前回の更新からだいぶ日にちが経ってしまいましたが、何事もなかったかのように旅行二日目。
朝も温泉に入って、美味しい美味しい朝バイキングを食べて、無限の彼方へ、さあ行くぞ!
宿を後にしてまず訪れたのは、第四次川中島の戦いの際に武田信玄が本陣を置いた八幡原史跡公園(川中島古戦場)。
この公園の中には八幡宮があり、その境内には信玄・謙信両雄一騎討ちの像や三太刀七太刀之跡の碑、首塚、逆槐(さかさえんじゅ)などがあります。
信玄・謙信両雄一騎討ちの像。
上杉謙信が武田本陣に単騎討ち入り切りつけたところを信玄が軍配で受け止めた、という言い伝えから。
昭和44年の大河ドラマ「天と地と」の放映を記念して建てられたものだそうです。
三太刀七太刀之跡の碑。
謙信の刃を受け止めた信玄が軍配を見ると、三回切りつけられたはずの軍配に七つの傷がついていた、という言い伝えから。
今まで甲府には何度も足を運んでいましたが、やっとここに来られたという感じ。
かつてこの地で大激戦があったとは思えないような平和で静かな場所でしたが、ここに武田信玄やその家臣たちがいたのだと思うと、感慨深いです。
ちなみに、公園に入ってすぐのところには、佐久間象山の像もありました。
…なんか、余計なものも写ってますが…。
このあと、武田の軍師・山本勘助が討ち死にした場所という勘助宮へ。
長野オリンピックスタジアムの敷地の南西に石碑が建っているのですが、本来は、現在の場所から少し離れた場所にあったそうです。
「宮」とありますが、石碑が残るだけ。かつては諏訪神社があり、それを勘助宮と呼ぶようになったとか。
大河ドラマ「風林火山」の勘助討ち死にのシーンを思い浮かべ、ここでも感慨に浸る…。(そのせいか?写真を撮り忘れる。)
このあとは、討ち死にした勘助の首と銅を合わせた場所と言われる胴合橋へ。
討ち取られた勘助の首を取り返した家臣が、橋で勘助の首を洗っていると、そこへ首のない胴体が流れてきた。首を合わせてみるとぴったりと合ったという…と言い伝えが。
よく考えると結構怖い話ですが。
この碑の裏に小川が流れていて、人がひとり通れるぐらいの石橋がかかっています。
「こんなちっちゃいの?」と思うぐらいの橋なのですが、川も橋も、昔はもっと幅が広かったのでしょうか。
ちなみに碑のある場所はドライブインの駐車場。勘助宮もそうですが、注意深くないと見過ごします。
ここでも大河ドラマ「風林火山」のラストを思い出し、感慨に浸る私。武田より「風林火山」が好きなんじゃないだろうか。
このあと、武田信玄の弟・武田信繁の墓がある典厩寺(てんきゅうじ)へ。
信玄の信頼厚く文武に優れた武将であった信繁ですが、彼もまた第四次川中島で命を落としたのでした。
官職である左馬助の唐名から典厩と呼ばれ、寺の名前も典厩寺に。
入ってすぐに閻魔堂があり、中には日本一大きな閻魔像が。ものすごい迫力でした。
また、川中島合戦記念館があり、信玄・信繁・勘助らの画や武具などの史料60点余りが展示されています。
「武田信繁着用…」などと説明書きがある史料が普通に展示されていて、ビックリしました。入る時は自分で電灯のスイッチを入れて入るような、本当に小さな記念館なのです。
このお寺は本当に小さくてとても古く、夫曰く「怖い」ぐらいで、確かに京都や鎌倉などの古寺とは全く違う古さを感じさせ、それが変に生々しくもありました。
今回の旅で一番ビックリしたかもしれませんが、一番、行って良かった。
境内には大きな枝垂れ桜があり、春に行けばとても美しいと思います。
写真が入っているせいで、中身のない文章の割にはエライ長くなってしまいました。
もう一度ぐらい続きます。