kouheiのへそ曲がり日記

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儀式嫌い

2005-04-28 09:03:00 | 日記
僕の大学院時代の先輩で、魂の美しさよりも、形式の美しさに美的感動を覚える人がいた。
「とにかく、式次第がきっちりと、粛々と進行していったんだ、ほんとにいい式だった」
ある結婚式の2次会で、彼は興奮気味に話していた。

結婚式とは、男女の性的結合という何となく後ろめたいものを、無難なものとして社会に宣言する儀式である。
葬式は、突然死体という形而下のものに堕してしまった「人」を、生きていたときと同じか、あるいはそれ以上の「人格」として扱う儀式である。

僕は、自分でも不思議に思うほど、生まれつき儀式が嫌いだ。
ドストエフスキーの作品の登場人物のように、あらゆる約束事や儀式を踏みにじり、ひたすら破滅へと疾走していく方が、何よりも美しい魂の昂揚と僕の目には映る。

だが卑しい魂の持ち主は、儀式を重要視する。
なぜなら、皆が儀式という同じ形式の枠に嵌められれば、自らの魂の卑しさが覆い隠されるからである。

とはいっても、どうしても義理で結婚式や葬式に出席しなければならない場合もあるだろう。
その時は、二つの魂が一つに寄り添う美しさに拍手をし、死せる魂がこの世を去っていく切なさを感じて涙するのがいい。

形式美に惹かれる心情の行き着く先、それは想像力の死である。