石川洋子≪作家≫☆夢の途中  リニューアル中 

ある日、突然何かが変わることを秘めながら

米国初の大統領暗殺の犠牲者、リンカーンの最期

2013-11-03 00:55:54 | 歴史
 米国はどんなテロにも屈しない。それが9.11からの方針だ。
 だが、これの困った所は、例えばゲリラやテロが出る国に行く米国人にも通じる。だから誘拐されてもFBI、家族も一切の犯人との接触を禁じられている。
 唯一交渉人が交渉にあたれると言うことになる。

 そんな大国になった米国には過去に大統領の暗殺という悲劇がある。

 有名な所ではJFKだが、噂によると今出回っている暗殺時の様子もカットが入っており、事実が報道されていないという話もある。

 そのJFKより先、暗殺されたエイブラハム・リンカーンがいる。米国で初めて暗殺された大統領でもあある。

 「奴隷解放の父」と呼ばれている彼だが、最初から奴隷に対して特別の思想を持っていたわけではなかった。
 彼の成長過程で育まれて行ったもののようだ。

 それほど、白人と黒人と言うのは米国では違う人種として固定観念が定着していたのだろう。



 この時代はもちろん1861年代だから、テレビもない。映像がない。やっと写真を撮るカメラが普及し始めたばかりの時代だ。と言っても今のように簡単に撮れたわけではなく長い時間がかかった。

 たいがいのリンカーンの写真が気難し顔をしているのは、撮影に時間がかかり過ぎたせいだと言われている。本来の彼はもっと陽気な人間だったらしい。

 リンカーンの両親は学のない買いたく農民だった。リンカーン7歳のとき、貧困と奴隷制度のせいで奴隷制度のない自由州のインディアナ州スペンサー郡へと移った。
 とにかく土地がなく獲得が困難だったとらしい。
 
 と言っても、一時はケンタッキー州に身を置き、そこで父は陪審員になり、土地を有していた時代もある。この頃は裕福な部類だったらしいが、のちに土地の権利証が偽造だったため、全ての土地を訴訟で失うことになった。

 元々父からして、厳格な道徳観を持ち、飲酒もダンスも、奴隷制度にも反対する人物だったようだ。

 リンカーンは、この頃、白人と黒人の関係性に目覚めることになる。

 

 最初から黒人も白人も一緒に過ごそうという考えはなかったらしい。

 ある時の演説では、両者は別れて暮らすべきだと言っているものもある。

 そのリンカーンが黒人解放運動に積極的に参加するようになったのは、実体験がものを言ったようだ。

 ある時親友の家に招かれ、数日滞在するが、その家では黒人を奴隷として平気で使っていた。それを体験し、徐々にこれはおかしなことだと気付き始めたらしい。

 そして奴隷解放を売って得て奴隷解放の父呼ばれ、南北戦争が起き国家分裂の危機を迎える。

 
 この戦争により、大統領任期中、多くの人に憎まれ少なくとも5回は暗殺の危機にさらされている。中には同じ党の党員が狙ったこともあったそうだ。

 のちに大統領暗殺犯になるブースが愛する南部のために立ちあがったとき、南北戦争は4年間の飢餓のため終結に向かっていた。

 最初に立てたのは誘拐計画だった。

 
 リンカーン大統領の身が危ないと思われ出した頃だ。
 リンカーンは1人で馬に乗ってホワイトハウスに通っていたが、ある日の帰り道一発の銃声が彼を狙った。帽子に穴が開いただけでこのときは済んだが、4人のボディーガードが着くようになった。 

 暗殺に成功したブースははシェークスピア俳優で正式な名前はジョン・ウィルクス・ブースだった。

 誘拐計画の段階では多くの人間が参加を予定していたが、がそれがのちに暗殺計画に変わるにつれ、パウエル、アッツアーロット、ルイス・メアリー、サラット等だけになっている。

 彼は南部を守るため、リンカーンの暗殺と国家転覆を狙った。

 しかし実際暗殺したブースも1度病院を慰問する予定の大統領を狙い、予定が急きょ変更されたため、一旦は中止している。
 そしてグローバル劇場に「アラジンと魔法のランプ」を観劇に行くと聞き、そこを暗殺の場とした。

 しかし突然予定が代わり、フォード劇場で妻、メアリー・ドッド・リンカーンや友人と「われらのアメリカのいとこ」の観劇中にボックス席に乱入したブースによって銃で撃たれた。
 このとき、護衛は4人ついていた。

 リンカーンを撃ったブースはすぐに劇場の舞台に駆け上がると
 「暴君はかくのごとし」
 というような内容を叫んだが、ほとんど聞きとることはできなかったそうだ。

 リンカーンはすぐに近くの宿屋へ運ばれるが、すでに危篤状態だった。

 リンカーンはの背が高く普通のベッドからはみ出すから斜めに寝かされた。
 彼はマルファン症候群だったため、背が高く、手足が長いと言われている。 

 劇場では1500人以上が目撃していたはずなのに、犯人については全く証言が一致しない。それほど急なことで観客が動転していたのだろう。

 ブースはそのまま逃げるか、途中落馬したのか、馬から飛び降りたのか骨折した。

 そしてリンカーンはそのまま息を引き取った。

 そして後はブースを逮捕することに全力が注がれた。
 彼は松林に隠れて、仲間が食事などを差し入れたが、彼が欲しがったのは新聞だけだったという。
 リンカーンがその後どうなったか知りたかったのだろう。

 そのあと、小屋に逃れるが、ブースの首には賞金がかかっていたため、密告により追い詰められた。
 小屋の中でコ―ベット軍曹が首を撃ったが、そのときはまだ死んでいなかった。
 ブースは「祖国のために死んだと母に伝えてくれ」と言い残し、そのあと小屋は燃えあがった。

 そして彼は農場まで逃れてそこで亡くなった。

 この時代、暗殺は重大事件だった。そして初めての犠牲者だ。その為、この記録を残すべきだとして、まだ残っていた仲間は捕らえられ、死刑宣告が告げられた。

 そして初めて死刑の様子が記録に残される。

 犯人が首をつって行く様を全てを写真でとらえた。

 このとき、初めて女性死刑囚が出た。


 大統領暗殺の史上最悪の男として名を残したブースだが、何故か、リンカーンが演説をする様子を1度だけ収めた写真にブースも一緒に写っている。

 暗殺する者とされる者が写真に残るというのもずい分奇妙な話だ。特に偵察に言ったというわけでもないようだ。


 のちにJFKが暗殺されるが、こちらもテレビカメラの前でパレードをしている最中に殺害されている。

 リンカーンもまた、当時は人が集まる劇場で俳優によって殺害されるという、いかにも派手な暗殺をされた。

 米国はやるなら…こういういかにも、という派手なやり方が好きなのだろうか?

 リンカーンの受けた傷は現代であれば十分治療可能なものだったらしい。あの時代としては手の施しようがなく、生命を落とした。

 そして永遠に神格化されことになった。


 全く関係ないが海外ドラマ「BONES」に出てくるFBIのブースはこのブースの子孫という設定を持っている。



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