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戦争中、戦後でも女性に赤紙は来た

2016-06-28 11:03:14 | 思い出


 また検索に引っかかってきたので、書きます。

 女性にも赤紙は来ました。

 赤紙って何?という質問も依然来ていましたが、要はあなたは選ばれて戦士として日本軍として日本を守るために戦地へ行って戦ってくださいというものです。

 これは天皇からくる(実際は自分の属する村などの役所からくる)もので、これが来る人はとても栄誉とされました。村や町を挙げて祝杯をあげ、旅立つ日には万歳三唱で、村ぐるみで送られ、出征していくのが習わしでした、


 基本的には男性が行きます。みんな戦士としていきます。


 ただ、職業によっては女性にもこの赤紙は来ます。


 実際にうちの親族に来ました。だから確かです。


 医療などに従事している人に来ます。


 戦地で怪我人が出た場合、今でいう医療班としていくのです。

 これもとても名誉なことで、赤紙が来た場合、どんな理由があっても断るということはできません。



 うちの場合は戦争が終わり、中国(当時の満州)から引き揚げてくる船に乗って、医療を施すものとしていきました。


 これも赤紙でした。


 ただ、うちは京都の山奥だったので、情報が流れてこなかったんですが、もう戦争が終わったあとは赤紙が来ても、いやだということができたんですね。

 でも、京都まで情報が来ないから、泣く泣く船に乗ってお迎えに行ったそうです。どこに行ったか判らなくなってますが、当時、ある新聞社が行く人々を集め、料理をふるまって激励会をしてくれました。

 その記事が探せばうちにあります。


 戦後だから、危ないことはないけど、もちろん、戦後すぐは中国と国交がありません。

 現地について、引き揚げてくる方々が乗り込んでくる間、中国には降りることができないので…国交がないからです…船の上から中国を見たという話しを実際に聞きました。


 戦争ってそういうものだったんです。

あのゴディバでさえ、普通のチョコレート屋、ベルギーの美しき街並み

2015-10-16 10:00:00 | 思い出

 masayo-t.com(出典)

 ベルギーってあの日本では名高い、お値段も高いチョコレート屋さんの発祥地というか…本店みたいなものがあります。

 ここも知る人ぞ知るチョコレート大国です。

 
 私がベルギー、特にブルージュに関心を持ったのは、誰の作品だったか思い出せないが「死都・ブルージュ」という名前を聞いたときからだ。

 どういう意味でそういうタイトルを付けたのかも判らないが、とにかくインパクトは高かった。


 ブルージュというは、旧市街になるんだけど、修道院でビールを作り始めたのが最初で、美味しいビールがたくさん手に入ります。

 女性が好きそうな、フルーティーなものもあるし、男性でアルコール度数にこだわるなら修道士の絵が描いていあるビールを買えばいい。

 でもあちらは、瓶ですから。

 缶はほとんどありません。


 字が読めなくても絵で判断して買えます。

 せん抜き持参で、行った際に夜飲むか、お土産にするか、どちらでもいいです。


 でも、お店の閉まるのは早いですよ、大体、5時~6時にほぼ閉まります。長くやってる所でも7時ですね。

 私が行ってから時間が経ったので、少し事情は違うかもしれません。

 もちろん、チョコレート屋は山のようにあります。

 1つからグラム売りをします。言葉など通じなくても大丈夫です、商品の指差し、ワンとかツーで通じます。売る方も必死ですから(笑)

 でも、ここはゴディバはないです。

 ブリュッセルに本店がありますから…というより、たくさんありますからそこで買うと、信じられないくらい安いです。でもあちらでは普通のチョコレート屋さんなので、普通の紙袋に入れてくれる。

 いわゆる、日本で見るような風格はありません。お土産用に買うなら、パリに行くならそこで…って感じです。


 www.sosemarketing.com(出典)

 料理はフランスとオランダがちゃんぽんになった感じなので、フランスで料理を楽しむより、べルギ―で楽しんだ方が日本人には美味しい料理が食べられます。


 本来はブルージュは天井のない美術館と言われるくらいで、中世の街並みが残ってます。

 その美しさが来る人を惹きつけます。


 でも、あちらは石畳なので、普段歩き慣れている人でも、あちらで歩くと倍の勢いで疲れます。

 石畳に慣れた国の方が、足腰強いかもしませんね。

ピザコーンって知ってる?

2015-06-17 10:00:00 | 思い出

 sumally.com(出典)

 ピザをコーンに入れただけのもの。


 日本にも上陸してた頃があった。でも受けなかったのねぇ~

 
 確かに具が少ないような気がするし、1個だけでしょ、それでこの値段は高いって感じだった。

 
 うろ覚えだけど4,500円した気がする。海外から着たと考えればしょうがないんだろうけど、もう少し値段をおさえてくれればねぇ~。


 確かに普通のピザでいいけど?

思い出のチョコレートサンドイッチ

2015-05-18 12:30:00 | 思い出

 blogs.yahoo.co.jp(出典)

 こんな洒落たものじゃなかったですが、小学生の頃の学校のピクニックのことです。

 母が1つサンドイッチに板チョコを挟んでくれてました。

 この頃はこういう



 液体のチョコレートがなかったから、板チョコを挟むしかなかった。


 もうお菓子ですよ。

 お菓子は別に料金が決まってるから、ずるって感じがして凄い当時は抵抗あった。

 でも、今にして思えば母の愛ですね。

 嬉しい嬉しい愛でした。

母は子の心知らずの峠の釜めし

2014-11-14 15:00:00 | 思い出

 www.oginoya.co.jp(出典)

 も、軽井沢に行くとなると避けて通れないのが、峠の釜めしでしょう。

 ずい分、前のことになるけど、日帰りで軽井沢お買いものツアーと言うのがあり、それに参加した。

 そして、これを家族の人数分買って帰った。

 バス移動だったけど、重たかったよ。

 だって陶器の器に入ってるもの。



 そして美味しくいただきましたが、その後日だ。


 捨てるものとして、この器を母が玄関に出していた!



 なんで捨てるのよ!?


 と、責めたんだけど、いらないから、と一言だけ。

 
 もう何もいう気力は萎えたね。


 こっちは軽井沢から買ってきてるのに。重かったのに。


 でも、母はそれを知らない。

 言うと連れていけだのなんだのうるさいから、黙ってたの。

 だから意味が判らず、東京のどこかの店で買ったくらいにしか思っていない。


 今更、軽井沢からよとは、言いにくい。


 またどうして言ってくれないの?私も行きたかったなんぞと始まるからだ。

 面倒くさいから母の好きなように捨ててもらいました。


 私の努力なんだか、ムダ。

 そのあとも火にかけられるみたいだから、なにか他のことに使おうと思ってたのに。


 そんなもんさ、人生なんて。

 親子の気持ちなんて。

モンサンミッシェルで悟ること

2014-10-21 11:18:35 | 思い出

 karapaia.livedoor.biz(出典)

 かつて1度訪れたことがあるのですが、冬だったので、寒波と共に上陸しました。

 普通なら5時間もあればゆうゆうパリ市内から行ける所が、お陰さまで10時間かかって到着しました。

 本当に天候に左右されますね。特にあちらは高速でもバンバン飛ばして追い抜きますから(イタリアもそうらしいけど、なまじ交通速度を守ると事故が起こる、渋滞になるらしい)
 それに、警察が危ないと思うとすぐに交通止めにする。だから、高速使わないで普通の道でまだ通れる所をドライバーさんが探して行ってくれたんですが…。

 参った。

 この当時、私、凄く参っていたから、フランスまで逃げてやっぱり逃げ切れないのかと、悟りました。


 www.priceline.com(出典)

 これが名物の卵焼き

 ふんわりしてます。いっぱい空気と愛情が入ってる感じです。
 クレープのかわのようなもので、これだけでお腹いっぱいにはなりません。
 でも昔、巡礼できた人々に出されれば喜ばれる1品だったと思います。

 今は話のタネですね。


 www.biscuiterie-mere-poulard.fr(出典)

 なんとかおばさんのクッキー(日本でも成城石井などで買えます)

 ジャムとかもありますが、機内に持ち込めないので…。
 別に汚れてもいいシャツやなにかがあれば、ワインでもなんでもそれに包んで入れて大丈夫って言うか…本当はだめですけどね。

 流氷が出るほど冬は寒い。

 暖かい時期に行くのがいいですね。

 冬の安い時を狙って行っても日によってはすいすい行けるらしいですけどね。

 今、寒波が来るのは12月頃みたいだから2月の激安シーズンでも意外と平気かも?

 後は、運?

 歴史を見に行く。感じに行く。そして新しいものを吸収して楽しむ。
 
 それができれば素晴らしい旅行です。

次のスターはファンが作る

2014-07-16 05:29:33 | 思い出
 一見当たり前にことに聞こえると思いますが、事実そうだと思います。

 よく学生ドラマで10代の男女を生徒役としておくものがありますが、あれも実に見事にファンのつく人つかないない人、撮影が始まってすぐに差が出ます。

 最初からメインに選ばれている生徒役はすでにファンが付いている場合もありますが、そうでない子もファンがつく、つかないは別れて行きます。

 生徒役の子が撮影に来るのもファンにはどこからか漏れていて、自分の好きな子を見るのに、撮影所に出入りするのを待っているファンというのも出てきます。

 生徒役に選ばれた。それだけで役者の子は優越意識がある…と思いますが、そこから、撮影現場に追ってきて

 「○○ちゃーん、自分のこと覚えている?」

 しょっちゅう撮影現場に来るファンの方なんでしょうが、そういう声がかかる子は、本当に少なく、かかった子は嬉しいだろうが、かからない子は寂しい…そんな差も産まれて来るものです。

 そういう意味では人は次のファンになりたい役者を求めることに敏感なのかもしれません。

 そういうファンが1人でも居てくれるかどうか。それがその1人の役者を支えて行く。

 言葉にしてしまえば簡単なことなんだけど、この裏にも色々なことがあって、簡単に話しつくせることではないですね。

 毎回多くの生徒が出る学園ものが始まると、またあのようなことが撮影の裏で起きていて、時には落ち込む生徒役の子を支えたり、励ましたりしているのだろうと思う。

一夜の夢の街、ラスベガス

2014-05-13 13:15:07 | 思い出


 私が初めて米国に行ったのがラスベガスだった。

 とりあえずグランドキャニオンも言ったけど、大統領が何かの用事で飛び立つことになると、全て他の飛行機は止まると言われた。



 夕方の決まった時間になると無料のショーをホテルの前で行う。

 これを見てるだけでも十分楽しい。



 あの頃より、街はずい分、変わっただろうな。

 とにかく、飛行機がラスベガスに着いたとき、砂漠一面の大地に到着していって、あの光景でめまいがした。


 だって日本にそんな光景なんてないでしょう。


 ここは夢の国、ラスベガス、しかし大損しないように気をつけてね。

コールドケース&BONESが上陸した頃

2014-04-15 04:00:00 | 思い出
 なんとなくなんですが…



 コールド・ケース



 BONES(ボーンズ)

 が始まった頃って、凄い衝撃だった気がする。


 それがそろそろその使命を終えて行く。


 コールド・ケースは既に終了してますからね。


 また新しいドラマを作りだしていくきっかけになるんだろう。


 でもなんだか、寂しいことで…時の移り変わりって言うか…凄い感じます。


 でもこれからなんだよね。何が出てくるか。それに期待を寄せないとダメのよね。



 と思いながら、やはり感傷に浸るわ。

松田聖子さんと坂口良子さんのロケ現場の違い

2013-12-26 02:00:00 | 思い出
 これは私が一素人としてたまたま歩いているとき、ロケをしているのに遭遇した話だ。

 松田聖子さんが昔、かなり遠い昔、ロケをされていた。

 大がかりなロケで、雨を降らせてその中に立ち尽くすというシーンを撮っていらした。

 こういうロケのときは時間がかかる。だから何度か通りかかってその様子を拝見させていただいた。


 単にその当時はまだアイドル…ママドルとして新境地を開いたばかりの「聖子ちゃん」と呼ばれていた頃だから(凄ーい、本物がいる)と大変失礼だが、そんなファン心理で見ていた。

 スタッフに囲まれ、ロケが大がかりのせいなのか、緊張なさっていたようだ。


 それを知らない当時はただの女の子の私がじっーーーと見てるわけだから、聖子さんもなんだろうと思ったんだろう。
 「はあ?」という表情を返され、驚いたのを覚えている。

 違う場合でも違うタレントさんなどをただお見かけすることはあるが、たいがい関わりたくない、プライバシーを尊重したいというお気持ちが強いのだろう。

 見られていると判っても、知らん顔をされていることが多い。


 彼女ほど、はっきりと「なんなの?」という表現を返してきた人は初めてだった。

 気が強いと言うべきか、感性が鋭いと言うべきか。

 ロケ前で緊張されていたからかもしれない。


 けれど、あの時から「聖子ちゃん」を見る目が変わったのは確かだ。


 逆のケースもあった。

 坂口良子さんだ。やはりロケをされているのに、一素人として偶然遭遇した。

 このときも失礼だが、じっーーーーと見てしまった。

 坂口さんは役として、既にカメラの前に立たれ、本番を前にしていたせいかもしれないが、そんな私の視線など、意に介さない様子だった。

 カメラ前に立たれ、本番を前にした女優さんとしては当然のことで、こちらが失礼極まりなかったのかもしれない。

 堂々とした女優さんだった。

 

 このお2人の経歴も違うし、そのときの年齢も全く違う。

 比較することではない。


 今の聖子さんなら、違うのかもしれない。堂々としたアーティスト、女優の顔で返されるのかもしれない。


 私がお見かけしたときは、まだまだ若くて気さくな「聖子ちゃん」だったのかもしれない。


 こうして歩いているときも勉強させていただける。


 私にとってはありがたい経験だった。