エンド・ゲーム マリリン・モンローという傷心と闇

2013-01-27 13:03:11 | ドラマ/映画/ドキュメンタリー
 マリリンが成人していた頃は、フロイトが流行っていた。
 精神分析の時代だった。

 精神分析の言葉の強烈な力と縁者の言葉が何故か合致し、精神分析に通う情優は多かったらしい。

 マリリンもまた自分を分析していった。
 週に5回。

 そののち、医師を変えて4時間も分析を続けた。

 彼女は、いない父を母を求めていた。精神分析医に父を求めていた。

 母を憎んでいた。自分を愛してくれなかった母を。その半面でどうしようもなく愛されたかった。

 愛されたい。マリリンの心の満たしていたのはそれだけだったのかもしれない。

 マリリンは仕事でもなんでも遅れてきた。

 何故だと聞くと待っていてくれるのは私を愛しているからだ。
 精神分析医は逆だ。嫌っていると思われる。それ以来、マリリンの遅刻癖はなくなったようだ。

 マリリンは内気だった。カメラの前に立つのも怖いくらいだった。そして言葉が怖かった。

 女優という仕事をしながら、言葉が怖いとなると台詞は喋ることができない。

 写真に撮られることの方が好きだった。言葉がないからだ。


 素人時代、マリリンは無名のカメラマンに写真を撮られていた。その頃がマリリンにとって1番幸せだったのかもしれない。

 そのあと、マリリン・モンローになってから彼女の悩みは始まる。
 彼女の最初の映像になったのはヌードだという。それが偽物でない限り。

 ハリウッドで生き残るためになんでも売っていたわけだ。

 写真としてのヌードはあるし、晩年もセミヌードは撮らせている。彼女にとっては身をさらすことより、言葉をさらすことの方が怖かった。

 フロイトの娘に精神分析を受けた時、情緒不安定と統合失調症と言われている。

 マリリンの母もまた精神を病んでいた。

 遺伝的なものがあったのかもしれない。



 以前読んだ本で筆者も取材はしたが、どこまでが本当か見分けがつかないと言っていたものがあった。

 ある少女が2重人格だった。病院でできた恋人も2重人格だった。彼の場合は、クスリを買ったり、2Fから飛び降りたりする危ない人格も潜んでいた。

 2人の恋が終わった後、筆者は気付く。
 彼女の母親自体が2重人格者だった。

 子どもの頃からそれが判らないまま接していた娘が同じようになった、ということかもしれない。

 相手を選べというのは、こういう所にある。一部の精神疾患は遺伝性のものだからだ。


 言っていいのか知らないが、有名な首相経験者の実弟など、やはりそういう症状を持った人がいる。血が繋がっていれば、その経験者も遺伝子自体は有していることになる。


 そういう意味で行けば、マリリンにとっては不幸だった、アーサーとの間の、子どもの流産は彼女にと手はよかったのかもしれない。

 他人から見れば、我儘で子どもっぽく幼稚なマリリンでしかなかった。そして嫌っていた母と同じようになっていったかもしれない。いわゆる連鎖だ。実際撮影で自分の母親に似た女性を演じた時、ずっと吐いていたという。

 マリリンは常にマリリンを演じていた。そしてカメラに残る取材をされているマリリンはどれも色っぽい。

 それもどう振舞えば人が喜ぶか、彼女の計算だったのかもしれない。いつもメモを持っていて、どういう話をすれば喜ばれるか、メモをしていたという。

 彼女はマリリンになった時から、演じ続けてきた。

 演じなければ、本当の自分は嫌いだったのだろう。

 しかしそれ自体がいつしか苦痛に変わっていく。

 両刃の剣だ。

 人々の期待に答えるように常に演じ続けた女。

 それでも彼女は救われることはなかった。


 心の闇は闇のまま、彼女の中に死しても横たわる。それゆえ、未だマリリン・モンローは誰かの心を打ち、今もまだ生き続ける。
 

 静かな眠りのときはきているのだろうか。


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