クレオパトラと言えば、世界3大美女と言われ、とても有名だが、彼女には妹がいた。
名はアルシノエ。
古代エジプトは紀元前、五千年前ら存在し、クレオパトラが存在したのは2千年前のことだ。
このクレオパトラがエジプト文明の最期の存在になる。
クレオパトラの時代は、ローマがほとんど今の欧州の部分を統治し、その中でもエジプト文明が合った場所は肥沃な大地があったため、単独で存在していた。
都はアレクサンドリアになり、ここがクレオパトラの都となる。
そもそも古代ギリシャから来たアレクサンドロスに因んだ名前らしい。古代ギリシャの影響を受けているわけだ。ギリシャ系の人間が300年近く渡ってエジプトを収めていたようだ。そのせいで、子孫はギリシャ系の白人が多い。
地中海貿易の港となり、肥沃な大地、恵まれた土地柄だった。
今でも、クレオパトラビーチ、クレオパトラ駅、クレオパトラ通り、クレオパトラ郵便局とクレオパトラの名を残したものはたくさん残っているのに、肝心なクレオパトラを示すものは当時流通していたクレオパトラの横顔が掘られたコインしかない。
クレオパトラのいた場所が海に沈んだため、その痕跡がかき消えているらしい。
その妹である、アルシノエの墓が発見された。そこからクレオパトラを辿ることはできないか。
2千年前、プトレマイオス12世の娘としてクレオパトラ、アルシノエ、弟2人が生まれた。アルシノエも女王だったことがあることを考えると恐らく両方とも正妻の王妃の娘であったと推測される。
この時代、地中海全域を支配していたのはローマだ。エジプトを除くほとんどがローマの英雄・カエサルにて収められていた。
カエサルがエジプトに来たとき、クレオパトラが絨毯にくるまり彼の前に現れ、一夜にして彼を虜にしたのは有名な話だが、これは後世の歴史書に書かれたもので、生きていた時代の記録ではない。
むしろ、クレオパトラは絶世の美女というより、政治家としての手腕に長けていたという方が正確なようだ。
その妹アルシノエの墓が、発見される。
これが、意外なことにトルコのエフェソスの遺跡からである。ここの調査はまだ進んでいないが、政治や 貿易で発展で栄えた場所という所らしい。
メインストリートに、崩れた墓が発見があった。誰も気にとめてこなかったが、この時代、墓は郊外に作られるのが通例で、市内に作られるのは地位のある男性と決まっていた。
しかし、調査をしようと持ち帰った骨を調べたところ、骨盤の大きさから、女性であると判明する。そして同国人ではない。異国の女性の可能性が高い。
地位がある。異国の女性。そして崩れた墓を根気よく復元していくと、8本の柱に支えられた上部はピラミッドの形になる。これはアレクサンドリアの象徴と言われた灯台の形と一致する。
そういうパズルを組み立て彼女の生きた時代を判別していくと約2千年前のもの、クレオパトラの時代と合致する。ここから、これがアルシノエではないかという、発見に繋がっていく。
身長は154センチと今だと低い部類になるが、当時は大きな部類に入るそうだ。骨の細さからいってもスレンダーな長身だったことが判る。
ただ残念なことに頭蓋骨だけがないのだ。1930年代にここにドイツ人で入った者がいて頭蓋骨だけ持ち帰ったようだが、それが第1次大戦のごたごたでどこへ行ったか判らなくなっている。
しかし、同じドイツ人により頭蓋骨を四方から仔細に書き残したものが見つかる。
目のくぼみから鼻の様子まで、なにからなにまで仔細に計られ残されていた。これを元にしてアルシノエの顔の復元に挑んでいく。
欧州人というと、鼻の付け根が高い、そしてそのまま頭蓋骨から滑り落ちるように高いのが普通なので、鼻が高い凹凸のはっきりした顔になる。
アルシノエの鼻は鼻の付け根は高いものの、その下の鼻の始まりが低い。
この特徴から、アフリカの血が入っていたと推測される。
今までクレオパトラは白肌の白人とされてきたが、アルシノエを見てもアフリカとヨーロッパのハーフである可能性が高い。同じ母の血を引いているのなら、クレオパトラもまたその可能性が高い。
父の死後、クレオパトラはカエサルと組み…ローマと結んでおいた方が侵略の危機にさらされることがないと判断したが、それ以外のエジプト人の多くはそれを支持せず、アルシノエを担いで姉妹が対峙する形になったという。
そのせいで、1度はクレオパトラが追われ、アルシノエが王座についていた時期がある。
しかし、それも短い間のことで、やがてアルシノエ派は敗れは処刑の判断に合うがカエサルの恩赦もあり、トルコのエフェソスに幽閉されることになった。
…とこの辺で、深夜番組だったため、私は眠りに落ちた。深夜に放送されているということは、再放送の可能性が高い。アーカイブで見ることはできるだろうが、そこまでするのもなんなんので、ネットから拾ってみた。
若干看板に偽りあり、になっている…。
つまり、姉妹でありながら、それぞれ担ぎ手、考え方の違った2人は運命を分けるわけだ。
アルシノエはトルコに送られ、そこに墓があるということは、そこで残りの人生を過ごした可能性が高い。
クレオパトラのあとの人生は波乱に満ちたもので、最期は自ら毒を飲んだ、蛇に噛まれたと諸説あるものの、早くに亡くなっている。
アルシノエも15~17歳戦後に亡くなった可能性が高い。
担がれて、敗れちゃったんだから、この辺はしょうがないのかもしれない。
まして、アルシノエがいればまたよからぬ政敵がエジプトに生まれる。
生きていてもらっても困るわけだ。
死因は突然死と言われている。突然死するには若い。
毒によっては骨からも発見できないものもあるから、その可能性もある。
こうして周りの考えから、姉妹は対立せざるを得ない状況になり、若くして2人とも生命を落とすことになる。
王族に産まれるとこのような運命を辿ることはけして珍しくはない。
しかし、姉妹でこれだけ翻弄される例も珍しいように思う。
王子も2人いたのに、そちらよりこちら姉妹の方が政治としては勝っていたのか、アルシノエに関しては利用しやすかったのか。
クレオパトラの少ない資料が若干、埋められたということにしかならない。
肝心のクレオパトラについて、まだ墓すらも人生も後世で書かれたことでしか伝わっていない。
名はアルシノエ。
古代エジプトは紀元前、五千年前ら存在し、クレオパトラが存在したのは2千年前のことだ。
このクレオパトラがエジプト文明の最期の存在になる。
クレオパトラの時代は、ローマがほとんど今の欧州の部分を統治し、その中でもエジプト文明が合った場所は肥沃な大地があったため、単独で存在していた。
都はアレクサンドリアになり、ここがクレオパトラの都となる。
そもそも古代ギリシャから来たアレクサンドロスに因んだ名前らしい。古代ギリシャの影響を受けているわけだ。ギリシャ系の人間が300年近く渡ってエジプトを収めていたようだ。そのせいで、子孫はギリシャ系の白人が多い。
地中海貿易の港となり、肥沃な大地、恵まれた土地柄だった。
今でも、クレオパトラビーチ、クレオパトラ駅、クレオパトラ通り、クレオパトラ郵便局とクレオパトラの名を残したものはたくさん残っているのに、肝心なクレオパトラを示すものは当時流通していたクレオパトラの横顔が掘られたコインしかない。
クレオパトラのいた場所が海に沈んだため、その痕跡がかき消えているらしい。
その妹である、アルシノエの墓が発見された。そこからクレオパトラを辿ることはできないか。
2千年前、プトレマイオス12世の娘としてクレオパトラ、アルシノエ、弟2人が生まれた。アルシノエも女王だったことがあることを考えると恐らく両方とも正妻の王妃の娘であったと推測される。
この時代、地中海全域を支配していたのはローマだ。エジプトを除くほとんどがローマの英雄・カエサルにて収められていた。
カエサルがエジプトに来たとき、クレオパトラが絨毯にくるまり彼の前に現れ、一夜にして彼を虜にしたのは有名な話だが、これは後世の歴史書に書かれたもので、生きていた時代の記録ではない。
むしろ、クレオパトラは絶世の美女というより、政治家としての手腕に長けていたという方が正確なようだ。
その妹アルシノエの墓が、発見される。
これが、意外なことにトルコのエフェソスの遺跡からである。ここの調査はまだ進んでいないが、政治や 貿易で発展で栄えた場所という所らしい。
メインストリートに、崩れた墓が発見があった。誰も気にとめてこなかったが、この時代、墓は郊外に作られるのが通例で、市内に作られるのは地位のある男性と決まっていた。
しかし、調査をしようと持ち帰った骨を調べたところ、骨盤の大きさから、女性であると判明する。そして同国人ではない。異国の女性の可能性が高い。
地位がある。異国の女性。そして崩れた墓を根気よく復元していくと、8本の柱に支えられた上部はピラミッドの形になる。これはアレクサンドリアの象徴と言われた灯台の形と一致する。
そういうパズルを組み立て彼女の生きた時代を判別していくと約2千年前のもの、クレオパトラの時代と合致する。ここから、これがアルシノエではないかという、発見に繋がっていく。
身長は154センチと今だと低い部類になるが、当時は大きな部類に入るそうだ。骨の細さからいってもスレンダーな長身だったことが判る。
ただ残念なことに頭蓋骨だけがないのだ。1930年代にここにドイツ人で入った者がいて頭蓋骨だけ持ち帰ったようだが、それが第1次大戦のごたごたでどこへ行ったか判らなくなっている。
しかし、同じドイツ人により頭蓋骨を四方から仔細に書き残したものが見つかる。
目のくぼみから鼻の様子まで、なにからなにまで仔細に計られ残されていた。これを元にしてアルシノエの顔の復元に挑んでいく。
欧州人というと、鼻の付け根が高い、そしてそのまま頭蓋骨から滑り落ちるように高いのが普通なので、鼻が高い凹凸のはっきりした顔になる。
アルシノエの鼻は鼻の付け根は高いものの、その下の鼻の始まりが低い。
この特徴から、アフリカの血が入っていたと推測される。
今までクレオパトラは白肌の白人とされてきたが、アルシノエを見てもアフリカとヨーロッパのハーフである可能性が高い。同じ母の血を引いているのなら、クレオパトラもまたその可能性が高い。
父の死後、クレオパトラはカエサルと組み…ローマと結んでおいた方が侵略の危機にさらされることがないと判断したが、それ以外のエジプト人の多くはそれを支持せず、アルシノエを担いで姉妹が対峙する形になったという。
そのせいで、1度はクレオパトラが追われ、アルシノエが王座についていた時期がある。
しかし、それも短い間のことで、やがてアルシノエ派は敗れは処刑の判断に合うがカエサルの恩赦もあり、トルコのエフェソスに幽閉されることになった。
…とこの辺で、深夜番組だったため、私は眠りに落ちた。深夜に放送されているということは、再放送の可能性が高い。アーカイブで見ることはできるだろうが、そこまでするのもなんなんので、ネットから拾ってみた。
若干看板に偽りあり、になっている…。
つまり、姉妹でありながら、それぞれ担ぎ手、考え方の違った2人は運命を分けるわけだ。
アルシノエはトルコに送られ、そこに墓があるということは、そこで残りの人生を過ごした可能性が高い。
クレオパトラのあとの人生は波乱に満ちたもので、最期は自ら毒を飲んだ、蛇に噛まれたと諸説あるものの、早くに亡くなっている。
アルシノエも15~17歳戦後に亡くなった可能性が高い。
担がれて、敗れちゃったんだから、この辺はしょうがないのかもしれない。
まして、アルシノエがいればまたよからぬ政敵がエジプトに生まれる。
生きていてもらっても困るわけだ。
死因は突然死と言われている。突然死するには若い。
毒によっては骨からも発見できないものもあるから、その可能性もある。
こうして周りの考えから、姉妹は対立せざるを得ない状況になり、若くして2人とも生命を落とすことになる。
王族に産まれるとこのような運命を辿ることはけして珍しくはない。
しかし、姉妹でこれだけ翻弄される例も珍しいように思う。
王子も2人いたのに、そちらよりこちら姉妹の方が政治としては勝っていたのか、アルシノエに関しては利用しやすかったのか。
クレオパトラの少ない資料が若干、埋められたということにしかならない。
肝心のクレオパトラについて、まだ墓すらも人生も後世で書かれたことでしか伝わっていない。