kouheiのへそ曲がり日記

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『バカの壁』

2005-04-12 11:04:00 | 日記
もう2年前のことであるが、養老孟司著『バカの壁』を読んだ。
総じて低級な本であったが、面白いところもあった。
それは「常識」についての氏の見解である。

この著作で養老氏は「個性の伸長よりも常識の体得を」と、文科省の標榜する「個性を伸ばす教育方針」のバカさ加減を強調している。

では常識とは何であるのか?
著者は、それは「人間ならそれくらい分かるでしょう」ということであると言う。
つまり、社会に生きる者として当然身につけているはずの、言葉ではちょっと説明できない、いわば「暗黙知」のことだと言うのだ。

「人間ならそれくらい分かるでしょう」の「分かる」とは、第一義的には「人の気持ちが分かる」ということだと著者は言う。

たしかに他人の気持ちを全然推し量れない個性的人物など、迷惑千万な存在でしかない。

個性とは、「常識」という基盤あってこそのモノである。
常識なき「個性」は、精神病院に行けば、イヤというほど見受けられる(毎日壁に大便で名前を描く、等々)。

だが、ここからは僕独自の意見だが、「常識」とは前近代的なものであってはならないだろう。
少なくとも僕には、5年ぶりに教育実習生として母校に戻ってきた元教え子を陥れようとする人を、「恩師」として崇め奉ることなどできない。

そうなのだ、「常識」といった場合、それを弁えていないのは子供だけではないからややこしいのだ。
いい歳こいた大人でさえ、最近では常識を弁えていないのが多いから困るのである。

戦後民主主義の悪平等主義(=形式的平等主義)により、今の中年層は「常識」を十分体得しないでオッサン、オバハンになってしまった。
こういう連中が子供に常識を教育できるわけがない。

「常識」の大切さを知らないから、「個性の伸長」などと戯言が吐けるのだ。
以前にも書いたが、もう一度言う、文部科学省など要らない。

子供たちは英単語や数学の公式を覚えるのに大童だ。
でも、そんなことより・・・お父さん、お母さんの気持ちを分かってあげられる人間になってください(祈)