くらしのなかにアタマのカタマリ

真鶴と札幌と甲府のどこで老後を過ごそうか悩みながらブログを書くのである。

美人の湯、昼神温泉に行くの巻。その5

2012年09月06日 00時00分01秒 | 旅に出たり。
信濃比叡の入口には「門前屋」というお店があります。
おからを出さないお豆腐が名物で、お食事処もついていたので大変興味深かったのですが、バス旅行らしきお客さんでいっぱいだったので、泣く泣く何も食べずに、お店を後にしました。
お土産に、お豆腐を買うだけでも買っておけばよかった…。

そんな訳で、おなかを若干すかせながら向かったのは、長岳寺。
ここは、京に上る戦の途上で亡くなった武田信玄の遺骸を安置し荼毘に付したお寺なのだそうです。
信玄の兜の前立てが残されており、信玄の供養塔や信玄の家臣・馬場美濃守の供養塔、『武田信玄』で有名な新田次郎の句碑もありました。





宝物殿拝観料として200円を払うのですが、住職がお話しをしながらいろいろなものを見せて下さり、ほんとに200円でいいの?と思いました。
信玄の前立てはもちろん、最澄が彫像したという木槌薬師如来像が興味深かったですね。
そもそもは木槌山観照寺という少し離れたところにあるお寺に安置されていたそうなのですが、織田信長の焼き打ちに遭って寺が焼失。難を逃れた薬師如来は、末寺である長岳寺に移されたのだそうです。
この薬師如来は、毎年4月8日から12日間、観照寺跡の薬師堂に「里帰り」なさるとか。その際に薬師如来を乗せる神輿のようなものも見せてもらいました。
他にも、天明の大飢饉で亡くなった人々の霊を慰めるために納められたという千体地蔵や、吉川優画伯による襖絵(住職一押し!この説明が一番長かった!!でもホントに立派だった!!!)などなど。
小さなお寺でしたが見どころ満載でした。

このあと、お土産を買いに「春木屋本店栄松庵」という和菓子屋さんへ。
前日、村に入ったところで「高坂弾正最中」という看板をみかけて、とても気になっていたのです。
高坂弾正とは、武田信玄の家臣で、武田二十四将のひとり。
お店の方に聞いてみると、阿智村に住む高坂弾正の末裔の方との縁で、このお菓子が誕生したのだそうです。
もともとは「信玄最中」という名称だったそうですが、別のところで商標登録されてしまったそうで…。歴史はこちらの最中の方が古いそうですが。
信玄の話や、長岳寺で観た薬師如来の話を聞かせてもらうこともできました。

ついでにこちらでお昼ご飯によいお店を教えてもらい、すぐ近くの「うどんやこいけ」というお店へ。
信州だとおそばのイメージが強いのですが、ここのうどんは美味しかったです。なめらかでコシがあって、おつゆも美味しい!
おなかがすいていたので、写真を撮るのを忘れてしまいましたが…。
美味しいうどんを食べて、いよいよ帰途につくことに。

諏訪湖S.Aでパチリ。何年か前に諏訪にも遊びに来たなあ。



その諏訪S.Aでこんなものを食べましたよ。



巨峰を凍らせて削ったもの。ふわふわして美味しかったです。
以前に京都で食べたモモ氷(2005年「TRT京都『かき氷オフ』レポ」参照)を思い出しました。
他にマンゴーとイチゴもあります。こちらのお店(屋号を忘れた!)は京都から出店しているとか。いえ、オフのときのお店とは違いますが。

この先は渋滞。
帰りは月曜日だから、大丈夫だと思ったのになあ…やはり夏休みですね。
でも、お天気にも恵まれて、今回もとても素敵な旅でした。
是非また行きたいのう…もう少し近ければ…いや、そのぐらいがよいのかな?


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美人の湯、昼神温泉に行くの巻。その4

2012年09月05日 00時00分01秒 | 旅に出たり。
駒つなぎの桜をあとにして次の目的地に向かおうとしたのですが、途中で心惹かれるものを見かけてしまい、立ち寄りました。
それがこちら。



天台宗の開祖・最澄が開いたという信濃比叡・広拯院。
ここから美濃の方に行った神坂峠は、東山道一の難所だったそうです。
布教のために東国に下ろうとした最澄は、旅人の苦難を見かねて峠の信濃側に広拯院、美濃側に広済院という布施小屋を建てたのだとか。
その縁で、広拯院は「信濃比叡」の呼称を許されているのだそうです。

当時の広拯院跡だと伝わる月見堂。



月見堂のそばにはこんな碑も。



「日本武尊(ヤマトタケル)は東征の際、神坂峠の麓で鹿に姿を変えた魔物に襲われる。
噛んでいた蒜(ニンニク)を投げつけると、目に当たった鹿は死んでしまう。
その後、神坂峠に登ったヤマトタケルは、東の方を望み駿河湾で死んだ妻のことを思い出して『吾が妻よ』と嘆く。
このことから、この峠から東を「吾妻」と呼ぶようになった。(日本書紀)」

だいたいこんな感じですかね。
碓氷峠だったという話を聞いたことがあるように思うのですが、色々な場所にこういった話が残っているのかな。
世間は今、ちょっとした古事記ブームですが、今度図書館で日本書紀を読んでみよう。

それから、こんな碑も見つけました。



史上初の征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際にこの道を往復した、というもの。
坂上氏が後漢の霊帝の曾孫・阿智王の子孫だということも書いてありますが、Wikipediaによるとそのことを示す一次資料はないとのこと。
これもちゃんと調べてみないと分かりませんね。
でも、ここが阿智村だということを考えると、阿智村と阿智王、音にしか接点はありませんが、多少危うい説であっても記しておきたかったのかなという気がします。

本堂の方にも行ってみました。
お地蔵さんに出会うたびに挨拶をしながら登っていくと、大きな伝教大師(最澄)が!



個人的には、足下にずらった並んでいらっしゃる羅漢さんたちが気になるのですが…。


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あともう1回ぐらい続く。
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美人の湯、昼神温泉に行くの巻。その3

2012年09月04日 12時18分54秒 | 旅に出たり。
温泉街を後にして向かったのは「駒つなぎの桜」
平安時代、源義経が奥州に下るときに馬をつないだ桜だとか。
もちろん今は桜の時期ではないし、伝説に近い話だと分かってはいたのですが、行ってみることにしました。
HPに掲載されている、一本桜が池に映っている写真がとても綺麗でしたしね。

ところでこの桜、カーナビにもちゃんと表示されるのですが、到着予定が1時間以上先を示している…あれ? 観光局のHPには温泉から15分って書いてあるけど…これは誤差の範囲じゃないよね…?
でも、ナビが指している場所は、確かに目的の場所。
頭の中に「?」が浮かびましたが、とりあえずナビの通りにクルマを走らせました。

余談ですが、途中、湧水が汲めるようになっている場所が3か所ぐらい。
その内のひとつ、「一番清水」は有名な湧水らしく、遠方からも汲みに来る人がいるとか。実際に汲んでいる人々も見かけました。
朝のバイキングにも、その水から作ったお豆腐やお水そのものが並んでいましたね。

話を戻して、30分以上クルマを走らせ「何か絶対違う気がする」と思いつつ一山越えて、ここまで来たらどこに連れて行かれるんだろうという期待と不安があふれてきた頃に「ここから先、立ち入り禁止」「熊出没注意」の看板に遭遇。
そこらにいた人に聞いてみたのですが、全然違う場所だと。そこからはナビを無視して、地図を見ながら進みました。
このナビ、他の場所は大丈夫だったのに、なんでここだけこんなだったんだろう…。

そんな苦労をしながら辿り着いた駒つなぎの桜。



HPに掲載されていた写真にあった池がなくて「あれ?」と思ったのですが、桜の季節には手前の田んぼが池みたいになるんでしょうね。
花は咲いていなくとも、とても立派な桜の木でした。
義経のことが記載された小さな案内板もあります。それによると、駒をつないだ桜の木は既になく、この木は曾孫木という説もあるとも。
しかし実際に駒をつないだものかどうかはともかく、木は樹齢400~500年、目の前には古代東山道(近江・美濃・信濃・上野・下野・陸奥を結ぶ律令による官道)への入口もあり、十分に昔々が偲ばれます。
それに、ここらあたりの景色が素晴らしい。



写真でも分かるようにとてもよいお天気。とても暑かったです。
でも、東京ほどイヤな暑さでないのは、コンクリートやアスファルトからの放熱が少ないからか、空気の清浄さ故か…。


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続く。
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美人の湯、昼神温泉に行くの巻。その2

2012年09月03日 00時00分01秒 | 旅に出たり。
早起きは三文の得。
というわけで、早起きして朝風呂に入り、美人度をアップしたところで朝の散歩に出かけました。
ちなみに夫は三文の得もなんのその、まだまだ夢の中であります。

宿の前を流れる阿智川。今年は雨が少ないので、水量も少ないそうです。



川沿いをブラブラ歩き、毎日行われるという朝市を見物して、前日に車の中から見えた神社に行ってみました。





「阿智神社」というのだそうです。
大通りに面していますが、鳥居をくぐって進んでいくと、鬱蒼とした木々の中に鎮座する社だということが分かります。
脇を小さな川が流れ、木々の向こうには畑が見えるその風景は、田舎ならよくある風景かもしれませんが、母の実家のあった田舎の風景にとてもよく似ていて、懐かしい気持ちになりました。

母の田舎の風景、と言えば、阿智川あたりの風景も本当にそんな感じで…。
小学生の頃の夏休みと言えば、母の実家に遊びに行っていたのですが、よく川遊びをしたことを思い出しました。
今ではすっかり都会人ぶっている母ですが、私と弟が小さい時には、片方を片手で抱えて泳いで川の向こう側まで渡り、さらに戻ってもう一人を抱えて泳ぎ…といった具合で、田舎人力を遺憾なく発揮していましたね。ザリガニ獲るのもセミを獲るのも巧かったな。
母の実家は売られてしまって今は無いのですが、いつかまたあの場所に行きたいものです。



宿に戻って、夫を起こして朝ごはんです。
朝ごはんはバイキングで、食いしん坊の夫がとても楽しみにしていたのでした。
このバイキングも土地のものがいっぱい使ってあって、とても美味しかったですね。
やはり旅先では、その土地のものを堪能したいものです。



朝ごはんを食べ終わったらチェックアウト。
あまりにもお湯がよかったので、温泉の素的な入浴剤とか温泉のお湯から作られたミストとか石鹸とか、ついついいろいろと買ってしまいました。
もうアレですよ、お金を惜しみなく使わないと美は保てないのですよ。そもそも保つべき美があるのかどうかは、別問題だよ。


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続く。
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美人の湯、昼神温泉に行くの巻。

2012年09月02日 18時53分15秒 | 旅に出たり。

先日、遅めの夏休みを取り、昼神温泉に行ってきました。
昼神温泉というのは、長野県下伊那郡阿智村にある小さな温泉街。ちょっと行けば木曽。そう、岐阜です。でも、行くのは長野です!
今となっては、どうしてここに行こうと思ったのか忘れてしまったのですが、多分「どっか涼しいとこ行きたい!」「長野の高原とか行けばいいんじゃない?」「温泉も入りたい!」…で、いろいろ探していたらここになったような気が。
結局、そんなに涼しいところではなかったのですけれども。

中央自動車道をひた走り、飯田山本I.Cを降りて昼神温泉へ。
東京からだとノンストップで約4時間の予定だったのが、渋滞と途中S.Aへの寄り道で6時間ちょっとかかりました。
途中の駒ケ岳S.Aで、昔ハマった「すずらん飲むヨーグルト」(2009年「はとバスで南信州」参照)を見つけて飲んだりして…。相変わらず美味しかったです。

そうこうしているうちに宿に到着。今回お世話になったのは「清風苑」という旅館です。
すぐにお風呂に入ったのですが、泉質に感動…お湯がぬるぬるなのです。いえ、お掃除をしていない訳ではないのですよ。
あとで調べてみると、アルカリ性のお湯は、皮脂を溶かしたり角質を柔らかくしてくれたりするので、石鹸を使うのと同様にぬるぬるするのだとか。
アルカリ度が高いほど、ぬるぬるするのだそうで、流石「美人の湯」と言われる昼神温泉!と、ゆっくり入浴を楽しみました。
ほんとにお肌しっとり、もちもちです。

お湯に満足した後は、お楽しみの夜ごはん。個室で会席料理をいただきました。
会席の他に信州牛の陶板焼きもお願いしていたのですが、実際に食べてみると会席だけで十分な量でしたね。ものすごくおなかいっぱい。
お料理がどれもこれも美味しくて残すことが出来なかったのが困りました。贅沢な悩みですなあ。

たくさん出てきたお料理のなかから、夫に大好評だった鯉の甘露煮。


尾びれ以外は、頭も全部食べてしまった、鮎の塩焼き。


…せっかく美人になったのに、太った。どういうことだ。


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続く。
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