

シンガー・ソングライターの柴田淳とかいう女なのだが、こいつがこんなことを言ったそうだ。

「いくらチャリティといえども、自ら希望したとしても、体を張って番組に貢献し、寄付を促せた側面は確かにあるわけなので、金額はともかく請求して良いと思います。プロは絶対にタダでやってはいけない。それがプロです」

「プロは絶対にタダで仕事をしてはいけない」というのは、一つの信条であり否定はしない。

一方で、「チャリティ」というのは、身体障害者や貧民、災害や事故・犯罪による被害者に対する支援活動であって、一般的にはすべて無償で行われる。

そして、ここが肝心なところだと思うのだが、この二つは相反するものではない。

十分に両立する。

ところが、この女はこれを理解できていないのか、「チャリティでもギャラはもらって当然」と主張しているわけだ。

もう40年近く前の話になってしまうのだけど、1985年にアメリカで「We Are The World」が大ヒットした。

アメリカの有名なアーティストが大集結して「USA for Africa」と称するチャリティコンサートを開いたわけだけど、これに参加したアーティストはすべて無償であったという。

このイベントに限らず、アメリカでは有名人がチャリティに参加することはよくある。

何よりも、一番違うと思うことは、この日テレの「24時間テレビ」に代表されるように、日本でのチャリティ番組というのは、「チャリティを目的とした番組」ではなく、わざわざ大袈裟な番組を作って、その中で「ついでにチャリティもやっている」というものである、ということだ。

だから、ギャラ発生という問題が起こるのだと思う。

もちろん、日頃もらっているギャラがアメリカとは一桁も二桁も違う、ということもあるかも知れないけど、日本ではこのチャリティというものが厳密には浸透していないと思う。

同じようなものとして「ボランティア」があるが、日本では「ボランティア」に日当が出されたり、山本太郎みたいに「ボランティアの人たちに宿泊場所を提供しろ」(台風被害に遭った伊豆大島でのボランティア活動における発言)とか主張したりする連中がいるように、どうも困った人たちのために無償で何かをするということに対する意識が低いような気がする。

なお、この「24時間テレビ」については、始まった当時の萩本欽一のエピソードとして「萩本さんは、ギャラは出来るだけ高額で交渉したいと主張し、高額提示で出演を了承した。了承後、即そのギャラの全てを募金に回すようにして番組を盛り上げた」という話が美談として伝えられているようだけど、これっていい話か?

実際のところ、欽ちゃんとして募金した金額はいくらなのか、ということになると、テレビ局からもらったお金をそのまま募金に回した、ということだから、テレビ局が募金したのと同じなので、実質「ゼロ」ではないのか。

確かに、欽ちゃんがテレビ局にお金を出させたという意味では、意義があることなのかも知れないが、欽ちゃんほど多くのギャラをもらっている人が、実質一銭も募金していない、ということにちょっと違和感がある。

いろいろ物議を醸すことになるので、いっそ「チャリティ」という言葉なんか使わなければいい。

そして、マラソンというまったく意味のない行為もやめればいい。

「あれがあるから私は募金するんです」とかいうヤツもいるかも知れないけど、あんな大袈裟なイベントに金をかけるくらいなら、24時間なんてアホみたいな番組にしないで、通常番組の中で募金を呼びかければいいと思う。

https://news.yahoo.co.jp/articles/64af2eeb44af1648972b5c6a98ca79f4ce7ea50f

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