大久保清、その人生は精神的に大人になれず、希代の殺人鬼となる

2013-11-03 06:22:44 | 日記風
 大久保清は日本で女性を殺した多く殺した殺人犯として名をはせている。


 urban-legend.tsuvasa.com(出典)
 逮捕時の写真(真ん中)
 

 1935年、群馬県に生まれる。
 8人兄弟の三男に生まれる。
 彼は純粋な日本人かと思っていたが、日本人の父とロシア人の血を引く母に過保護にされて育つ。
 1つ上の兄とは仲が悪く、のちまでその関係の悪さは尾を引く。

 彼が犯罪に手を染めたのはかなり早い時期だ。事件と仕事等の経歴をまとめると

 46年 小学校時代は成績がよくない。そしてこの年ですでに養女を麦畑に連れ込んでいたずらをしている。
 中学に入ると闇屋を手伝う。
 高校は定時制高校に通っていたが除籍になる。
 52年 東京都板橋区の電器店に住み込みで勤めるが(訂正 父と兄が戦争に行き、家が清を養いきれなくなったため、東京の兄妹を頼り、上京する)女湯を覗き、現行犯逮捕され、解雇される。これが最初の犯歴となっている。
 53年 実家に戻り、ラジオ修理販売店「清光電器商会」を開業。客とのトラブルが途絶えず、仕舞には同業者から部品を万引きして逮捕される。これに関しては父親が損害賠償をして示談となり、不起訴処分となる。
 55年20歳の時には、大学生になりすまし、伊勢崎市の17歳の女子学生を強姦する。初犯のため、懲役1年6か月執行猶予3年になる。
 同年には再び、強姦事件を起こす。未遂に終わるが、3年6カ月の実刑判決となり、刑務所に入る。
 59年 模範囚であったため刑期を6か月残し、出所。その反面、川でおぼれた児童を助け、表彰されもする。
 60年 全学連の活動家のふりをし、前橋市の20歳の女子大生を家に連れ込んで襲うも、悲鳴で家族が気付き未遂に終わる。
 このときも示談となり、不起訴処分となる。
 62年に結婚。犯歴があることは黙ったままだった。
 63年長男誕生。谷川伊凡のペンネームで詩集「頌歌」を自費出版。その後に牛乳屋を始めるが、牛乳瓶2本を盗もうとした少年の兄に示談書を無理に書かせようとし、恐喝及び恐喝未遂罪で逮捕。懲役1年、執行猶予3年の刑になる。
 妻に犯歴を知られ、牛乳屋も業績不振になる。この年には長女も誕生している。
 
 ここまでで、十分、なにをやってるんだという慌ただしい人生を送っている。行動的と言えば滅茶苦茶行動的だ。そして懲りてない。

 しかし、歴史に名を残す事件はこの先始まる。

 66年 高崎市の16歳の女子高生を車内で強姦。ここから自らを作家と名乗り出す。
 67年 前橋市で20歳の女子短大生を車内で強姦。強姦致傷で逮捕。大久保は合意の上だと主張するが、懲役3年6か月になる。その前に起こした恐喝事件の執行猶予も取り消され、懲役4年6か月となる。
 71年 出所。妻との復縁話も出るが、兄が反対し、白紙に戻る。
     室内装飾品の販売を始めるという理由で「マツダ・ファミリアロータリークーペ」を親に買い与えられる。

     ここから初めて、ベレー帽にパルシカを着て自称画家を名乗り「絵のモデルになってくれないか」と約1000人以上の女性に声をかける。

 彼のロシア人の血を引く甘い顔と巧みな話術で150人を車に乗せ、10人前後と関係を持つにいたる。
 その内、彼を疑った女性をそのあと殺害し、遺体を山中に埋める。約48日間の間に8人を殺す。
 73年死刑判決を受ける。
 76年 死刑執行。

 被害届を出さなかった女性もいると見られることから、本当の数は未だ不明である。
 
 この当時はマスコミが拘置所等にいる犯人の写真を撮ることができたようで、窓際に大久保が立つと写真を撮ったりしていた。

 どこに埋めたなど、犯行を喋ることは中々しなかった。

 が枕元に殺した女性が「私のことを早く言って…」と夢に出てきて眠れなかったこともあり、取調官に訴えている。
 そのわりには最後まで謝罪、反省はしていない。

 親に溺愛されたというより、きちんとした躾がされずにいたと言われる(現在では〈過保護は虐待と同じ〉といわれる)
 36歳になっても母は清を「ぼくちゃん」と呼び、孫よりも彼を可愛がっていた。

 8人も兄弟がいて、彼だけがこうなるというのは、母親との相性がよほど良かったのか…。


 ただ家系を遡ると、母方の祖母は、賭博と傷害の前科がある。祖母の弟は窃盗、強盗、殺人を重ねて獄死している。母方祖父も賭博の前科があり、母の異父弟の1人は傷害事件を起こしている。

 父方は、犯罪歴のある者はいないものの、女癖が悪く、大久保の妻に手を出していた疑いがあるらしい。また二男の息子の初婚、再婚相手にまで手を出していたという記述もある。

 そういう、母親が不安定な状態で育ち、そのよりどころとなったのが、息子の中でも繊細で受け止めてくれそうだったのが清で、彼にすがるようになった可能性は否定できない。
 でも子どもは子どもだから、それを受け止めきれず、父親の女癖の悪さも見て育っているわけだから、育った状況としては最悪だったと言える。

 ある種、親に対する無言の復讐が一連の事件に発展したと考えられなくもない。

 そのわりに控訴をしていない。本人がなにを言っても信じてもらえないという気持ちがあったようだ。

 根っからの悪人というより、善悪や人を信じるということが精神的な面で大人になりきれていなかった、衝動的でどこかで親を恨みながら親を頼るというところがあったのかと思う。

 彼自身もある種の犠牲者だったのかもしれない。

 しかし、犯した罪は罪だから、そこに弁解の余地はない。

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