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道の行く先

2019-09-02 00:00:00 | 日記風


 どうも去年あたりから壮絶ないじめに遭っているような気分がしているらしい。

 誰にっていうか、運命に。人生に。

 それをさかのぼると10年くらい前に行く付くんだけど、その頃、突然始まったんだよね。

 自分の力では制御できないあることが。

 とにかく自分にとって大切だと思える人たちの死が数年置きに続いたことだった。



 よくその人に越えられない試練は訪れないと言われる。

 いやー、十分キャパ超えしてまっせ。

 それともみんなこれくらい乗り越えているというころだろうか?

 極端に私が試練が薄い人生をそれまで送ってきたということだろうか?

 いろいろ志向は駆け巡る。



 今私が感じていることを表すなら、海で泳いでいたら、突然大きな波がきて、それに飲み込まれて、どうにかもがいて、波の上の、静かな海の上に顔を出す。

 そうすると、また波がきて飲み込まれる。

 また海の中でもがく。

 もがいてもがいて、やっとの思いで水の上に顔を出す。

 近くでは親子連れが楽しそうに、はしゃいでいた。
 

 私が波に飲まれておぼれそうになっていたことも知らずに。

 これが私がずっと感じている気持ちそのものだ。



 でも、2度波に飲み込まれ、あとは楽しく遊べました。2度も波に飲み込まれちゃったと笑い話にできたなら、それはそれで、実にいい経験だったと言えた。


 この辺までだったら、ね。

 天の与えた人生の糧だったかと思える。

 が、しかし、なのだ。

 また波が来るのよ。

 また飲み込まれるのよ。同じことが続くの。

 こうなってくると、さすがに経験は人生の糧になるとは言えなくなってくる。

 もうすでに、波の中にどっぶり飲み込まれ、どっちが海の上なのか、自分がどこへ迎えはいいのか、判らなくなっているわけだから。


 そういう時期が誰でもあるのかもしれない。

 たまたまそういう時期に当たっているだけかもしれない。

 思っても、波に飲み込まれて、息ができなくて死にそうに苦しんだ記憶は、そんなに簡単に人生の糧だわ~とは思えないのだ。

 そう思うにはもっと時間が必要となってくる。

 まさに今が、そう。

 そしてそういうときは、どうしていいか判らない心境になるわけだ。

 何が助けとして自分に差し出され、ここを歩けば穏やかな方へいけるわよと言われているのか、判らなくなるのだ。

 自分で判断するには、あまりに困難が多かった。


 そうすると、感じることは、

 いじめられている

 こういう気持ちになってしまう。

 実際は、人生に鍛えられている真っ最中かもしれない。

 いろいろな未来が押し寄せてきて、たまたまそれが少し厳しかったから、さすがに落ち込んだだけかもしれない。

 みんな「~しれない」という表現しかとれないのだけど、今はまだ判らないから、答えの出しようがない。

 それだけだ。

 ときに悲観し、ときにきっとこの先いいことがあると気持ちを切り替える。

 それでも淡々と、自分の歩く道に降りかかることを受け止める。そのときなりの答えを出しながら、歩くしかないのかな、と。

 今はそれしか言えないな。

 なんか、間違えたのかな。

 あるいは、今は望んでいたあそこへ辿りつくための道のりの1つでしかなかったのかな。

 そう思いながら。




 とりあえず、今日はいいことがあると、いいなぁ。

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